うつろう者の章
ペコのいない時間と経過
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◆二ヶ月◆(4月6日) |
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| 二ヶ月という時間が経過した今でも、 あの時を思い出すと身体の奥深いところで 血が噴出しているような感覚に襲われます。 ペコを失って尚、私は生きている。 生きている。 生きていることが こんなにも辛く哀しい。 おまえほどの素晴らしい犬と暮らせた私たち夫婦は なんて幸運だったんだろう。 そして おまえほどの素晴らしい犬を喪った私たち夫婦に 心から安らぐ日など訪れないだろう。 |
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◆三ヶ月◆(5月6日) |
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| 予想外に苦しい三ヶ月を迎えることになりました。 二ヶ月の時は自分自身で『順調に回復している』と 笑顔も時々出始める毎日でしたが、その後は日に日に辛さが増し、 まるでペコの逝なくなった月に返ったようでもあります。 ですが明らかに違うのは あの時間を・・ペコの息を引き取った5時から6時を 過ごすことに苦痛を伴うことがなくなりました。 大きな違いは その部分だけでしょうか。 自分の苦しさだけに囚われ、 誰かに対して叫んでしまいそうになります。 『貴方には わからないでしょ!!』と。。。 ですが、これは一方で『違う』ことも頭の中では理解しているのです。 誰しもが身近な大切な命を喪う経験をし、 そして『現在』を迎えているのだと。。。 相手はわからないのではなく、その苦しみを超えてしまっただけなのだ。 哀しみや苦しみを忘れるということは一方で、 生きていくために必要なことだと思います。 何千年という歴史の中で命が受け継がれてきたのは、 みながこうして超えてきたからなのだから。。。 ただ あたしは 哀しみの中に取り残されているという『ただそれだけのこと』 空っぽの身体の中を冷たい風だけが通り過ぎる。 |
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◆四ヶ月◆(6月6日) |
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| あのね・・・うまく言えないんだけど、 相変わらず毎日 哀しくて哀しくて、 そうしているうちに哀しみだけが刻み込まれちゃって ふと『いったい私は何を哀しんでいるの?』になるんだよね。。。 こういうのわかるだろうか? 『奇蹟の輝き』という映画の中で 地獄に落ちた奥さんが哀しみに暮れている。 だけど 何を哀しんでいるのか 誰を喪って哀しんでいるのか記憶が曖昧になっているんだけど・・ なんだか今 そんな感じがしてる。 あたしは今・・・地獄にいるの?!(5月26日日記より) 特別な日の始まり。 誕生日よりも記念日よりも特別な日。 魂に哀しみが刻み付けられた日・・・ ペコの逝った日から4ヶ月。 やっと4ヶ月まだ4ヶ月。(6月6日日記より) |
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◆五ヶ月◆(7月6日) |
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五ヶ月になった。五ヶ月が過ぎた。 |
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◆六ヶ月◆(8月6日) |
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| あの日と同じ6日で金曜日の朝を迎えました。 ふいにあの瞬間のペコが蘇り私は深い哀しみに襲われます。 半年の時間いったい何をしていたのだろうと 思える瞬間でもあります。 ペコの最後だけは記憶の一番開きたくない場所にしまい込み 厳重に鍵をかけ そこから何も漏れだすことがないよう ただ祈りつつ半年を過ごしてきたような気がします。 あの朝を思い出すと、 まるで将棋でもしているように何歩も先を読み、 ああすればああなるからと、 先回りしても 先回りした場所にはやっぱり罠が仕掛けられていて、 どうあがいてもペコの未来と私の未来は決まっていて、 そして逆らえない未来に今は居る。 しかし・・・よくもまぁ これほど毎日ペコを想い過ごしていられるなぁと思えるほど、 今だにペコが心の真ん中にいる。 私だけしか想ってやれないのだもの・・・ いつまでも忘れることなく想い続けていよう。 それが この先も哀しみをもたらすだけだったとしても 想い続けていよう。 時は忘れさせてくれる。 時は癒してくれる。 いいんだよ・・・癒されなくとも・・そして忘れなくとも・・・ 私は忘れたいわけじゃないし、 癒されたいわけじゃないし、 幸せになりたいわけじゃない。 |
