周磨 要の 2009 ピンク映画カタログ


●周磨 要プロフィル

映画ファン歴は約50年弱になる映画好き。今年は、還暦で定年後の、月10日勤務の会社嘱託期間の2年間が過ぎ、6月で満了となります。映画三昧24時間の日々の開幕であります。
 映画好きが嵩じて始めた活弁修行は、2002年の「剣聖 荒木又右衛門」の初舞台から7年のキャリアとなりました。今年は、これまでの時代劇からガラリと変わり、抱腹絶倒洋画大活劇「ドタバタ撮影所」にチャレンジいたします。また、2003年を皮切りに、ピンク映画大賞への投票は5度を重ねました。キャッチフレーズは「無声映画からピンク映画まで古今東西邦洋を問わず、すべての映画を愛する男」でございます。今年もよろしくお願いいたします。
「周磨 要の映画三昧日記」
周磨 要のピンク映画カタログ 2005
周磨 要のピンク映画カタログ 2006
周磨 要のピンク映画カタログ 2007
●周磨 要のピンク映画カタログ 2008
周磨要の掲示板 
「周磨 要の湯布院日記」

「周磨 要のピンク日記」
「おたべちゃんのシネマシネマ」
2009年ピンク映画カタログ−26

今年最終の「ピンク映画カタログ」です。

2009年11月23日(土) ●番外
「第2回 PKの会 ちょっと早目の忘年会」  「笑笑」国分寺店

今年の「湯布院映画祭日記2009−2」で、池島ゆたか監督を囲むPKの会発足を紹介した。その第2回が11月23日(土)に、ちょっと早目の忘年会も兼ね「笑笑」国分寺店にて盛大に開催された。

「PKの会」は、恐るべき増殖を開始している。池島監督の良きパートナーである脚本家の五代暁子さんが常連なのは当然のところであり、「ピンク映画大賞」の投票者で映画ライターの中村勝則さんも常連である。今回は、さらにミュージシャンで昨年ピンク映画大賞の技術賞を受賞した大場一魅さんが加わった。(「ひとみ」さんです。私「かずみ」さんと呼んでダメ出しされました)ハンドルネームYASさんは、初代映画検定合格の最高得点者(79点満点の77点!同点者は4名)吉田康弘さんである。ちなみに私は277名の合格者中の真ん中以下の147位なんだから、あんまり威張れたものではない。「1回目の問題は大体やさしい場合が多いから、最初のうちに取っちゃっただけですよ。大したことありません」と、YASさんはケロリとしたものだった。いずれにしても、友達の友達が友達となり、この「PKの会」、大増殖しそうな勢いである。

時節柄、ピンク大賞の特別賞候補が話題になる。10月10日(土)「ピンク映画カタログ−23」の「熟女 淫らに乱れて」のところで触れたが、私は、「当然、内田高子さんで決まりでしょう」と声を上げる。「久しぶりに出てきたからだけで、特別賞ってそんな軽いもんじゃないよ。該当者がいなければ無理することない。受賞者無しでいいんだ」と池島ゆたか監督から異論が出る。昨年「監督作百本を超えた、長きに渡るその活動に対して」特別賞を受賞した池島監督ならではの重みのある発言である。

さらに池島ゆたか監督から、「それをいうなら、ここにいる大場一魅さんでしょう。十年も俺の映画の音楽を担当してくれてるんだから、こんな人ちょっといないよ」と推薦の弁が出る。確かにその功績の厚みは凄い。今年は「痴漢温泉 みだら湯覗き旅」の天使役でカメオ出演し、鮮やかな演奏姿も見せてくれた。でも、昨年の技術賞で、十分功績は認めてられるしなあ。悩むところだ。

常連参加者の一人に「ピンク映画大賞」の投票者の鎌田一利さんがいる。鎌田さんは、一投票者の枠を越えて、自宅をロケ場所として開放しているピンク映画界の大きなサポーターとも言える人だ。その自宅提供回数は二桁を越えているそうだ。至近では、昨年のベストン第四位池島ゆたか監督作品「半熟売春 糸ひく愛汁」(シナリオタイトル「小鳥の水浴」)の、田中繭子(佐々木麻由子)・日高ゆりあの母娘の住居が、鎌田さん宅である。「それならば鎌田スタジオは、十分に特別賞に値するでしょう。皆さま、是非一票をお願いします」期せずして、ここはピンク映画大賞の受賞に向けての鎌田さんの運動の場にも化したのである。

池島ゆたか監督は府中の住人、私は国分寺の住人である。共に10分程度歩けば帰れる。こうなると、人間は気が大きくなる。前回も徹夜で飲み明かしてしまった顛末は、「湯布院映画祭日記2009−2」で紹介した。案の定、今回も徹夜になった。ただ、何故か池島監督は、早目(といっても午前1時過ぎだったが)に引き上げ、脚本家の五代暁子さんと映画ライターの中村勝則さんとの3人で、飲み明かしたのであった。中村さんは三鷹在住なので、終電車を逃したら、始発まで飲み明かすしかない。そこに至ったいきさつにも、結構笑えるエピソードがあるのだが、公言するのにさしさわりがある部分もあり、ここでは紹介を差し控えたい。

そんな「番外」はどうでもいい、早く本筋に入れ、と言われそうだが、スミマセン、今年最終の「ピンク映画カタログ」ですが、本筋はありません。「ピンク映画カタログ−24」にて10月25日(日)に、今年度ピンク大賞の対象作品鑑賞25本到達、参加資格ゲットを報告しましたが、そこで一安心してしまったようです。「これまでの最速」ではあったが、その後で鑑賞したのは11月14日(土)の1本のみ、結局年末までで26本という例年と大差ない鑑賞数で、ピンク映画大賞投票参加となりそうである。


そのお詫びというわけではないですが、2009年末現在までの「ピンク映画カタログ(ピンク日記)総索引」を作成いたしました。2000年に13号倉庫さんに「周磨要のピンク日記」のコーナーを開設していただき、発展形の「周磨要のピンク映画カタログ」で今日に至るまで、10年が経過した。寄せたピンク映画評は、正確には数えていないが、500本程度になりそうだ。今や、いつ頃どの作品評を書いたのか、よく分からない状況になってきた。そこで、私の便も考えて、この際に総索引を完成させたわけである。

特長は、公開時題名でも新版改題名でも、どちらからも検索できるようにしたことである。労作である。(と、自分で言っていれば世話はない)ただし、新版改題を明記するようになったのは、ようやくピンク映画業界の慣習を私が熟知してきた2007年以降であり、それ以前は膨大で追跡のしようもない。現在まで、新版改題であろう題名だけが判明し、公開時題名が不明な作品が、6本ある。
 「浮気妻 濡れ濡れ生下着」(橋口 卓明)
 「男を買う女たち」(新田 栄)
 「団地妻 変態体位」(鈴木 啓晴)
 「婦人科医院 診察台の情事」(新田 栄)
 「変態姉妹 ナマでお願い」(小林 悟)
 「未亡人 しびれる性感帯」(深町 章)

これらは、エクセルで独自のピンク映画データベースを構築している「ぢーこ」さんの協力を得ても、「題名と監督だけで、製作会社も脚本も主演女優も不明では、特定は不可能」と、サジを投げられて残った6本である。この機会に紹介して、新たな情報提供者が出てくると、ありがたいと思う。

なお、この総索引については、毎年末に更新することを考えている。

以上で、今年のピンク映画カタログは、最終にいたしたいと思います。これから訪れる2010年でも、「ピンク映画カタログ」をよろしくお願いいたします。皆さま、よいお年をお迎えください。

*13号倉庫からのお知らせ
周磨さんの「ピンク映画カタログ(ピンク日記)総索引」は師走の喧騒の中で更新の時間を見つけだし、速やかにアップしたいと思っています。もうしばらくお待ちください。
2009年ピンク映画カタログ−25

2009年11月14日(土) ●新宿国際劇場
「美人セールスレディ 後ろから汚せ」 2006年公開
監督・小川欽也  脚本・水谷一二三  主演・@YOU,島田香奈

