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2006.11.8

アニマルネットという団体が2004年から「ペットを亡くした飼い主さんの座談会」というのを定期的に行っているようです。

日時:11月18日(土) 
時間:午後15:00〜16:30
場所:みやぎNPOプラザ 交流サロン

○参加費用は無料

アニマルネット

http://www.mni.ne.jp/~k.hoshi/topanimalnet.html

2006.11.6

そうなのか。。そうだよね。。と、唐突に納得から入って申し訳ないです。自分の表現したいことが上手に言葉に出来ない、もどかしさを長く感じていたんですが、パァーンと晴れた感じです。

下の心理学の本からの言葉『私の話を聞いてください』がありますが、まさに愛する動物はカウンセリングそのままの役割をしてくれていたわけです。

誰かに話したい、でも話せば反論があったり、相手の話になったり、望んでもいない解決方法を教えられたりとただ『聞く』『受け止めてくれる』相手というのは人間相手になると かなり難しいですが、これが動物・・ことに犬は上手なんですよね。うまくこちらの気持ちにシンクロしてくれて、その上 涙を優しく舐めてくれる。

確かにペコが逝った時『もう誰からも慰めてもらえない』という感情があったことを思い出しました。

『神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。
神は聞くだけで悩みの解決は自分に
まかせてくれます。』

下の文章からの抜粋ですが、まさに神は犬でした。

愛する動物たちは、最高のカンセラーなのですね。

2006.10.28

月末なので そろそろアンケート集計ですね。

10月最後の日にUPさせていただきます。

2006.10.16

一般に「ペット」と呼びますが、彼らと暮らす者の多くは「ペット」とは思っていないだろう。身近であればあるほど、愛すれば愛するほど「ペット」という言葉が不快になってくる。

しかもその「ペット」という言葉を用いた「ペットロス」という言葉が飼育経験のない人たちには「たかがペット」という風に余計嘲りの対象とされる場合もある。

ペットロスの社会的背景を考えると、核家族化、晩婚化、少子化が大きく作用しているのでしょう。人との関係が希薄になればなるほど動物との関係が密接になっていく。

彼らの重要なポジションを伝える時、家族、兄弟、子供、友人という言葉を使う人は少なくない。自分自身だと表現してしまう場合もある。

しかし自分自身なら そこまで愛するだろうか?皆がそれほど自己愛が強いわけではないと思う。

心の中には様々な「自分」が存在する。その一番奥に誰にも見せない場所、誰にも触れられたくない場所がある。

それは生まれたままの「純粋」な場所。

誰の心の中にもその場所はあって、大人になるにつれて その場所は奥へ奥底へと隠されて行く。愛する動物はつまりそこの住人なのでしょうね。動物を愛することはメンタルな問題なので これをただ「ペット」として区分してしまうこと自体がナンセンスなのだと思います。

その場所がなくなると人は混乱を来たす。だってそこは人であるための根源なのだから 全体に影響を及ぼすのは当たり前なことだ。

2006.10.15

PCを開くと幾つものペットロスサイトを回って書き込みを読むのが習慣になっています。中でも一番多くの人が出入りしていると思われる掲示板に昨日は管理人への批判書き込みがありました。

書き込みは2度あって2度とも管理人削除されたようですが、気になる言葉がありました。

『本当の意味で管理人さんはペットロスをわかっていない』

実は私もわからないのです。2年8ヶ月ペットロスと向き合っていますが今だにわかりません。

愛するものを喪うだけではないということ、個々の哀しみは違うということ、背景が大きく作用するということ・・・でもきっと それだけじゃない。もっともっと複雑で多くのものを含んでいると思っています。

