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恒望王(【振假名】つねもちおう)
■秩父市山田
桓武天皇の皇孫高望王(【振假名】たかもちおう)は平(【振假名】たいら)姓をたまわり東国にくだったことはだれでも知っていることですが、高望王の弟君の恒望王のことを知っている人は少ないようです。それは歴史書にも系図にも出てこない人だからです。
秩父市山田の恒持神社の祭神が恒望王ということです。
兄の高望王が東国にくだられたころ、恒望王は大宰権帥(【振假名】だざいのごんのそち)という役につかれて遠く九州の任地におもむかれたが、あまりに清廉潔白(【振假名】せいれんけつぱく)な性質がわざわいしてざんげんにあって武蔵国(【振假名】むさしのくに)に左遷(【振假名】させん)されました。
恒望王は比企・秩父両郡にまたがる地に住んでおられたようで、そこを武蔵の大内(【振假名】おおうち)と呼んでいたということです。今の東秩父村大内沢です。
平城天皇の大同元年に、恒望王の罪はざんげんによるものであることがわかって、もとの官位にもどりましたが、配所が武蔵野の一隅であったので武蔵権守(【振假名】ごんのかみ)になられ、大内沢より秩父山田へ移られました。そしてその支配された郷を恒望庄といいましたが、朝廷につながる名を遠慮して恒用庄とみんなが書くようになりました。のちには恒持【「持」に傍点】庄とあやまって書かれてしまいました。恒持庄は大内沢・安戸・皆谷・白石・奥沢・坂元・定峰・栃谷・山田・黒谷・大野原・皆野・田野などのたいへん広い地域だったということです。
恒望王がなくなられたとき、長いあいだお世話をした村の人たちは、皆でそのなきがらを大内沢村にはこんで一寺を建立し、御堂と呼んでいましたが、長いあいだにくち果てて村の名だけが残っています。
御霊は山田の住居を神社にしておまつりしたということです。
これが山田の恒持神社の縁起ですが、恒持神社はいまでも毎年秩父妙見宮ほどの規模ではありませんが山車(【振假名】だし)も出る例祭があります。
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