サクラチヨノオー



戦国ダービー
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小島太がまだ下手でなかったころ、一頭のサクラのダービー馬が誕生しました。
私の知る限りもっとも激しく、もっとも楽しかった第55回ダービー。愛しの
サッカーボーイを敗ったその馬は、マルゼンスキーの仔でした。 

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******  序文  ******

 毎年のことですが、ダ−ビ−が近づいてくるとなんかこう、ウキウキした気持
ちになってきます。なんでしょうか、やはり、人間がもって生まれた、ギャンブ
ラ−の血とでもいうものが勝手に騒ぐのでしょうか。
 たいして儲かる訳でもないのに、どうせ損をするとわかっているのに、人とい
うものはそういったものに惹かれていきます。なぜでしょう。
 それは、その中に、人それぞれの、人間模様というか、ドラマのようなものが
写し出され、その中に自分も参加したい、という思いが沸いてくるからではない
でしょうか。

 そんなことを思った19歳の春。こんなドラマがありました。なお、この物語
は事実に基づいており、実際の人名・馬名・団体名を使用しておりますが、多少
の記憶違いと思い入れが混じっております。どうぞご容赦を。


「線が細くて胴が長い馬でしょう。
 どう考えたって本質的にステイヤ−ですよ。
 あまりバカにしない方がいいよ!!」

 知る人ぞ知る、第55回ダ−ビ−直前のダ−ビ−フェスティバル。サクラチヨ
ノオ−鞍上の小島太騎手は怒りをあらわに、こう言い放ちました。昭和63年第
55回日本ダ−ビ−。それは、まさに後世に語り継がれるべき戦国ダ−ビ−、
そして名勝負でした。

******  夢のス−パ−カ−  ******

 このお話しする前に、ぜひ触れておかねばならない一頭のサラブレットがいま
す。大抵の方は当然ご存知のことと信じて疑いませんが、まだその存在すら知ら
ぬ人のために、簡単に説明しておきましょう。

マルゼンスキ−
 父:ニジンスキ−
 母:シル

 「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔は一際しない。賞金もいらない。ただ、こ
の馬の能力の高さを確かめるだけでいい。だから、ダ−ビ−に出走させてほしい。」
マルゼンスキ−4歳のとき、その主戦・中野東騎手のこの発言。これはあまりに
も有名です。朝日杯3歳ステ−クスをはじめ、出るレ−ス出るレ−ス全て圧勝の
8戦8勝。しかし、当時は母馬の胎内で空輸された、いわゆる”持ち込み馬”に
クラッシックへの出走権はありませんでした。そのためマルゼンスキ−は類まれ
なる能力の高さを持ちながら、レ−スを制限され、後々”夢のス−パ−カ−”との
異名をとらざるを得なかったのです。強すぎるがための悲運。マルゼンスキ−と
その関係者にとって、それはどんなに無念だったことでしょう。しかし・・・

******  暗雲立ちこめる  ******

 まさに大乱戦。後にも先にも失格馬が2頭も出た皐月賞は昭和63年第48回
皐月賞、これっきりです。2コ−ナ−手前の接触事故に巻き込まれた1番人気の
モガミナインは、内ラチに激突した後遺症から立ち直れないまま6着に敗れ去り、
先行していたため難を逃れた2番人気サクラチヨノオ−、3番人気トウショウマ
リオの競り合いは、やはり先行していた9番人気ヤエノムテキのアッと驚く末脚
に吹き飛ばされてしまいました。しかも、2着に14番人気のディクタ−ランド
が突っ込んで来たとあらば、波乱の上になお波乱を積み重ねた皐月賞と言うべき
でしょう。しかしこの大波乱の予兆は、レ−ス以前からすでに漂っていました。

 強敵相手の共同通信杯4歳Sを快勝したミュゲロワイヤルがスプリングSを待た
ずに脚部不安で戦線を離脱し、続いて阪神3歳Sを8馬身チギって圧勝した3歳
チャンピオン・サッカ−ボ−イまでもが

“石を踏む”