浄水器の販売会社のセールスレディの話である。濡れ場カップルは3組だ。@YOUは、内気でセールスには向いておらず業積が上がらない。でも、ラブラブの恋人の平川直大がいる。業積ナンバー1は島田香奈、住宅業者の「なかみつせいじ」と、公使共に連携してよろしくやっている。男のセールスマンのヒョウドウミキヒロは、得意客の風間今日子にバイブをプレゼントし、街中プレーも交えて、これも楽しんでいる。設定はヴァラエティに富んでいるのだが、濡れ場は全部が一本調子のアヘアヘで芸がない。

@YOUがセールス訪問先で、住人を装った空き巣の竹本泰志にレイプされるシーンだけは、ネチっこくて良い。タオルで後ろ手に緊縛され、口には猿轡。尻を突き上げたポーズを強制され、胸ははだけられ揉みしだかれて、題名どおり「後ろから汚」される。その後、刃物で脅され騎乗位を強要されて、意思に反して腰を動かさざるをえず、ついに中出しされてしまう。空き巣が去った後にもがいて緊縛を解くが、股間から精液が滴り落ちる屈辱感が、我々の加虐的興奮をそそる。

でも、他の濡れ場がアヘアヘの一本調子だったから、ここが際立って見えただけなのかもしれない。この後、このレイプが@YOUのトラウマになってドラマを展開させるわけでもなく、彼女は平川直大に婚約指輪をプレゼントされて、至福のアヘアヘ濡れ場で終わるのである。まあ、その程度の凡ピンクということだ。

「ねっちり娘たち まん性白濁まみれ」 2009年公開
監督・荒木太郎  脚本・荒木太郎・三上紗恵子  主演・佐々木基子,里見瑤子

特に大事件が起こる訳ではなく、家族の日常を淡々と描いただけの映画だが、不況・リストラ・工場倒産など現代の世相を散りばめて、平凡に生きていることの良さをシミジミと感じさせる荒木太郎監督らしい佳作である。脚本は監督自身、共同脚本は三上紗恵子こと女優の淡島小鞠。本作品ではカメオ出演で山場もしっかりさらう。

野上正義は、不況で長い間経営していた工場を倒産させてしまう。妻の稲葉良子と静かに不遇を語り合う。相変わらず野上正義は、初老の男の哀愁を醸し出して見事だ。老夫婦の描写は全編にわたって、時に16ミリフィルムを用い、ノスタルジックな雰囲気を盛り上げる。子供たち二人には両親そろって引き取る経済的余裕はない。父の野上正義は東京の長男・荒木太郎(監督自らの出馬!)の家に、母の稲葉良子は大阪の長女・里見瑤子の家に、同居することになる。

おりしも荒木太郎は会社で事故を起こし、仕事は順調ではない。保険外交員で体まで使って荒稼ぎしている妻の佐々木基子に、養われているような状態だ。でも、苦しい時に助けてくれた妻には頭が上がらず、不倫も黙認だ。妻は義母の同居にはあからさまに不快の念を露わにする。娘の早乙女ルイが祖母になつき親しいのも気にいらない。さらに早乙女ルイは、祖母と出掛けることをカモフラージュに使い、彼氏とのSEXを楽しんでいたことまで判明し、ますます不快がつのる。引け目がある故にオドオドしている荒木太郎の夫、強気で奔放な佐々木基子の妻、佐々木基子の不倫濡れ場サービスも含めて、共に好演である。

娘の里見瑤子と同居した野上正義は、彼女の自堕落な生活に呆れかえる。掃除もせず食事はコンビニ弁当やカップ麺で済ませ、芝居の稽古と称して男を引き込みSEX三昧だ。そんな彼女の世話を何かと見ているのが、近くに住む純朴な青年の岡田智宏だ。弾けっ放しの里見瑤子、内気な若者が適役の岡田智宏、こちらも個性を活かした好演だ。

美術が良い。早乙女ルイの役名は「愛」、彼氏の名前は「誠」、二人の名前入りの提灯をあしらったファンタステッィクなデートの部屋がムードを出す。一方、里見瑤子が芝居の稽古と称して男と戯れる部屋は、アングラ風の空間だ。これらがリアルな日常空間に徹した荒木太郎家のリビングルームと対比をなして効果的である。

人間関係はギクシャクしたままで終わらない。荒木太郎は、ついにリストラされてしまう。そんな時、妻の佐々木基子は「前の事故だってあなたが人と変わってあげたからだけ、あなたは悪くないのよ」と、優しく慰める。でも、すべて優しくなった訳ではなく、義母の稲葉良子に対しては「老人ホームに行くのが幸せ」と主張しあくまでもクールなのが、程々の感じでよい。

娘の里見瑤子は、父の野上正義に告白する。一流大学を卒業して公務員になったのは、すべて父にとっての良い娘になりたかっただけで、それに疲れ今のような退廃した生活になったとのことだ。そして、下僕のように仕えていた岡田智宏の愛に気付く。

稲葉良子に東北の住み込みの仕事が決まる。野上正義と稲葉良子の老夫婦は、さらに遠く離れた別居生活になる。二人はこの機会に、新婚旅行と同じ東京巡りを計画する。東京巡りの二人の前に、サーカス風衣装の大道流しの淡島小鞠(脚本の三上紗恵子)が現れる。濡れ場もヌードも無いカメオ出演なのに、ホントにいいところをさらう。

流しの淡島小鞠の演奏に乗って、東京の街中で、野上正義と稲葉良子の老夫婦が、優雅にダンスステップを踏む。佐々木基子と荒木太郎の夫婦、岡田智宏の思慕に目覚めた里見瑤子、孫娘の早乙女ルイの濡れ場も交えて、ダンスに3組の濡れ場がカットバックされ、淡々と続いて生きてきた日常の素晴らしさが、ピンク映画でしかできない表現で、シミジミ感じさせてくれる大団円に至るのである。
2009年ピンク映画カタログ−24

10月25日(日)の「OL空手乳悶 奥まで突き入れて」をもって、今年度ピンク大賞の対象作品鑑賞が、25本に到達しました。これで今年も、参加資格をゲットしたわけです。

10月で参加資格ゲットとは、今年の上半期がかなりスローペースだっただけに、意外と速い到達だった。結果的にはこれまでの最速である。新作激減のピンク映画状況が、私にとっては逆によい方向に作用したようだ。とにかく最近は、いきあたりばったりに、時間があるから今日はピンクでも観るか、とPGを検索しても、都内上映20数本の中で新作が一本も上映されていないことも、珍しくないのである。都内でその状況だ。地方のピンク大賞参加者の苦労は、大変なものだと思う。いきおい、番組をこまめにチェックして、観られる時にどんどん観ておこうということになるのだ。

私的には、もう一つ画期的なことがある。昨年までは、映画雑誌編集部の方のご好意で、何本かは貸出してくれたビデオやDVDで、本数を稼いできた。「お蔵出し」と記してあるのが、それである。しかし、今年から諸般の情勢の変化で、そのルートは無くなった。いってみれば、今年が初めての自力更生・独り立ちによる到達なのである。

2009年10月25日(日) ●上野オークラ劇場
「熟女乱交 獣のあえぎ」 (旧題「熟女スワップ 獣のように」) 1994年公開
監督・脚本・珠瑠美  主演・珠瑠美,松下英美

監督・脚本・主演の三役を務める珠瑠美の、ワンマンショー映画である。珠瑠美は未亡人で、亡父の人形工房の後を引き継いでいる。その未亡人の乱交行状記だ。まずはタイトルバックは、男を買っての濡れ場である。次はレズ関係にある養女との濡れ場だ。店の番頭にも手をつける。昔の愛人に言い寄られ、その若妻に興味を持ち、スワッピングを持ちかける。珠瑠美をどうしてももう一度抱きたい一心で、昔の男も妻を説得する。珠瑠美は、自らも若い男を誘って、4人1室のスワッピングに名を借りて、若妻にレズを仕掛けていく。後は、男と女、女と女が入り乱れての乱交に至る。このラストには、浜野佐知の性のアナーキーと同一の感触も感じないではないが、浜野流に比べればはるかにインパクトが低く、それ程のものではない。珠瑠美が、自らのワンマンショーのために、いろいろなバリエーションの濡れ場を見せる方便で、ストーリー展開をしたといったところであろう。

