三月になって、泉が1組の女の子と付き合いだした。
半年ほど前に、栄口に教科書を返しに1組へ行った時、偶然その女の子が手作りクッキーをクラスメイトに 配っていた。そして偶然その場にいた泉にもクッキーを差し出し、偶然小腹が減っていた泉は 満面の笑顔で「ありがとう!」とクッキーを受け取りその場でサクサク食べた。 感想を聞かれて、それが偶然泉の好きなチョコクッキーだったから、またも満面の笑顔で「おいしい」と答えた。
偶然に偶然と偶然と偶然が重なった。それがきっかけだったのだ。
なんとなく泉を意識するようになった一組の女の子は、よく試合を見に来るようになった。 秋季大会が終わる頃には、応援メールと差し入れは当たり前、時間があればマネジの仕事も手伝ったりして、 野球部の連中には彼女の泉への恋心はばればれだった。
対して、泉にまったくその気はなかった。水谷なんかが冷やかしても、顔色ひとつ変えずに 「友達だよ」と言った。だからと言って彼女に対して冷たい態度をとれるような人間でもなかった。 好意に気づきつつも気づかないふりをしていたのが悪かったのかもしれない。
誕生日に告白されて、泉はそのときハッキリ断った。
クリスマスにはグループデートに誘われたが、野球部で集まると口実をつくってそれも断った。
それからバレンタインに二度目の告白をされた。
やっぱり諦められないの、と言われて、もう何度目になるかわからない「好き」を繰り返された。
「ワリーけど、ほんとに付き合う気とかないんだ、俺野球バカだし」
きれいにラッピングされたお菓子も、受け取る気はなかった。だからお菓子はいまだに彼女の腕の中にある。 ほんとにごめん、と泉が言うと彼女の目に涙が浮かんだ。
本当に好きなの、野球が大好きな泉くんがすごく好きなの、お試しでもいいから、本当に好きなの
半泣きで縋るみたいな声でそんなことを言われて、もう一度「ごめん」と言うのが心苦しくなった。 真赤にして、顔も上げられなくなっている彼女を前に、どうやって納得してもらおうとか考えていると、 ふと彼女の姿が誰かと重なった。
(…ああ、誰って、二年前の俺だ)
野球をやめると言ったあいつに、同じことを言った。野球バカなあんたが好きだった、と。 その言葉を向こうがどう解釈したかはわからない。けれど、泉にとっては一世一代の告白のつもりだった。 相手がそれを覚えているか自体もわからない。
彼女と自分は似ている。それも、不毛な恋をしているところだけ似ているのだ。 人生ってうまく行かないようにできてんだな、きっと。なんて泉はボンヤリ思った。
「俺、忘れらんないヤツがいんの。それでもいーの」
彼女がこくこくと首を縦に振る。いーんだそれで、と泉は思う。でも自分もそうするのかもしれない。 あいつに同じことを言われたら、無条件に頷くかもしれない。いやだなんて言えないのだ、だって好きだから。
じゃあ、付き合う?という泉の声で、彼女はやっと顔を上げた。照れたような顔で頷く。 じゃあそういうことで、と泉が言う。 ちょっと笑ってみせると、彼女の目からぽろりと涙が落ちた。
つまり泉は、不毛な恋に終止符を打とうとしたのだ。

休み時間に9組にいることが減った。
それまでは、早弁をしているか寝ているか、次の試合の話をしているか、次の授業の課題を写しているかのいずれかだった。 泉は週二回程度の頻度で「1組行ってくるな」と言って昼休み教室を出て行く。 彼女とランチタイムを二人で過ごす約束でもしたのだろう。弁当も持たず、購買にも行かないところを見ると おそらく1組の彼女が弁当を作ってきているのだと思われた。
その日も四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴り終わると、泉は立ち上がった。「ゴメン俺1組、」
田島は冷やかして送り出すけれど、教室のドアを閉めるとき見える、浜田の目が嫌だった。 口元は笑っているのに目は笑っていなくて、疲れてるようにも眠いようにも、 または不機嫌であるようにも落ち込んでるようにも見える。要は何を考えているのか全くわからない。
今までにも時々(本当に時々)そんな目をしている時があったが、それが泉に向けられることは無かったのだ。
見たくなくて、泉はドアをシャッと閉める。

久々に9組で昼休みを過ごそうと思ったら、三橋は阿部に呼ばれて7組へ行ってしまい、浜田は二年の教室へ遊びに行っていた。 天気も良かったので泉は田島と連れ立って屋上へ出た。風が強く吹き抜けるのが二人は好きだった。屋上は二人の特等席だった。
「泉は浜田が好きなんだと思ってた」
すっかり寝ていると思っていた田島が唐突に言った。泉はちらりと田島を見ただけで、何も言わず、 肯定も否定もしなかった。
「そんな風に見えんだ?」
うん、と田島が言う。「浜田見てるときの泉って、どっか違く見える」田島が寝返りを打って泉の方を向いた。 どんな顔をしているか、と田島は思ったけれど、泉は「ふうん」と呟いて、イチゴオレのパックをくわえながら、 何を考えているのかわからない顔をしていた。
田島から見て、かれら二人は距離を保とうとしていたり縮めようとしていたりして、二人して不安定に見えた。 いつも浜田の背中を見つめる泉の目が、妙に切なかった。今も泉はそんな目をしている。 気付いているのはおそらく田島だけだった。
どうして浜田を選ばなかったの。田島が聞いた。
「俺があいつを選ばなかったんじゃなくて、俺があいつに選ばれなかったんだよ」
そう言って笑った泉の顔はどこか淋しそうだった。泉の言葉に田島は首をひねって、あまり納得しなかった。 そんなわけない、と口に出したが、泉は淋しそうに笑うだけだった。「そんなわけ、あんだよ」そう言って、泉はちょっと顔を伏せた。
「泣きそう?」と田島が顔を覗き込みながら言うと、「まさか」といつもみたく笑って見せた。 けれどやっぱり田島には、泣きそうに見えた。
不毛な恋を終わらすはずだったのに、なんでこんなにつらいんだろうなあ。
ぽつりと呟いた泉の独り言を、田島は聞こえなかった振りをした。
多分きみは泣く 、 思い切り 、 泣く