という余りにもツイてないアクシデントで直前になって皐月賞回避を余儀なくさ
れていたのでした。さらに、もっとさかのぼれば新潟3歳Sを制したグリンモリ−
も、府中3歳Sを圧勝したコクサイトリプルまでもが脚部不安のため早々と一線
から姿を消していました。こうして次々と有力馬がリタイヤし、皐月賞の大波乱
が拍車をかけた混戦クラッシクは、まさに下克上のサバイバル戦線と呼ぶにふさ
わしくなってきました。

 となると、ダ−ビ−を3週間後に控えたNHK杯とて、決して一筋縄で収まる
とは思えません。さすがに皐月上位馬の出走こそなかったものの、ここで早くも
サッカ−ボ−イが戦列に復帰してきました。コクサイトリプルも5カ月ぶりのタ
−フに戻ってきました。がしかし、ともに故障明けの鉄砲(初戦のこと)。決し
て万全の状態ではありません。ここでも、早くも波乱の予感が漂っていました。
 人気薄のチョウカイパ−ルが先手を取ったこのレ−ス。それは以外にも淡々と
流れて行きました。皐月賞前日に行われたクリスタルCで2着に入ったギャラン
トリ−ダ−が、人気薄ながら果敢に2番手につけます。3番人気メジロアルダン
は牝馬三冠を達成したメジロラモ−ヌの弟。デビュ−が遅れたせいでキャリアは
僅か2戦でしたが、負け知らずという底知れなさと、良血ぶり、そして鞍上が岡
部とあって穴人気を集めていました。対して断トツ1番人気のサッカ−ボ−イは
中団。その後方をピタリとマ−クするようにコクサイトリプルがつけています。

 “前半が淡々と流れたレ−スほど、直線での攻防が熾烈を極める。”

 よく言われることですがこのNHK杯も例外にはもれませんでした。坂下でま
ずギャラントリ−ダ−が先頭に立つ。しかしそれもつかの間、内から伸びてきた
テンシンリュウエンが並びかける。が、こちらもつかの間、外からピンクの帽子
のメジロアルダンが抜け出してくる。そしてもう一頭。猛然と追ってきたのもや
はりピンクの帽子だ。道中ずっとメジロアルダンの直後で息を潜めていた10番
人気のマイネルグラウベン!

−−−3歳秋の新馬戦を圧勝して一躍大器の評判を集めたマイネルグラウベン。
しかし、そのすぐ直後に骨折して5カ月もの休養を余儀なくされました。しかも、
手術の際に施された麻酔の後遺症から復調に手間取り、休養明け叩き3戦目の前走
でやっと400万条件の平場を勝ち上がったばかりでした。その上ここは初めて
の芝のレ−ス。かつての評判の割に人気を落としていても仕方のないことでした。−−−

 だがしかし、そんなダ−クホ−スが坂を登りながらグイグイと追って来るサッ
カ−ボ−イやコクサイトリプルを逆に突き放してしまうのだから、いかにもこの
年のクラシック戦線らしい直線の攻防でした。とにかくピンクの帽子2頭が競い
合い、叩き合うデッドヒ−トは、坂下からゴ−ル前までビッシリ続きました。
結果はアタマ差だけマイネルグランベンの先着。惜しくも敗れた岡部・メジロアル
ダンともども、皐月賞馬ヤエノムテキに続いてまたもニュ−ヒ−ロ−が誕生しま
した。そして実績馬の2頭もコクサイトリプル3着、サッカ−ボ−イ4着と、力
のあるところを見せつけて復活のノロシを挙げたとなると、ダ−ビ−戦線はいよ
いよもって混戦の度合を深めていきます。

******  天下統一戦  ******

 実はこのNHK杯、スタンド2階の調教師席からひときわ熱心に見つめていた
二つの眼がありました。これこそ境勝太郎調教師です。愛馬サクラチヨノオ−が
例年に引けをとらない好内容で朝日杯3歳Sを制したのにもかかわらず、最優秀
3歳牡馬のタイトルは阪神3歳Sの勝ち馬サッカ−ボ−イにさらわれてしまいま
した。「決してあの馬にはヒケをとらない。いや、血統・能力的には互角以上だと
確信していた。」境調教師にとって、年明け早々の受賞馬発表は、まさに悪夢を
見ているようなものでした。