「女サギ師 いんらん痴肉」 2005年公開
監督・小川欽也  脚本・水谷一二三  主演・中島あんな,島田香奈

ピンク映画なのに、女の登場人物が一人しかいない。でも、女優は中島あんな・島田香奈・林田ちなみの3人が出演する。どういうことかというと、女サギ師が整形して別人となっての逃亡記なのである。これは、なかなか面白いアイデアだったが、それが活きずに凡ピンクで終わった。

まず中島あんなが、ホームヘルパーとして登場する。骨折中でヘルプを受けている「なかみつせいじ」に頼まれ、性のサービスをしてやった後に、母親が重病で家計が苦しいと嘘話で泣きつき、通販の10万円での指輪を高級品と偽って、50万円で売りつけてしまう。他でも看護している老人の預金を無断で引き出したりして、それが会社に露見し、整形して別人になり済まし蒸発する。

ここからは島田香奈に変身する。伊豆のペンションで働くことになる。親の遺産としてペンションを引き継いでいた財産家の現主人・平川直大は、彼女に惚れこみ結婚を申し込む。島田香奈は、自己破産の弁護費用のために500万円の借金があり、結婚して迷惑をかけたくないと告げる。平川直大は、すべて清算して戻ってこいと、彼女に500万円を渡す。島田香奈は当然もどるわけもなく、平川直大は、近所の土産物屋の主人が、やはり100万円を彼女に取られたことを知り、初めて結婚詐欺に気付く。

 この手の映画は、まず詐欺の手口の巧妙さで楽しませるのが定番だが、以上述べてきたように、単純な偽物売付や結婚詐欺と、工夫に全く乏しい。特に、自己破産の弁護費用のための借金なんて、嘘にしても自己矛盾だらけである。脚本が安易で、折角のアイデアの魅力が、全く活かされていない。

島田香奈は林田ちなみに変身し国外逃亡して、久須美欽一演じる東南アジアの大富豪夫人に納まっているシーンで終わる。以上、三人一役で、3人の男との濡れ場がある。これに各女優の個性を活かした濡れ場のバリエーションでもあれば、それなりに魅せただろうが、すべて一本調子のアヘアヘ濡れ場ばかり。その観点からも凡ピンクであった。

「OL空手乳悶 奥まで突き入れて」 2009年公開
監督・脚本・国沢実  主演・成田愛,佐倉萌

三角関係のもつれから身を引いたそれぞれの男と女が、空手修行を通じて結ばれる。ベテラン国沢実監督(脚本も)作品らしいキチンとまとまった一編である。

女は成田愛。岡部尚のセフレがいる。同僚の空手を習っている久住みはるとは仲良しだ。ある日、痴漢に遭い、護身術として久住みはるから空手を習うのを勧められる。その後、岡部尚が、成田愛と久住みはるの二股をかけていたことが判明し、成田愛は憤然として岡部尚と別れる。

男は「なかみつせいじ」(この人、最近は大車輪の活躍です)。小さな空手の町道場を開いている。そんな彼があしげく通うのが、近所で佐倉萌が出している小さな居酒屋だ。「なかみつせいじ」と佐倉萌は、かつてもう一人の男を加えて三角関係にあったらしい。そして、その男は身を引いて去って行った。でも佐倉萌は、その男を忘れられないようだ。そんないきさつが、二人の会話の中に伺える。

成田愛は、夜の公園で二人の暴漢にレイプされそうになる。それを空手で撃退して救ったのが「なかみつせいじ」だ。成田愛は、ここで空手に興味が湧き、「なかみつせいじ」へ弟子入りを請う。佐倉萌への思慕もあり、「女は教えん!」と「なかみつせいじ」は一度は撥ねつけるが、その熱意に打たれ、渋々入門を許可する。そんんな時、突然に佐倉萌は、遠くの地に嫁ぐと「なかみつせいじ」に告げ、店を閉めて去っていく。

二人の暴漢は、しつこく成田愛をつけ狙っていた。彼女は拉致され、人質をネタに「なかみつせいじ」は呼び出されて拘束され、その眼前でレイプされる。怒りが爆発した「なかみつせいじ」は、ガムテープの拘束を引きちぎり、空手で二人をたたきのめす。彼と成田愛は師弟を越えた愛に気づいて結ばれる。

ただし、このクライマックスには、少々演出に乱れがあるように感じた。呼び出し電話の後のカットが、両手をガムテープで拘束された「なかみつせいじ」である。以前の強さはどうなったの?成田愛を人質に取られてるから、しょうがなかったのかなとも思う。でも、レイプが終わった後、怒髪天をついてガムテープを引きちぎり、暴漢二人を叩きのめしてしまう。レイプされた怒りがそこまで超人的にさせたのかとも思えるが、それならレイプ前にその力を発揮すればよかったのにとも思う。まあ、レイプシーンが無いとピンクとして成立しないと言われればそれまでだが、そこを釈然とさせなかったのは演出の問題だろう。

PG−Web−Siteの「ピンク映画作品データ」によると、「空手監修…なかみつせいじ」とある。「なかみつせいじ」と成田愛の空手ポーズは結構決まっていたが、「なかみつ」さん、そんな才能もあるんですね。
2009年ピンク映画カタログ−23

前回の「ピンク映画カタログ」で記した9月25日(金)新宿ゴールデン街の速水今日子さんの店で話題になったのが、その時に新宿国際名画座で封切公開中の、速水さん新作にして意欲作と聞く「熟女 淫らに乱れて」だった。残念ながら封切は見逃してしまった。その作品が、上野オークラ劇場で10月9日(金)〜15日(木)に上映されているのを発見した。

まずは併映作品をチェックする。Xces=新田栄作品の「トリプルレイプ 夜間高校の美教師」とあるから、例によっての新版改題再映作品と思っていたら、これが今年4月封切の新作なのである。この番組に行けば、一気に新作2本を稼げて、ピンク映画大賞対象鑑賞作は24本、参加資格25本に後1本と、完全に王手がかかるのである。これは是非とも馳せ参ぜねばなるまい。Xcesだろうが新田栄作品だろうが、何でも構わない。

と、実はXces=新田栄に失礼なことを言ってしまった。最近のXcesは、本数を絞りドラマ性を重視する方向に変質しつつあるとの噂は耳にはさんでいたが、「トリプルレイプ 夜間高校の美教師」は、今年を代表する1本といえる傑作であった。残る一本は渡邊元嗣監督の新版改題再映ブッ飛び映画で、タップリ堪能できた3本立だった。

2009年10月10日(土) ●上野オークラ劇場
「メイド専科 なま汁しぼり」(旧題「ラブホ・メイド 発射しちゃダメ」) 2006年公開
監督・渡邊元嗣  脚本・山崎浩治  主演・白瀬あいみ,瀬戸恵子

川瀬陽太がフロント係を務めるラブホテルは、老朽化で建て直しとなり明日で閉館になる。そんな彼に、一日でもいいから働かせてほしいと、白瀬あいみが現れる。登場する前に不思議な風が吹き、手にはラブ・ノートなるものを抱えており、何となく神秘的ムードが漂う。後1日しかないので、川瀬陽太は一度は断るが、白瀬あいみの色仕掛けを受けて結局採用する破目になる。同年公開の金子修介作品「デス・ノート」を早くもパクリ、渡邊元嗣=山崎浩治の監督・脚本コンビのブッ飛びぶりは、ここでも絶好調である。

ストーリーの骨子は単純で、瀬戸恵子=吉岡睦雄、華沢レモン=西岡秀記のダブル不倫を、白瀬あいみが書き込んだことは必ず叶うラブ・ノートを駆使して、元の鞘に戻すというお話だ。

