琉球紀行 初めての沖縄旅行
5 グスクから海中道路さらに史跡公園へ
沖縄も3日目にしてやっと考古学研究者一行の行動らしい物語が展開することになりました。
沖縄2日目から台風一過ということで快晴。となれば気温30度にも達しようとする暑さで、普段、野外で発掘調査の指揮を執っている者達がほとんどなので、慣れているとはいうものの、さすがに10月半ばでこの気温はない。さすが沖縄、という気分に浸りつつ宜野湾市を出発。
そういえば、沖縄に来るときの服装は、天気予報で気温をチェックした結果、もちろん半袖のシャツばかり。日中は当然問題なしだが、ホテルは普段の現場仕事の際には想像もできないような(?)なかなかりっぱなホテルのせいか、エアコンが効きすぎて室内は寒いのでした。初日、レンタカー屋からジャスコの看板が見え隠れしていたので、沖縄にきて長袖のシャツを買い求めることになりました。国道330号線沿い、金城中学校の横にありました。
沖縄3日目のきょうは、沖縄らしい遺跡(公園化整備済みの史跡を含めて)を探訪しようということになり、向かう先はいわゆる風光明媚で観光地といわれる西海岸を避けて、観光客が少ない、だから道路も空いてるはずの東海岸沿いに目標を定めた。
まずは宜野湾市から米軍普天間飛行場の鉄条網を横目に見て、内心、怯えと腹立たしさの混ざった気分を味わいながら西原町で国道329号線に合流し、海岸近くを北上する。数十分で中城村の北のはずれにある中城城跡に着く。ここは国指定史跡で最近首里城や県内各地の城(グスク)、御嶽とともにユネスコの世界文化遺産にも登録されている。中城城と書いて“なかぐすくじょう”と読ませるらしい。“なかぐすくぐすく”じゃないんですね。東北地方のと比較して、といっても宮城県のもの以外はあまり見たことがありませんけど、中世の館跡(山城)とは全体の郭(一ノ郭、二ノ郭とかいって江戸時代のお城の本丸、二の丸みたいなもの)のつなげ方などは似た印象をもつけど、沖縄のような石垣は東北のというよりヤマトの館跡にはないし、江戸時代のお城とは石垣があるという点は似てるけどヤマトのは隅が角張るけど(例えば大阪城の石垣みたいに)、琉球のグスクは丸みを帯びて中国のみたい、と思ってたらほんとに本に書いてあった。
*グスク(城)の概要は、次に登場する勝連城跡とともに、中城村役場やうるま市(当時は勝連町)のホームページから引用要約して写真や図面とともに次号に掲載予定。
中城城跡をはなれて、国道329号線に戻り、北中城村に入って渡口交差点を右折して総合運動公園を左に見るころには沖縄市に入っている。ここからは中城湾に面した気持ちのいい海岸道路のはずが、泡瀬埋め立て地が広がってかなりがっかり。勝連半島が眺望できる景勝の地のはずだったんだけど・・・・
このあと勝連半島の岡に上り、途中の勝連城を大汗をかきながら見学して、一路海中道路へと向かった。仙台を出発する前、海中道路についてはあやしいイメージが湧いていた。海中道路?、海中?に道路? 実際は、なんだ、海の中にはあるけど海中じゃないじゃん。“うみのなかどうろ”か?。どっかに「海の中道」ってのはあったけどね。ま、キレイな橋とキレイな海を見ながらどんどん進み、さきの目的地は海中道路の辿り着いた平安座島からさらに宮城島を抜け、先端の伊計島なのでありました。
だけど、このあたりの珊瑚礁の海岸はいいですねー。とっても活字にできない。おお~、って感じで景色に見入るしかできない。のちのち、海岸の写真も数限りなく撮影したけど、デジカメでもコンパクトカメラでも一眼レフでも、自慢じゃないけど、記憶に残る景色を彷彿とさせる写真なんか一枚も撮ったことないですな~。
伊計島は宮城島との境にある湾に面した漁港を中心に、その背後に集落と小学校がある。島の大部分は農地=畑地でサトウキビ畑が広がっている。観光地らしいのは先端になんとかいうリゾートホテルがあるくらいな島でした。そして、島のほぼ中央に目的の“仲原遺跡”がありました。
遺跡の隣はサトウキビ畑で、道路に倒れかかってるのもたくさんあるので、一本にかじりついてみた。そしたらかすかに甘いような気もしたけどサトウキビという名前を実感させる程度にはほど遠く、そのときはなんでだかわからなかったのだけど、これもあとで得た知識ではサトウキビの収穫時期は1月とか2月とか。二期作としてももう一回は夏の初め。だからこの出張の時期の10月半ばには甘いはずはなかったのかなと。
仲原遺跡
縄文時代(沖縄貝塚時代)の遺跡。土地開発事業の事前の発掘調査で、方形、円形の石組み炉を有する竪穴式住居19棟が発見され、これまで謎とされてきた2500〜2000年前の沖縄の縄文時代晩期の村の広がりや住居の大きさ、造りなどが具体的に解明され、1986年に国の史跡に指定された 続く