 「2頭の唯一の直接対決となった弥生賞は確かにチヨノオ−が圧勝した。しかし
  このときはサッカ−ボ−イ不調説もあり、雪辱はまだ完全に晴らしたとはい
  えない。」

 ライバルの直前のリタイヤに気が抜けたのか、皐月賞でサクラチヨノオ−は
3着に敗れました。しかし、大舞台でサッカ−ボ−イを下してこそ、サクラチヨ
ノオ−は誰もが認める名馬になれるのです。そのためにはまず相手が元気に、
ダ−ビ−に駒を進めてくれないことにはどうしようもありません。だからこそ、
境調教師にとって、NHK杯でのサッカ−ボ−イの復活は何よりの励みになるの
でした。

 「もちろん、それ以前にウチの馬がどうか、なんですけどね。正直なところ、
  皐月賞の頃はまだ精神面に弱さがあって、持てる能力を存分に発揮させられ
  なかった。でも、中間の調教でわざと揉まれるように乗ったり、ハミの使い
  方を徹底して教えたりしてね。これで負ければ、僕の見立て違い。やっぱり
  馬の能力が足りなかったんだと、高望みはやめるつもりでしたよ。」

こう話す境調教師は、まさに背水の陣の覚悟でした。しかもそこには、さらに幾
つかの背景が書き加えられていました。ひとつはサクラスタ−オ−の死です。
境調教師の直接の管理馬ではなかったものの、チヨノオ−と同じ前演植オ−ナ−
の所有馬。しかも騎乗していたのは弟子の東信二(現フジTV「スーパー競馬の
解説者」)騎手です。前年の皐月賞と菊花賞を制したスタ−オ−は、不運にもそ
の年の有馬記念のレ−ス中に左前脚を故障して、以来ずっと病魔と闘い続けてき
ました。境調教師とて入院馬房をのぞきに行ったのは、1度や2度のことではな
かったでしょう。しかし、競馬ファンの誰しもが復活を願った名馬は、ダ−ビ−
の17日前にとうとう力尽きてしまいました。

 そしてもう一頭の死。今度は境調教師自ら管理するスィ−トロ−ザンヌです。
骨折のために半年の休み明け。半信半疑で臨んだ桜花賞で4着に踏ん張り、オ−
クストライアルの4歳牝馬特別でも激しいイレ込みをみせながら4着。しかし、
今度こそと送り出したオ−クスの2コ−ナ−で、スィ−トロ−ザンヌは突如とし
てガクンと崩れ落ち、そのまま安楽死を余儀なくされました。サクラスタ−オ−
の死から僅か10日後、ダ−ビ−までちょうど一週間の出来事でした。
 もちろん、ホ−スマンにとってそれはそれ、これはこれであることに違いあり
ません。感傷にふける間もなくダ−ビ−は刻々と近づいてきます。

 サクラチヨノオ−は、これぞサラブレッドというような均整のとれた馬体をした
馬でした。確かに見た目の荒々しさ・力強さは欠けていましたが、その代わりに
繊細さと、優雅さすら漂わせるスマ−トさがありました。しかし、マスコミの評価
は多少違っていたようです。曰く、

 「サクラチヨノオ−は線が細い。そして距離の壁がありそうだ。皐月賞の直線
  でなす術なくヤエノムテキに競り負けたのが何よりの証拠。そのときより
  2ハロン(400m)も距離が延びるダ−ビ−ではやはり?がつく。」

これに小島太騎手が生意気にも憤然と反発し、

 「線が細くて胴が長い馬でしょう。どう考えたって本質的にはステイヤ−ですよ。
  皐月賞の3着だって目標にされた上に無欲の馬に負けただけ。あまりバカにし
  ない方がいいよ!」

