阿哈馬江(Ahmadjan)のホームページ より
帳 主 の 雜 感 
大 松 茸 


 古本屋の百円均一棚はありがたい。ふだん決して買わないような本でもツイ買う気になってしまい、そのような本のなかから思いもかけぬ興味深い情報を得たりすることができるからである。

小鷹ふさ『飛騨のかたりべ ぬい女物語』
 
小鷹ふさ
『飛騨のかたりべ ぬい女物語』
京都、洛樹出版社
昭和四十六年七月

 
 本書は、今は亡き金田一春彦の「序」のことばを借りると、飛騨高山に「幕末のころに生まれ、昭和のはじめに九十二才で世を去った一老女が繰り返し著者に聞かせたという見聞録、体験談」である。氏は、本書の歴史的価値について次のように述べる。 
ここに述べられたようなことは、実は日本の国全般に起り、今永久に忘れ去られようとしていることではないのか。日本世相史の一コマを伝える貴重な資料だと思われる。
(二頁)

 さて、本書の一条より。 
    奉 天 陥 落
 日露戦争で、奉天が落ちたと号外が出て、この村の吉左衞門さは、
「奉天が落ちた!! 奉天が落ちた!!」
 と喜んで家を飛んで出たが、誰も何とも云わぬので、町の方へ向って叫びながら走って行って、大町の吉野屋へ入って居酒を飲んで、家へ帰って寝らたげな。家へ来るころは酔いもさめて、それだけのことじゃったげなと、笑ったことじゃった。
 しばらくして町では仁輪加(【振假名】にわか)をして祝うことになり、三町(川より東の一之町、二之町、三之町)のおかっつぁま達の丸帯を惜しげもなく借り出して来て、山車を造って曳き廻いたり、中には草の中から大きな松茸を生(【振假名】は)やして車に乗せて曳いて出たら、巡査が来て、是は何の意味じゃと聞かしゃった。鎮台(【振假名】ちんだい)≠カゃと云ったら、いくら鎮台でも、こんなものはいかんと叱られて、松茸に風呂敷をかむせて、こそこそと横町へかくれてしまった。
(一〇二〜一〇三頁)
 
 国運を賭けた日露戦争において大日本帝国陸軍が収めた勝利に対する人々の無関心さ。戦勝祝いとは言っても、およそ「愛国心」からは程遠い野卑な振舞い。到底「新しい」歴史教科書には載せられないような話である。しかし、少なくとも当時の飛騨高山では、このような調子でも「非国民」と呼ばれて「村八分」にされることはなかったようである。
 また、次のような回顧談もある。 
 昔の人間は心が狭もうて、隣家の蚕が腐れば機嫌がよかったという譬の通り、お互いに、田地を買えば邪魔をし、嫁と姑の仲をまぜたり、ちっとでも身代(【振假名】しんだい)が伸びると、いせましゅうて(いまいましゅうて)何かと他人の内輪もめをさしたもんじゃ。
(一二八頁)
 
 金田一春彦も「序」のなかで 
今の世の人は、今の若い者が道義的に悪くなったというが、この物語を読んで見ると、昔の若い者どもも、長上にさからい、人をだまし、何かというと暴力沙汰に訴え、扱いにくいものが多かった。
(三〜四頁)
 
と述べているが、本書には、現在の我々の道徳観念からはなかなか想像し難いような人間模様が具体的に記されてもあり、我々が過去に対して抱く「イメージ」がいかに一面的なものに過ぎないかをあらためて再考させられる。
(平成十六年六月二十三日)




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更新日時 : 2004.07.21.
本頁開設日時 : 2004.07.07.
 
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