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帳 主 の 雜 感 
朝香宮と「南京大虐殺」 


 昭和十二年(一九三七)十二月に行はれた所謂「南京大虐殺」は、一九三七年に起きた事件としてよりも、現代日本思想かつ現代國際關係上の問題としての要素が大きいやうに思はれる。現に、『国史大辞典』に於ける「南京大虐殺」項目の分量は、事件が有名である割には少ないものである。
 「南京大虐殺」に就いての基本史料は、舊大日本帝國陸軍將校・遺族を含む親睦團體である「偕行社」(東京都千代田區九段南)が編纂した、
@『南京戰史資料集』 (東京、偕行社、平成元年(一九八九)十一月
A『南京戰史資料集 U』 (東京、偕行社、平成五年(一九九三)十二月
及び、「左翼」系の出版物を比較的多く發行してゐる青木書店から刊行された、
B洞富雄 編 『日中戦争 南京大残虐事件資料集』全二巻 (東京、青木書店、一九八五年
C井口和起・木坂順一郎・下里正樹 編 『南京事件 京都師団関係資料集』 (東京、青木書店、一九八九年十二月
D南京事件調査研究会 編訳 『南京事件資料集 1 アメリカ関係資料集』 (東京、青木書店、一九九二年十月
E南京事件調査研究会 編訳 『南京事件資料集 2 中国関係資料集』 (東京、青木書店、一九九二年十月
等に收められてゐる。近代歴史學上重視される、當事者による同時代史料、と云ふ點に於いては、偕行社の編纂物に收められてゐる諸史料が興味深い。例へば、Aに所収の『山田栴二日記』(記主は歩兵第百三旅團長・陸軍少將)や『荒海清衛日記』(記主は歩兵第六十五聯隊第一大隊本部・上等兵)の簡潔な敍述は、大規模に行はれた残虐行爲の一端を雄辨に物語つてゐる。
 さて、昭和十二年(一九三七)十二月十七日の南京入城式の前後に組織的な大虐殺が行はれた一背景としては、「金枝玉葉」たる皇族、上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦王の存在そのものを無視することが出來ない。詳細については、@に所収の『飯沼守日記』(記主は上海派遣軍參謀長・陸軍少將)を一讀頂きたい。
 朝香宮鳩彦王は、その舊宮邸が日本國に現存する唯一のアール・デコ建築である(現、東京都庭園美術館)ことで有名であるが、大東亞戰爭に於いては、終始「強硬な主戰論者」であり、本土決戰に備えた陸海軍統合(統帥一元化)を主張・力説してゐたことでも知られてゐる。
『昭和天皇獨白録』「小磯内閣」
『木戸幸一日記』昭和二十年(一九四五)三月三日
『昭和天皇獨白録』「鈴木内閣」
 ・・・・・【以下略】・・・・・
(平成十二年十二月九日 (誤字等訂正アリ)




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本頁新装開設日時 : 2003.11.05. 
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