と、直前のダ−ビ−フェスティバルで堂々と言ってのけたのでした。しかしそう
やって不安を囁かれたのはなにもサクラチヨノオ−1頭に限りません。
皐月賞馬ヤエノムテキは「果たして人気を背負ったときに、あの芸当ができるか」
と書きたてられ、マイネルグラウベンは「今度は相手が違う」の一言で片付けら
れてしまいました。
メジロアルダンはたった3戦のキャリアが不安視され、休み明けを好走したサッカ
−ボ−イとコクサイトリプルは2走ボケの可能性が取り沙汰されました。
 ついでに皐月賞5着のトウショウマリオも、サクラチヨノオ−同様の距離不安説
が、モガミナインには調子下降説が流れると言った有様で、つまりはどの馬も、
好むと好まざるとに関わらず、スネに傷を持たされたのでした。
 確かに4歳になって重賞を連勝したのはクラシック登録がなくダ−ビ−に出ら
れないオグリキャップただ一頭。レ−ス毎に勝ち馬がコロコロ変わる状況は、い
かにもドングリの背比べの様相を呈していました。そのうえ、直前になってトウ
ショウマリオが骨折でリタイヤとくれば、ますますもって“戦国ダ−ビ−”です。
現実に、当日の連複オッズ(当時は枠連のみ)でいえばいわゆる3ケタ配当は一
つもなし。すべての組合せが10倍以上を記録していたのですから、文字通り
”戦乱の世”を彷彿させます。まさに、ダ−ビ−こそが天下統一の場となったの
でしだ。

******  11年越しの制覇  ******

パーパパパーパパパーン
パパパパーン パパパパーン
パーパパーパーパーパーパーパーン
パーパーパーパーパーパーン
パパパパーン

 府中の社にファンファ−レが響き渡りました。
その瞬間、ゴ−ッ巻き起こった歓声が、たちまちにして息をのむ静寂に変わりま
した。が、ワンテンポ置いて、またもゴ−ッという歓声。マイネルグラウベン
がスタ−トで立ち遅れたのです。対してアドバンスモアがまるで1頭だけ短距離
戦を走っているかのように、とにもかくにも飛ばすに飛ばします。明かな乱ペ−
ス。これに惑わされたか、皐月賞では追い込んで2着に突っ込んだディクタ−ラ
ンドが早くも2番手につけて、24頭は1コ−ナ−へと流れ込んでいきました。

 サクラチヨノオ−が素早くマイ・ポジションの3番手。その直後にメジロアル
ダンがつけたのは全くの予想通り。コクサイトリプルとモガミナインの中段待機
も、サッカ−ボ−イの後方待機も、やはり予想通りでした。
 しかしマイネルグラウベンの中段待機は仕方ないにしても、先行するはずのヤ
エノムテキまでが中段に位置していたのは大方の予想を裏切るもの。まるでリズ
ムに乗れないその走りは、行く先々で後手を踏み、外、外を回らされています。
 予想外のことはまだまだありました。勝負どころの3分3厘(3コ−ナ−から
4コ−ナ−に向かうところ)で各馬が仕掛け気味に上がっているというのに、
1番人気・私も買っていたサッカ−ボ−イの行きっぷりが悪いのです。河内洋騎
手のアクションとは裏腹に、後方集団からどうしても抜け出せないでいます。
つられるようにマイネルグラウベンの反応も鈍いし、モガミナインもモタついて
います。馬なりのまま4コ−ナ−で先頭に並びかけたサクラチヨノオ−とは、こ
とごとく対照的なレ−スっぷりでした。

直線に入るや、早くもサクラチヨノオ−が抜け出します。待ってましたとばかり、
内からメジロアルダンが並びかける。2頭の叩き合い!割れんばかりの大歓声の
中、この叩き合いは一瞬メジロアルダンが先に出たように見えました。

