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夜叉と鬼 坂田銀時(実名偽名は不明)、出生については一切不明、年齢不明、剣術流派不明。 幼少時に吉田松陽に師事。攘夷戦争には 桂小太郎、高杉晋助、坂本辰馬らとともに攘夷派として参加。 銀の髪に白装束の印象から、白夜叉と呼ばれ名を馳せる。 終戦後、消息不明。その後数年を経て、江戸・寺田屋二階にて万事屋を営む。 戌威大使館爆破テロ時、ホテル池田屋にて桂小太郎らとともに 姿が確認されている。 たった四行の報告書にゆっくり目を通してから、土方は傍らの沖田に目をやった。 沖田はさも面倒であるかのように、足を投げ出したまま眉を寄せた。 沖田の態度は普段と変わらない。 ここが副長の私室であるとか自分が公務中であるとか云う事は、 沖田には関わりのない事であるかのようだ。ある意味大したものだと山崎は思う。 それを上司の土方が咎めないというあたり、 そういう沖田の態度には、土方はもう慣れきっているのだろう。 「お前、どう思う」土方の問いに、沖田は少し口をまごつかせた。 「どうって、ねぇ。それだけの情報じゃァ何とも言えませんぜ」 沖田の言葉は山崎に対する厭味ではない。確かに、坂田銀時についての調査を依頼されたのも、 この報告書を提出したのも監察方の山崎であるが、彼についての情報が大して得られない のは山崎のせいではない。坂田銀時個人に関しては、攘夷戦争に志士として 参加した他には、ほとんど何も記録が残っていないのだ。 出生が不明なら年齢も不明。桂や高杉と同年代と仮定すれば二十代後半にあたるはずだが 定かではない。 剣術を使うようだが流派は不明。我流かとも思われるがそれにしては滅法強い。 坂田銀時という人物は謎を着込んだその上にもう一枚謎を羽織っているようなものだ。 攘夷戦争以来、攘夷志士として 指名手配中の桂小太郎が久々に姿を現したのは、戌威大使館テロ時だった。 事前に情報を掴んでいた真選組は、数日前から大使館の門前が見えるホテルに張り込んでいた。 しかしそこへ登場したのは桂ではなく、銀の髪のやる気のなさそうな男と、地味以外に特徴の なさそうな少年と、チャイナな娘の三人。恐らく運び屋だろうとは土方も見当はついた。 関係ない一般人が親子連れで道連れにされただけ、と思っていた。しかし奴らの仲間で あるという可能性も無いことは無かったので、うっすら顔が判別できる程度に、山崎に 証拠写真を取らせておいた。これが鍵だった。 攘夷戦争時にはまだ真選組は存在していなかった。それだからその証拠写真は 真選組の捜査網には引っかからなかった。一応上にも提出しとけ、となった時に 初めて問題視されたのだ。真選組の直属の上司である松平片栗虎が 攘夷戦争に指揮官として参加していたからだった。 写真を一度見ただけで「こいつァ白夜叉じゃねぇか、懐かしい」と言ったと土方は聞く。 攘夷戦争では、幕府軍は天人側にはっきり加勢するわけでもなく、攘夷派にはっきり 敵対するわけでもなく、ひどく曖昧な立場で参加した。天人軍の後ろ盾という存在 だっただろうか。 攘夷派の白夜叉とは、当時の侍であったなら誰もが知っていたと言う。 ただ素性は誰も知らなかった。 「白夜叉が現在も攘夷活動を続けている可能性はきわめて低い。 が、再開する可能性は未知数だ」 土方の声は硬い。対して沖田は、少し首を捻った。山崎は副長室の戸口に控えたままだ。 沖田は宙を見つめて何かを考えていたけれど、その内に面倒になったのかごろりと畳の上に 寝転がった。