出雲の本当の神クナトの正体              

出雲の神は大国主神とされる以前はクナト神と呼ばれていた。先述したイザナギの杖に与えられた名で ある。来名戸神の名は何処かから来た名であることを示しているし、船戸=船渡であり、船で渡って来た神であることを示唆している。

『古事記』のイザナギ・イザナミの二神による神々の生成で、大事忍男神を産んだ後に、石巣彦と石巣姫を産んでいるが、石巣はエジプトのイシス女神のことである。大事忍男神の「忍(オシ)」がイシス女神の夫のオシリスの「オシ」を示している。

『古事記』はエジプトの古代の神の名も暗号にしていた。・・イシス女神はターコイス(トルコ石)に宿る女神であり、石巣姫と漢字で書かれるのもトルコ石に宿る女神でもあったからだ。

クナト神の名は、エジプトのアテン神信仰を始めたイクナートン王の名の「イーン」を省略した「クナト」である。イクナートン王はアクエンアテンとも称され、モーセによってヤーウェ神がユダヤ民族の唯一の神になる以前にエジプトで唯一神アテンになった。それを決定した王がイクナートンである。

ユダヤ民族によるヤーウェ信仰はこのアテン神信仰がモデルとなった。アテン神信仰はイクナートン王 と王族だけが名を呼ぶことが許され、庶民はアテン神の代わりに、イクナートン王を崇拝させられた。

ようするに、アテン神=イクナートン王ということになる。イクナートン王が死んだ後、猛烈なアテン信者狩りが行われ、アテン神信仰者(イクナートン崇拝者)はナイル河のデルタ地帯に落ち延びて、ユダヤ民族と合流して、モーセのヤーウェ神信仰の礎となった。

しかし、モーセに率いられてエジプトを脱出したユダヤ民族の中には、アテン神信仰(イクナートン王 崇拝)のエジプト人も多くいて、彼らはアテン神の象徴物である太陽円盤を護持していたのだ。これがなんと、モーセの十戒石の正体であり、出雲の水草の中で沈んでいる玉のような石であった。十戒石とマナの壺は同一の物である可能性が非常に高い。モーセは神と五誓を取り交わしただけで、神を石に封印した。モーセの出エジプトが行われたのは、紀元前1230年頃だが、イクナートン王のアテン神信仰が始められたのがそれより百三十年も早く、イクナートン王の祖母も母も妃もエジプト人ではなくフルリ人の国であるミタンニ王国から嫁いで来た王女や神官の娘であった。

フルリ人は元々アララト山の山麓のウラルトゥ地方に住んでいた民族で、ノアからアブラハムの父のテラに至るまでの九代にわたって、フルリ人の娘を娶っていたのであるから、ユダヤ人はフルリ人と同一民族と言っても過言ではない。

イクナートン王の一族もエジプト人というよりもフルリ人であり、ユダヤ民族と祖をひとつにしていたのである。アブラハムが妻のことを妹サラと呼び、イザナギが妹イザナミと呼んだのも、フルリ人の習慣が妻のことを妹と呼ぶことに起因している。

出雲の神宝は石上神宮に祀られたが、石上神宮の神はフルの御魂とも言われる。このフルがフルリ人のことを指しているのであるから、クナト神=イクナートン王=フルリ人=フルの御魂の等式が成り立つ。さらにイザナギが投げつけた杖は、モーセの兄のアロンの杖を暗示してさえいる。