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1. 卒業式の日、「今日で野球も卒業」と言うと泉はすっと無言になった。 あの大きい目でじっと目を見られて、ちょっと居心地が悪かったのを覚えてる。 目が「なんでだよ」って叫んでいるような気がして、目線を逸らした。 理由なんていまさら口に出したくなかったからしばらく耐えたけれど、やっぱり耐え切れなかった。 「肘がさあ、曲がっちゃってんだよね」と言うと泉は今度は肘をじっと見た。 泉はしばらくそうしていた。浜田が、この子いま何考えてんだろ、とか思い始めた頃に、 突然脈絡なく泉ががしっと右肘を掴んだ。学ランの袖に隠れて形が見えなかったせいだと思う。 思わず「痛て!」と言ってしまった。その声に逆に泉がびっくりして「うわ、ワリ」と反射的に手を離した。 「ごめん、イテーの考えないで」 珍しく泉が謝るので、「全然平気」と強がってみせた。 バット振んのもダメなの、と泉が訊く。声がちょっと暗い。 ああ、深刻にさせちゃってごめんな。お前らこれから頑張んなきゃなのに。思ったけど口には出さなかった。 バッティングには問題ないんだけど、と言うと「じゃあ続けられんじゃん」と間髪いれずに返された。 「でも投手はできねんだよ。医者通っても、投手だけはできねーの」そう言うと泉は眉間にしわを寄せた。 怒ったのかな、それとも泣きそうなのかな、なんて考えたけどわからなかった。 四月から高校の近くで一人暮らしするんだとか、ちょっと遠いけど遊びに来なよとか、色々話したかったことは たくさんあったのに言えなかった。野球をやめるという事が、彼らにとって離別を意味するという事が 感覚的にわかっていたのだ。 「じゃあ、」と言ったっきり後が続かなかった。じゃあまた、なんて言っても、また会う機会なんてないのだ。 そのまま帰ろうとすると「浜田先輩、」と呼び止められる。泉は何かを言いかけて、ちょっと間をおいてから 「なんでもない」と蚊の鳴くような声で言った。 今でも何と言おうとしたのかはわからない。ただあの時、いつもまっすぐな泉の目が少し揺らいだのが忘れられない。 2. 「援団やろうと思ってんだ」と打ち明けたときも、泉は一瞬無言になった。 しゃべり掛けた所で泉の表情が止まったからなんとも間の抜けた顔だった。 なんで?とか訊くのかなと浜田は思ったけれど、「そっか」と言われただけで他には何も言わなかった。 もちろん泉が手放しで喜んでくれるとは思っていなかったけれど、こんな風に無反応なのも予想外だった。 なんか他に感想ねえの、と拗ねた振りをして訊いてみたけれど、「ひとりで応援やんの?」とか的外れな質問で返された。 違うのになあ、聞きたいのはそういう事じゃないのに。思ったけれどとても言えない。「友達誘うつもり」と答えると 「あっそ」と返され会話を打ち切られた。 その後泉はしばらく黙っていた。横断幕つくって、ハチマキと襷もつくって、という話もしたけれど、 泉は「うん」とか「へえ」とか言うばかりだった。「抽選会っていつ?」と訊いても「え、わかんねえ」だけだった。 本当にいま何考えてんだろ、この子。と浜田は思う。 元後輩は、窓の外にジャージ姿の七組の連中を見つけてヒラヒラ手を振っている。 その内クラスメイトの田島が「イズミー、次移動!」と呼びに来た。 3. 練習を手伝った日、泉が「今日泊まらせろ」と言うので二人で帰った。 泉は先週録画しておいた夏の甲子園特集がどうしても見たいらしい。観賞用にと思ってコンビニに寄ってアイスとお菓子を買った。 泉の自転車は学校に置きっ放しらしいから、並んで夜道を歩いた。 夕飯はチャーハンでいーかな、と聞くと泉は頷いた。 けれどその後で「やっぱ作んなくていい。カップ麺でいーよ」と言い出した。浜田が、そんなにカップ麺好きだったっけ、 という顔をしていたら、「お前も疲れてんだから」と泉が言った。 「別に大丈夫。泉が食べてくれんなら料理楽しいし」と言われて、えっと呟いて泉は浜田の顔を見た。 その後「ありがと」と言った声は普段より少し低かった。もしかして照れてるのかも知れない。 「俺さあ、援団やってよかった。泉のカッコイーとこ何度も見れたし。