コラム 過去のコラム
2004年2月26日(木)(コラムでもなんでもないが)
坂本選手、阿部選手、市原選手、オシム監督、岡社長が千葉市を表敬訪問。。

監督に花束贈呈(オー・ビューティフォ〜)

”かわいい子っすねー”と阿部が坂本に耳打ち(嘘) 市原ニヤリ

旗にサインをカキカキ
※画像は転載しないでください。。
歓喜の瞬間とは・・・
2003年2ndステージ第5節(味スタ)、、堅守を誇るFC東京に対して絶望的な2点のビハインド、サンドロがPKを決めて1点差に詰め寄ったが依然として敗色は濃厚で、猛攻の甲斐なく時間だけが虚しく過ぎていった。。しかし、その瞬間は突然訪れる。。後半43分、坂本が後ろ向きの見事なトラップから折り返したボールに、ペナルティーエリア内を誰よりも早く移動した林がダイレクトで左足を振り抜く。。ゴーーーーーール!!!!!!
圧倒的に過小なはずのJEFサポーターの歓声が、地鳴りのようにスタジアムを揺らす。。僕自身も隣の人と抱き合って喜び、”ウォォォーーーーー!!!!”と意味不明な雄叫びを1分ぐらい叫び続けていた。。
そんな頭の中を空っぽにした、夢うつつな状態から現実に引き戻されるのに時間は掛からなかった。。なぜなら、ロスタイムとは言えまだ試合は終わっておらず、反転攻撃に出たFC東京に決勝点を入れられる可能性もあったし、第一勝った分けではないのだ。。気を引き締めて最後の応援、応援。。。そのまま、無事に(?)試合は終了しJEFは貴重な勝ち点1と2位の座を守った。。
数日が経ち、僕はこの時の事を想い越す。。勝ったわけでもないのに、凄く感動して、興奮して、幸せな気分にさせてくれた試合(ゴール)だったなー。。だけどもあの時、僕を直ぐに現実の世界に呼び戻したもう一人の僕は、ひどく味気ない感想を持っている。。あれだけ頑張ったのに、得たものは勝ち点1だけ、勝っていれば再び首位に立てたのに・・・。。
もう一人の僕とは、長年のサッカー観戦歴が創り出した人格で、”終了のホイッスルが鳴るまで気を緩めるな、でないと泣きを見るぞ”なんて事を考えるクールな人だ。。この人は、今年JEFが優勝争いするようになって、僕の中でさらに増殖し勝利の後でもこんな事も言うようになった。。”勝ったと言ってもそれだけのこと、15分の1にすぎないのだ。。次負けたら意味がないじゃん”。。優勝争いをするチームのサポーターである以上、こう考えるのは当たり前で、そうでなければ優勝なんて出来ないんだ・・・
本当にそうなのか?いや、そんな風にサッカーを見るのが本当の自分なのか??
違う違う違う違う違うーーーー全然間違ってるーーー。。
ワンプレー、一つのゴール、一つの勝利に、もっともっと楽しみ感動するのが僕だ!
そして負けたときには、壁に頭をぶち当てて悔しがるのが僕だ!
サッカーは楽しい、JEFこそすべて、、、そんな事を思い出す切っ掛けを創ってくれた林のゴールだった。。
ありがとう!林。。あなたは僕の記憶に一生残るプレーヤーになったよ!!(アシスト坂本も!)
2002年12月20日(金)
中西永輔に思うチームの誇り
エースケが日本代表に復帰し、世界の強豪アルゼンチン戦でフル出場を果たした事で、サッカーマガジン等のメディアが注目し読み応えのある特集記事を書いてくれてますね。。
フランスワールドカップのころからエースケがプロサッカー選手としてこれまで歩んできた道のりや、その時々の感情、最近の話題やプライベートな事まで短い文章の中に、本音の声として良く表現されていると思います。記者さんの質問の上手さ文章構成の巧みさには、プロの仕事を感じます。
そして、JEFサポなら誰もがジーンとしてしまいそうな言葉を最後に持って来て文章を締めくくっています。。
そう、、
>この先は、もう、ジェフでずっとやりたいと思ってますよ。・・・・
>僕にとってはこのチームで優勝するのが一番なんで。
このくだりです。。
エースケのような最高な選手が、こんな素晴らしい言葉のプレゼントをしてくれる。。これほど幸せなチームは他にないと思います。。だからいろんな事で負い目を感じたり、卑屈になる必要はまったくない!