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◆七ヶ月◆(9月6日) |
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| 亡くなった命のことばかり想うのは果たして後ろ向きだろうか? 私は生きている。 それだけで すでに『前向き』なのだと私は思う。 昨日から今日へ 今日から明日へ どんなに帰りたくとも あの日には帰れないのだから、 こうして生きていること自体が ちゃんと未来に向って歩いているのだと私は思っている。 人の考えに流されない強い意思さえあれば、 こうしてペコを想う自分自身に誇りさえ感じる。 忘れたくなくとも老いとともに、 または移り行く日々の中で思い出がすこしづつぼやけて、 薄れて泡のように静かに消えてゆく。。。 強く想っていないとペコが消えてしまうんだ。。。 |
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◆八ヶ月◆(10月6日) |
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| 8ヶ月めの朝です。 あの日を忘れない、忘れるわけがないと、 固く思っていたのに・・ちゃんと薄れていることに気がついた。 それがいいのか悪いのか、 いささかショックを感じていることだけは確かだ。 印象深く『あの日』があるのに、 その前日の細かい出来事や獣医さんとの会話。 それらを自分の書いたものを見なければ思い出せなかった。 確実に時間が過ぎていく。。。 忘れたくない。忘れたくない。 あの頃苦しくて あれほど忘れたいと願っていたのに、 今は 忘れたくない。 何一つこぼすことなくペコを覚えていたい。 分岐点があるのだとしたら、先月から今月にかけてが そうなのかもしれない。ふたつの『出会い』が私を導いた。 ひとつは、れ〜のWalkingtour。内容はもちろんだけど、 その表現方法に大きく興味を持った。 今までは『書く』だけだったのに、 それに『描く』が加わることで多くのものを伝えられる。 そして高村光太郎の『智恵子抄』。 昔から読んでいるのに、読む度に違う感じ方ができる。 光太郎が亡き妻を想い続け慕い続け、 その証となる多くのモノを残せたのなら、 想いの果てにあるものは悲しみだけではないと思えてきた。 想いを貫くことで、守り通すことで、見える未来もあるような気がしました。 そして『銀の糸』に辿り着き、今 次の作品に取り掛かっています。 私は 思い続ける道を進んでいく。 思い続けることに命を燃やしていく。 強く、深く、この魂に刻みながら、そしてそこにも、幸せはあると思える。 生きているペコは私の支えだった。 死んで尚、いや今は それ以上にペコは私を支えてくれている。 |
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◆九ヶ月◆(11月6日) |
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| ちょうど9ヶ月を迎える頃『落日』の制作の真っ只中にいました。 今はもう『落日』も完成し、11月も後半です。 毎日夢中で描きました。 ペコを感じながら あまりに泣きすぎて描くのが辛いことが何度もありました。 それでもちゃんとゴールできた。 ペコがチカラを貸してくれた。 ペコは逝った。 でも私の愛が逝ったわけじゃない。 私の想いは私の中でペコを生かす。 ペコのためにまだやれることがある。 まだやりたいことがある。 私の愛はまだまだ終わらない。 |
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◆十ヶ月◆(12月6日) |
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哀しみはいつも隣にいる。
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◆十一ヶ月◆(1月6日) |
