ルキウス・ユニウス・ブルトゥス
ブルトゥス家はタルクィニウス王家に対して憎悪を抱いており、元老院で強力な指導力を発揮し始めたルキウスの兄弟が殺害されるなど深刻な対立関係にあった。王家による危険分子への粛清の嵐が吹き荒れる状況の中、ルキウスはわざと愚鈍な人間を装い、王家の粛清を逃れる事に成功した。国王タルクィニウスはルキウスを無能だと侮り、彼なら自分の王位への脅威にはならないと判断して自らの側近に取り立てた。彼の名「ブルトゥス」は「阿呆」の意味であり、これは彼がいかに軽く見られていたかを物語っている。
王の信任を得たルキウスは王の息子の人間とギリシアのデルポイに神託を伺いに赴いたり、殊にデルポイの神託の折、タルクィニウスの息子は「次の王は誰になるか?」と聞いたところ、「母なるものに接吻する者」と返ってきた。「母なるもの」を「大地」と解釈してブルトゥスは地面に接吻したと言う。そしてローマに戻ると周辺の部族の制圧のため軍を率いて出征し、ローマを離れることが多かったという。
ルキウスがローマから離れていた間に、近親の既婚女性ルクレティアがタルクィニウスの息子セクストゥスに暴行され、辱めを受けたルクレティアが自らの胸を短刀で貫いて自死するという事件が起きた。伝説では、この報を聞いたルキウスが息絶えたルクレティアの胸に刺さった小刀を手に取り、「ただちにタルクィニウスの一族を追放させよ」とローマの民衆を煽動したと伝えられている。
ルキウスはすぐさま国王タルクィニウスとその一族をエトルリアへと追放させることに成功し、以後は王を置かずに、本来は王の諮問機関であった元老院に政務を担わせることとし、元老院の代表として2人の定員でプラエトルという役職を設置、亡きルクレティアの夫ルキウス・タルキニウス・コッラティヌスと共に自ら就任した。
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前半/あいじょうけつじょせいしんびょうしつ 愛情欠如精神病質 名詞
前半
コンスタンティヌス1世
ディオクレティアヌスの時代に副帝を務めていたコンスタンティウス1世の子として生まれたコンスタンティヌスは、312年に帝国の西の正帝となり、ディオクレティアヌス退位後の内乱を収拾して324年に帝国を再統一した。330年には帝国東方の交易都市であるギリシア人の植民都市ビュザンティオン(後のコンスタンティノポリス、現イスタンブル)に遷都した。統一された帝国の皇帝として、コンスタンティヌスは官僚制を整備し、属州における軍事指揮権と行政権を完全に分離するなどディオクレティアヌスが始めた専制君主制(ドミナートゥス)を強化した。経済・社会面では、ソリドゥス金貨を発行して通貨を安定させ、コロヌスの移動を禁止、身分を固定化することで農地からの収入安定を図った。
宗教政策の面では、帝国の統一を維持するため寛容な政策を採り、ネロ以来禁止されていたキリスト教に信教の自由を与えて公認した。ミラノ勅令によって彼がキリスト教を公認したことは、後年キリスト教がローマ帝国領であったヨーロッパへ浸透するきっかけとなる一方、教義決定に皇帝の介入を受けることにもつながった。
コンスタンティヌス自身は、ブリタンニア出身のキリスト教徒ヘレナを母として生まれたのでもともとキリスト教に好意的であったと言われる。一時期ミトラ教に傾倒したが、晩年にはキリスト教の洗礼を受けた。正教会ではキリスト教徒であった母とともに「亜使徒」の称号を付与されて尊崇された。
コンスタンティノポリスを首都とした東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、彼と同じ名(ギリシア語形:コンスタンティノス)を持つ皇帝が多数即位した。東ローマ帝国はコンスタンティヌスが創始した専制君主制とキリスト教の信仰の上に成り立っていたため、その先駆者であるコンスタンティヌスを「最初のビザンツ皇帝」と呼ぶ歴史家もいる。