西岡秀記は保険の勧誘員だが、成績が上がらずストレスでインポになってしまう。妻の瀬戸恵子はセックスレス夫婦になってしまったので、若いセフレの吉岡睦雄と不倫中である。吉岡睦雄は恋人の華沢レモンと倦怠期に入っており、それも不倫に走った理由だ。

ラブホで風俗嬢相手にインポを克服しようとした西岡秀記だったが、やはりダメで落ち込んでいるところに白瀬あいみが訪れ、ラブ・ノートでビンビンに勃たせてやる。瀬戸恵子と吉岡睦雄の不倫も倦怠期に陥っていたが、これもラブ・ノートでわくわくモードに誘導する。ビンビンに勃ってどうしようもなくなった西岡秀記には、欲求不満気味の華沢レモンをあてがう。そして、白瀬あいみは偽装火事騒ぎを巻き起こし、ダブル不倫を明るみに出して、「おあいこ」ということから瀬戸恵子=西岡秀記、華沢レモン=吉岡睦雄のカップルは元の鞘に無事に収まる。

 ただし、この顛末に至るのは、ラブ・ノートの存在であるというのはあまり効いていない。結局、白瀬あいみが、それぞれの前でエロっぽく挑発的にふるまい、3Pにまで挑んで、みんなをエッチな気分に盛り上げてしまっただけとの感が強い。その分だけブッ飛び感覚は希薄になった。

ここから先、ネタバレ!

白瀬あいみの活躍の数々を見ながら、フロント係の川瀬陽太は次第に彼女に惹かれていく。建て替わったホテルでまた働いてくれないかと、誘いをかける。それはできない、私は今日で消える、私はこのラブホの精だから、と告白する。私は沢山のエッチを見てきたが、最後の1日に人間になってエッチが楽しめてよかったと告げ、ラブノートを川瀬陽太に託して消える。「おまえはスケベなんだな」と言いつつ、新しいホテルでも精になって戻ってきてくれと、川瀬陽太は懇願する。

ディティールでも、洒落たブッ飛び感覚に溢れている。ラブホの名はレマン湖ホテルだが、最後に看板のレが脱落し、マン湖ホテルになってしまう。精の名前は美鈴だが、ラブホの精らしくない名前だなと問う川瀬陽太に対し、ラブホの前は旅館でその時の旅館名が美鈴だったのよと、白瀬あいみが答える。

川瀬陽太はラブ・ノートに何かを書き記す。てっきり、新しいホテルの精として白瀬あいみが再臨してくれることを願うのかと思いきや、書いたことは「世界中の美女とヤラしてくれ」だった。天に昇った白瀬あいみの精が、「やっばりあんたもスケベね」と微笑する落ちで終わる。以上、渡邊元嗣=山崎浩治の洒落っ気に溢れたブッ飛び感覚の一編でした。

「トリプルレイプ 夜間高校の美教師」 2009年公開
監督・新田栄  脚本・岡輝男  主演・中條美華,倖田李梨

冒頭にも記したが、私が小耳に挟んでいたXces変質の噂を、この作品で目の当たりに確認した。これは、今年のピンク映画大賞戦線を賑わす傑作の一本となろう。ベテラン新田栄と岡輝男の地力は、決して侮れないということだ。新田栄は、男女優順列組合せ・濡れ場方便ストーリー・ワンパターン激ピストンアヘアヘだけの映画作家ではなかった。(そちらもある意味での王道で、価値はないわけではないのだが)

骨子は山田洋次の「学校」である。でも、これは負け戦になっていない。一面では「学校」の綺麗ごとを越えるピンクならではの人間表現に至っている。

夜間高校の話だ。卒業試験の教室に立ち会っている夜間高校の女教師・中條美華の回想で幕を開ける。1年前、彼女は進学校で有名な私立高校の模範教師だった。しかし、同僚の丘尚輝との不倫が墓穴を掘る。表向きは彼女のキャリアアップのため、本当の理由は不倫の噂のほとぼりをさますために、1年間の定時制高校への異動を命じられる。こうして映画は、現在の卒業試験風景に、過去1年の回想を挟みながら展開していく。

 最初は、定時制高校の学力レベルの低さにウンザリするが、次第に社会の底辺の真実に目覚めていく。誰も答えられない数学の問題に、「○○の公式を使いなさい」と言うと、初老の生徒「なかみつせいじ」に「○○の公式って何ですか」と質問される。唖然とした彼女は、「中学を卒業したんでしょ」と切り返す。すると、運送会社で働く生徒から、「ここに来てるのは、中学を卒業したんじゃない、無理やり卒業させられた者が来ているんだ」と反発される。こうして、だんだんと、彼女は綺麗事の世界から、厳しい現実にさらされていく。

ストーリーは山田洋次の「学校」同様に、個々の生徒の環境をオムニバス的に繋げていくことで展開する。最初は、前項で紹介した運送会社に勤める生徒の話である。彼は、ある時から学校に来なくなる。心配して中條美華は勤務先を訪ねる。同僚が事故を起こし、その分を残業しているから、学校には行けないという。実は同僚は新婚で妻子がおり、そのために残業稼ぎで過労して、事故を起こしたのだ。彼は同僚を援助するために残業をして、残業代を渡していたのだ。中條美華は、彼の荷物運びを手伝い協力して、学校に復帰させる。彼も恋人の藍山みなみと結婚して幸福になるが、頑張って学業は続けるという。貧しい者同志の助け合いの心と恋愛に、教師の中條美華は胸を打たれる。

次のクローズアップされる生徒は倖田李梨だ。彼女はクラブで働いているが、何度も男にだまされ貯めた金を貢いでは捨てられていた。保健室で睡眠薬自殺を図ったところを、中條美華の教師が救う。親身に話を聞いてやり、今度お店で一緒に飲みましょうねと励ます。ここでもまた一つ、中條美華は底辺の人生の一つの真実に出会う。

次は冒頭にさり気なく存在していた初老の生徒「なかみつせいじ」が、クローズアップされる。こういうさり気ない伏線の張り方もうまい。彼は男手一つで息子を育てたが、生活に追われ漢字も満足に書けず文盲に近いほど無学だった。息子は父を軽蔑し家を去り、今は行方も判らない。その息子が、最近週刊誌に取り上げられ、成功者となったことが判明する。すぐにでも連絡を取りたいが、自分が漢字の入った立派な手紙が書けるようになったら、手紙で連絡を取ろうと決意し、そのための夜間高校入学だったのだ。(こういう者でも「義務教育」の中学を、無理やり卒業させてしまうのが現実である)

初老の「なかみつせいじ」と、不幸な女の倖田李梨はいつか惹かれあう。保健室で情事に至る。初老の男に父のような包容力を感じたのだろうか。

画面は現在の卒業試験中の教室にもどる。持病が悪化して長期欠席となった「なかみつせいじ」の机は空席だ。試験が終わり、倖田李梨が教師の中條美華に、彼の見舞に行くことを告げる。入れ替わりに若い男が中條美華を訪ねてくる。漢字入りの達筆な「なかみつせいじ」の手紙を携えていた。「おかげさまで父の死に目に会えました。ありがとうございました」と彼女に告げる。見舞に向かった下校したばかりの倖田李梨を中條美華が追う。いい話である。原型は山田洋次「学校」の田中邦衛が演じた「イノさん」だろうが、それ以上に生々しく悲しい存在であった。

この後、映画はピンク映画らしい怒涛のクライマックスを迎える。運送会社の生徒の仲間には、鑑別所から出所したばかりの二人の仲間がいた。二人は、共犯だった彼の犠牲になって鑑別所送りになった過去がある。その見返りに、女教師集団レイプの手引きをしろと迫る。妻の藍山みなみへの毒牙を避けるためには、彼も承知せざるをえない。

覆面の三人男が教室へ乱入し、中條美華への集団レイプが開始される。その中の一人は積極的でなく、他の二人に強要されて上にのしかかってきた時の悲しい眼で、運送会社の生徒であることを、中條美華は悟ったようである。

