清胤王の名が今日まで傳わっているのは、康保三年(九六六)に彼自身が書いた九通の書状群が九條家本『延喜式』(東京国立博物館所藏)巻二十八の裏文書として傳存したが故である。この「清胤王書状」は、
「清胤王書状」に釋文と口語譯・注釋を施した研究、
また、『山口県史研究』の第七号には、
このように、清胤王は、歴史學會の一部に於ては大變に有名な人物である。しかし、その出自・經歴等については殆ど知られていない。彼の出自については、「書状」中の「言上状」に於て「三世清胤王」という署名があることから、天皇の曾孫であることが知られるのみである。 「書状」から纔かに垣間見ることができる清胤王の人間像は、
ここで興味を引かれるのは、平安時代中期に於る諸王が、具體的に如何に生計を營んでいたか、その一端が明らかにされることである。天皇の近親であるにもかかわらず當時の諸王の生活状況には可成り悲慘なものがあったことは よく知られた事實であるが、「書状」に見える清胤王の生活水準も まことに哀れなものである。
このように、「清胤王書状」は、さまざまな點で非常に興味深い史料である。 しかし、現に我々が「清胤王書状」を利用することが出來るのも、清胤王の書状群の紙背が九條家本『延喜式』の料紙として使用されたという偶然と、九條家本『延喜式』が今日まで傳存し得たという僥倖、更に、歴々の研究者たちの盡力あっての賜物に他ならないことを、決して我々は忘れてはならないであろう。 (2001.3.03 誤字等訂正アリ)
更新日時 : 2002.03.29. 本頁開設日時 : 2001.06.14. | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||