昨日(二千六年九月十七日)付『朝日新聞』「第3社会」面(p.33)の「ことば談話室」は、
本帳の読者の皆様には御存知の方も少なくないと思ふが、安コ天皇と後醍醐天皇は、もとより「天皇」である。よつて、上文の「村上天皇を最後に」といふのは誤りである。しかし、そのあたり、「「○○院」などと呼ばれるようになったとされる」といふ微妙な書き方に、或は、字数制限のため安徳天皇と後醍醐天皇のことを書けなかつた筆者の思ひが込められてゐるのかも知れぬ。(多分、違ふと思ふが) なほ、三宅雪嶺の「立ち上げた(注1)」雑誌『日本及日本人』の平成十四年新春号(通巻第一六四三号、平成十四年一月)、六五頁に、
勿論、上文における「事実」なるものは事実ではない。そもそも、「天皇」が存在しない云々といふのは、あくまでも諡號・追号の問題に過ぎぬ。例へば、宣命には、
といふ常套句があるが、此処には「天皇」と明記されてをり、「約九〇〇年間、日本に『天皇』は存在しなかった」といふ「事実」は、ない。 或は、当該の筆者、相手の「五十代男性」のみならず『日本及日本人』の読者が、安コ天皇や諡号・追号のことを知つてゐることはないと最初からタカをくゝり、敢へて挑発的な一文をものしたのやも知れぬ。(違ふと思ふが) そもそも、この手の「天皇」号断絶に関する問題自体、比較的近年に至るまで一般には殆ど知られてゐなかつた。当該の問題が江湖に知識として共有されるやうになつたのは、藤田覚氏の名著『幕末の天皇』(講談社選書メチエ26)(講談社、一九九四年九月)によつてである。同書、一三〇頁および一三二頁に曰く。
要するに、当該の藤田氏の著述が世に現れることによつて、初めて読書子たちは啓蒙されたのである。しかも、同氏による不注意な叙述までが無批判に受け容れられ、それが「歴史的事実」の名のもとに再生産されてゐる、とも言ふことができよう。ちなみに、上記『朝日新聞』のコラムには藤田氏の名が挙げられてゐるが、『日本及日本人』のコラムの方に、氏の名は、見えない。 天皇号および院号の正確な沿革については、『帝室制度史』(帝國學士院編纂兼發行、昭和二十年(一九四五)三月)に的確に叙述されてゐる。同書の七二七〜七二八頁に曰く。
ところで、決して誤りも少なくない弊帳ではあるが、藤田氏の著述ほどの影響力はないにしても、「親王・諸王小傳」中の「伏見宮貞致親王」のページに於て紹介した史実は、「インターネット」上の「論陣」にも、いさゝか影響を与へることがあつたやうである(注2)。しかし、それらが、知られざる史実を原史料に基づいて更に明らかにしようといふ方向に向かはなかつたことは、甚だ遺憾であつた。どなたかからか新しい情報を御教示いただければ、と願つてゐたのであつたが。 (平成十八年九月十八日)
本頁更新日時 : 2008.07.03. 本頁開設日時 : 2006.09.21. |