 1年が終わるが、中條美華は虚飾に満ちた進学高に戻ることを拒否し、不倫相手の丘尚輝とも決別し、人生の真実に満ち溢れている定時制高校で生き抜くことを決意する。集団レイプにまで遭ったのに、唐突過ぎる感もないが、レイプの時の運送会社の生徒との、悲しい視線のやり取りの中で、それも含めてすべてを悟ったのだろう。そう感じさせるだけの、説得力ある演出であったのも間違いない。見事である。

 強いて難を言えば、全体的に主演・中條美華が、若干主演女優としての華に欠けていたことではなかろうか。

 濡れ場は4回ある。最初は中條美華と同僚の教師の丘尚輝との不倫。男関係に未熟な中條美華に、やり手の丘尚輝がいやらしく迫るという展開である。次は運送会社の生徒と恋人の藍山みなみとの濡れ場、初々しい恋人同士が恥じらいながら静かに静かに燃え上がっていく経過が、丹念に描かれる。次が倖田李梨と「なかみつせいじ」との親子ほど歳の離れた二人の濡れ場。「保健室でこんなことするなんて、昔の不良だった頃みたいだよ」「懐かしくもう一度不良になりましょう」そんな味のあるやりとりがある。そして最後は激しい集団レイプだ。

この濡れ場のバリエーションの素晴らしさは、この映画がピンク映画としてのエンタテインメント性においてもも、十分高い水準にあることを示している。すべての濡れ場が、ワンパターン激ピストンアヘアヘだったと思っていた新田栄監督、やればできるじゃないか、といった感じである。少なくともこの映画に関しては、深町章・池島ゆたかに匹敵する練達の職人技であった。

いや、それもかなり失礼な言い方なのかも知れない。ベテラン新田栄は、もともと練達の職人であり、やれば何でもできるのではないか。ただ、観客の要請に応えて、男女優順列組合せ・濡れ場方便ストーリー・ワンパターン激ピストンアヘアヘ映画作家に徹していたのではないか。確かに、60分間、最初から最後まで観て初めて面白さが分かることをピンク映画に求めている客は、決して主流ではない。上野の出張待ち時間調整や新橋の外勤息抜きのサラリーマンにとっては、映画館の椅子に座ったら「早く始めろ〜!」の心境だろうし、始まったらワンパターン激ピストンアヘアでいいのである。そんな濡れ場を何回か楽しんで、映画を途中から見て途中で退場する。そうした見方にとっては、どこから切ってもワンパターン激ピストンアヘアの金太郎飴的映画が望ましいのだ。新田栄は、その意味では練達の職人なのかもしれない。

全然関係ないことを引き合いに出す。プロレスラー三沢光晴がリング上で不慮の死を遂げた。故人を悪く言わないという慣習があるにしても、レスラー三沢の評価は上がる一方だ。その中に二代目タイガーマスク時代の、こんな話があった。二代目タイガーマスクは、初代があまりにも鮮烈だっただけに、どう頑張っても初代コピーはまぬがれず、あまり評判は芳しくない。しかし、初代からこんな意味の発言があった。「三沢さんは凄いですよ。私のコピーをやってみせたんですから。私はタイガーマスクはできても、素顔になった三沢光晴プロレスのコピーはできません」

新田栄は、深町章や池島ゆたかに肩を並べる練達の職人芸を、見せることはできる。しかし、深町章や池島ゆたかに、ある種の客層に応えられる金太郎飴映画は創れるだろうか。池島作品の「未亡人民宿 美熟乳しっぽり」あたりがそれに相当するのだろうが、こと金太郎飴映画という次元では、足下にも及ばないような気がするのである。でも願わくば、今後の新田栄には、もう金太郎飴映画はやめて、こちらの方面での王道にして練達の職人芸を見せ続けてほしいものだ。ピンク映画は、まだまだ面白くなるぞ!

「熟女 淫らに乱れて」 2009年公開
監督・鎮西尚一  脚本・尾上史高  主演・速水今日子,ほたる

意欲作であり異色作である。監督の鎮西尚一は、私としてはあまり聞かない名前なので、新人かと思っていたら、日本映画データベースによると1987年に監督デビューしている。私が不明なだけだった。ベテラン復活といったところだろうか。

二組の夫婦の日常が、さしたる事件もドラマチックな展開もなく、淡々と描かれる。ピンク映画だから濡れ場もないではないが、それは夫婦の営みとしてあるがままにあるように描かれているだけである。よく、これでピンクとして成立するよなあ、とも思える。風の便りに聞くと、国映の朝倉大介社長は、自由に撮らせることで有名だそうだ。そういえば、今年の全くエロくない坂本礼監督の「いくつになってもやりたい不倫」も、国映の朝倉大介社長の企画であった。こういう人がいるのは、ピンク映画の幅を拡げて嬉しい限りである。

一組目の夫婦は速水今日子と伊藤猛。伊藤猛はアルコール依存症で会社も解雇された。妻の速水今日子は息子を連れて沼津の実家に帰り、今は別居中である。伊藤猛ハローワークに通ってもはかばかしくなく、依存症の方も完全に断ち切れない。

二組目の夫婦(と映画を観て私は思ったが、PG−Web−Siteの映画紹介によると同棲のようである)は、「ほたる」と守屋文雄である。「ほたる」はかつて伊藤猛と同じ会社にいて、速水今日子とも友人関係にある。以前は伊藤猛とも関係があったようなのだが、そのへんは明確に説明されない。明解な説明がなく、すべて行間を読ませるような味わい深い描写は、全編に共通している。

速水今日子は、夫の伊藤猛に愛想をつかし、沼津の実家から離婚届を送りつける。同時に伊藤猛が現在住んでいる東京のアパートも解約してしまう。伊藤猛はホームレスに転落する。昔馴染みの「ほたる」は、若干の金を伊藤猛に握らせたりして、助けたりもする。

川岸で栄養失調から生き倒れになっている伊藤猛を、「ほたる」は病院に連れて行き、一時家に引き取る。「ほたる」と同棲相手の守屋文雄に、職を紹介され、アルコール依存症を克服して、伊藤猛は再出発の決意をするに至る。別に「ほたる」と伊藤猛の間に、焼けぼっくいに火がつくようなドラマチックな展開があるわけではない。(そもそも「ほたる」と伊藤猛の間に焼けぼっくいになるような過去があったか否かも、行間で類推するだけである)再出発を決意した伊藤猛は、離婚届に署名捺印して、沼津の妻のもとに向かう。

沼津の実家に引きこもった妻の速水今日子の方にも、ドラマチックな話があるわけではない。彼女はホームヘルパーの仕事で自立している。自宅訪問で介護されるヘルパー先の老女が、往年のピンク黎明期のスター(「007は2度死ぬ」でボンド・ガールの候補としても名前が囁かれた)内田高子である。別にドラマの本筋とからむわけではないが、その認知症演技は、実家で淡々と自立の道を歩む速水今日子の生活描写に、大きな膨らみを与えている。内田高子は、一部では今年の女優賞の声も上がっているようだ。ピンク大賞だから濡れ場なしではまずいというなら、特別賞でもいいかもしれない。

強いてドラマチックな要素をあげるとすれば、一つだけある。伊藤猛が仕事場で守屋文雄に、以前「ほたる」からもらった金を彼女に返してくれと頼むと、守屋文雄は自分で返せと断るところである。ところが、伊藤猛は結局「ほたる」に返すことなく、その金でホテトル嬢の立木ゆりあを買う。守屋文雄が、依頼を拒絶した微妙な心の綾、その金でホテトル嬢を買ってしまう伊藤猛の心の襞、すべては説明のない行間の向こうに深い深い人間心理の深淵を感じさせる。

映画では、それ以上の何事も起こらない。沼津の速水今日子の勤め先の内田高子の家を訪ねた「ほたる」は、掃除などを手伝いながら、「老後はこんな静かな場所に住みたいわね」「そうね」と、所在なげの会話を交わす。背後には、内田高子のすべてを超越したかのような微笑みがある。一方、離婚届をかつての妻の速水今日子に託した伊藤猛は、これも沼津の海岸を所在なげに歩んでいる。すべて世はこともなし、という感じでエンドマークとなる。

