阿哈馬江(Ahmadjan)のホームページ より
帳 主 の 雜 感 
おのが心にたぐへつゝ 


 先日、鷲尾順敬の『日本佛教文化史研究』を二百円で購入することができた話を書いたが、鷲尾順敬の次男、鷲尾敬義は、東京美術學校西洋畫科に在學中、二十五歳で夭折してをり、父の編輯・發行による遺作・遺稿・追悼・追憶集、『鷲尾敬義著作集』(昭和五年十一月)がある。
 本書の 60頁の「鷲尾敬義年譜」には、次のやうに記されてゐる。

原籍 大阪府三島郡三島村田中
明治三十八年三月二十七日 東京府東京市小石川區指ヶ谷町に於て生る。
同四十四年四月 東京市立本郷富士前尋常小學校に入學す。八歳。
大正二年四月 ジフテリヤにて駒込病院に入院す。九歳。
同七年三月 本郷區富士前小學校を卒業す。十四歳。
同八年四月 郁文館中學校に入學す。十五歳。
同十三年三月 同校を卒業す。二十歳。
同十五年夏頃ノートの端に繪を學びたき旨を記しありしを偶然母に發見せられ、美術學校入學の決心を固むるに至る。二十二歳。
同秋 川端畫學校に學ぶ。
昭和二年四月 東京美術學校西洋畫科に入學す。二十三歳。
昭和四年九月十七日發病し、同二十四日急性濕性肋膜炎と診察され、同年十一月八日肋膜肺炎兼腎臟炎にて、東京市本郷區駒込~明町の自宅に於て午後四時十五分歿す。二十五歳。
 
 諸氏から寄せられた追悼の一部を、── 存命の方の作もあるが、敢へて ── 掲げる。

     拜啓御力落し察上候腰折三首御慰めまでに           辻 善之助
ありし日のおのが心にたぐへつゝ君がなげきをおもひやるかな
この心酌みは取られじ一たびも子を失ひし親ならずして
いつしかと忘れんとせし悲しみをまたくりかへすけふにもあるかな
   昭和四年十一月十日

     悼敬義君                         素琴 志田義秀
春待たで樂土の花へ急ぎしか

     弔詞                         雪山道人 河口慧海
おもひではさびしかりけりその道にいそしみし君の逝きにし後は
君まさば美術菩薩とならましを今はかげさへ見えぬかの世に
     悼敬義君                         心因 村田正志
人さわに集り來れどすべをなみ家人はたゞに立ちてゐるかも
たまきはる命のかげかつく〲にこの自畫像の暗さを思ふ
ものいへば心哭うらなくことも忘れゐむほがらの人を戀ひむとするも
喪屋もやに來てやゝにおちゐるわが心一夜ひとよこもりて人のしたしさ
宵すぎて供養の經もをはりけりひとの歸りしあとのしづけさ
まどろみて折々語る若人の心うれひは思ふにたへず
うみやまの旅の話をし給へりしづけき夜らに明けを待ちつゝ
曉にうすれ來れる燈を起き來て子らがつくがさびしさ
うらさびて來る年々に老いまさむ子をおもはぬが博士達かは
霜月の日數つもりて曇る空の雨となりたり葬り日の朝に
かにかくに世は生くべきものならむ葬りの歸り人の急げる

                                   三浦周行 秋風にあたら花散るかなしさよ

     敬義君を悼みまつりてよめる                 猪熊信男
ゑのことき國々めくりおはすらむ一年なるに君かへりこす
ゑ筆をは手にもちつゝもはちすはのうてなにたてるすかたすのはゆ
ところはにかへらぬ君と知り乍ら一年ことによひとゝめなむ
「かんはす」をにきりしめつゝ行く末は日の本一とおもひしものを
 
 日の本に數も少なき博士らにをしまれ逝きし若人やあはれ
(平成二十年九月十二日)


 
追記
 
 
 平成二十一年六月二十六日、日本中世史研究界の最長老、村田正志御逝去。享年百四歳。
 その主な学術的功績は『村田正志著作集』全七巻(京都、思文閣出版、昭和五十八年(一九八三)三月〜昭和六十一年(一九八六)八月)に集成されており、それ以外にも、『花園天皇宸記』等、史料の校訂・訳注に尽力されるなど、学界への貢献の大きさは、測り知れない。
 偉大な業績の一つとしては、「畏き邊り」にて内定され発表待ちの状況にあった長慶天皇陵の指定を、その学術論文によって中止に至らしめ、現在の「嵯峨東陵」(昭和十九年(一九四四)二月十一日、紀元節の日に治定)に変更させたことは、特筆すべきであろう。
 また、「熊澤天皇」に関する学術論文を書き、南朝の子孫を称し「天皇」を自称した「熊沢一派」の「俗論」を「筆誅」した。

 獅子奮迅の学術活動に邁進された一方で、「心因」と号し、斎藤茂吉流の歌をも詠んだ大先生の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。

弊帳における関連文:
 http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/seuden/seuden06.html
 http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/zatu/zt080912.html



 

