阿哈馬江(Ahmadjan)のホームページ より
帳 主 の 雜 感 
「手榴弾で死ね!」 


 米領アリューシャン列島の東端、アッツ島に関する資料には、なるべく注意を払うようにしている。 
伊勢田武美『北海の墓標 アッツ無名戦士の叫び』

 二千五百名以上が「玉砕」した激戦の生存者、二十七人のうちの一人が残した記録、伊勢田武美『北海の墓標 アッツ無名戦士の叫び』(読売新聞社, 1968.12)に、次のような叙述がある。 
 ・・・・・ 私はチチャゴフ湾の野戦病院に急いだ。私が野戦病院に着いたのは、六時ごろであった。野戦病院は患者の黒山であった。悲痛にうめく声が合唱のように聞こえていた。私は渡辺見習士官軍医の手で手当てをされたが、そのあとで渡辺軍医が「君はどこの陣地でやられたんだ」と聞いた。「ハア、虎山の戦闘でやられました」と私は答えた。それに対して渡辺軍医は「君はもう戦闘には役に立つまい、死ね」というのである。私は「いやおれは最後まで戦う。左手が自由にならなくても、右手でまだ軍刀も持てる。おれの隊はまだ三十四名生き残って、いま盛んに虎山で応戦している。死ぬわけにいかない。おれはまだ自決することは出来ない。また、これから出かける遠い道をまたくるわけには行かないから、包帯と薬を多量に欲しい」と話した。すると渡辺軍医は「よし望み通り包帯も薬もあげよう。だが部隊はもう最後の処置を取っている。患者においては重傷者は注射でどんどん殺している。軽傷患者には自爆の用意に手榴弾二個を渡して、いまさかんに自爆をしている。君たちももう間もなく全滅に近いと思う。だから君もこの場で自爆をしたらどうだ」といった。私はその言葉を押し切って包帯と薬をもらって虎山に急いだ。
 負傷した著者には まだ戦闘能力が残されていたので、「死ね」という言葉を押し切ることができたのであった。

(平成十九年三月三十一日)




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本頁更新日時 : 2008.07.03.
本頁開設日時 : 2007.11.16.
 

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