蜂蜜色の髪が床に散らばる。 「張り付く必要はねぇが、この事は頭の隅においとけ、山崎」 机の脇にぴらぴらの報告書を置いて、土方が「ご苦労」と声をかけると、山崎はそれを合図に 立ち上がって退室した。戸が開いた時に外を垣間見ると、あたりはすっかり暗くなっていた。 山崎が副長室を訪れた頃はまだ夕方だったから、土方が感じていた以上に時間が経っていた ようだ。沖田が横になったのは単に眠かったせいかもしれない。 「総悟、寝るなら布団くらい敷きやがれ」 沖田は、んんとかうええとか、意味のない声を上げて寝返りを打ったりしていた。 そろそろしびれを切らした土方がその手を取ると、沖田は意外と素直に起き上がった。 沖田はシャツと黒ズボン姿で、まだ中途半端に隊服を着ていたから、 寝るにも寝辛かったのかもしれない。起き上がるとシャツを脱いで、寝間着に着替え始めた。 「でもねぇ土方さん、俺にはあいつが攘夷志士だったようには見えませんよ。ましてや白夜叉なんて」 何だよ庇うのか?などと言った土方の言葉を「違ぇよどあほ」と沖田は即座に否定した。 眠いせいなのか何なのか、沖田は珍しくまじめだった。 口を動かしながら、沖田は濃紺の寝間着を着た。土方のものだ。職務のあと副長室へふらりと やって来て、それからずっと土方の仕事の邪魔をしていたから沖田は朝以来自分の部屋へ 戻っていない。 自分の寝間着を取って来るのも面倒だったので土方のものを勝手に着た。 袖や裾が少し余ってしまうがどうせ二人とも気にしない。 色の濃いものを召すと沖田は普段より大人びて見える。沖田は普段着も道場着も、 どちらかといえば色が薄い。そうでなくとも沖田は童顔で、普段から幼く見られることが 多かった。 一番隊隊長を名乗っても、初対面の人間はにわかには信じられず、 その腕を見るまで沖田を侮るのが現実だ。その度に沖田の機嫌が損なわれるのも困りものだった。 今度からは濃い方を買わせようと土方は思った。 「この国を変えてやるって思ってた奴が、どうやったらあんな目の死んだ奴になれるんですかい」 帯を結わえると沖田は土方の傍に座り込んだ。それから机の上の報告書をひょいと取り上げて、 まず「山崎って意外に字ィきれいだな。山崎のくせに」と言った。 その後に山崎のきれいな字で書かれた四行をじっと読んだ。 「戦に負けちまって魂抜けたんじゃねぇの。手前ぇが強かったんなら尚更な」 土方は市中見回りの報告書を取り出して、その日の最後の仕事にとりかかった。 巡回の隊士からの報告によれば、今日の江戸はテロもなく喧嘩もなく、いたって平和であった。 ただ最近野犬が多くて困っているとか、江戸城の堀にゴミが溜まっているとか、 そういう相談事が市民からあったというだけだった。 沖田はまだ山崎の字を追っている。たった四行の文章を繰り返し読んでいるようだった。 それから報告書を眺めながら「夜叉ってぇのは何のことですかい」と沖田が聞いた。 「鬼のこと」 土方は短く答えた。ふうん、とぽつりと呟いて沖田は報告書を元あった場所に戻した。 そうして土方の手元をちらりと覗き込んだ。土方も大概達筆である。 沖田には適当にさらさら書いているようにしか見えないけれど、土方の筆跡はきりりとしていて 締まりがある。 沖田はしばらく土方が次々文字を書いていくのを横で眺めていた。 その内に土方が筆を置いて、本日の職務が全て終了したことをこと静かに示した。 ようやく、という風に息をつき土方は隊服のスカーフを取り外した。重い上着は先ほど脱いで 既にハンガーに吊るしてあった。 「坂田銀時とアンタは似ている」沖田が言った。