ごあいさつ

 

 

 雄大な山々が連なる奥飛騨の神岡町に臨済宗妙心寺派「殿秀山瑞岸寺」がありま

す。飛騨は、東に乗鞍岳、槍ヶ岳、穂高岳、西に白山、南には御岳を遠望でき、小

京都と呼ばれる高山を中心に人情豊かな土地柄です。夏は朝夕涼しく、避暑地とし

て快適ですが、冬は積雪も多く、寒さの厳しいところでもあります。

 神岡町は岐阜県の最北端に位置し、古くから鉱山の町として栄えてきましたが、

今では町の名よりもノーベル物理学賞のスーパーカミオカンデで世界的にも有名と

なりました。施設はお寺の裏山の尾根続きにあります。神岡町は平成16年(20

04年)2月に市町村合併で「飛騨市」となりましたが、人口の減少と高齢化では

全国トップレベルと余り嬉しくない状況にあります。

 町の郊外に位置している瑞岸寺はこの地の豪族江馬氏の菩提寺として、文化庁が

整備している館跡の傍らに天文4年(1392年)、国府町安国寺の子院として建

立されました。本尊は小さな聖観世音菩薩坐像です。飛地仏堂薬師堂は室町時代初

期の建物で国重要文化財です。寺宝の文禄3年(1594年)の刻銘を残す磬子は

県指定文化財で、京都三条大橋にあった金龍子の領収書も残っている大変珍しいも

のです。境内の「臥龍楓」は樹齢約700年で、龍が地を這う姿に似ている大変珍

しい楓です。本堂は約200年前に再建されたものですが、書院風でいかにも禅寺

らしい質素な造りになっています。

 さて寺には明治6年(1873年)に京都相国寺から東京へ政府の命で出仕して

おられた荻野独園禅師を迎え、臨済録会が寒さの残る旧暦3月に行われた記録が残

っております。禅師の「退耕語録」を拝読いたしますと、当時の瑞岸寺住持の黙堂

座元と禅師の暖かな心と血が通い合った明治の禅匠の姿が目前に見えてきます。ち

なみに禅師はここから越中(富山県)の国泰寺へ出向かれ、その時より相国寺と国

泰寺の新しい関係が始まったようです。この時代、夜明け前の飛騨は明治維新と、

それに伴う反知事騒動(梅村騒動)のさなかでした。そんな中に戒会が啓建された

のですが、禅師が飛騨入りした理由は「(黙堂座元が)東都拝請に出て来た心意気

に感じたから」と語られています。

 私も修行道場に入門した時の何ともいえない不安だけれども「これから一生懸命

に頑張っていこう」と願心を持ったあの気持ちを今一度思い出してみながら、家族

、檀信徒一同で先人達の守り伝えてきたこの「瑞岸寺」を大切にしていきたいと思

っております。

瑞岸寺 住職 合掌