 
 最近、龍肅『鎌倉時代』上・下、鷲尾順敬『日本佛教文化史研究』の他にも、次の研究書をかなりの安値で入手することができた。
    多賀宗隼
    『鎌倉時代の思想と文化』
    畝傍史學叢書
    (東京都~田區駿河臺、目K書店、昭和二十一年(一九四六)十月)
      「大鏡私見」(一〜九頁)
      「月詣和歌集について」(一〇〜一六頁)
        附「〔賀茂重保について〕」(一六〜三〇頁)
         「〔月詣名義考〕」(三〇〜三三頁)
      「參議藤原ヘ長傳」(三四〜六七頁)
      「西行管見 ──西行より慈圓へ──」(六八〜九〇頁)
      「慈圓僧正研究」(九一〜二〇四頁)
      「藤原信實傳拾遺」(二〇五〜二二四頁)
      「太政大臣コ大寺實基及び左大臣公繼に就いて ──鎌倉時代政治思想の一面──」(二二五〜二四六頁)
      「秋田城介安達泰盛」(二四七〜二七九頁)
      「赤橋駿河守守時」(二八〇〜二八七頁)
      「北條執權政治の意義 ──後期を中心として──」(二八八〜三二〇頁)
      「世尊寺家書道と尊圓流の成立」(三二一〜三六一頁)
      「徒然草について」(三六二〜三八六頁)
      「~皇正統記について」(三八六〜四〇二頁)
      附録 史料篇
      高野山金剛三昧院藏本「關東武家式目」について ──鎌倉時代政治思想の一面──」(四〇四〜四〇七頁)
      金澤文庫本覺智筆「雜問答」について ──安達一族と佛ヘ──」(四〇八〜四一五頁)
      「「菊御作」の史料」(四一六〜四一九頁)
      「書道史上に於ける俊芿上人 附 鎌倉時代書道史料斷片」(四二〇〜四二五頁)
      金澤文庫文書繪畫史料摘録」(四二六〜四二八頁)
 ちなみに、上記の「菊御作」とは、後鳥羽院が鍛えた太刀のことである。なお、後鳥羽院の子孫にあたる伏見宮貞致親王は、青年期に刀鍛冶の徒弟をしていたという經歴の持主であるが、これが後鳥羽院の故事に倣ったわけでないことは言うまでもなかろう。
(平成二十年八月四日)
 
 龍肅『鎌倉時代』上・下を200円で購入したのに続き、先日、別の古本屋街で、今度は鷲尾順敬の『日本佛教文化史研究』を同一価格で購入。
    鷲尾順敬『日本佛教文化史研究』
    (東京市~田區~保町、冨山房、昭和十三年(一九三八)四月)
      「高岳親王の御出家及び御入竺の壮擧」(一〜三五頁)
      「入宋僧成尋及び當時の日宋交通」(三六〜八一頁)
      「瞻西の説經ヘ化」(八二〜一〇二頁)
      「法然の七箇條起請の原本檢討」(一〇三〜一二三頁)
      「大日房能忍の達磨宗の首唱及び道元門下の關係」(一二四〜一四二頁)
      「源實朝の佛教信仰及び渡宋計畫」(一四三〜一五八頁)
      「楠木正成の佛教信仰」(一五九〜一七五頁)
      「覺如の事業と本願寺三代相承」(一七六〜一八九頁)
      「日像の事業と妙顯寺」(一九〇〜二〇〇頁)
      「黄檗宗の開立と龍溪」(二〇一〜二六四頁)
      「日本寺院史總説」(二六五〜二九三頁)
      「五山十刹の起源沿革」(二九四〜三一六頁)
      「貞和集解題」(三一七〜三二八頁)
      「註畫讚の研究」(三二九〜三四九頁)
      「諸宗儀範及び著者大心義統」(三五〇〜三六五頁)
      「五山文藝に見ゆる國體思想」(三六六〜三八一頁)
      「禪文藝に見ゆる富士山」(三八二〜三九六頁)
      「五山の禪僧の不動明王畫像」(三九七〜四〇九頁)
      「禪僧玉畹及び其畫」(四一〇〜四一九頁)
      「一休及び弟子沒倫の畫」(四二〇〜四二五頁)
      「山水畫と雪舟」(四二六〜四三三頁)
      「禪僧と書道」(四三四〜四四四頁)
 龍肅のと出所は同一ではないかと憶測されるが、やはり箱なしの本体のみ。さらに、表紙には黴が生えていた。そのために安価であったのであろうか。
(平成二十年七月二十九日)
 
 一昨日、都内の古本屋にて、龍肅鎌倉時代』上・下が、何と200円(にひゃくえん)で店頭の均一棚に晒されておりました。蔵書印がホワイト修正液で塗りつぶされた、箱なしの本体のみでありましたために、破格の安値となったものと思われます。
 周知のように、本書は、今なお研究者が必ず参照しなければならない重要な文献です。入手したいと願っておりました本ですので、昼どきの暑いなか汗を流して一駅間を歩いた甲斐があったというべきでしょう。
(平成二十年七月二十一日)
 


『珍名奇姓録』 兎糞を召された大正天皇



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本頁更新日時 : 2009.09.30.
本頁開設日時 : 2008.09.24.
 

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