僕はこの言葉を聞いて激しく感動したのは言うまでもありませんが、僕自身がサポーターとして忘れかけていた、チームへの愛、チームへの誇りの思いを再び呼び起こしてくれたように感じました。。僕もJEF市原が優勝する姿が見たい!!!
だから”僕の生涯JEF市原!!”です。。
※中西永輔さま
>オッサンなったし。
端から見てるとまだまだ若いです。。青二才です。。ハイ。。
まだまだ巧くなれる!!!まだまだ上に行ける!!!
ガンバレー!!!!!
オートウェーブ浜野店に行ってみた。。
海沿いのR16から車で入っていくと中央の駐車場の入り口には案内係さんが立っていて、親切に目的の売り場の場所を教えてくれる。。
なぜそんな事をしてくれるかと言えば、そうしなければ確実に迷ってしまうほど店舗が広いのだ。。オイル、、タイヤ、、オーディオ、、パーツ、、洗車、、、、2階部分は大規模なゲームセンター、マンガ喫茶となっていて、退屈な待ち時間を飽きずに楽しく過ごせる配慮も万全だ。。
コンセプトは、、、”車部品店界アミューズメントパーク♪”と、勝手に呼んでみる。。
店内は明るくて綺麗、、店員さんも親切丁寧だ。。これならば、車に詳しくない女性でも安心して任せられるだろう。。
更に嬉しいのが、レジの脇にさりげなくレイアウトされたJEFのミニ旗。。コアーなJEFファンの皆様ならば思わずほくそ笑んでしまうのではないだろうか(笑)
ここを訪れて間違いなく一番最初に目にはいるのは、、
”オートウェーブはJEFUNITEDをスポンサードしています”
と、屋外の看板に書かれた文字であろう。。
ここまで、JEFを応援してくれる千葉県の優良企業ならば、応援せずにはいられない。。
JEFのステッカーを貼った車で、また訪れたいものだ。。
ジェフ市原の「広域ホームタウン計画」を市原市が了承したことを受け、受け入れ側の千葉市は十三日、「前向きに取り組む必要がある」と積極的な姿勢を示した。焦点になっているスタジアムについては、蘇我地区の川崎製鉄跡地に建設を計画している競技場が最有力。千葉市幹部は「受け皿づくりにできるだけ早く対応していきたい」として、二月議会の補正予算案にこのスポーツ施設関連の事業費を計上する方針を明らかにした。 千葉市幹部は、市原市とジェフの了解を前提としたうえで、「県民のサポーターが望むのであれば前向きに取り組む必要がある」と述べ、正式な要請があれば積極的に対応していく姿勢を見せた。 最大の課題となるスタジアムについては、「現在、市にスタジアムはないが、川鉄跡地に計画中のスポーツ施設があり、第一候補になるだろう」と受け皿になる球技場を示唆。衰退しつつある蘇我地区の活性化とともに、JR蘇我駅や国道16号といった交通アクセスの良さも好材料になると指摘した。 川鉄東工場跡地の競技場は、千葉市が進める「蘇我特定地区整備計画」の総合スポーツ公園(仮称、四十六ヘクタール)内に位置付けられた施設。国際的な総合スポーツイベントが開催可能な施設を想定している。計画では、オープン時期は五〜十年後の予定だが、二月議会の補正予算案に、早期の建設に向けた事業費を盛り込む方針だ。 |
↑千葉日報HPより
※HPには未掲載ですが紙面には市原市側の記事もあります。。
苦渋の選択ではあったようですが、10年間のホストシティーとして
むしろ積極的に広域化のイニシアチブを取っていく意向が読みとれます。。
今後は試合の開催比率、チーム名が焦点となるようです。。
僕はジェフ市原という名前好きですが、みなさんいかがでしょう?
<私的考察報告・
JEFに幸あれ>
その1 蘇我スタジアムは本当に建設されるのか?