 「勝負あった。チヨノオ−は交わされるとモロい。」

観客の誰もがそう思ったのに違いありません。私もそう思いました。境勝太郎調
教師も思いました。このとき、境氏が叫んだ

 「粘れエ!2着でいい!」

という言葉はあまりにも有名。勝太郎さんも買ってたんでしょうか(笑)。
しかし、この日のチヨノオ−は、これまでのチヨノオ−ではありませんでした。
「ここからだチヨノオ−!スタ−オ−の分まで!スィ−トロ−ザンヌの分まで!
 そしてマルゼンスキ−の無念を、おまえの親父マルゼンスキ−の無念を今こそ
 はらせ!」

小島太騎手の左ムチが連打されると、なんとチヨノオ−は二の脚を使い、グイ
グイとメジロアルダンに迫り返していくではありませんか!。
こうなると、いかに名手・岡部をもってしてもメジロアルダンのキャリア不足は
如何ともしがたい。そしてこのチヨノオ−の気迫は、メジロアルダンばかりか大
外から一気の差し脚を延ばすコクサイトリプルをも封じこみました。

 サクラチヨノオ−のゴ−ル直後、小島太騎手はしてやったりと左手を高々と
挙げてガッツポ−ズ! 勝ち時計はダ−ビ−レコ−ド。しかも堂々と相手をねじ
伏せたレ−ス内容は、15着に惨敗したサッカ−ボ−イどころか、他の23頭の
全ての出走馬を霞ませてしまいました。これこそ、関係者の誰もが待ち望んだ、
各人それぞれに万感の思いが去来する勝利でした。検量室前では「やっぱりチヨ
ノオ−が一番だよ」と辺りも構わず男泣きに泣く境調教師の姿がありました。

 実に、マルゼンスキ−4歳から11年目のことでした。



 なお、学生・生徒及び未成年者は、競馬法により勝ち馬投票券を購入すること
は出来きません。また、人から頼まれたり、人に頼んだりすることも出来ません。 


サクラチヨノオー
牡 鹿毛 1985年2月19日生まれ
美 浦 境勝太郎厩舎
馬 主 さくらコマース
生産者 静内・谷岡牧場
父 マルゼンスキー
母 サクラセダン
母父セダン
成  績 10戦5勝[5.1.1.3]
獲得賞金 20890万円
主な成績 1987年朝日杯3歳S、1988年弥生賞、ダービー


[筆:渡辺冬樹 加筆:はっしー]




さらにチヨノオーネタ、もう一本...



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■ 重賞ノスタルジア − 東京優駿(日本ダービー) −
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 「禁断の大技」

 この「重賞ノスタルジア」が始まってから4回目の日本ダービーを迎えるわ
けだが、縁あって私がこの週に重賞ノスタルジアの原稿を書くのは3年連続と
なる。

 以前、JRAで20世紀の名馬100という企画があった。21世紀へ伝えたい名
馬をファン投票で選ぶという企画であったが、結果的には最近の馬ばかりが上
位に名を連ねて、さながら「平成の名馬100」という様相になってしまった。
そもそも名馬にランクをつけるという行為自体に無理があるとも思うし、ナリ
タブライアンだのスペシャルウィークだのはどうせ語り継がれるわけで、そう
いう上位にランクされた馬以外については積極的に語り継いでいかないと忘れ
られてしまうかもしれない。

 今回の主役は、ダービーの勝ち馬である。さすがにダービー馬はそれなりに
語り継がれることになるだろうからあえて取り上げる必要はないのかもしれな
い。ただ、この馬の場合はゴール前100m地点ではダービー馬として語り継が
れる資格をほぼ失っていた。

 その昔、といってもほんの数年前までだが、春のクラシックシーズンといえ
ばあるひとつの風物詩があった。その主役は美浦・境勝太郎調教師。桃白一本
輪桃袖でおなじみのさくらコマースという大馬主の主戦厩舎であった師の厩舎
には、毎年のようにクラシック候補馬がいた。そこで飛び出すのが当時の美浦
名物「境の大ラッパ」である。「勝負になる」「勝てる」・・・。毎度毎度飛
び出す景気のいいコメント。このコメントを聞くと「ダービーだなぁ」と思わ
されたものだった。

