野蛮な雑話第7回「第1回日本シリーズ出場チームの行く末と名物オーナー」

今回はプロ野球の第1回日本シリーズ出場チームの行方とこの2球団の名物オーナーについて語ることにする。尚、今回からこのコーナーは歴史小話から歴史を含んで気まぐれに雑話を展開させていきたい。
1951年にプロ野球が2リーグ制となりますが 「プロ野球のセントラルリーグ、パシフィックリーグの各リーグの初代優勝チームは?」
これを聞かれて即答できる人は余程の野球好きである。

なぜならこの2チームはもう親会社はおろか、チーム名もプロ野球の舞台から退場しているからである。
ちなみにこの2チームのホーム球場も現在では存在していない。

いいかげん答えのほうを言いましょう。
セントラルリーグの優勝は松竹ロビンス。
パシフィックリーグの優勝は毎日オリオンズ。
松竹ロビンスの方は映画会社の松竹が田村駒という大阪の繊維会社と提携して運営したチームで京都の衣笠球場と言うところをホーム球場にしていたがナイター設備や場所のよい大阪球場に主に使っていた。
毎日オリオンズとは毎日新聞が親会社としてできたチームで後楽園球場を本拠地としていた。
ちなみに日本シリーズを制したのは毎日オリオンズである。

その後、松竹ロビンスはこの翌年から球団経営に熱心だった田村駒の経営悪化やチーム内紛などにより急速に成績を落としていく。当時7球団だったセリーグの球団数調整の為、大洋ホエールズに吸収合併されていき大洋ホエールズは横浜ベイスターズへと姿を変えていく。
ロビンスオーナーの田村駒治郎は気分屋のためチームに様々な混乱を招いたが野球に情熱を燃やした男だった。

毎日オリオンズはその後、一時は大映株式会社という映画会社のプロ野球チーム大映スターズというチームを吸収し大毎オリオンズとして大映の永田雅一をオーナーとするも1960年毎日新聞は球団経営から身を引き大映社長でオーナーだった永田が経営を掌握しチーム名は1966年に東京オリオンズまで変わらなかった。
この東京オリオンズの本拠地の東京スタジアムがこちら葛飾区亀有公園前派出所にもでてきている。
1971年球団の経営難と大映の経営再建の為、球団はロッテに売却。ロッテオリオンズとなる。オーナーの永田は「必ず巨人を倒して日本一になってくれっ!」と泣き崩れながらコメントするも彼がなくなった今になっても1974年に中日を破り日本一にはなったが巨人を倒しての日本一という願いは叶えられていない。
1991年にロッテオリオンズはロッテマリーンズとして現在に至る。
最後に田村駒治郎、永田雅一の両オーナーについて書く。
田村、永田両オーナーは超ワンマンのためチーム内外で揉めることも多々あった。特に田村はチーム内で何度も揉めている。しかしプロ野球界きっての風雲児であり球界に人間ならではのいろんな影響を与え問題も多発した。
そんなオーナー達のハチャメチャ振りは憎むべきものがあるがなんとなくおもしろいことでもあると思う。但しおもしろいというのは彼らのワンマンぶりではなくリップサービスなど球団経営に対する熱意である。それまでの球界の常識や官僚出身者のプロ野球界のオエラ方を相手に立ち向かうような熱意には個人的に魅力を感じずには入られない。

東京スタヂアムが不入りで不採算が続き、読売巨人軍の正力松太郎オーナーが見かねて「巨人も試合に使ってあげよう。何とか君を助けたい。」と救いの手を差し伸べた時の永田雅一の言葉。
「セ・リーグ、とりわけ巨人軍の世話になるのは御免だ。」

2005年3月27日


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