伊藤猛のホームレス時代に話相手になるのが、川岸で釣り糸を垂らしている老人で、演じるのが映画監督の沖島勳、これもドラマにからむこともないどうということのない役なのだが、佇まいに味わいがある。このように、この映画は、すべてにわたって寡黙で説明しない。でも、人間観察の深さ、人の心の奥の奥を、行間から読み取らせて余りある。最近で言えば西川美和監督作品に通じる味わいの映画と言うべきだろうか。

いずれにしても、これも今年のピンク映画大賞を賑わす一本と言って、まちがいないであろう。
2009年ピンク映画カタログ−22

9月18日(金)に上野オークラ劇場で渡邊元嗣監督の新作「異常交尾 よろめく色情臭」が封切になった。併映をチェックしたら、これが1月早々に封切られ、私が未見の友松直之の注目作「老人とラブドール 私が初潮になった時」ではないか。残る一本の新田栄の新版改題再映作「熟れ頃教師 濡れすぎたパンティ」はどうでもいいとして(失礼!こういうある種のピンク正統派も必要です)、これはかなりおいしい番組である。一度で今年のピンク大賞の対照作品を2本ゲットできる近来まれな効率性だ。これで今年は一気に22本に本数を伸ばし、参加資格の25本までに、やや王手がかかった。

「異常交尾 よろめく色情臭」はヴァンパイア物である。「老人とラブドール 私が初潮になった時」の方はセクソロイド物だ。いわばSF大会2本立、それに加えて新田王道ピンク、堪能できる3本立であった。

2009年9月21日(月) ●上野オークラ劇場
「熟れ頃教師 濡れすぎたパンティ」 (旧題「発情教師 すけべまるだし」) 1996年公開
監督・新田栄  脚本・岡輝男  主演・田口あゆみ,竹村祐佳

主人公の田口あゆみは音楽教師で、夫も教師である。これが糞真面目なだけの男で、SEXは子孫繁栄のためにだけあると思っている。田口あゆみは不妊症なので、あまり彼女とSEXする気を起こさず、いわばセックスレス夫婦だ。

 欲求不満の田口あゆみは、校内でも男の臭いを嗅いだだけでムラムラし、トイレでオナニーに狂う。レイプ被害に遭い登校拒否になった高野ゆかりを自宅に招き、ピアノの指導をしながら、何とか回復させようとする。高野ゆかりは先生にレズ的好意を抱いており、二人は体を重ねる。

教え子に、ヴァイオリン演奏に強い興味を持っている男子生徒がいる。しかし、彼の母親の竹村祐佳は、息子を医学部に進学させ医者にしようと考えており、その生徒は板挟みで悩んでいる。しかも、母の息子への愛は異常で、母子相姦の関係にまで至っている。田口あゆみは、彼も自宅に招いてヴァイオリン指導をしながら、これも結局食べてしまう。

こうやってストーリーを紹介するだけでウンザリしてくる。濡れ場の方便でストーリーが転がるだけのしろものである。

実は男子生徒の真の父親は、高名なヴァイオリニストであり、音楽のために竹村祐佳の母子を捨てていったのだった。だから、彼女は音楽に拒否反応があったのだ。最後は、父親のヴァイオリニストが援助して息子をヨーロッパに留学させ、メデタシメデタシとなる。田口あゆみは、不妊治療を決意し、その結果、夫妻はセックスレスでなくなり、彼女の欲求不満も解消して、こちらもメデタシメデタシとなる。といったあたりが落ちらしい落ちだが、どうでもいい展開でもある。

本作は、新田栄映画には珍しくXcesならぬ新東宝作品であるが、いつもの新田調と全く変わることはなかった。

「老人とラブドール 私が初潮になった時…」 2009年公開
監督・友松直之  脚本・大河原ちさと  主演・吉沢明歩,鈴木杏里

一方、こちらはXces作品だが、全くXces調が無く、個性的ないつもの友松直之映画のまんま。あまり製作会社は関係なく監督次第ということか、あるいは最近ドラマ性を重視し始めたXcesの流れの一つということだろうか。

話の骨子には、三つの流れがある。一つは長年馴染んでいた吉沢明歩演じるメイドロイドのマリアと野上正義の老人の話だ。アンドロイド技術が進化して、メイドロイドにもセクソイド機能を付加できるようになる。しかし、それはプログラムの入れ替えにもなり、メイドロイドとしての記憶がコピーされるにせよ、老人にとってはマリアの死なので、それはできない。セクソロイド機能を有しないマリアが、手で奉仕する老人との関係が切ない。やがて、リニューアルを拒否し続けた果てに、バッテリーが製造中止になり、マリアは動きを停止する。人形のようになったマリアを溺愛しつつ、バッテリーの在庫を、老人は狂おしく探し続ける。ベテラン野上正義が老人の哀愁を見事に表現し、端正なフェースの吉沢明歩は、メイドロイドの無機質な美しさがよく似あう。特に電池切れになり人形のように静止したままのメイドロイドの佇まいは絶品だ。

二つめの話の流れは、セクソイド型としてどんどん進化する吉沢明歩のアンドロイドに、のめり込み続ける男達の話である。アンドロイドの性感進化で、デフォルメされつくした濡れ場が魅せる。サービスカットではあるが、生身の女に正面から向き合えなくなった現代の若者の荒廃が、さりげなく示される。

そんな現代の男の情けなさを、ワイドショーで糾弾するのが、里見瑤子と山口真里だ。(今回を持って「御贔屓里見瑤子嬢」の連続7文字を封印することにいたします。それについては別項にて記します)カメオ出演的ではあるが、深夜の街頭で謎の怪物にレイプされるという濡れ場もある。怪物はアンドロイドの進化型らしい。しかし、アンドロイドが人間を襲うということは、原則的にありえない。SF作家アイザック・アシモフの「ロボット3原則」が、もっともらしく引用される趣向も楽しい。

女刑事の鈴木杏里の捜査で、驚くべき真実が浮き上がる。かつて女性達の間にブームとなった機械バター犬のアイブというのがあった。安価なので気軽に愛用され、飽きると簡単に捨てられた。野良バター犬群は、生き残るために合体して怪物に進化した。女性は潜在的には、淫らでアイブの愛撫を期待していた。人間の求めに応じて奉仕するロボット3原則に、結果として怪物は忠実だったということだ。男だけではなく、女も生身の男にきちんと向き合えぬまでに荒廃していたということである。やや大袈裟に言えば、潜在意識の暴走が人類を危機に陥れる「禁断の惑星」のテーマ「イドの怪物」に通底する。

 野上正義の老人は、旧型メイドロイド仕様のバッテリー調達に、やっと成功する。宅配便が老人宅を訪れる。しかし、家の中には老人もメイドロイドもいない。空家のようだ。すべては、すでに死んでいる老人の亡霊の幻想が、現実を動かしてバッテリーを届けさせたということなのだろうか。これは、本格SFというよりは、友松直之流の虚実皮膜で、現代の荒廃を描いた一編と言えるだろう。

「異常交尾 よろめく色情臭」 2009年公開
監督・渡邊元嗣  脚本・山崎浩治  主演・鮎川なお,真田ゆかり

ブッ飛び感覚が魅力の渡邊元嗣=山崎浩治の監督・脚本コンビだが、今回はオーソドックスに不死のヴァンパイアが有するある種の切なさを、真っ向から描き切る。

鮎川なおと真田ゆかりは、ヴァンパイアの姉妹である。血を栄養素として、永遠の生命を得ている。二人のアジトのマネキンが乱立する部屋の美術は、照明効果も相まって、低予算ながら妖しい雰囲気を醸し出して、効果的である。