毎日朝晩通勤で蘇我を通過する僕は、たった2年で、ここにスタジアムが出来るなどとはとても想像出来なかった。。
(いくら千葉市でもそんな金ねーだろー)
しかし、これが出来るのだ(可能性は十分はある)
昨年末「蘇我特定地区」整備計画が策定され、その中で10年以内でのスタジアムを含む総合スポーツ公園の建設が確かに盛り込まれています。。千葉市の
HPで発表されている、この計画書を読むと、スタジアムを含む公園整備は、どうやら都市基盤整備公団という団体が千葉市からの委託を受けて行うようです。。(おそらく、小泉内閣の聖域無き構造改革でおなじみの特殊法人と呼ばれる団体の一つではないでしょうか。。)千葉市が公団に委託するメリットとしては、様々な事務を代行してくれるだけではなく、公団が独自に持つ膨大な基金による事業費の立替が大きなポイントとなります。。
例えば、建設費が400億円、国の補助率が50%だったとすると、千葉市の持ち出しは200億円ですね(滝汗)。。この200億円を公団が立替て、償還期間を住宅ローンのように超ロングに(20年くらい)に設定してもらえば、千葉市は年10億円返していけばいいわけです。。つまり、千葉市の財政規模ならば、なんとかまかなえる金額で、鶴岡新市長の鶴の一声(笑)で、事業が動き出せば、2年から3年でのスタジアムの建設は十分に可能なわけですね。。
また、岡社長がなんの根拠もなく、”早ければ2年後”などと発言するはずもなく、これが具体的なスタジアム建設の目星がたった事による、裏付けの元に行われた事は明白です。。
この事により、どんな答えが導き出されるでしょうか?
つまり2月1日の市原市への提示は、最後通告(移転されたくなければなんとかせんか!)ではなく、既に動き始めた移転計画の序章である可能性が大きいと考えた方が合理的ではないでしょうか。。。
つづく、、、
その2 千葉市のメリット?
では、ローン返済とは言え、これ程の巨額な税金を投入する千葉市にJEF誘致のメリットはあるのでしょうか?
前項で述べたとおり「蘇我特定地区」整備計画の中で、スタジアム建設は最初から盛り込まれていた物です。。スタジアム建設は、JEFが来ようが来まいが遅かれ早かれ行われた分けで、千葉市のJEF誘致に関する費用負担という意味でのデメリットは、極めて少ないと考えられます。。
また、公園施設の使用目的として、国際スポーツイベントの開催などもうたっていますが、各地に巨大スタジアムの乱立する中、継続的に大きなイベントを誘致していくことは非常に困難な時代といえ、そう言った意味では、年間20試合程度の試合をしてくれるJEFを労することなく誘致することで、スタジアムの存在意義や地域への経済効果を受けられる分けですから、千葉市としては願ったり叶ったりの万々歳ではないでしょうか。。
話がちょっと戻りますが、万が一スタジアム建設計画がJEF誘致の目的で、蘇我特定地区に盛り込まれたとするならば、策定の経緯からして相当以前(数年前)から、水面化でJEFと千葉市での誘致に向けての接触が持たれていたことになり、岡社長が市原市に対して、高らかに地域密着を歌い上げていた同じ口が、裏で全く違うことを言っていたことになります。。だから、絶対にあり得ない事だと思います。。
つづく、、、
その3 千葉市の対応
2月3日の千葉日報千葉市版に掲載された記事の本文をタイプします。。
◆千葉市は慎重姿勢
ジェフの広域ホームタウン計画について、市教委幹部は「正式な話は聞いていない。市教委内でも議論になっていない」と話した。
市教委の担当課は「うわさでは聞いていたが、千葉市には試合が行えるスタジアムがないので実現は難しいのでは」と指摘する。古川電工がJリーグに参入する際、ホームタウンに千葉市を希望していたのを断った経緯もあるという。
一方、保守系市議は「大歓迎だ。川鉄再開発を急げば、スタジアムを確保できる、見込みもある」と意欲を示している。
ただ、広域ホームタウン実現に必要なサッカー場を建設するには百億円単位の予算が必要。市内には稲毛区に県総合運動場があるが、Jリーグの試合を実施するには、照明設備や観客収容の点で、基準を満たしていないという。
その他マリンスタジアム(美浜区)や稲毛海浜公園球技場(同区)もあるが、大規模な改修工事が必要となり、新年度の予算時期とも絡み、受ける側の千葉市には早急な対応を迫られることになる。
−−−ここまで−−−
この記事をどう感じられるかは、皆様個々の判断にお任せしたいと思います。。
ただし、市教委幹部にしても市教委の担当課にしても、あるていど責任ある立場の人間が対応していると思うので、千葉市としての偽りのない現状の対応を表していると個人的には思います。。同時に誘致を積極的に進めようと言う市議の存在も明らかになりましたね。。
宮崎キャンプの様子も気になる昨今ですので、<私的考察報告・JEFに幸あれ>はひとまず休止しま〜す。。
2001年11月13日(火)
地方開催ホームゲーム
来年もやるんでしょうかねー。。そろそろ検討してる時期かもしれないですよね。。
個人的にはやめてもらいたいと思っているのですが、、、いかがでしょう?
