現在、北条一門が注目されている。
講談社選書メチエの細川重男『北条氏と鎌倉幕府』(講談社選書メチエ493)(講談社、二〇一一年三月)が面白い、と大評判である。大胆な「意訳」、が話題となっているようであるが、本書は、鎌倉時代の北条一門に関係する史料の、おそらくほとんど全てを読み尽した著者による、満を持した力作である。たまたま見つけ出した史料一点を種にして本を書いた、という手軽なものとは対極にあり、文体は軽いが中身は重い、恐るべき著書であるのである。
なお、本書を読む方には、是非とも、細川氏の『鎌倉幕府の滅亡』 (歴史文化ライブラリー316)(吉川弘文館、二〇一一年三月)と併せ読まれることをお薦めする(こちらの文体は、相対的に硬質である)。両書を通読することによって、著者による北条一門の歴史上の位置付けに対する見方を知ることができよう。さらに深く知りたい方には、同氏の『鎌倉北条氏の神話と歴史 ― 権威と権力 ―』(日本史史料研究会研究選書1)(日本史史料研究会企画部、二〇〇七年十月)を手に取っていただければよいと思う。
その鎌倉北条一門についてであるが、日本では、時政、「尼将軍」政子、義時、泰時、時頼、時宗、高時のみならず、支流の金澤實時、金澤貞顯に至るまで、彼らの名を冠した本は、数多く刊行されている。では、英語の本となると、いかがであろうか。NHK「大河ドラマ」の主人公となったにもかかわらず「Tokimune」と銘打った洋書が刊行されているとは聞いたことがない。「Yoshitoki」然り、「Yasutoki」然り。残念ながら「Tokiyuki」も。
ところが、北条一門から一人だけ、英語の専著の題名となった人物が、いるのである。意外にもそれは、「Shigetoki」即ち極楽寺殿、北条重時である。

カール・ステーンストロプ
『北條重時(1198−1261)と
日本における政治・倫理思想史における彼の役割』
Carl Steenstrup,
Hōjō Shigetoki (1198-1261)
and his Role in the History of Political and Ethical Ideas in Japan.
Scandinavian Institute of Asian Studies Monograph Series, No.41.
London and Malmö, Curzon Press, 1979.
【裏表紙】
日本のいわゆる近代化は、十九世紀中葉の西洋の衝撃の結果として始まったのではない。
それは、武士=統治者たちの勃興階級に属する土着の思索家たちが、彼らの仏教的視野を、彼らが生きた兇暴な社会における彼らの諸経験と融合させたとき、十三世紀に始まったのである。
彼らの真剣な著作は漢語によるものであったが、彼らは日本語で話し、かつ、思考していた。ちょうど、ヨーロッパの知識人たちが彼らの母語に加えてラテン語を用いていたように。
若干は、彼ら自身の諸観念の妥当性についての疑いを持ち始めたか、あるいは、── 彼らが神権政治的観念形態と世俗的観念形態との間に、父系一族的専制の理想と封建主義のきびしい現実との間にあったときに、心を引き裂かれて ── 人、社会、および、諸事の機構における人の位置についての相反する観念を調和させる努力において理性的体系を構築することを始めた。
日本において、トマス・アクィナスの同時代人、北条重時は、最初の、そのような体系構築者であった。
彼は、青年期と成年期を高級統治者として費し、そして、老年期を彼の諸子のために彼の諸経験を体系化することに費した。
本書は、彼の生涯、時代、および思想を叙述し、そして、彼の現存している散文著作を翻訳するものである。
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【章立て】
1 北条氏と彼らの政策
2 武士一門の家庭規則(武家家訓)
3 北条重時の生涯と経歴
4 重時の二つの家訓の訳注
5 政治的かつ宗教的思索家としての北条重時
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※ 巻末にデンマーク語要約が付いている。
本書では、重時に対し、いわば「日本のフリードリヒU世」のように歴史上に位置付け得るが如き評価がなされており、面白い。ちなみに、重時の同時代人として名が挙げられているトマス・アクィナスの父、アクィノのトマス伯は、フリードリヒU世のもとで外交活動にあたった人物であった。
この重時は、日本史の教科書に出てくることもない、一般的には目立たぬ人物であるが、近年、森幸夫『北条重時』(人物叢書 通巻260)(吉川弘文館、二〇〇九年十月)が刊行されたことによって、ようやく我々は、この燻し銀のような人物の事績に、容易に接することができるようになったのである。
なお、重時については、二〇〇八年九月十三日、森氏の研究発表「得宗家嫡相模太郎の誕生」を聴き、それに触発されてコシラえた、フザケた旧作があるので、ここに再録したい。もともと無題であったが、「北条時行ファンサイト」の『狭雲月記念館』の高遠彩華さんが、表題をつけてくださった。
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コント
『明月記』嘉禎元年2月14日条
じりりりりーん じりりりりーん
しげ:
もしもし、ロクハラです。あ、に、兄さん? ど、どーも、ご、ごぶタサいたしてマス。
やす:
おい、きのうもトモチカ入道のパシリをしたそーじゃないか。
しげ:
いやその、だ、だって義父で、ハイ、ございますから...
やす:
サダタカから注進があったゾ。あんな極めつきのヘンジンの相手、よッくしてられるナ。ま、しげの評判はまずまずだそーだから、まーいいか。
しげ:
で、兄上様。本日は如何なる御用向きでございましょうか。伊賀の連中も片付いたところですが。
やす:
ほかならぬ、トモのことだが...
しげ:
次郎兄さんですか... また何か反抗しでかしたのでしょうか? ゴメンナサイどうかシゲトキに免じて...
やす:
ちがうちがう。ホントにしげは兄思いだな。ここしばらくはおとなしい。そのトモをだな、しげには相申し訳ないと思うのだが、次の叙位で五位の従上にと考えている。しげには位次が逆転されてしまうことになるな...
しげ:
いえ、大変に結構なことでござりまする。拙者こそ、次郎兄さんより先に叙爵されてしまいまして、身の置き所がありませんでした。次郎兄さん、グレてしまいましたし... これで、次郎兄さんのクッセツした気性が少しでも和らげば、申し分ありませぬ。
やす:
しげのことだから、必ずやそのように言うと思っておったゾ。
しげ:
ところで、兄上、
やす:
ん?
しげ:
京極の密偵によりますると、中納言が、「スンシューチョクセンジトウことにたにことなるか」と、何やら怪しげな文を書いているとの報告です。これは、駿河の地頭が密勅を受けたとも解釈できるかも知れないとのことですが、あの力なき歌詠みのことゆえ、放置しておいて問題ナシと判断いたしました。わざわざ申し上げる必要もないと存じますが、事のついで、念のため。
やす:
大いに結構。さすが、しげは頼りになるな。では、これからもロクハラのこと、くれぐれも頼むぞ。
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| ◎ |
『明月記』嘉禎元年二月十四日丁丑
三位【知家】語々【云】、具親入道以重時行向前黄門【定高歟】許、訴候者事柿本事不知由答、置歌歸云々、至極之僻人歟、駿州勅撰地頭殊異他歟、
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北条義時───泰時(相模太郎)
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│ ┌朝時(相模次郎、陸奥次郎)
├───┤
│ └重時(相模三郎)
│
(比企朝宗の女子)
│
├────資道(輔通)
源具親
(二千十一年五月十五日)
本頁開設日時 : 2011.05.22.
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