トラルファマドール星

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カート・ヴォネガット・ジュニアとは

現代アメリカ文学を代表する老作家
1922年11月11日生まれの御年84歳
SF、ポストモダン、ブラックユーモアといったジャンルに分類されることが多い
97年の『タイムクエイク(TIMEQUAKE)』で断筆宣言をするが、
以降も文人として世界のあり方について皮肉交じりのコメントを発信している
また国際ペンクラブに所属しており、84年には訪日も果たしている

トラルファマドール星とは

『タイタンの妖女』『スローターハウス5』に登場する架空の惑星

惑星に住むトラルファマドール星人たちは四次元の眼を持っているため
生まれてから死ぬまでの全ての瞬間を同時に見ることができる

しかし、全ての瞬間がすで決定されているように見えるため
自らの意思で未来を変えることができないというジレンマの中で生きている

運命を前にした人間の無能さを強調させるための装置でもあり
トラルファマドール的なモチーフは他の作品にも多々見つかる
カート・ヴォネガットを読み解く上では最も重要な単語の一つ

既読リスト

☆既刊リスト(○既読 △未読 ×未収集)

バーンハウス心霊力についてのレポート(短編)
プレイヤー・ピアノ
○タイタンの妖女
○母なる夜
○猫のゆりかご
○ローズウォーターさん、あなたの神にお恵みを
×モンキーハウスへようこそ(短編集、絶版)
×モンキーハウスへようこそ2(短編集、絶版)
○スローターハウス5
○チャンピオンたちの朝食
×スラップスティック
×ジェイル・バード
×パームサンデー(短編集、絶版)
○デッドアイ・ディック
△ガラパゴスの箱舟
○青ひげ
×ポーカス・ホーカス
×バゴンボの嗅ぎタバコ入れ(短編集、絶版)
○タイム・クエイク
○キヴォーキアン先生、あなたの神にお恵みあれ(短編)

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バーンハウス心霊力についてのレポート

カート・ヴォネガット・ジュニアの作家デビュー作。
収録してあるはずの『モンキーハウスへようこそ2』は既に絶版となっているが、
本作は岩波文庫『20世紀アメリカ短篇選(下)』の中にも見つけることができる。

翻訳家は大津栄一郎氏
岩波書店らしい、しっかりとした言葉遣いをする人なので初心者にも取っ付きやすいはずだ。
ウラジミール・ナボコフ、ソール・ベロウ、ジョン・バース、ドナルド・バーセルミ、D・J・サリンジャー、トルーマン・カポーティーなどなど錚々たる顔ぶれの中に、カート・ヴォネガット・ジュニアもまた名前を連ねている。
アメリカらしく取り留めのない殺伐とした顔ぶれだが、その中でもヴォネガットの特殊さは際立っているように感じられる
他の多くの作家が現実的な舞台を好んで文学的な表現をするのに比べると、ヴォネガットの俗っぽさは特殊であると言える。

俗っぽさというのは、低俗という意味では決してなく、多くの人間に開かれているという意味として受け取って欲しい。
その論拠の一つに、ヴォネガットの生まれ出た畑がハード・カヴァーではなく、安物のペーパーバックであったことが上げられるだろう。
部数の少ないペーパーバックの作家であったが、当時の大学生らの間で口コミにより爆発的な人気を得たのだそうだ。
この点からヴォネガットは庶民のための作家であったと言えるだろう。

『バーンハウス心霊力についてのレポート』は驚異的な心霊力を発見した博士の苦悩と決断を描いた物語だ。
驚異的な力というモチーフは後々にまで引き継がれる息の長いテーマの一つである。
本作は偶然にその力を発見してしまった博士の失踪を、助手が回想するという構成をとっているが、
こういった構成もまた、後々まで受け継がれるヴォネガットの名物でもある。

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プレイヤー・ピアノ

カート・ヴォネガット・ジュニアの処女長編小説。
ヴォネガットが世に送り出した作品の中でも最も膨大な質量を持っている。

アメリカで初めて出版されたのは1952年。
朝鮮戦争(1950年)など、資本主義と共産主義がせめぎあう時代の最中。
同じくディストピア(反理想郷)小説として知られるジョージ・オーウェルの『1984年』が偉大なる指導者などを登場させるなど共産主義を意識しながら書かれたものであることに比べると、『プレイヤー・ピアノ』は強制されることのない全体的に大らかで、ゆったりとした腐敗を描いている。

『プレイヤー・ピアノ』というタイトルが指すのは、ピアノ・プレイヤーの時代の終わりである。
本来、自分の意思で鍵盤を叩くはずのピアノ演奏家が、技術の発達した未来社会ではその主体性をピアノに奪われてしまうかもしれない、そういったニュアンスが込められている。

仕事のほとんどが地区に一つずつある工場に集約されていて、そこで働けない人間は、貧民地区で酒を飲む。機械は日夜利便性を追求し続け、進歩すればするだけ人間の手を必要としなくなる。仕事をしなくても生きていけるだけの社会保障はあるけれど、それでも人は仕事なしに生きていくことができない。
しかし仕事を得ようにも、人間の仕事は日に日に機械に奪われているのだった。
主人公のポール・プロテュースはこの世界のあり方に疑問をもつが、彼は工場長という職についており、何も事件を起こさないでいれば、いずれピッツバーグのより大きな工場を任されるかもしれない。
市井の暮らしを目にするが、とても仕事を機械から人間の手に取り戻そう、などとは言えないで悶々とする。

『プレイヤー・ピアノ』は後のヴォネガット作品に比べると、比較的きちんとした、分かりやすい節をもった作品だ。
世界観もしっかりしていて、突然宇宙人が現れたりすることもなく、またとんでもない兵器によって街が吹き飛んでしまったり、謎の時間震でタイムスリップしてしまうこともない。 特徴であるとされるシニカルな言い回しや、作者自身を感じさせるメタ・フィクションの視点もなく、何よりも閉じた作品だ。
(閉じた作品、開けた作品についてはまた別の機会に)

ただし作品に散在するテーマはこの後にもずっと引き継がれている。
中でも、二つの相反する社会に身をおこうとするというテーマは初期ヴォネガット作品の特徴であり、『母なる夜』ではこれがメインテーマとなる。
この作品の次にヴォネガットは『タイタンの妖女』を書くのだが、これが『プレイヤー・ピアノ』とは正反対にあるような小説であったりする。
作風が次々に変わるのは、まだ当時のヴォネガットが迷いの中にあったことを示しているのではないかとも思えて面白い。
どのような悩みを抱いていたのかについては半自伝的小説であるという『スローターハウス5』を中心に読んでいきたい。

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