阿哈馬江(Ahmadjan)のホームページ より
親 王 ・ 諸 王 小 傳 (四)
深 草 王 


 日本の親王・諸王のなかには、犯罪によってその名を歴史に殘したものが少なからず存在する。尤も、六國史に係る時期に於けるものについて、『類聚國史』の巻八十七「刑法部」一から巻八十九「刑法部」三を一見してみると、有間皇子、大津皇子など、政爭の犠牲者と成って斷罪された人々が多く目立つようである。
 しかし、『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」延暦十二年十月辛亥條には、次のような記載がある。
 四世王深草王毆父。據律合斬。勅降死流隱岐國。
 ここに見える深草王は、四世王、即ち、天皇の玄孫にあたるが、詳しい出自・經歴等は一切明らかでない。それはともかく、この深草王は、父 −− 三世の某王 −− を毆ったため、「律」の規定に從い斬刑に處されるべきものと判決されたのである。現代的な感覺では餘りに罪が重すぎるように思われよう。そこで、手輕な所で『訳注日本律令』を開いてみると、「名例律」六「十惡」に、
 四曰、惡逆 謂毆及謀殺祖父母・父母、殺伯叔父母・姑・兄・姉・外祖父母・夫・夫之祖父母父母者
と明記されており、祖父母・父母を毆ることは「十惡」の一つ「惡逆」にあたることが確認される。つまり、かつて社會問題化したものの今では騒がれることさえない所謂「家庭内暴力」−− 無論、これは現在流行の「ドメスティック・バイオレンス」のことではない −− とは、律令法制の下では極刑に處せられるべき重罪であったのである(なお、帳の帳主は、「惡逆」に問われるような行爲をしたことは一度たりともない)。
 結局、深草王は、桓武天皇の勅命により配流に減刑され、隱岐國に流されることとなった。この深草王については、上記の短い條文の他には何も傳えられていないので、これ以上のことは何もわからない。
 また、『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」には、政治とは無關係な血腥い事件を起した諸王の犯罪についても傳えられる。即ち、天平寶字五年三月己酉條に、次のように見える。
茅原王坐以刄殺人、賜姓龍田眞人、流多〓【ネ。衣執】嶋、男女六人復令相隨。茅原王者三品忍壁親王之孫。從四位下山前王之男。天性凶惡、喜遊酒肆。時與御使連麿、博飲。忽發怒刺殺、屠其股宍、便置胸上、而膾之。及他罪状明白。有司奏請其罪。帝【廢帝=淳仁天皇】以宗室之故、不忍致法。仍除王名配流。
 この條文は典據たる『續日本紀』にも殘されており、よく知られているものであるが、この茅原王(または葦原王)が「三品忍壁親王」即ち刑部親王の孫であるというのは何とも皮肉なことである。
 また、女性にも殘虐な犯罪者がいる。『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」弘仁八年五月乙卯條によると、「内教坊女」であった長野女王は、知人の女性(船延福の女子)が同宿したとき、その少しばかりの衣服を見て、同居の同僚、出雲家刀自女と共謀し、その女性を睡眠中に絞殺、顔の皮を剥ぎ取って遺體を棄てた。これによって、長野女王と出雲家刀自女は伊豆國に配流された。
 流長野女王・出雲家刀自女於伊豆國。並内教坊女也。共住一房女孺也。時有長野相知之女船延福女。俄來寄住長野。長野見其少許衣物、與家刀自女謀、夜伺其眠縊殺、剥其顔皮、棄於官外。
 『類聚國史』より以降の時代については、『古事談』四「勇士」に、武藏權守源朝臣滿仲宅に押し入った強盗の賊首として記される親繁王を特筆する必要があろう。
 天徳四年五月十日夜、強盗入武藏權守源朝臣滿仲宅。爰滿仲射留類人倉橋弘重。弘重指申中務卿親王【式明親王】第二男及宮内丞中臣良村・土佐權守蕃基之男等所爲。檢非違使右衛門志錦文明參内奏聞。中務卿親王家人申云。「件孫王今晩入親王家。其同類紀近輔・中臣良村等在此家」。仍以事由告親王。親王令申云。「男親繁日來重煩痢病、在此家内、不堪起居。待平安時、可進者」。依宣旨使官人等搜求同類輩親王家内。遂不捕獲。於成子内親王家内捕獲紀近輔。近輔申云。「親繁王爲首入滿仲家事實也。贓物悉可在彼親繁王許」云。勅云。「依不進男、忽科親王罪。猶伺親繁之出外、可召補者」。
 この事件については、奥富敬之が『清和源氏の全家系一 天皇家と多田源氏』(新人物往来社、一九八八年九月)等に於いて紹介しているので、それによってこれを知った向きも少なくないことであろう。
 さて、『類聚國史』に戻るが、そこには次のような記載もある。
 『類聚國史』巻八十七「刑法」一「配流」延暦廿二年八月辛卯
 右京人正六位上長倉王配多〓【ネ。衣執】嶋。以言語不諱也。
 「惡逆」に問われることがない帳主も、律令制下では、かかるホームページを公開しているという「罪」によって蓋し配流に處されるべきであろう。「言論の自由」ありがたや。
(2002.03.24)



  
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勸修寺宮 濟範親王



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更新日時(誤字訂正): 2004.07.29.
本頁開設日時 : 2002.03.29.

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