マルクス・ユニウス・ブルトゥス
伝説的な執政官ルキウス・ユニウス・ブルトゥスの末裔であり、カプア市の創設者として知られる護民官マルクス・ユニウス・ブルトゥス・マイヨル(大ブルトゥス、Brutus the Elder)と、小カエピオの子女セルウィリア・カエピオニスの子としてローマに生まれる。セルウィリアと小カトーは異父姉弟(小カエピオの妻リウィアが、離婚後に大カトーの孫カトー・サロニアヌスと再婚して小カトーを儲けた)であり、小カトーは母方の叔父となる。
父はブルトゥスが生まれた時、ルキウス・コルネリウス・スッラとガイウス・マリウスが率いる閥族派と民衆派の内乱に巻き込まれていた。マリウス死後、マルクス・アエミリウス・レピドゥスによる親マリウス派の蜂起に加わった父はスッラの部将グナエウス・ポンペイウスによって殺害されたとされる。未亡人となった母セルウィリアは、マリウスの義理の甥にあたるガイウス・ユリウス・カエサルと親しい間柄になり、両者共に家庭を持ちながら愛人関係となった。幼くして父を失ったブルトゥスはカエサルを父親代わりに育てられた。その親密さから一部の歴史家は「カエサルがブルトゥスの実父だったのではないか」とする説を残している。
成長する過程でブルトゥスは母方の親族であるセルウィリウス氏族カエピオ家に預けられていた時があり、母の同父弟である叔父クィントゥス・セルウィリウス・カエピオの養子とされていた。合わせて父方のユニウス氏族から母方のセルウィリウス氏族に移り、全名もクィントゥス・セルウィリウス・カエピオ・ブルトゥス(Quintus Servilius Caepio Brutus)と名乗っていた。ブルトゥス家を継いでからは元の名に戻しているが、カエサル暗殺後に前述の全名を用いている。これはユニウス氏族に並んでセルウィウス氏族も独裁者を討ち果たした祖先(ガイウス・セルウィリウス・セクトゥス・アハラ)を持っており、共和制下での独裁を倒したという点でより近かった。
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前半/あい 愛 さ変名詞
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前半/あいことな 相異な ら行五段
前半/あいざっくしょうこうぐん アイザック症候群 名詞
前半/あいじょうけつじょせいしんびょうしつ 愛情欠如精神病質 名詞
前半
コンスタンティヌス1世
ディオクレティアヌスの時代に副帝を務めていたコンスタンティウス1世の子として生まれたコンスタンティヌスは、312年に帝国の西の正帝となり、ディオクレティアヌス退位後の内乱を収拾して324年に帝国を再統一した。330年には帝国東方の交易都市であるギリシア人の植民都市ビュザンティオン(後のコンスタンティノポリス、現イスタンブル)に遷都した。統一された帝国の皇帝として、コンスタンティヌスは官僚制を整備し、属州における軍事指揮権と行政権を完全に分離するなどディオクレティアヌスが始めた専制君主制(ドミナートゥス)を強化した。経済・社会面では、ソリドゥス金貨を発行して通貨を安定させ、コロヌスの移動を禁止、身分を固定化することで農地からの収入安定を図った。
宗教政策の面では、帝国の統一を維持するため寛容な政策を採り、ネロ以来禁止されていたキリスト教に信教の自由を与えて公認した。ミラノ勅令によって彼がキリスト教を公認したことは、後年キリスト教がローマ帝国領であったヨーロッパへ浸透するきっかけとなる一方、教義決定に皇帝の介入を受けることにもつながった。
コンスタンティヌス自身は、ブリタンニア出身のキリスト教徒ヘレナを母として生まれたのでもともとキリスト教に好意的であったと言われる。一時期ミトラ教に傾倒したが、晩年にはキリスト教の洗礼を受けた。正教会ではキリスト教徒であった母とともに「亜使徒」の称号を付与されて尊崇された。
コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、彼と同じ名(ギリシア語形:コンスタンティノス)を持つ皇帝が多数即位した。東ローマ帝国はコンスタンティヌスが創始した専制君主制とキリスト教の信仰の上に成り立っていたため、その先駆者であるコンスタンティヌスを「最初のビザンツ皇帝」と呼ぶ歴史家もいる。