これもまた時間をかけて導き出さなければならない それぞれの答えがあるのかもしれません。

2006.10.7
『心理学の本から』

―私の話を聞いてください―


私の話を聞いてください、と頼むと
あなたは助言を始めます。
私はそんなことを望んではいないのです。

私の話を聞いてください、と頼むと
あなたはその理由について話し始めます。
申し訳ないとは思いつつ、
私は不愉快になってしまいます。

私の話を聞いてください、と頼むと
あなたは何とかして私の悩みを
解決しなければならないという気になります。
おかしなことに、それは私の気持ちに
反するのです。

祈ることに慰めを見いだす人がいるのは
そのためでしょうか。
神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。
神は聞くだけで悩みの解決は自分に
まかせてくれます。

だからあなたもどうか
私の話を聞いてください。
話をしたかったら、私が話し終えるまで
少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。

レオブスカリア著 
「Loving Each Other」より

2006.10.2

人は約90分間のサイクルで、ノンレム睡眠(脳も身体も深く眠る)とレム睡眠(身体は眠り脳が活動している)の一周期を終え、夢をみるのはレム睡眠時と考えられています。

睡眠中、意識がなくなると、普段は抑えられている無意識の感情が主導権を握り、記憶の断片が夢をストーリー化します。

落ちる夢
追いかけられる夢
身近なものの死の夢
乗り物に乗り遅れる夢
試験の夢
体調に関わる夢

これらは心や体調に関係して、よくみられるといわれる夢です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は2004年2月末から頻繁に夢に悩まされていました。その多くはペコと一緒に黒いヘビに追いかけられる、飲まれる、噛まれる、巻かれるものが多く、うなされ号泣して目が覚めるというパターンで寝覚めの悪さからグッタリしていました。

夢が変わったのは1年後の3月末。初めてペコの楽しい夢をみました。その後はペコの楽しい夢が増えていきます。

そして決定的だったのは2005年10月の夢です。いつもヘビに追いかけられ、飲み込まれ、追い込まれ、身体に巻きつかれていたのに、その夢の中で私は巻きつかれながら両手で大きな石を頭上に持ち上げてヘビの頭めがけて振り下ろしました。
ヘビの生なましい胴体は それでも私の身体に巻きついたままなので、それを必死でほどいている時に目が覚めました。

そしてこの後から現在に至るまで、記憶に残るようなペコの夢をみていません。(いい夢も悪い夢も)

私の場合 黒いヘビが不安や恐怖、未解決の問題、対処法のわからない問題を象徴していました。犬を迎えたのでもなく生活自体になんら変化はありませんでしたが、結局去年1年8ヶ月の時点で気持ちに一区切りついたということなのでしょうね。。。

ちなみに寝泣きは心理的にかなり追い詰められた状態ともいえるようなので、繰り返され生活に支障がでる場合はカウンセリングや薬などを利用された方がいいかもしれません。

私のようにその心理状態を創作活動に傾けるというのも ひとつの対処方かもしれませんが。。。

2006.9.26

月末なので そろそろペットロス・アンケートの集計ですね。次回は内容の変更をしないでおこうと思っていましたが、深層心理(夢)についてすこし増やします。

下の話題の続きでanytimeにも書いた内容ですが、ペットロスカウンセリングをしてくれる獣医で私がみつけられたのは3箇所でした。

東京都東大和市の『れいこ動物病院』

愛知県犬山市の『犬山動物病院』

沖縄の獣医師

あと熊本の動物看護士、増子さん(要予約1時間千円)

他にもあると思いますから また探してみます。

2006.9.13  音楽は万国共通の言葉

一行コメントの銀の糸の感想に「このメロディーのCDが欲しい」とありましたので 紹介しておきます。あの曲は森山直太朗さんの『愛し君へ』です。我が家では『ペコちゃんのテーマ』と呼んでいます(笑)

イントロ聴いただけで鼻の奥がツンとしてきます。。。

最近 人様のペットロス掲示板でレスをしました。

http://www.i-can.jp/bbs/yybbs.cgi?pet=1

レスをしてから気になって調べてみると動物病院でペットロスカウンセリングをしてくれる所が増えています。

もしも合う心療内科がみつけられない場合は、お近くの動物病院で『ペットロスカウンセリング』をしている所を探してみてください。

私も探してカウンセリングをしてくれる獣医さんのリストをこちらに作成しておきたいと思います。(時期未定)

