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そして出発(2004/4月 作成)

逝っしまった愛しい子への想いは 誰にも何にも埋めることなど有り得ないとは思いますが、ただ唯一 その大きな空洞に新しい風を吹き込むことができるのは やはり命以外にはないような気がします。

罪悪感や抵抗を伴うこともあるかもしれませんが 少なくとも『他人の目』は気にすることはないと私は思います。例え迎えるまでの時間が短くとも 逝ってしまった子を忘れた証拠だとは思いません。

特に辛い病気で亡くされた方や老犬を看取られた方、突然の別れを経験された方には『貴方こそ 再び命と向き合う資格があるのですよ』と私は、声をかけてあげたい気持ちでいっぱいです。

そして急ぐことなく『時期』を待たれるのもいいと思います。出会うべくして出会うことがあるかもしれません。運命には逆らえませんから。

年齢の問題や他の理由から 新しい命を迎え入れる生活に踏み切れない場合もあると思います。そういう選択をして 天使になった子をずっと愛しむことも 心のためには必要なことだと思います。何度も申しますが 心のままに過ごされることが一番だと思えるからです。

『何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある』です。これは旧約聖書の一節です。(ちなみに私は無宗教です)

犬と暮らしたい

犬に触れたい、匂いを嗅ぎたい、手を握りたい・・・ペコがいなくなってから何度もそんな強い衝動に駆られてペットショップを訪れたり里親募集サイトを覗いたりの日々がしばらく続いた時期がありました。そして・・そこに私の心を満たすものがないことを実感するのです。それは正確には、犬にではなく『ペコに触れたい』だからです。

哀しみや寂しさが一番深い最初の時期に勇気を出して犬を迎えてしまわないと 哀しみが停滞してしまうと前にも後ろにも身動きがとれなくなってしまいました。

「命を代わりにしてはいけない」と思う反面・・・それなら最初から愛せる存在などあるのか?と問う私がいる。

ペコとの関係もタイガーとの関係も「愛」から始まったのではなく、『会い』から始まった。そして時間をかけて「愛」になっていく。例え当初 かりそめの関係であろうとも、それは時間とともに変わっていくのではないのだろうか。。。

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