日本の親王・諸王のなかには、犯罪によってその名を歴史に殘したものが少なからず存在する。尤も、六國史に係る時期に於けるものについて、『類聚國史』の巻八十七「刑法部」一から巻八十九「刑法部」三を一見してみると、有間皇子、大津皇子など、政爭の犠牲者と成って斷罪された人々が多く目立つようである。 しかし、『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」延暦十二年十月辛亥條には、次のような記載がある。
結局、深草王は、桓武天皇の勅命により配流に減刑され、隱岐國に流されることとなった。この深草王については、上記の短い條文の他には何も傳えられていないので、これ以上のことは何もわからない。 また、『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」には、政治とは無關係な血腥い事件を起した諸王の犯罪についても傳えられる。即ち、天平寶字五年三月己酉條に、次のように見える。
また、女性にも殘虐な犯罪者がいる。『類聚國史』巻八十七「刑法部」一「配流」弘仁八年五月乙卯條によると、「内教坊女」であった長野女王は、知人の女性(船延福の女子)が同宿したとき、その少しばかりの衣服を見て、同居の同僚、出雲家刀自女と共謀し、その女性を睡眠中に絞殺、顔の皮を剥ぎ取って遺體を棄てた。これによって、長野女王と出雲家刀自女は伊豆國に配流された。
さて、『類聚國史』に戻るが、そこには次のような記載もある。 『類聚國史』巻八十七「刑法」一「配流」延暦廿二年八月辛卯
(2002.03.24)
更新日時(誤字訂正): 2004.07.29. 本頁開設日時 : 2002.03.29. |