|
|
|
|
スポーツの世界は厳しいもので、大学時代にすごいプレーをした選手がプロの
世界で輝きを発することなく消えていく・・・今回はそんな話をば。
1991年と1992年、デューク大学がNCAAを連覇したとき、Christian Laettner、Bobby Hurley、Grant Hillなどタレントが豊富でした。
黄金期とも言える世代の中で、ポイントがード(PG)として活躍したのはBobby
Hurley君。彼は、いつも冷静で的確な判断でゲ-ムを作り、そしてシュートを
決めることが出来た選手でした。NBAでも注目され、将来はビッグネームに
なることは間違いないとまで言われました。そして、大学卒業後はサクラメント・
キングス(Sacramento Kings) に入団、活躍を期待されました。
しかし、栄光が彼の頭上に輝くことはありませんでした。
シーズンが開幕してすぐに彼の乗った車が無灯火車両に突っ込まれて、彼は
大怪我を負ってしまいました。オールスターが行われる2月には退院出来、
次のシーズンには復帰したものの、体のキレは戻らず、活躍することは
ありませんでした。そして、3年目の登録メンバーの中に彼の名前を見つけることは
出来ませんでした。
運がなかったといえばそれまでですが、大学時代のプレーを見ていただけに残念でたまりません。しかし、チームも慈善事業ではなくてビジネスで経営しているわけですから、活躍出来ない選手をいつまでも在籍させておくほど甘くはないんです。
続いての紹介は、あのMichael Jordan の母校、ノースカロライナ大学が1993年にNCAAのタイトルを獲得したときのMVPの Williams君(First Name=名前は忘れました)
です。彼のポジションはシューティングガード(SG)。3ポイントシューターの名手が
多いポジションです。彼も3ポイントシューターでした。チームがピンチのとき、競っている状態から抜け出すとき、彼の勝負強いショットがチームを救いました。
そして、Final FourのFinal (大学選手権の決勝戦)でも20点以上をあげ、チームの
タイトル獲得に貢献しました。このときからはまだJunior(3年生)、次のシーズンも当然活躍して、NBA入りをすると誰もが思っていました。
しかし、翌年のNBA Draftに彼の名前が挙がることはありませんでした。
Senior(4年生)のシーズン前に肩を故障してしまったのです。シーズン途中で
復帰したものの、故障前の勝負強いシュートタッチを取り戻すことはついに
なかったのです。オイラ的には非常に残念でした。当時、オイラのお気に入りの
選手でしたから(名前忘れてるくせに(笑))
大学卒業後、彼はヨーロッパのどこかのプロリーグに所属したようです。
最後に紹介するのはTim Dancan の先輩、Randolf Childress君。ポジションはPG。
彼のパスがDancanを育てたといっても過言ではないですね。彼がいた頃のウェーク・
フォーレスト大学は全米を制するほどの強さはなかったのですが、彼のプレーは
光ってましたね。Tyron "Mugsy" Bogues 以来の名ポイントガードと言えるくらいの
選手でした。当然のごとく、彼はNBA Draft にかかり、Portland Trailblazers に
入団しました。しかし、当時のBlazersはガード陣はメンバーが固まっていて、
彼は控えとなることを余儀なくされてしまいました。そして、そのままあまり出番もなく、
2・3年ほどで彼のNBA人生の幕は下りたのでした。
チームによっては、ドラフトは即戦力を取るか、またはバックアップ要員を取るかは
そのときのチーム状況によって違います。NBAのドラフトは前年度の成績の
低い方から優先して指名出来るという、公平な制度なので、下位チームは即戦力を優先して取るし、上位チームは主にバックアップ用の選手を取ります。上位チームが補強するときは、大概他のチームからいい選手を引っ張ってくるので、わざわざ新人を
育てていくこともないのです。下位チームに入っていれば、彼にも活躍の場は
あったのかも知れませんが・・・
他にも似たような話はいっぱいあります。華やかなNBAの裏側では、こんなことも
あるのです。
|