And in the End 〜つまり そういうこと〜
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作・北村想 演出・小林正和
CAST
中島由紀子 金原祐三子 たなかちさ スズキナコ 小林正和
こつじまさのり(人形劇団むすび座)  
うちだしげのぶ(劇団うりんこ)
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STAFF
舞台美術 松本ひろし(ステージクラフト三舞)
舞台監督 中村公彦(イリスパンシブルティ)
照明 石原福雄(FRACTAL) 平野行俊(劇座)
作曲・音響 ノノヤママナコ(マナコプロジェクト)
挿入歌 西本さゆり(Ett)
演奏協力 細川純子
衣装 大池かおり
宣伝美術 下東英夫
イラスト あおきひろえ
制作 金原祐三子
制作協力 加藤智宏(office Perky pat)
企画製作 avecビーズ 北村想
共催 特定非営利活動法人愛知人形劇センター
協賛 損害保険ジャパン日本興亜株式会社
主催 avecビーズ
場所
損保ジャパン日本興亜人形劇場ひまわりホール
(名古屋・久屋大通)
 
日時
2017年
2月16日(木)         7時30分  
2月17日(金)    2時  7時30分  
2月18日(土)    2時  6時
2月19日(日)    2時   
※開場は、開演の30分前
※入場整理券の発行及び当日券の販売は開演の1時間前より。 
料金 
前売     2800円
当日     3000円
中高生前売 1500円
ものがたり 

「日本」というのは本質的には国の名前ではナイ。日の本(中枢)にある人々のこと、つまり権力者のことをいう。そういう感覚で政治家や評論家のコトバを聴くとこれが意外にオモシロク国家というものがよくワカル。もし、この国土の名称を現すなら、畿内、近畿、関西、山陽、山陰、四国、九州、東海、北陸、関東、東北、奥州、蝦夷、となる(重複御免)。その国土の何処かに収容所なのか療養所なのかワカラナイ広大な施設があった。生活費も遊行費も不要、もちろん、治療入院費も。そこから出さえしなければそこは天国であるはずだった。そこにさまざまなところから、人生に疲れたらしい人々が、応募でか、勧告でか、集められていた。と思いねえ。ある日、そこの住人のひとりが、階段の入り口でネズミの死骸を発見する。となると、まるで『ペスト』みたいな物語になるのかというと、さにあらず、それはそんだけの話。つまり、ある雰囲気をかもし出しているだけ。ある日、いきなりで、ワケもわからず、その施設が爆撃、攻撃を受けるハメになる。それが「日本」なのか他国からの侵略なのかはまったくワカラナイ。最初は病院で爆発があったとか、ゾンビが出たとか、そんなことが取り沙汰されるが、それもただの雰囲気づくりだけ。一部の人々は、施設の中の避難所に逃げ込む。そこに避難所があることを知っていたひとがいうには、この施設の計画は第二次計画で、その避難所は第一次に造られたものらしい。で、その計画とは何なのか、これまたワカラナイ。けれども、一部の人々、つまり出演者だが、逃げ込んだ避難所はある鍾乳洞に繋がっていて、出演者のその役目のものが、そこに楽器を発見するのだ。美味いものを観たら食いたくなる。楽器を観たら演奏してみたくなる。外は爆撃、地上部隊の攻撃。それはそれ、というどこ吹く風で、出演者たちは楽器を演奏し始める。そんだけの芝居。

かいせつ 

みんなカラオケが好きだった。それならと、キチンと歌唱指導してもらおうよと、お歌の稽古が始まった。お歌の稽古は仲良しこよしだ。最近になって、私は「時間とは何か」という古くからの知己の質問に答えるべく、脳細胞を忙しく動かしていたが、とりあえずの答は出た。とりあえずというのは、まだまとまりがナイということを示しているだけで、解答率の低さをいっているワケではナイ。これで正解、だと思っている。時間とは重力だ。時間と重力は、重力と加速度との関係と同じで、アインシュタインいうところの「等価原理」にあたる。重力=時間、この場合の=(イコール)は、重力と時間は区別出来るが、置き換えが出来る。捉え方(感覚的な受容)の違いだけで本質は同じ。時間をエネルギーとして扱うとき、重力のエネルギーを扱っていることになる。重力をパワーとして扱うとき、時間を扱っていることになる。等々としてのイコールだ。
そこで、演劇だが、こいつはそのまんま「残る・遺る」ものではナイ。冷蔵庫や冷凍庫に入れて置けるものではナイ。舞台の時間は過ぎ去ってしまう。けれども、楽曲は残す、遺すことが出来る。過ぎ去り、消え去って、記憶の中にarchiveされる舞台のemotionを、何かカタチで遺したい。と、私はそう考えて、avecビーズの面々に楽器を一つマスターするようにmissionした。連中は触ったこともナイ楽器に触れ、サルからヒトへと進化するかのように(あくまで譬えで、サルはサル、ヒトはヒトです。ちなみに、現在ヒト科は私たちホモ・サピエンスとチンパンジー、ゴリラとオランウータンです)、まったく音すら出せなかった楽器を演奏することに汗水垂らした二年間、これが、休演の二年間なのだが、此度の舞台では、加齢なる(華麗とはいわんが齢をとったぶんくらいのという意味で)その生演奏を披露する。『And in the End』を訳すと「なんだかんだで」になる。/世の中の何も彼もこそなんだかんだ/  
     

上演作品(小)