野蛮な雑話第4回「大津事件後日談説明編」
久しぶりに更新ですが今回は前回の内容があまりにもわかりにくいと指摘されたので私なりに図を使って肝心な部分である大津事件が長州閥にどういう影響を与えたのかなぜ児島惟謙が長州閥の怒りを買ったのかということを下手糞であるが下手なりに説明する。

長州出身者は上図のように長州出身者が大臣職に就いている4省に縁故採用(つまりコネ)されていた。長州閥はこのコネを続けていく為にそれぞれの大臣のイスに長州以外のものを1度でもつけないこと、つまり谷間を作らないということが必要だった。

しかし大津事件でロシアとの不平等条約の改正交渉に失敗した為に外務大臣の青木周蔵と司法大臣の山田顕義が辞めてしまったので外務省と司法省の縁故採用がなくなった。
                  ↓
さらに2人の大臣が辞めてしまったことで動揺した松方正義内閣は議会を解散し総選挙を行った。
                  ↓
そして内務大臣の品川弥二郎は警察を動かして対立勢力の候補者に対して些細な理由で検挙させるなどの選挙干渉を行うも大審院長の児島惟謙はこれらの裁判の受け入れを拒否したので選挙干渉は失敗し品川はやめざるを得なくなった。
                  ↓
長州出身者は唯一残った桂太郎の陸軍省へ。3大臣をやめさせた児島への恨み集中。

長州派閥の衰退図


2005年2月19日