同じヴァンバイアでも、姉妹の生き方は対照的だ。姉の真田ゆかりは、エクスタシーに達した男の血が最も美味に感じる本能に忠実に、次々と男を誘惑しては、絶頂の果てに血を吸いつくし、男たちをヴァンパイアにしていく。妹の鮎川なおは、100年ほど前に柳之内たくまに恋をしたが、愛する人を例え不死であるにせよ怪物のヴァンパイアにしてしまうことができず、彼の前から姿を消す。その心の傷から、人の血を吸うことができなくなり、ヴァンパイヤにとっては不味い動物の血を飲んで、誤魔化しながら不死の命を永らえている。

ある日、かつて愛した柳之内たくまに瓜二つの男(柳之内たくま二役)に出会う。再び恋の情熱が燃え盛るが、彼の祖父はかつて愛した男だった。今度こそお互いにヴァンパイアになって、永遠の愛を生きようと呼びかけ、男も一度はその気になるが、ヴァンパイアになる恐怖から、最後は身を引いてしまう。腕を傷つけ自分の血を薬瓶に注ぎ、気が変わったら飲んでくださいと柳之内たくまに託して、去っていく鮎川なおの女の未練が切ない。

姉妹にヴァンパイア・ハンターの山口真里の手が迫る。激しく抵抗しながら、ついに仕留められてしまう姉の真田ゆかり。愛する男の拒絶に会い、もはや不死の価値がどこにもないことを悟った妹の鮎川なおは、求めて山口真里の手にかかるべく、体を投げ出していく。永遠の命を有したヴァンパイアの栄光と悲哀を、巧みに描き切った一編であった。


番外 2009年9月12日(土) ●池の上シネマボカン
演劇「小鳥の水浴」  演出・田辺日太
主演・SATOMI(里見瑤子),三上哲

行ってきました!またまた「御贔屓里見瑤子嬢」のお芝居。会場の「池の上シネマボカン」は、芝居がはねた後はそのままバーになり、関係者と酒席で懇親できるのがたまらない。この回は「OKACINEMA」で公開された瑤子嬢主演作品「ピンクノイズ」の宮野真一監督も観劇に来ていた。「ピンクノイズ」というタイトルで誤解を招くが、これはヌードとも濡れ場とも無縁で、ピンクのクレヨンにこだわる女流画家を描いたファンタジーである。アニメーションも入る楽しい一編で、当日はそのアニメ関係スタッフも来場していて、里見瑤子嬢を囲んでの楽しい酒席であった。

さて、最初に芝居のことはまず別にして、私の「御贔屓里見瑤子嬢」と呼ぶことへの卒業宣言を、以下に記すことにしたい。「平成人魚伝説」(公開題名「痴漢家政婦 すけべなエプロン」)で、2000年に初めて「御贔屓里見瑤子嬢」に遭遇し、そこでの金魚の妖精に目を瞠ったが、その後、戦前の薄倖な美少女の亡霊・ニューハーフ・全共斗女闘志・セーラー服の高校生・処女の未練を残して早逝した美女と、多士済々にスクリーンを躍動した。そこでの彼女は、年齢不詳・性別不詳、いやこの娘、ホントに人間なんだろか?とすら思えた。「御贔屓里見瑤子嬢」とでも、浮世離れした形容でもしなければ、とても座りが悪く思えたのだ。

彼女は、永遠に年齢不詳・性別不詳の宇宙人であり続けるだろうと思っていた。例えば、永遠に童顔のままだった(惜しくも急逝してしまったが)林由美香さんのような存在で、あり続けると思っていた。しかし、最近は微妙に変質してきた。監督などのキャスティングの影響もあるのだろうが、熟女の魅力へと少しづつ舵を切りはじめたように見えるのである。林由美香さんのような存在ではなく、女優としての年輪を重ねて演技派として成長していく存在、葉月蛍・佐々木麻由子・佐々木ユメカ・吉行由美のようになっていきそうな気がするのだ。もちろん、そうなっても私の「御贔屓」であることには変わらないが、少なくとも「御贔屓里見瑤子嬢」という浮世離れした呼び方は、もう相応しくないだろう。「一女優」里見瑤子として、今後は成長を見届けたいと思う。

さて、お芝居「小鳥の水浴」である。これはレナード・メルフィ作の、男女の二人芝居である。AプロからFプロまで、男優・女優のコンビが6番組あり、私の観たSATOMI(里見瑤子)=三上哲コンビはAプロ番組である。ストーリーをチラシから引用すると
「1974年ニューヨークの片隅で夢を追う詩人を目指す男が出会った。どこか不思議な女ヴェルマ。夜、街中にしゃがみ込んでいる彼女を男は自宅へ招きいれ…」
 という一編である。

Aプロの三上哲は、なかなかのイケメンで、「夢を追う詩人」の雰囲気をよく出していた。ちなみにDプロとEプロではこの役を日高ゆりあと若葉薫子を相手役に、かわさきひろゆきが演じている。失礼ながら、かわさきさんの「夢を追う詩人」って、あんまりピンと来ないなあなんて思ったが、このプログラムも観劇した方の話を耳にしたら、なかなかの好演だったそうだ。さすが、役者!といったところだろうか。

これを日本のお話に翻案して映画化したのが、「池島ゆたか監督作品100本記念映画」の「半熟売春 糸ひく愛汁」である。つまり、不思議な女ヴェルマは、鬼のような母親に「グズ!ブス!」とののしられ、売春まで強要されて、母殺しに至り逃げてきた女なのだ。映画は時制を錯綜させて、薄皮を剥がすように真実をあぶり出していくが、お芝居の方はラストに衝撃的に、女の真実として明かされる構成である。

正直言って、これはSATOMI(里見瑤子)さんにとって、私には究極のミスキャスト、完全な負け戦としか思えなかった。はっきりいってグズのブスに見えないのである。だから、ラストの衝撃が、衝撃にならない。映画の場合は佐々木麻由子が派手で激しい美貌の鬼母ぶりが出てくるので、その対比のうえで何とかなるだろうが(映画における娘役は日高ゆりあ)、二人の芝居のみで鬼母の存在を想像力で補わさせるしかない舞台では、かなり苦しい。いや、仮に鬼母が舞台に出て来ても、やっぱり里見瑤子さんでは苦しかったと思う。

ブスを演じるのに、必ずしも本当にブスである必要はない。映画版の日高ゆりあとか、あるいは例えば藍山みなみ・淡島小毬といった女優ならば、決してブスではないにしても、ブスだと言われるとブスに見えるのだ。しかし、里見さんは決してブスに見えない。これは、何だろう。私にもよく分からない。里見さんの視線の強さだろうか。こんな私の感想は、里見さんを困惑させるだけで、
「そうですか。眼鏡かけたらいいのかしら」
なんて考え込まれてしまった。いや、そんなレベルの話じゃないんだなあ。やっぱり、スターとしてのオーラの有無なのかもしれない。

後日、他のピンク映画大賞投票者の人と、この件で話をした。その人は
「顔の輪郭じゃないんですか。日高ゆりあ・藍山みなみ・淡島小毬って、丸顔ですよね。里見瑤子の場合は顎の線が鋭角でしょう。そういう意味で言えば、佐々木麻由子も、絶対にブスに見せられないんじゃないんですか」 とのことだった。

池の上シネマボカンの酒席の最後では、アラン・ドロンとジャン・ポール・ベルモンドの例を出したりもした。ドロンとベルモンドの演技力について、私は世評ほどは差があると思えず、五分五分に近いと思っている。しかし、一般的には演技派ベルモンドに対して、イケメンのドロンは所詮は美男ぶりが勝負と決めつけられていた。ドロンはベルモンドに対して、逆コンプレックスを抱いていたとも聞く。里見瑤子さんがブスに見えないのは、このあたりとも通底する部分があるのではないか。もっとも、里見さんを始めとして、この日酒席を共にした人達は、私よりはるか下の世代で、ドロンやベルモンドを全く知らない人も少なくなかった。ここでは比較的、ベルモンドの方が知名度が高かった。当時は誰知らぬ人のない大スターのドロンと、比較的に渋い映画通のみが知るといった感じのベルモンドとの、知名度の逆転は興味深かった。