 そしてその境勝太郎厩舎の主戦騎手が小島太。華もあるが罵声も似合う。勝
つときは鮮やかだが、負けるときも鮮やか。6頭立てなのに直線前が詰まって
負けたディセンバーSは伝説となっている。

 この勝太郎&太の黄金タッグで挑んだ第55回東京優駿。馬は朝日杯を勝った
サクラチヨノオー。その後弥生賞も勝っているので決して弱い馬ではないのだ
が、皐月賞の敗戦がなんともヘタレっぽくてこの日は3番人気と人気落として
いた。1番人気はサッカーボーイ。阪神三歳Sをレコードタイム、8馬身差の
大楽勝し、「テンポイントの再来」とまで言われた馬。その後順調に使えずに
弥生賞3着、皐月賞は回避、NHK杯を4着と決していい成績ではないが、阪
神三歳Sの勝ちっぷりが忘れられなかったのか1番人気に推された。とはいえ
単勝5.8倍だからいかにも押し出された人気ではあるが。

 レースは大外24番枠からアドバンスモアの玉砕先行で始まった。第1回JC
で大逃げを打った「日の丸特攻隊」サクラシンゲキ産駒。筆者くらいの世代だ
と、玉砕逃げというとアドバンスモアを思い浮かべる方も多いと思う。そのく
らい印象的な行きっぷりだった。大外24番枠から一気に内へ切れ込んでハナを
叩いた。

 話を2分ほど先へ進める。アドバンスモアは早々に壊滅し、直線に入って抜
け出したのはサクラチヨノオー。しかし後ろから来たメジロアルダンの脚色が
いい。さらにはコクサイトリプルも迫ってくる。そして坂上、ついにメジロア
ルダンがサクラチヨノオーを捕らえた。第25回のダービー、メジロオーで痛恨
のハナ差負けを喫して以来のメジロ軍団の悲願であったダービー制覇はもう目
前だ。この時、境勝太郎師は「残せ!2着でいい!」と叫んだそうな。メジロ
アルダンはもう半馬身くらいサクラチヨノオーの前に出ている。それについて
はもう諦めて、後ろから来たコクサイトリプルの脚色の方が気になったという
ことだろう。

 ところが、ここから東京優駿史上に残るシーンが繰り広げられる。2着も危
ういと思われたサクラチヨノオーがまた伸びた。そして、残り100mでは半馬身
前に出ていたメジロアルダンに対して、禁断の大技・差し返しをやってのけた
のだ。差し返し自体そうそうあるものではないが、残り100mで半馬身前に出ら
れた馬に対して差し返したってのは他にはちょっと思い出せない。私も思わず
「う、うそだろ?」と声が出てしまった。メジロアルダンの馬券を買っていた
わけではなかったのだが。

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第55回 東京優駿(日本ダービー)(G1)
1988年5月29日 / 3回東京第2日 / 2400m 芝・左 / 晴・良