勝率もそんなによくないですよね。。
松本でのFC東京戦、、、あそこで引き分けて勝ち点2をロスした時点で優勝争いから脱落したと思ってます。。臨界競技場でやってれば、きっちり勝ち点3ゲットできたと思うんですよね。。(根拠はなにも無いのですが。。)
というわけで、やんわりと、、こっそりと、、地方開催反対!!とか言ってみる(笑)
別に絶対反対とか言うんじゃなくて、やったらやったで、事情さえ許せば地方へでも応援に、はせ参じますんで、、、JEFのホームゲームですから。。
2001年11月5日(月)
最近ですね、、、
練習見学やTG見学にあまり行けてないんですよねー。。まあー、仕事の用事、家庭の用事、体調不良とか諸々ですので、、たいした問題じゃありません。。
公式戦で勇姿の見られる選手達の事はともかく、サテライトの選手達の様子は気になりますねー。。特に最近のTGの内容がよくないらしいので(参考:
SHADOW STRIKER!)1stのころは活気に満ちていたグランドになにがあったのだろう??
実は、”僕の勝手な空想の世界”では(色々あるであろう)原因の一つが色濃く姿を見せています。。それは、1stから2ndの中断期間に行ったレンタル補強です。。補強がなぜ?っと思われる方もいるかもしれませんが、チームにとっては補強でも、選手達にとっては強力なライバルの出現、もしくは、出場のチャンスを奪い去る結果につながってしまう、、、、
1stステージ、レギュラー選手の負傷や出場停止によって、まず坂本がチャンスを得ました、続いて山本も。。二人とも去年までサイドなどやってるのを見たこと無い選手でしたが与えられたチャンスをものにするため、不慣れなポジションに果敢にチャレンジしてました。。(その後坂本がチャンスをものにしたのは周知の事実です。。)
この時、他のサテライトの選手の心境はどうだったでしょう。。去年まで、トップとは全く縁がなく、自分たちと同じ場所にいた、坂本や山本が、今、試合にでている。。
”頑張れば、、、あの二人さえ抜きさえすれば、、、自分たちにもチャンスが、、、”
っと誰もが思わなかっただろか?
目標、そして希望や夢は、とてつもなく大きなパワーの源となりうる。。しかし、これほど言いやすく成しがたい物の例もないだろう。。1stのJEFは、皮肉にもアクシデントによって、これらをサテライト選手が手に入れ、それが奇跡の歯車となって、すべての歯車を正転させて勝ち進んだのかもしれない。。サテライト選手のモチベーションの高さが、チーム全体の士気に影響し、JEF市原大躍進、陰の原動力になっていたと言ったら、話の飛躍しすぎであろうか。。もちろん、チームが好調だから、サテライトの選手のモチベーションが上がったという相乗効果も織り込んでの事だが。。
薄いと思われるポジションに、サッカー選手として脂ののった年代で、しかも試合の出場経験を多数有する選手を補強。。チームとしては妥当な選択だったと言わざるおえないだろう。。しかし、補強がプラス効果もしくは無害であるとは限らないと言う認識も、だれもが持つべきだと思う。。目標、そして希望や夢がパワーの源であるのと同様、それらをうち砕いてしまえば、そのダメージも計り知れない物なのだから。。。(補強によって、山本がベンチに入るチャンスを無くした事が、山本個人のみならず、他の選手の目標を奪う結果につながっている構図を思い浮かべてもらえたでしょうか?)