「いや、正反対なのかもしれない」 土方の一挙一動をぼんやり眺めている間にふと思ったことを口に出してた。 沖田は深く考えずに喋っている。脈絡の無いことを言い出すときは大抵そうなのだ。 元々頭がカラな上に物事を深く考える事をしないから、話がつながらないなんて事はよくある。 土方は思わず、はあ?と返した。 白夜叉のこと何も知らねぇだろう。似ているだなんてどうして言えるのか。 土方が溜め息混じりにそう聞くと、沖田は言った。 「だって土方さんも真選組の鬼でしょう」 土方は鬼と呼ばれる。 入ったばかりの隊士たちが土方の規律に対する厳しさを目の当たりにし、それを揶揄して 鬼の副長と呼んだ。 幕府の役人も、真選組を厳しく取り締まっているのは局長の近藤ではなく土方であると知っている。 土方は内からも外からも鬼と呼ばれる。 土方も坂田銀時も同じ鬼、単に沖田は鬼同士似ていると思ったのだ。 「正反対っつーのは、白夜叉は白で、アンタは黒だから」 ふーんなるほどね、と土方は呟いた。聞き流すような態度に少しむっとして、 沖田は甘えるような素振りで土方の首すじに腕を絡ませた。そのまま腕に力を込めて 首を絞めてやろうと思ったのだけれど、察した土方が先手を打って沖田の唇に軽く口付けた。 沖田が不意打ちに弱いことを土方はよく知っていた。 沖田は眉根を寄せてちょっと嫌そうな表情をしたけれど、それが照れ隠しのようなものであることをわかっていた。 それから絡ませた腕を解いて、素っ気無く「もう寝る」と言い放った。 沖田の子供じみた態度には土方はとうに慣れていた。むしろ可愛げがあるようにさえ思われるのだ。 鬼と呼ばれる土方も沖田には甘いのかもしれない。 土方の寝間着の色は黒だ。沖田はぼんやり、あァやっぱりアンタは黒だと思った。土方ほど黒が似合う男もそういないだろう。 江戸の女が揃いも揃って、土方の漆黒の髪と瞳を褒め称える気持ちもわかる。 「お前は黒のが好きだろう」 押入れから布団を下ろしながら土方が言った。沖田は畳の上で寝転がったまま「黒のが落ち着くんでさァ」と言った。 「白はすぐ汚れちまうでしょう。黒は何にも染まりゃしませんから」 何にも変化しない黒が安心すると沖田は言う。 だから気が付くと土方の傍にいるんだろうかと沖田は自分で思ったけれど、それは違うと思う、と自答した。 土方が敷いた布団に沖田は素早く滑り込んだ。足同士が軽く擦り合わさって、沖田の足の冷たさに土方は驚いた。 「お前冷え性なの」そう聞くと沖田は黙って頷く。瞳がゆっくり閉じられてはまた半分ほど開くのを繰り返す。 どうやら沖田はすでに眠いようだった。 「白夜叉やアンタが鬼なら、俺はなんでしょうねェ」 土方の骨ばった手が沖田の明るい茶の髪を梳く。指の間からさらさらと零れ落ちていく感触が心地よかった。 温かな手のひらで小さな頭を撫ぜると、やがて閉じた瞼は開かれなくなり沖田は寝息を立て始めた。 子供を寝かし付けるみたいだと土方は思った。 「俺が鬼ならお前は死神だ」 寝顔はただの十八歳の少年だけれど、体を擦り寄せて眠るこの少年は、刀を持たせれば誰も敵わない天下の沖田総悟なのだ。 沖田に目を付けられたら最期、と言われるほど彼の名と実力は知れ渡っている。 この少年は、他人の生も死も選べるだけの力を持っている真選組の一番隊隊長なのだ。 「だから、俺の命はお前に預ける」 この先俺が生きるも死ぬも全部お前に任せる、と土方は呟いた。 土方の黒い寝間着の袖を握っていた沖田の右手が、少しだけ、さらに強く握られて袖に皺を作った。
夜叉と鬼 |