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| 『walkingtour』うちでもリンクさせてもらっているし、 あれは本当に素晴らしい作品だと思っている。 何よりこの作品との出会いと作者さんとの出会いがなければ、 私は現在『絵』を描いていない。 それほど人にチカラを与える作品だと思っている。 この作者さんとした話なんだけど 『あの作品はとても素晴らしいものですが、 私は前を向いて歩くことは出来ません。』と言ったことがある。 あれは人がこう出来ればいいな、 こうであればいいなという理想であり希望で、 それが多くの人々の心の琴線に触れて感動を呼んだものだ。 『虹の橋』も その意味では同じ。 だけど人は思い描いたようには進めない。 進めないことに苦しむ。 そして そう出来ない自分を責める。 ペットロスの段階で当所、犬を恋しいと思い、 触れたいと思い、それを過ぎるとすこし抜け殻のような状態に陥った。 何をしていいのかわからない。 感情がどこに向えばいいのかわからない。 目的も持たずに歩くことは難しい。 そんな時に『前を向いて歩け』と言われても 『歩けないから苦しんいだ』と涙するしかない。 私はこれを『walkingtour』の副作用だと思っている。 『虹の橋』も同じで、それを信じる者には抵抗のない言葉だろう。 気付いた人もいるかもしれないけど私の話に『虹の橋』は出てこない。 私はほとんど『虹の橋』という言葉を使わない。 私自身が望むもののカタチとは違うから。 そしてきっとどこかにね・・・ 私と同じような違和感を抱きながら、 前を向いて歩くことだけが大切なわけじゃないと 自身に言い聞かせながら もがいている人がいるんじゃないかと思っている。 人と違うことは時に疎外感に苛まれるけれど、 それも個性だと思っている。 いいんだ。。。私は振り返りながら、 上を向いたり横を見たり、立ち止まったり、 そんな風にゆっくり歩く。 私の人生だもの、人と同じでなくていい。 |
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◆十二ヶ月◆一周忌(2月6日) |
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| 細い階段を昇り続けていた。 上には何も見えない。先がわからない。 それでもひたすら そこを昇るしかなかった。 不安と恐怖に心は奪われ、見えない悪夢に怯えた。。。 やっと昇りつめた場所には果たして・・・ ―何もなかった― そう・・何も、何もなかった。 不安も恐怖も、深い哀しみも・・そしてペコも。。。 一周忌を迎えるのが怖かった。 また あの哀しみに突き落とされる自分自身を何度も夢見た。 でも・・・深い哀しみさえ そこにはなかったんだ。 そして強烈な虚しさに襲われた。 何に怯えていたのだろう・・・ 何を期待していたのだろう・・・ 何を待っていたのだろう・・・ 封印した箱の中からペコの食器を取り出し、ペ コの器にペコの好きなものを盛る。 ペコのためにお粥を炊く。 ペコの好きなおやつを置く。 時間が経過しても 減っていかない食器の中身は、 それを片付ける度に痛みというより虚しさと切なさを伴った。 あの日を思い出せば胸はかきむしられる。 だけど思い出さなければ・・・思い出さなければ涙も出ない。 これが『時間』だ。 覚えていますか?亡くした頃は、何をしていても涙が付きまとった。 テレビをみても出掛けても、 それこそ箸が転んでも苦しさと哀しさで涙が溢れていた。 もう・・・そんな哀しみではないのだ。 そしてこれが『時間』なのだ。『時間』に逆らおうとした。 ペコを忘れたくなかったから。 だけど時間は私を置き去りにはしてくれなかった。 忘れたいと思い、忘れたくないと思い・・・そして忘れていく。。。 この目は涙を流すためだけのものではないし、 この手は絶望を抱きしめるためだけのものでもないのに、 私は一年間 涙に溺れ 絶望を枕に眠り続けてきた。 その目で足を見る。その目で手を見る。その耳で鼓動を聞く。 私は生きている。 『生』とは『生み出すこと』 私には歩くことも走ることも、そして跳ぶことさえできる足がある。 私には夢や希望を掴める手もある。 そしてこの目で、未来に続く夜明けを見ることができる。 私自身が明日を生み出すのだ。 目を閉じて風景を変えよう。 そして再び見開いたその先に また細い階段が出来る。 その階段は光へと続いている。 私の一年間はこの場所に辿り着くために必要だった。 確かなことは『ペットロス』という言葉は 最高の誉れなのだということ。 命を見送り、いずれ見送られる。 そんな「当たり前」のことの中にあるのがペットロスなんだ。 誰でもが なれるものではない。 愛した者だけが受け取れる素晴らしい称号といってもいいかもしれない。 ペットロスという言葉に誇りを持ちたい。 一周忌を迎えた時点で それぞれに思いも違うだろうし 私も明日から変われるわけでもない。 誰かの言葉ではなく自分が心で感じなくちゃいけない。 だけど この気持ちを忘れないでいたい。 これもまたペコが私に残していたったものだから。 私自身がペコの忘れ形見なのだから。 |