2006.9.4     地獄への道は善意で舗装されている

愛しい命を喪われた方を、また傷つけてしまいました。傷つけてしまいそうなので話たくないのに・・・差し延べた手の爪が相手に食い込み、驚いて引っ込めたその手の爪で自らも傷つけた。

こんな思いは何度もしている。だから もう止そうと決めているのに・・・やっぱり「あの時」を思うと何か力になれないかと言葉をかけてしまう。学習能力ゼロだ。

優しさという名の凶器・・・気がつけば私が凶器になっていた。

2006.8.30     涙の処方箋

人は『感情の涙』以外にも毎日涙を流します。

涙腺で作られる涙は まばたきをする度に出てきて、目の表面を潤し 酸素を運び 細菌やゴミから瞳を守る役割をしていて、これを「基礎分泌」と呼びます。

この「基礎分泌」は1日に約1ミリリットルで1年分で缶ジュース1本分になるそうです。

東邦大学の教授が泣く前後の脳波や脳流血、心拍数を測定した実験を続けました。その結果 心の状態をはかる5つの指標のうち「混乱」を示す指標が泣いた後はゼロに近い水準まで一気に下がったとのことです。

涙によるストレス解消方は嬉し泣きでも悔し泣きでも涙の理由を問わず、笑った場合のストレス解消方よりも効果が大きく長続きすると この教授は述べています。

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私はペコの死後 瞼を閉じてやれませんでした。丸1日ペコの瞳が萎んでいくのを涙で溺れた瞳で見続けていました。

あの日いったいどれだけの量の涙が流れたのだろう。1年分?2年分?それともペコと暮らした時間だけの涙は流せたろうか。。。もし足りなかったとしても この先ペコを想って流す涙で必ず補えるだろう。袖を濡らし、枕に染み込み、テッシュに吸われ、本物の花よりも尚 ペコへのはなむけになろう。

2006.2.27    人の為と書いて偽りと読む

前にも書いたことがあるのですが、私はペットロスの本やペットロスサイトで癒されませんでした。それ故に結局 自分でペットロスサイトを作ってしまったわけですが、それは『私が癒されるため』に作ったのであって 他の誰かにとって癒しにならないことだろうと思っています。

『癒し』とは 病気や傷が治る、悲しみや苦しみが治まる、悩みが消えるなどを意味しますが、そもそも死別の悲しみは癒される類のものではありませんね。

これは背負って生き続けるものです。

認めたくない現実が目の前にあり、その現実と逃げ出したい、認めたくないという感情の間に深い溝ができます。その溝を埋めるものが私にとって『絵』になりました。

2006.2.25    汝の死を覚えよ

タイトルは
『お互いが限界ある存在であることを自覚しよう』
という意味ですが、そんなこと・・・
誰もがわかっていますよね。
わかっていて尚、愛しいものの『死』が苦しいのですよね。

後悔や罪悪感は自分を責めるためにあるのではなく、自分を知るためにあるのだと思います。愛しいものを喪った正常な感情なのですから そこから学べることが沢山ありますね。

『悲しみが残したものを味わえ』この言葉は私の呪文です。

2006.2.20   『涙多き人は善良なり?』

万物の掲示板を読み返しながら 胸の痛む日々です。声をかけたい衝動にかられることが幾度もあります。絶望の中を手探りで這い回っていた日々は私にもあったのです。

でも それは『今』ではない。。。

『今』その真っ只中にいる人を前に、私には言葉がない。

時間が穏やかな時を刻むまでの間 貴方が立ち向かうであろう孤独から僅かでも守ってください。この世を去ったものにしか成し得ないその力で どうか励ましてください。支えてください。私には それを願うことしかできないのだから。祈ることしかできないのだから。。。