※レンタル補強とは、三上のことですが、選手本人が悪い分けで無いのは言うまでもありません。。僕も三上をJEFの一選手として他と分け隔て無く応援していますし、天皇杯決勝までに、チームの為に一働きしてくれる選手だと信じています。。また、文中でも述べた通り、今回の補強はある意味、妥当だったと思っていますので、チームを批判した物でも無いことを、強く強調させて頂きます。。
(じゃー何が言いたいんだ?←俺)
2001年8月1日(水)
奇跡!?の大躍進、JEF市原1stを振り返る
| 節 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
| 日 | 03/10 | 03/17 | 03/31 | 04/07 | 04/14 | 04/29 | 05/03 | 05/06 | 05/12 | 05/19 | 06/16 | 06/23 | 07/07 | 07/14 | 07/21 |
| 対 | 磐田 | 名古屋 | 柏 | 福岡 | 横浜FM | F東京 | 鹿島 | 広島 | 東京V | 神戸 | G大阪 | 清水 | 札幌 | 浦和 | C大阪 |
| 会場 | 磐田 | 市原 | 市原 | 博多球 | 秋田 | 東京 | 市原 | 市原 | 東京 | 市原 | 万博 | 市原 | 札幌厚別 | 駒場 | 市原 |
| ● | ■ | ■ | □ | ○ | ○ | ○ | ● | ○ | ○ | □ | ○ | □ | ● | ○ | |
| 1-4 | 1-2 | 2-3 | 3-2 | 2-0 | 3-0 | 2-0 | 1-3 | 2-1 | 4-1 | 4-3 | 2-0 | 3-2 | 1-3 | 4-2 |
10勝5敗0分け 勝ち点27(得失点差+9) 2位
去年の2ndの最下位から大躍進!!誰にも文句を言わせない成績を収めました。。これが空想の世界の出来事ではなく現実に起こったことなのですからね。。序盤の連敗を除けば、惜しい星を落とした試合は一つもなく、接戦のゲームはすべて物にしてしまっています。。変われば変わる物です。。
シーズンを振り返ると、チームがもっとも弱かったのは第1節の時点で、ヨンスもエドも阿部も居ませんでした。。その後徐々にチーム力は増していき、6、7節でピークを向かえ、無敵チームの様相を現していました。。その後、チームが疲労した為か、相手チームに研究された為か、はたまた茶野などの負傷者を出した為か、無敵チームの印象は薄れましたが、勝負どころで驚異的な粘りを発揮し勝ち点を積み重ね、ついには接戦を制して2位の座を獲得しました。。14節は負けましたが、、、小野の駒場ラストゲーム、、、実際勝つのは難しかったんじゃないかな。。
2001年7月11日(水)
番外編”・・・・・・・”
アイルランドU−18を招いての親善試合が、市原臨海競技場で午後7時から行われました。。結果の方は2対2の引き分けで、調整試合とは言えプレミアリーグ(ユース)所属の強者たちを敵に回して、大健闘だったと言って良いでしょう。。迎え撃ったのは市原高校選抜チームで、JEFユースからは2年の生魚(DF)と1年の半田(MF)が、前後半(35分ハーフ)にフル出場しました。。
試合展開は、5分くらいにアイルランドU−18がいきなり先制し、その圧倒的な体格差から見て一方的なワンサイドゲームが予想されました。。しかし、その後はボールは支配する物のフィニッシュまではほとんど至らず前半は終了しました。。市原高校選抜は、まともに攻撃らしい攻撃は出来ませんでしたが終了間際になって、カウンターから半田のミドルシュートなどでチャンスを作り会場を大いに沸かせました。。