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◆十三ヶ月◆(3月6日) 長い別れは『愛している』の言葉から始まった。 |
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◆十四ヶ月◆(4月) 『泣く』という行為はなぜこうも弱さの象徴のように思われてしまうのだろう。 男の涙などはその典型のようだ。 女も男も同じ人間なのだから泣いたって恥ずかしいことでも おかしなことでもないのに。 ペコを喪い 泣き続けている毎日の中で涙に癒されていることに気付く。 一時気持ちが高ぶり その高ぶりも涙とともに流されていく。 そして『泣く』ことを否定しないために『銀の糸』を作った。 作った当時は泣くことの効用を それほど深く考えていたわけでもないのだけれど、 最近ある文章に出会った。 『死の淵から生還できたのは 泣き抜いたからだ』 これからもペコのために涙し続けたい。 生きるために涙したい。(4月22日 日記より) --------------------------------------------- ペコの夢をみて大声を上げて目が覚めた。 まさに私の描いた『夢』の目覚めの状況に似ている。 ペコが数人の男の人に連れて行かれそうになって 『お願い 止めて!!』と叫んでいた。 私の腕にはタイガーを抱いてペコが抱けなくて それで連れて行かれそうになった。 ペコを抱くかタイガーを抱くか・・・ 迷った末にタイガーを抱いた。 私がペコを優先的に抱かないハズなんか『絶対』に有り得ないのに・・・ なぜあんな夢をみたんだろう。。。 目が覚めたらタイガーが心配そうに覗き込んでいた。 『大丈夫だよ。怖い夢をみただけだから・・・。 タイガーはいい子だね。もうちょっと寝ようね』 そう言って もう一度眠りに入った。(4月27日 日記より) |
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◆十五ヶ月◆(5月) 6日の金曜日は今年1年間で5月だけだ。ペコを想って やっぱり涙して過ぎていった。(5月9日 日記より) ----------------------------------------- ペコのお気に入りだった籐カゴのベットを片付けた。 このベットはずっと、ペコの精神安定剤の役目をしていたので どうしてもペコが旅立つ時には持たせてやりたかったのに、 業者の人に断られて出来なかったんだ。 1年3ヶ月たって ようやく片付ける気持ちになった。 やっぱり苦しかった。。。 いつか・・・いつか必ず このベットはおまえのもとに届けてあげるからねペコ。。。 待っててね。約束だよ。。。(5月12日 日記より) -------------------------------------------- 命は永遠だと思っていたわけじゃないでしょう? いつか別れが来ると知っていたでしょう? あなたはやれるだけのことをやった。 やれる以上のことをやった。 本当によくやった。 後は『よくやった』と諦めるしかないんだ。(5月23日 日記より) |
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◆十六ヶ月◆(6月) 『天使の黄昏』に『遺恨』という感想をもらった。イメージのいい言葉でないので少々凹んだけど すぐに復活 強い『念』があることには変わりない。 ただ『ここ』を読んでくれる人にだけに知ってもらいたいのは、 私は『ここ』から去りたくないということ。 いつまでも いつまでも出来るならいつまでも『ここ』にいたいのです。 ペコの近くにいたいのです。(6月2日 日記より) ---------------------------------------------- 1年4ヶ月を過ぎたよ。すごいね。。。 随分 遠くに来たんだね。 