| 『あたしあのあめにうたれて』 | |
| 作・北村想 | 演出・小林正和 | |
| CAST | ||
| うちだしげのぶ(劇団うりんこ) たなかちさ | ||
| 金原祐三子 中島由紀子 スズキナコ | ||
| ヒート猛(スクイジーズ) 小林正和 | ||
| STAFF | ||
| 舞台美術 | 松本ひろし(ステージクラフト三舞) | |
| 舞台監督 | 中村公彦(イリスパンシブルティ) | |
| 照明 | 石原福雄(FRACTAL) 平野行俊(劇座) | |
| 作曲・音響 | ノノヤママナコ(マナコプロジェクト) | |
| 挿入歌 | 西本さゆり(Ett) | |
| アクション指導 | 杉本明朗(アクションクラブ) | |
| 衣装協力 | 大池かおり | |
| 宣伝美術 | 下東英夫 | |
| イラスト | あおきひろえ | |
| 制作協力 | 加藤智宏(office Perky pat) | >|
| 企画製作 | avecビーズ 北村想 | |
| 共催 | 愛知人形劇センター | |
| 協賛 | 株式会社損害保険ジャパン | |
| 主催 | avecビーズ | |
| 場所 |
| 損保ジャパン人形劇場ひまわりホール(名古屋・久屋大通) |
| 日時 |
| 2014年 |
| 2月6日(木) 7時30分 |
| 2月7日(金) 2時 7時30分 |
| 2月8日(土) 2時 6時 |
| 2月9日(日) 2時 |
| 2月10日(月) 7時30分 |
| 2月11日(火・祝) 2時 |
| ※開場は、開演の30分前 |
| 料金 |
| 前売 2800円 |
| 当日 3000円 |
| ものがたり |
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ワープロ専用機(と、いまは称するしかナイのだが)を購入して、最初に書いた戯曲が『寿歌西へ』だった。コピペ機能がたいへん面白くて、便利で、同じセンテンスを用いるせりふを何行も書く場合に多用した。もう一つ、単語変換機能で登場人物の名前を一文字入力で出せるのも重宝した。同時に書いていた雑誌『新劇』の連載小説の「面白不思議横丁」でも、テキトーに文章を変換して遊ぶのが面白かった。たとえば「読めばわかる」というのがあって、これを「よめばわかる」と入れて変換すると、当時の機械は「嫁ばはかる」「嫁葉は刈る」「夜目ばわ狩る」と出力するのだ。ひとつめは嫁さんの名前は「かる」さんというのかな、二番目は「嫁葉」という葉っぱは刈ることになっているで、三番目は「夜目」という化け物を「狩る」のだ。この小説では、このての遊びを多くやった。いまのパソコンにインストされているいるワープロでは、なかなかそんなコトバの遊びは出来なくて、窮屈だ。今回公演のタイトルも西田佐知子さんの名曲『アカシアの雨がやむとき』もどきなのだが、(一番の歌い出しは、やむときでなく、うたれてになっている)、これはパソコンでワープロ遊びしていたのではなく、自分の脳内でワープロ遊びをやっていて、面白かったので、よし、こいつでと、いつものように物語の内容など何も考えずに、「あ」の字が三回、韻をふむように出てくる、このタイトルでテキトーな戯曲を書いてみた。かつては「いい加減」というコトバをよく使ったが、それを用いていうなら、この演目もまた「いい加減」で、あらすじなどナイに等しい。ただ、困ったのは、そういうワケで登場人物の誰もが、いつまでたっても雨にうたれないので、初回読み合わせが終わったアトから、無理やり、そんなシーンを書き直しで創ったところかなあ。
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| かいせつ |
| あるとき、あるところに、敵対する二つの国があった。という決まったシチュエーションで始まるのが、いま、10万人の観客を動員する「劇団新幹線」の脚本の出だしなんだそうだ。まあ、そうだわな。そういうふうにすると、どうにでも面白くエンタ出来るもんな。閑話休題(それはさておき、と読むらしい)、『あたしあのあめにうたれて』では、誰もがなにかしら、何かしらを待っているふうな雰囲気がナニカシラしているのだ。盲目の牧師は人生相談をしながら、聞き手のルーシーは電子煙草をふかしながら、かなえ、と、たまえは、どうでもいい雑談をしながら。そうして、ウエイトレスは注文を待っている。と、そこにほんとうに待っている(いた)男、セリヌンティウスくんが現れる。現れた待っている(いた)男がセリヌンティウスなら、待たせている(いた)のはメロスでしかナイ。従って、今回の物語はそういう話になっている。って、なんだか、「かいせつ」と「あらすじ」がテレコになってんじゃないのと、気づかれた方も多いと思うけど、私も、いま気づいたので、気づいたまま、続けることにする。どっちにせよ、両方お読みになるんだし、いいじゃナイですか。待つ身は辛いが待たせる身も辛い。待つと待たすじゃなお辛い。それでいいのさ。いいんだよ。待つも待たすも夢ん中、だからな。恋愛は、いつも待つ待たすで始まり、別れですら、待つ待たすになる。劇団を主宰して、演出なんざやってた頃、私の演出の仕事というのは、「いつになったら出来るのかなぁ」と役者の演技を「待つ」ことだった。しかし、出来ない役者も辛かったろう。うちの母親がつい先日、急に真顔になって、こういうた。「自分がつろうて悩んでるときはナ、相手は、その倍、つろうて悩んではるもんや」。私にいったのではなく、あらぬところを凝視してだ。おそらく、『あたしあのあめにうたれて』は、そん話なんだと思う。どんなんや。つまり、「あのあめ」に「うたれたい」と願うのに、その雨が降って来ないのだ。辛いやろ。 |