また野球に関われてすっげーウレシイ」 なんて言うと、泉がちょっとだけ眉間にしわを寄せた。 難しい事考えてる時大体こういう顔をする事に、浜田は最近気付いた。例えば朝練でメントレやってる時とか、抜き打ちの小テストの時とか。 援団を始めるきっかけは、泉や三橋の存在が大きかった。特に泉は長い間一緒に野球をしてきたせいか思い入れが強かった。 でもそれを言うと泉は絶対照れて無愛想になるから言わないでおく。 だから、ありがとうな泉、とだけ言う。 言うと泉はまた浜田を見る。じっと目を見た後、視線を逸らして今度は足元を見るように俯いた。 「俺は、浜田先輩が、野球やめても野球好きでいてくれたのが嬉しい」 その時どんな顔をしてたか、暗かったせいでわからなかった。けれどたぶん泉の顔は赤くて、ちょっとだけ泣きそうだったろうと思う。 「先輩なんてゆーなよ」と言ったけど、泉はさらに俯くだけで何も言わなかった。 浜田先輩、と言った声が卒業したあの日と全く同じで、浜田は少し切なくなった。 あの時呼び止めたのは、野球を好きでいて、泉はそう言いたかったのかもしれない。 嫌いになれる訳ねーじゃん、と言うと、小さな声で「うん」と言って頷いた。 浜田は泉の左手をとる。案外簡単に浜田の右手に収まった。 4. 卒業した時、野球に関するものは全部捨てた。 中学のユニフォームとか、長いこと使ってたグラブも処分した。 高校だって、高校野球やりたい奴は絶対入学しないっていうような学校を浜田はわざわざ選んだ。 「なのに泉が入学してきてびっくりしちゃったよ」と呟いてみたけれど、当の本人は隣ですやすや眠っている。 チャーハン食べながら録画した特集を観て、終わった瞬間シャワー浴びてとっとと寝てしまった。 寝顔だけは子供の頃から変わらない。 野球と一緒に泉も切り捨てた。一度きっぱり、もう二度と会わないのだと決めた。 浜田にとって野球と泉はイコールの関係にあったから、どちらも忘れたかったのだ。 未練でも残そうものなら、自分が辛くなるのがわかっていた。 切り捨てたなんて白状したら泉は怒るかな、と幸せそうな寝顔を見ながら浜田はぼんやり思った。 泉はまたあの小難しい事を考えている顔をするかもしれない。 もしくは強烈な右ストレートが飛んでくるかもわからない。 野球を続けられないという事実に一番絶望したのは浜田自身だったのだ。 それに色んな理由を付けて、野球なんか辞めてやったというニュアンスに変えていたのだと思う。 「情けねぇなあ」と浜田はひとりごちる。 潰れそうになると何処からともなく現れて、浜田を深淵から救い上げてくれるのは、いつも泉だったのだ。 泉は知らないかもしれないけれど、出会ってから今まで浜田は泉に何度救われたか知れない。 泉が西浦へ来たのは、もしかしたら必然だったのかもしれない。 ありがとうな泉、とまた同じ言葉を口にする。 返事をするように、泉がんん、と唸った。 5. また練習を手伝っていたある日に、泉が「ん」とタオルとポカリを渡してきた。 マネージャーが用意してたものなのか、泉が持参したものなのかはわからなかったけれど、ペットボトルのポカリは 凍らせてあった。中学の頃、肘が痛いと言うといつも泉が凍ったドリンクを肘に当ててくれたのを思い出す。 泉がじっと浜田の目を見つめた。「なに?」と浜田が聞くと、こう言った。 「やっぱお前、ユニフォーム似合うな」 「へ、」不意打ちにそんなことを言われて、じわりと涙が出そうになった。 慌てて渡されたタオルで顔をごしごし拭いて誤魔化した。けれど泉にはわかってしまったようで、 ちょっと驚いた顔をした後、なんだよ泣くなよ、と苦笑いで呟いた。 本当はものすごくうれしいのだ。野球と、なにより泉ともう一度関われるようになったことが、 ちょっとした言葉ひとつで泣けるくらいに。 (いつだって、こうやって救ってくれちゃうんだ、俺の愛しいヒーローは!) 思いきり抱きしめたくなったけれど、練習中だから我慢して、代わりに泉の両手をぎゅっと握った。 |
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ヒーローは 君を救う
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