フサイチジャック
彼の競走馬時代を私は知らない。出会った時には彼は既に「元競走馬」だった。
彼に初めて会ったのは阪神競馬場。正確な日時は忘れたが、厚手のジャケットを着ていて、手袋はしていなかった記憶があるから、多分暮れの阪神開催の早目の頃だったのだろう。
オグリブーム以後競馬ファンの年齢層や競馬場の雰囲気は明らかに変わった。設備は新しくキレイになり、カップルや子連れも増えた。それはそれで良いことなのだろう。けれども私は居場所を無くしたような、疎外感と違和感を感じてもいた。
飽きた、というのとも少し違う。競馬場に出かけ、パドックを眺め、予想をし、馬券を買い、レースを観戦する。一連の行動は変わらないはずなのに、どこか気持ちが冷めている。そんな頃だった。
あの日、競馬をするために出かけたはずの競馬場で馬券を買う気にもならず、レースも観ずに裏手の馬頭観音とメモリアルホールの方へ向かった。
たまたま馬と触れ合うとかいうイベントで他の馬達と一緒に彼は競馬場の中庭にいた。
ペルシュロン種などの大型馬と並ぶとさすがに小さく見えるが、そこはサラブレッド、手で触れるところまで近づくとやはりその大きさには圧倒される。テレビの画面越しではあの圧迫感は伝わらない。恐がって泣き出す小さな子どももいた。ポニーとは迫力が違う。
柵の中の彼は良くいえばおとなしく、意地の悪い見方をすれば面倒くさそうに、見物客に触られるままになっていた。そして時々、見物客の手を払いのけるように首を振り、狭い柵の中で向きを変えたりしていた。
柵に付けられた名札には「フサイチジャック」と書かれていた。その名前には聞き覚えが無かった。関東の条件馬が乗馬になったのかな、などと考えていたら目の前に彼が来た。
真正面から見つめ合った。お互いの呼吸が聞こえるような静かな時間。
彼はじっとそこにいた。私はゆっくりと彼の顔に触れた。
生暖かい湿った鼻息。指先と掌に伝わる温かな毛並みの手触り。
500キロを超える生命の塊が目の前に立っている。
横から他の見物客が手を伸ばしてきた瞬間、彼は首を振って向きを変えてしまった。
時間にすれば僅かなものだったのだろうが私にとっては密度の濃い体験だった。
その日のレースの記憶は全く無い。
彼は私にとって初めて直に触れたサラブレッドだった。記号やデータではなく、血の通った生き物としての馬だった。
そして、「なぜ競馬が好きなのか」と尋ねられて「馬が走っているから」と答えられる理由を再確認させてくれた存在だったのである。
(2010.11月)