そうそう、スタンドは予想外に大にぎわいでした。。各高校のサッカー部員や関係者、その父兄、少年サッカー団の集団などなど、それに山姥?ギャルまで。。特にタンクトップを着た山姥姫には要注目でした。。ハーフタイムになり、単なる観戦では納得できなくなった彼女は、友達に応援しようよと言いだし、さらにはスタンドに向かって”みんな応援しましょ〜。。あたしが応援団長で〜す”と呼びかけました。。会場からは半笑いが起きましたが流石に賛同する人はいなく、それが不満だった彼女は、すぐ近くにいたサッカー少年団をターゲットにして、”応援しよう〜よ(ハート)”としつこく誘いました。。居たたまれなくなった少年団は、隙を見て集団脱走を計りましたが、彼女はそれでも諦めず、厚底サンダルを鳴らして追跡し、少年団を追いつめていました。。そんなこんなをしている間に後半が始まり、結局彼女も諦めて観戦していましたが、ずっとブツブツと応援したいと言っていました。。もっとも、彼女の決定的な欠点は、サッカーの応援フレーズを一つも知らないらしく、、、いつまでたってもかけ声だけだったことです(ちゃんちゃん)。。
後半は、一進一退の展開と言ってよいでしょう。。市原高校選抜のチャンスになると、その生徒の所属する関係者から熱烈な歓声が起こりました。。そして15分、右サイドから斜めにペナルティーエリアに切れ込んだ半田が、十分に相手選手を引きつけた所でドフリーの味方選手に優しいパス、同点ゴールを見事に演出しました。。その後両軍1点づつを取り合い、試合展開的にも十分に楽しめるゲームでした。。それに、俺の後ろの席にいた、おじさまサラリーマン軍団が”あの14番(半田)はうまいよなー”って、盛んに褒めてたのが嬉しくて、るんるんな気分でした(笑)
それにしても山姥姫、、、ジェフさぽにぜひ欲しい逸材であった(嘘)
2001年4月20日(金)
ジェフファン復帰キャンペーン
春が来て、俺がいつも座るゴール裏の席の周りでも新しい顔がちらほら見受けられます。。その反面、去年まで殆ど毎試合のように来られていた方の内、幾人かの方のお姿が見受けられなくなったのが非情に寂しいです。。長いことJEFと苦楽を共にし、勝ち数よりも負け数の多いチームにあって、特にここ数年の低迷にも係わらず、ずっとJEFを応援し、支えてきて下さった皆さん。。。。
このオフにも色んな事がありましたからねー。。。。例えば下川選手の事が挙げられると思います。。古河電工の時代から、チームを愛し、ファンを愛し、長年に渡りチームの中心選手として活躍してくれた下川選手。。この大選手に対するチームの仕打ちはひどすぎました。。むごいと言ってもよいでしょう。。こんな事をするチームに嫌気がさし、愛想を尽かして去って行かれた方々の気持ちはよく分かります。。俺も下川健一が好きで、下川のプレーが大好きだから、本当に本当に涙が出るほどよく分かります。。
それが分かった上であえて言いたいんです。。もう一度戻って来てJEFを応援して下さい。。なぜなら、皆さんが応援されてきたJEFの子供たちは、下川選手だけでは無いはずだと思うからです。。
J開幕当初ルーキーだった、中西や武藤も今ではベテランと呼ばれる年代に達し、チームの中心選手として頑張ってくれています。。マッシュルームボーイだった茶野も今ではJ屈指のストッパーに成長しました。。下のリーグから雑草のごとく這い上がってきた大柴や井幡も身を粉にして働いてくれています。。村井、林、阿部、佐藤らの若手ものびのびとフィールドの上をかっ歩しています。。ベンチにも入れない20番台の選手やユースの選手たちも明日のレギュラーを信じて練習に打ち込んでいます。。今年新たにJEFの一員になってくれた頼もしい連中もいます。。
どうかこの選手達の事を見捨てないで下さい。。ただでさえ少ないJEFのファンです、皆さんが見放したら誰が臨海競技場まで足を運んで選手達を励ましてやれるんですか。。日本国中探しても皆さんしかいないじゃないですか。。
俺がここでこんな事を言っても、大した影響力があるとは思えませんが、この事が何らかの形でその方に伝わって、その方が競技場に戻って来てくれれば、、、、本当に嬉しいです。。たった一人でもいい、たった一人でもいい。。それが願いです。。
2001年1月26日(金)
夢、、酒井友之
俺は珍しく夢を見た。。場所はいつもの茶の間で、いつものように食卓を家族と囲んでいる。。しかし、俺は必死に涙をこらえていた。。何が悲しかったのかって??それは酒井が練習に居ないのが無性に寂しかったのだ。。一応パパである俺は、子供に涙を見せられないと、夢の中で必死に涙をこらえていた。。
