明治三十年、盛岡に生まれ、遠野で教員・教育委員、『遠野市史』の編集委員を勤めた吉田政吉氏の『新盛岡物語』(国書刊行会、昭和四十九年(一九七四)十二月)中の「南部中尉銅像建設のこと」に、南部家四十二代の南部
兎糞調査官発遣についての記録が、宮内庁に残っているか否か、私は知らない。 なお、この南部利祥は、日露戦争で戦死した。竹田恒徳(もと恒コ王)の『私の肖像画 ──皇族からスポーツ大使へ──』(恒文社、一九八五年七月)の12頁に、次のように見える。
この南部利英氏は、摂関家の一條家の出身で、南部家の養子となったのであるが、彼の義兄、一條實孝元公爵の談話記録、「公卿長屋」(『公卿・将軍・大名』(東西文明社、昭和三十三年(一九五八)八月)所収、77〜96頁)は、たいへんに興味深い内容のものであり、兎も角、一読の価値がある。 (平成二十年九月二十四日)
本頁更新日時 : 2009.09.30. 本頁開設日時 : 2008.11.15. |