もちろん忘れていたわけじゃないけど、 体調の悪さからボォ〜〜としていたら 胸元でペコの骨を入れてあるペンダントが音をたてた。 『ごめんごめん。今日は大切な朝だったね』 そんなことを言いながら目覚めた。(6月6日 日記より) ----------------------------------------------- 身体が苦しい時はいつも思うよ。 ペコはもっともっと苦しかったんだろうな・・って。 だから がんばらなきゃ・・ペコが耐えたものなら私も耐えなきゃ。 この苦しみの先に きっとペコがいる。(6月10日 日記より) ------------------------------------------------ 時が癒せない傷もある。 表面は乾いていても奥底では依然としてマグマのように ドロドロと吹き上げて どこかに出口を探して、 噴出す機会を狙っている。 それでも・・たとえ表面だけでも乾いていることに安心している私がいる。 同時に それを哀しんでいる私もいる。(6月15日 日記より) ------------------------------------------------ 『今 会いにゆきます』を観たんだけど、 映画の中で死んでいる奥さんが 『私以外の人を愛さないでほしい。。。』との言葉を漏らしてしまうシーンがあった。 私も間違いなく同じように思ってしまう。 夫の幸せは願うけど、私以外の人を愛する姿は見たくない。 そしてね。。。ペコに対しても同じように思ってしまう私がいる。 ペコの知らない命をこの胸に抱き、愛することをペコは喜ぶだろうかと・・・。 喜ぶと思えたなら それは希望に満ち溢れて幸せなことだと思う。 喜ばないと思えたなら、今までどうり思い出に抱かれて安心していられるから、 それもやっぱり幸せなことだと思う。(6月26日 日記より) |
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◆十七ヶ月◆(7月) |
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| 一年と五ヶ月が過ぎた。 相変わらずペコに話しかけながらの日々が続いている。 同時期に哀しみを舐めた人たちは新たな命を育てている。 私より後に哀しみの中をもがいた人も 新たな命と生きている。 昔はね、心から祝福を贈っていたのに、最近は喜べなくなった。 『飼いたいんだけど どう思う?』なんて聞かれた日には 胸の中がドロドロしてしまう。 『嫉妬』なのかな?わからない。 だって、こればかりは嫉妬しても仕方ないし、 新たな命を迎えようと思えば 私は今日にでも迎えることはできるのに、 それをしないのは 私自身なんだもの。。。 心のモヤモヤはたぶん、自分だけが取り残されていくような そんな寂しさが原因だったのかもしれない。 (自分でも本当にわからない) 『別れが辛いから もう犬とは暮らさない』というのとも違うし、 自分の感情をうまく説明できない。 『ロデムさんのように絵を描くことができたら、 私は犬を迎えなかった』と言ってくださった人がいる。 『犬を迎えられたなら、絵なんか描いていない』と 答えてしまったけど、彼女に謝らなくちゃ。。。 同じ哀しみの中で出会い、 私が新たな命と暮らしていたなら犬を迎えたことも話し易いだろうけど、 犬と暮らさない私に『新たな暮らし』の報告は勇気がいることだろう。 ネットの世界だから黙っていてもわからないし、 ネットだからこそ疎遠になることも珍しいことじゃないのに、 それでもあえて報告してくれた。 そして昨日 哀しみの中で出会った人が小さな命と暮らしはじめたと話してくれた。 『おめでとう おめでとう。心からおめでとう』 話してくれてありがとう。 ものすごく久しぶりに心の底から祝福の涙が湧いてきた。 ------------------------------------------------------- とっても とってもステキな夢をみました。 ペコはぶぶちゃんと散歩に出掛ける前で ものすごく不安そうな顔でオドオドして私をみつめながら出掛けていきました。 ペコはいつも そうでした。 ぶぶちゃんとの散歩はあまり好きじゃなくて、 シッコが終わると急いで帰ってきていました。 それがまた、私には嬉しくて なんだかとってもペコに慕われているみたいな 愛されているみたいな いつもそんな気持ちにさせてくれていました。 久しぶりに動くペコを見て、ペコの声を聞いて 心の中は温かいもの、甘いものでいっぱいに満たされました。 ―ああ やっぱり・・あの子しか愛せない―(7月19日 日記より) |