目が覚めて、それが夢だった事が分かると、今度は思う存分泣くことができた。。時間は深夜で誰に憚る必要もなかったからだ。。そして、泣きながら考えた。。酒井はそれほどの選手だったのか?って。。
JEFでの酒井のプレーは、驚くほど印象が少ない。。守備的MFと言う地味なポジションの選手であったから、素人の俺などは、あまり見ていないことが多かったのだ。。それでも、鮮やかに相手からボールをかっさらったシーンはよく覚えている。。
むしろ代表でのプレーであろう。。青いユニを着て堂々とプレーする彼の姿は、JEFサポみんなの希望の星であったと言っても過言ではないだろう。。中心選手として、アシストを決めまくったワールドユースでの活躍。。オリンピックの時は、五井駅のモニターでその一挙止一動作を固唾をのんで見守った。。そしてA代表へ。。彼が階段を登るたびに自慢したい気分であった。。
”JEFには、こんな素晴らしい選手がいるんだぞ!しかもユース育ちさ!”
まるで自分が育てた選手だと、言わんばかりである。。奮わないチームにあって、酒井の活躍こそが俺の心のよりどころであった。。
こういった酒井の活躍とは裏返しに、JEFファンの彼を見る目は厳しくなっていった。。その事を自分への期待の裏返しだと本当の意味で分かっていてくれたのであろうか。。もしも、”自分はファンに支持されていない”と思って居たのであれば、本当に悲しいことだ。。応援ソングだってちゃんとあったんだし(難しくてあまり唄われなかったけど)。。みんな夢見てたと思う、酒井の創るJEF市原を。。
酒井に対して、”よくもJEFを袖にしてくれたな!”と言う恨み心が全くないかと言えば、嘘になってしまうだろう。。しかし、今は彼が今まで与えてくれた、”夢”と言う名の希望に感謝をしたい気持ちで一杯だ。。酒井が違う色のユニを着て、JEFに向かって来たとしても、恐らく心の中で彼のことを応援してしまうだろう。。しかし、俺はJEF市原を応援するサポーター、去っていった者には決別しなければなるまい。。
とっとと行きやがれ!酒井。。。大きくなれよ
2001年1月10日(水)
ああー、、守護神、下川健一
Jリーグ開幕以来、JEF市原のゴールキーパーは下川健一であった。。むろん全試合に出続けた分けではないが、怪我や体調不良で出場出来ないときも、”いずれは下川が帰って来てゴールを守るのだ”と言う思いは、JEFのファンであれば共通の認識であったと言っても過言ではないだろう。。
彼はチームを勝利に導く力を持ったゴールキーパーであった。。無難なプレーで上手いキーパーは沢山いても、チームの決定的危機やPKをことごとく止めて、チームを勝たせられるキーパーは、そんなに居ないはずだ。。幾度と無くそのようなシーンを目撃したJEFファンの間に、下川神話が生まれてもおかしくはないだろう。。
そんな神話を否定されることは、下川健一本人以上に多くの熱烈なファンにとっては辛いことだ。。おそらく、色々と理由を付けて”そんなの絶対に認めない”と、言う人は多いだろう。。それがファンの心理と言う物なのだから否定するべきではない。。
下川の退団は、JEF市原にとっては間違いなく大きな痛手となるであろう。。怪我の多い、立石と櫛野で一年間戦えるのか?ルーキーの高木がどこまで出来るのか?正キーパーの座を明け渡したとしても下川が居るのと居ないのとでは、まったく安心感が違うのだ。。開幕以来のJEFファンの中の幾人かは、スタジアムを去るであろうからそう言う面の損出も大きいと思う。。
本人にとっては、場所を変えてやってみるのは良いことだと思う。。30才は過ぎても新人として、また一からやり直す覚悟があれば、これから新たな下川神話を構築することも可能であろう。。しかし、その場所がJEF市原では無い他のチームであると言うことは、JEFファンとして寂しい限りである。。逆に他のチームで出来ることが、なぜJEFでは出来ないのか?とても残念だ。。あと、何年出来るのか?10年出来るのか、1、2年で終わってしまうのか。。下川健一本人の考えしだいだと思う。。
彼がチームを去っても、俺は彼にエールを送り続けるであろう、彼のナイスプレーの記憶がまだ目に焼き付いているから。。
セイバーゴール!セイバーゴール!シ・モ・カ・ワ!