着 枠 馬 馬名              性齢 斤 騎手   着差  人気 単勝 体重   厩舎
1[2]5 サクラチヨノオー  牡4 57 小島太 2.26.3 3   9.4 464-2 境 勝
2[6]18 メジロアルダン    牡4 57 岡 部 クビ   6  10.9 496-2 奥 平
3[2]6 コクサイトリプル  牡4 57 柴田人 1/2    4   9.4 500 0 稗田敏
4[4]11 ヤエノムテキ      牡4 57 西 浦 2.1/2  2   6.4 494-2 荻 野
5[7]20 ファンドリデクター牡4 57 田 原 3/4    9  14.6 488+6 布施正
6[5]15 ハワイアンコーラル牡4 57 大 崎 1.1/4  18  52.8 490 0 中村貢
7[2]4 モガミナイン      牡4 57 安田富 クビ   8  12.1 506-2 古 山
8[8]23 コウエイスパート  牡4 57 安田隆 1/2    20  96.3 438+4 二 分
9[6]16 ガクエンツービート牡4 57 坂 井 ハナ   11  19.4 476+4  沢 
10[4]10 ギャラントリーダー牡4 57 増 沢 1/2    13  26.6 480-6 矢野進
11[5]14 マイネルロジック  牡4 57  東  ハナ   14  30.3 536-4 稗田研
12[7]21 バンダムテスコ    牡4 57 南 井 1.1/4  19  84.7 516+4 湯 浅
13[3]8 インターアニマート牡4 57 田島良 クビ   12  19.8 470 0 福島勝
14[1]1 クリノテイオー    牡4 57 竹 原 ハナ   17  51.1 444 0 松山康
15[8]22 サッカーボーイ    牡4 57 河 内 1.1/2  1   5.8 448-6 小 野
16[1]3 コスモアンバー    牡4 57 武 豊 1.1/2  16  35.8 506+6 中村均
17[3]9 モガミファニー    牡4 57  原  ハナ   15  30.7 494-4 本郷一
18[1]2 ディクターランド  牡4 57 菅 谷 1     7  11.6 442+8 菅 谷
19[3]7 リアリスト        牡4 57 的 場 1/2    21  98.7 466-6 尾形充
20[5]13 マイネルグラウベン牡4 57 蛯 沢 1/2    5  10.4 506+2 栗 田
21[6]17 ポートモガミ      牡4 57 松永幹 1/2    23 142.3 442 0 高橋成
22[4]12 ブレンニューライフ牡4 57 郷 原 1.1/2  22 126.8 476 0 古賀一
23[7]19 ナカミリーゼント  牡4 57 大 塚 3.1/2  10  17.1 504 0 八木沢
24[8]24 アドバンスモア    牡4 57 菅原泰 大差   24 198.8 476 0 佐藤全

払戻金 単勝 5 940円
    複勝 5 320円 / 18 330円 / 6 390円
    枠連 2−6 1,500円

※表中の年齢は当時の表記[数え歳]に従いました。
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 メジロ軍団の悲願は小島太一世一代の名騎乗の前に打ち砕かれた。決して好
騎乗とは言えないと思う。しかし小島太の鼻・・・じゃなかった華の部分はこ
のレースに集約されているといっていいだろう。これで小島太は(当時)史上8
人目のダービー2勝ジョッキーとなった。
 そして、「賞金はいらない。大外枠でいい。他の馬の邪魔はしない。この馬
の能力を確かめるだけでいい。だから、ダービーに出走させてくれ」という中
野渡(現調教師)の名言で有名なマルゼンスキーの産駒がついにダービーを制し
た瞬間でもあった。

 この年以降、「勝負になる」「勝てる」の「境の大ラッパ」にもう一つ新し
いバージョンが加わることになった。それは、「素質はチヨノオーより上」で
ある。私なんぞはよく「おいおい、チヨノオーってのはそんなに弱い馬だった
んか?」とかツッコミを入れていたものだが。「チヨノオーより上」と言われ
てダービー勝った馬はいないんだよな・・・。

 そして時は流れて2003年。調教師となった小島太師がサクラプレジデントを
ダービーに出走させる。その母セダンフォーエバーはサクラチヨノオーの妹に
あたる。
 ダービー出走にあたり、某所で見かけた太師のコメントは「素質ではチヨノ
オーより上だと思っている」であった。いまや「美浦黄門」となった境勝太郎
元調教師の大ラッパは、しっかりと小島太師に受け継がれているようだ。
                             【久賀隆司】
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(父)サクラチヨノオー 牡馬 鹿毛 1985年2月19日生 静内産
父 マルゼンスキー / 母 サクラセダン (母の父 セダン) / F.No.16

馬主:(株)さくらコマース 調教師:境勝太郎(美浦南) 生産者:谷岡牧場
通算成績:中央競馬で2〜4歳時10戦5勝、2着1回、3着1回
(主な勝ち鞍)
1987 朝日杯3歳S(G1)
1988 弥生賞(G2)、東京優駿(日本ダービー)(G1)
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