私はココにいて貴方の言葉を目で追い、心に刻み、そして涙することしかできないのです。

2006.2.19  『悲しみはいつまで?』

悲しみが深く、苦しみのあまりそこから抜け出すことばかりを願ってしまう時期がありますね。

映画『奇蹟の輝き』の中に

「悲しみはいつまで?」と問うセリフがあります。
「決まりはない。君が望む時に終わる。
 悲しみを終わらせる力は君にある。」と相手が答えるのですが・・・ペコを喪った当時にこの映画を観て、私もそうなのだろうかとボンヤリと思っていました。

でも私の悲しみはすこし違いました。

私は当時、悲しみから『逃げたい』と思い、その後『これでいい』に変わり、そして『癒されたくない』になって、『悲しみの中にいたい』になりました。

今思うと『これでいい』と腹をすえた時点で悲しみがカタチを変えはじめたのでしょうね。もしかするとこれが悲しみと向き合うということなのかもしれません。

2006.2.18  汝のペンを偽るなかれ

HP内で『悲しい感情や体験をノートやPC等に書く』ことを勧めていますが、これには もうひとつの意味があります。

自分のその時の感情を思ったまま文字や言葉にし、今度はその文章を元に違う角度からみた文章にしてみる。これは実は心のリハビリのために有効な方法だと言われています。

その時感じたままの言葉で気持ちを表現すること、それはとっても勇気のいることで大切なことだと思います。

2006.2.17  汝悩むことなかれ

日本人は『死』に対する考え方や受け止め方に仏教が
大きく関わっているために
『死んだ命のことをいつまでも思っていると成仏できない』
との言葉が、残されて苦しむ人の足かせとなる場合があります。

なぜ哀しんではいけないのか?
思い続けることはいけないことなのか?
それらの感情が自らの心を締め付け
やがて恐怖となり嫌悪となり、
余計悲嘆の中へと押しやる結果になる場合があります。

私達は無宗教だと言いながら、正月には神社に出向き手を合わせ、結婚式を教会であげて、クリスマスにはケーキを食べ、葬式は仏教式にものが多いでしょう?!

それと同じように考えてもいいと私は思います。それが残された者を励ますための言葉であっても、受け入れられない時は違う宗教の考え方を取り入れればいいと思います。

『虹の橋』は海外の宗教色を表し、『雨降り地区』は仏教の強い日本人が作った話なので『死んだ命のことをいつまでも思っていると成仏できない』が根底にあります。それを理解していれば言葉に縛られることはありませんね。

2006.2.14   汝の敵に挑戦するなかれ

近年医療の進歩から動物の高齢化が進み、
老犬介護と平行して問題になっているのがペットロスです。
ペットロスといえば暗いイメージが付きまといます。
そのせいか『ペットロス』を
マイナスイメージで捉える飼い主が少なくありません。
そしてペットロスケアだけでなく
ペットロス予防までしようという会社もあります。
(1回1時間、5250円の講習会で10回分チケット購入)
ペットは『ゆりかごから墓まで』、
そしてペットロスまでが企業にとってお金になるようですね。

「ペットロス予防」という言葉にすこし眉をひそめた私でしたが
考えてみれば私も『予防』をしたのかもしれないと思い当たりました。

『入院をさせない』ということも私なりの
予防だったようにも思えます。
そしてペコが散歩でみつけた子猫を
我が家の子にしてしまったのも『予防』だったような気がします。

どんなに予防をしても
どんなに覚悟をしても
哀しみはそれをはるかに上回る勢いで押し寄せてきます。
いえ襲ってくると言った方が正確ですね。

では どうするのか?

ペットロスになりたくなければ
動物と暮らさなければよい?
動物と距離を持ってつきあう?
すぐに次の動物を飼う?

