癒しの階段(私の場合)

癒しへの階段

家の中で動物と暮らす人、

動物を伴侶や子供のように思っている人、

動物に依存している人、

他人との関係が乏しい人、

内向的な人、

真面目で責任感の強い人

杓子定規で柔軟性に乏しい人、

人間不信で他人に脅威や敵意を持っている人、

動物を母親のように守ってくれる存在に捉えている人、

死の看取り方が不本意だった人

などが いわゆる『ペット・ロス』になる可能性が高いと、あるペット・ロスの本にはありましたが、上記文章のほとんどに 私は当てはまります。

ですが、もちろん『ペット・ロス』と言われるものになるのは 上記の要因だけでなく、性格、育った環境、現在の暮らし、過去の経験などのバックグラウンドが大きく作用するものだと思うので 私自身が今後どうなっていくのかは 私にもわかりません。でも愛しい命を喪って哀しいのは当然の感情であり、なんら不思議なことではないということだけは 強く思っています。

ペコが逝って数日は、泣き疲れては眠り お腹も空きませんでした。ペコの苦しんだ最後の時間になると動悸がし 何度も何度も あの状況が私の中で繰り返されていました。

そして ある日 ひとつの曲が私の心を捕らえて離れなくなりました。

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『涙そうそう』というその歌は森山良子さんが亡くなったお兄様のために作った歌詞で『涙が止めどなく流れる』とか『涙が止まらない』という意味だそうです。この歌のおかげで 胸の中に僅かな灯りが燈ったのを感じました。

『いつか会える』『いつか会える』

そして この後『奇蹟の輝き』というロビン・ウィリアムスの映画を観ました。この映画の中で愛しい犬との再会がちゃんと描かれてあり、余計に私の中で『いつか会える』という思いが強くなりました。今は一時的に離れているだけで ちゃんと会える。必ず会える。そう思うと 胸の中が熱くなりました。
もちろん私が癒されたからといって同じもので他の誰かが癒されるとは限らないでしょうし、自分に合う癒され方や気持ちが楽になる方法を探せばいいことなのだと私は思います。人の言葉に縛られることなく 心に逆らうことなく信じられるものを信じていけばよいのだと自分に言い聞かせています。

私はペコの骨壷の袋を手作りしたり、

骨を入れるペンダントやキーホルダーを探したり、

こうしてペコへの想いを綴ったり、それら全てが心の安定を保つために私には必要なことでした。

(ちなみに私がペコの骨を入れているペンダントカプセルは500円くらいの迷子札用のカプセルです)

なにより哀しみを分かち合える相手 思い出を共有できる相手(私の場合主人です)の存在が大きかったです。

毎日毎日ペコの話をし、泣き、笑い、そしてまた話す。

彼だけが 私がどれほどペコを思いペコに全てを捧げてきたのか知っています。そして彼がどれほどペコを愛していたか 私が知っています。

極端に知り合いの少ない私は 心を開いて会話のできる相手がいなかったのですが、今回はそんな私を支えてくれた人がいました。この哀しみのどん底で その人の存在は大きく そして優しく ただ『受け止める』ことに徹してくださいました。感謝しても、し尽くせません。彼女もまた 愛しい命を喪った経験のある方で深い想いをずっと抱えていらっしゃる方です。

『アキのしりっぽ タロのあしあと』

そして ペコの亡くなる前から私の支えとなってくれた言葉を置いてらっしゃるのは、『ノア動物病院・K-9アカデミー』の動物と暮らすマニュアル第12章…ワンちゃんの老後『死』と『ペット・ロス』のお話です。

家族を喪ったのだという想いを強く感じられるならば、『ペット・ロス』という言葉に縛られる必要などなく、

『愛する人を亡くした人のための100の言葉』というサイトが 癒されるかもしれません。私も2月に このサイトに出会ってから 多くの言葉を胸に刻んでいます。

ただ一点・・100の言葉の34番に『ペットを飼うこと』を勧めている文章があるのですが、これは哀しみが深い時には更に哀しい文章に受け止められるかもしれません。

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