さらばです。。下川健一
加筆:時間が流れて上を書いた時点で想像していた経緯とは、事情がちょっと違う事がなんとなくだけど分かってきた。。チームの対応には憤りを覚えるが、それよりも彼の行き場所が早く決まってくれることを望むばかりである。。1番のロッカーには既に違う名前が張られ、下川の居場所はもうJEFにはないのだから。。
2001年1月5日(金)
JEF市原監督、ベルデニック氏を考える
(理論派)凄い理論派監督が来てしまったものだ。。ベルデニック監督の理論派ぶりを象徴しているのが、JEF市原が事実上のJ1残留を決めた、11月18日の福岡戦後の、このコメントだ、、
”結果には満足している。ただ、冷静にゲームを分析すると、理論的に説明できない、偶然的要素が多かった。”
自身の監督就任後初勝利であり、ゲーム内容も劇的な再逆転(4対3)のVゴール勝ちだったというのに・・・。。喜んでいない事も無いのであろうが、むしろそれよりゲーム内容を理論的に整理出来ない事に不快感を感じているように読みとれる。。俺としてはかなり面白いコメントだと思ったが、勝利の余韻に水を差しかねないだけに、素直に喜びを表現できない損な性分だと言える。。
(更に)、サポーターの怒りの導火線に火を付けてしまったのが、次のFC東京戦(23日)後の、このコメント、、
”今までの中でベストゲームの一つといえるだろう。・・・・スポーツだけではなく人生も同じだが、考えられないことが起こるもの。”
負けたにもかかわらず、ベストゲームなどと言ったからみんな怒ってしまった分けだが、俺が注目したのは、むしろ”人生”なんて、およそ理論家には似つかわしくないロマンチストのような言葉を使った事です。。俺のような曖昧な人間は、”人生”と言う言葉が好きだし、”人生”を例えた話をされると胸に来る物がある。。しかし、これが理論派の人間の発言であろうか?自己保身の為のペテンに聞こえてしまったのは、俺の深読みが過ぎるせいであろうか。。
(ストレス)試合内容は、相手の攻撃をほぼ封じ込んで、どこかの時点でJEFが1点とって勝つはずの試合であったろう。。実際は得点出来ずに延長Vゴール(1対0)負け。。よくある話しではあるが、ベルデニック監督就任後のJEF市原は、殆どこのような戦いを繰り返しているから、サポーターのストレスも溜まるわけだ。。現実に得点の奪えない事を、監督自身がどう考えているのかも疑問だ。。
(経歴)最初に語るべきであったが、オフィシャルに載っている経歴によると、ベルデニック監督は自国スロベニアの代表監督を4年に渡って努めた凄い経歴の持ち主だ、更にさかのぼると横浜フリューゲルスのコーチを2年、この時ゾーンプレスを日本に伝えただとか、ゾーンプレスの創始者だとか、物知りな方がネット上で語ってらっしゃった。。プレヤーとしての経験は短く、指導者の道を長年に渡って邁進してきた方のように見受けられる。。
(見守る)結果が伴わない事から、実戦に即さない机上の空論ばかり並べ立てる”理想主義者”ではないかと思ったりするが、続投が決まった以上少し長い目で見てあげる必要があるだろう。。練習中のミーティングを熱心にやったり、練習後に選手を捕まえて長々と話し込んだりと、サッカーに関する事で労を惜しむ事がなく、とにかく真面目に勉強熱心に監督業に打ち込んでいることは間違いなさそうだから。。。