私個人の『答え』は、

『哀しみを分かち合える人間のパートナーをみつけること』です。
友人でも家族でも、哀しみを黙って受け止め、一緒に泣いてくれる相手、動物への愛情を一番理解してくれる相手
そういう相手がいることが一番の予防だと思えます。

但し!何度も言いますが これは私の答えであって 貴方の答えではありません。貴方の答えは貴方がみつけてください。

そもそも私はペットロスに誇りを持っています。ペットロスにもなれないような動物との付き合い方などするな!と横暴な思想の持ち主ですからね(^_^;)

2006.2.4

カレンダーをめくらないまま もう4日かぁ・・・

なんか去年も3月までカレンダーめくらなかった気がするなあ(^_^;)そういうことに関わりなく時間は過ぎていくのにね。

この2年間の日記を読み返している。あーだこーだ言いながら、それでも時間を進めてきたんだね。

思い返すと私の意に反して、幸せな時間が多かった。笑いたくない、癒されたくない、幸せになんかなりたくないと思えば思うほど、小さな事がものすごく大きな幸せに思えてしまう2年間でした。

2006.2.3

何度も日記を書いては消す日々が続いている。

人の深層心理とはわからないものだ。自分の心の奥底さえ わからないのに、他人の心がわからないのは あたりまえかな。。

前にも書いたことがあるけど『人間は、とっても辛い時 眠くなる』という話。これも生き物に備わった防衛心理のようですね。

眠ることで最悪な状態を回避しようと無意識に働く。

心理学の先生は患者さんの睡眠パターンをグラフにさせることで その患者さんが今どのような状態かがわかるそうです。

私は今どんな状態なんだろう???

眠いんですよ(^_^;)いやこれがビックリするほど眠くて眠くてたまらない。何をしていても眠たいって感じです。普通の状態の時の『眠たい』と明らかに違うなって思えます。

もうひとつ心理学の話です。『罰への欲求』

人の心の中には罪悪感と快楽が同居しているとアメリカの心理学者さんが言っています。

自分に罪悪感を科すことによって、自らを納得、安心させようとするわけですね。

ーーーーーーーーーーーーーー

長々の文章を書いたわりに、気にいらないので この後の文章を削除(^_^;)

2006.1.30

はい。毎日ジタバタソワソワと何も手につかない1月を過ごしています。息苦しくて・・・なんとも表現のしようがありません。

そしていよいよ明日は1月最後の夜が来ます。

さすがに2年なんで去年よりは楽かな?と想像していましたが、まあ私の想像なんてものは いつも浅はかなものです。

これはペコが最期に食べ残した2年前の流動食です。

冷凍庫の中に大切に保存してあります。

これを命日の度にペコの器で溶かすと決めています。

まるで凍りついた『あの日』が溶けて、そこに現れてくるようですが、私には大切な儀式です。

ryudou.JPG

去年は2個、ペコの器に出して溶けるまでジッとみつめていました。

今年もきっと、そうするでしょう。

ryudou2.JPG

2006.1.13

万物に書くことがないのでもなく、書けないのでもなく、書きたいことがありすぎて書きたくない日々が続いている。

このマンションを買った当時に、幼い甥っ子が遊びに来て『ロデムちゃんちは大きな犬小屋だね』って言ってた言葉を思い出した。

―今は『大きな墓』になってしまっている―

『弔い上げ』(とむらいあげ)という言葉が仏教にあります。

人間の場合、年忌法要には一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・五十回忌・百回忌とあり、故人を知る人がほとんどいなくなってしまう『三十三回忌』を一般には最後とすることが多いようです。

『死』は・・『本当の死』は、死ぬことではなく忘れ去られてしまうこと、私の『弔い上げ』は私自身の消える時にやってくるのか。。。

『anytime』日記の『死の受容』は、こちらの『癒しの言葉』に移しました。

2005.12.12

私が『万物掲示板』にレスをしなくなって、そろそろ一ヶ月になります。

なんだかお言葉をかけたくてウズウズしてしまうこともあるのですが、ここで私が出ると また他の方が話し辛いのではと、控えています。

これでよかったのかどうか・・・今だにわかりません。

2005.11.14

『anytime』と『万物』の両方に来ていらっしゃる方はご存知かもしれませんが、万物の定め掲示板は今後、『訪問者様専用』と致します。

管理人ロデムにご用の方は『anytime』BBSでお話いただけますよう よろしくお願い致します。