いずれにしても、里見瑤子さんを無用に悩ましてしまったような気がする。結構、無神経で残酷な発言だったかもしれない。

2009年9月25日(金) ●東映ラボ・テック
「人妻教師 レイプ揉みしだく」 2010年公開(予定)
監督・脚本・清水大敬  主演・艶堂しほり,桜田さくら

私のエキストラ出演作品であり、初号試写を観させていただいた。ところが、何と!キャストに「周磨要」を含めて、エキストラとして参集した5人全員がクレジットされているのである。一応、弁当付きで少額ながら日当(ギャラ)もいただいているということで、「俳優」と名乗らしていただく条件は満たしている。そういえば平成19年10月6日(土)の「映画三昧日記」に記したが、社会人劇団「マイストーリー」の舞台にも立ったことだし、ウム、今後は「俳優」も名乗ってみるか、なんて、心の中でハシャいだりしていた。

この映画出演の呼びかけは、6月の「ピンク映画大賞」打ち上げで面識を得た投票者の生方哲さんからだった。夜間高校の生徒役であるという。夜間高校ならこんなオッサンでも問題ないだろうが、一つ気になることがあったので問い合わせた。「湯布院映画祭日記」でも記したが、私は6月末に嘱託契約期間が満了になり、7月からお堅い大企業の組織人の時にはできなかった口髭を伸ばしはじめたのである。その件を伝えたら、ひとりくらいそういう夜間高校生がいてもいいということで、参加の運びとなった。

撮影は9月2日(水)阿佐ヶ谷のスタジオ、午後から20時頃までとのことだったが、一般に映画撮影というのはスケジュールが押すもので、結局終電車ギリギリまでに至った。夜間高校は生徒9名の教室である。少ないと感じるかもしれないが、山田洋次の「学校」を観てもわかるように、その程度で遜色のない画面になるのである。9人のうち、台詞ありでキャスティングされているのは3人、残りの5人が当初エキストラということで参集したのである。生方さんを始めとして、「ピンク映画大賞」投票者の鎌田一利さん、中村勝則さんと、馴染みの顔ばかりであった。

新学期、夏季講習、学園祭と、季節を替えての教室風景が順次撮影されていく。あらかじめ各自で準備した季節毎の衣装を着替えて、参加するが、教室の席は固定しており、かなりハッキリと顔も映るので、クレジットに出ても違和感が無いとは言える。台詞は無いが、「次は体育か、忙しいな」とか、学園祭の演し物が決まった時に「エーッ、凄い、楽しみだ」とかの、いわゆる「ガヤ」はある。ただし、アフレコなので、声は別人である。初号試写後の打上げの席の清水大敬監督によれば、本当は声もお願いしたかったけど、また1日来てもらうわけにはいかないものね、とのことだった。キャスト・スタッフが声を替えて、総出でアフレコをしたそうだ。

撮影参加に先立ち、学園祭のシーンがあるので蝶ネクタイがある方は持参して下さい、との連絡があった。私は「蛙の会」などで使っている蝶ネクタイ3本を携えていった。スタジオにも小道具の蝶ネクタイが準備してあったが、私の赤い大きな蝶ネクタイが監督の目に止まり、それつけて下さいとのことになった。「蛙の会」の舞台に次いで、我が娘手造りの蝶ネクタイが、スクリーンデビューを飾ったのである。

ピンク映画のエキストラ出演としては、「痴漢電車 いい指濡れ気分」の電車乗客役に次いで2度目だが、こちらの方はだいぶ感じが違った。まず、痴漢現場に気付かないで背を向けて囲んでいる客なのだから、顔はほとんど映らない。初号試写を観ても、当日着ていたブラウスやシャツで、自分と判別できる程度だ。今回は、9人の生徒の一人なのだから、何度も明確に顔が映る。「痴漢電車」の撮影の方は、背後で痴漢が演じられているのだから、明らかにピンク映画!っていう感じである。ところが、今回は我々の出番の教室の中では、濡れ場やレイプがあるわけではない。そういう意味では一般映画、それこそ山田洋次の「学校」あたりに出演しているのと、全く変わらなかったのだ。

さて、映画そのものの話に移ろう。「人妻教師 レイプ揉みしだく」は、ベテラン清水大敬らしく善悪対立が明確に対比されたピンク流エンタテインメントであった。善玉は、夜間高校の女教師・艶堂しほり、その夫の小説家・なかみつせいじ、夜間高校の女子生徒の桜田さくら、大学進学を目指す若い社会人の生徒の、4人である。悪玉は、夜間高校の経理を誤魔化してキャバクラ遊びに入れあげている悪徳教頭、そのキャバクラのママ、悪徳編集者でこれは俳優出身の清水大敬監督自ら演じる。その用心棒みたいな男の、以上4人である。教頭と編集者はキャバクラの客繋がりで、顔馴染みだ。

桜田さくらは、難病の母を抱え、生活のためにキャバクラにも努めている。その弱みにつけこみ、しばしばセクハラ行為に及ぶのが汚職教頭である。艶堂しほりの女教師は、そんな彼女に奨学資金を紹介したりして励ます。

艶堂しほりの夫のなかみつせいじは、芽の出ない小説家だ。清水大敬の悪徳編集者に、自作を盗作されてしまった過去を持つ。抗議に赴くが、逆ギレされ、コップの水を顔に浴びせられ罵倒されて、絶望のあまり自殺してしまう。後で考えると、この程度で自殺に至るのは唐突に見えるのだが、清水監督自身の憎々しい悪ぶりと、いかにも気弱ななかみつせいじが、電車が通過する踏切で絶叫する描写で、何となく納得させてしまうのは、さすかベテラン監督の職人技だ。

しかし、この後亡夫に線香をあげに来た優等生の男子生徒と、夫の幻想を見て引き摺られたとはいえ仏壇の前で艶堂しほりが、彼とペッティングに至るのは、さすがに無理がありやり過ぎだ。監督自身も打ち上げの酒席で、「まあね、ピンクだからね」と苦笑気味であった。

艶堂しほりは教頭の汚職の証拠書類をつかむ。悪党側は対抗策を練る。夜の教室で、艶堂しほりと桜田さくらをレイプし、脅迫のネタ写真を撮り、その後に昏倒させ裸にした大学進学志望の優等生の男子生徒を、艶堂しほりと重ねておくことにする。口封じになるし、仮に彼女が汚職を告発したところで、そんな淫乱教師の言うことには誰も耳を貸さないだろうとの手筈である。

この後は、アレヨアレヨの戸惑いの展開になる。レイプが完了した後、突然教頭は狂ったように、これはもうみんな殺すしかない!と叫びだす。何でそうなるの、その方が後始末がややこしくなるじゃないと、疑問が出てくる。この子達だけは卒業させてあげて!と、涙を浮かべ体当たりで艶堂しほりが哀願する。その熱意に、悪党共も一瞬引いたかに見えるが、突然カットが代わり「1年後」のタイトルになる。

身重の艶堂しほりと大学生となった元生徒が、公園で楽しそうに語らっている。二人は結婚したのである。そこへ、やはり大学生となった桜田さくらが来る。思い出話をした後、「同窓会が楽しみね」と去って行く。我々も映っている学園祭のシーンが、再度カットバックされ、エンドマークとなる。???である。

身重って、レイプされたのに、誰の子か分からんじゃない、とまず思う。ただ、この映画の濡れ場・レイプは、清水大敬監督の個性なのか、ほとんど顔射なのだ。なるほど、妊娠はないか。あ、1年後だから、どっちにしてもレイプの時の妊娠はありえないな、とか変な納得はしたが、釈然としない。そういえば、このカットの前の描写から鑑みて、艶堂しほりの涙の説得に、悪党共も悔い改めたと解釈すべきかな、でもそんな説明は映画の終わりまで、ついになかった。

打ち上げの酒席で、このへんの裏話を監督に伺った。実は、悪党共にも過去にトラウマがあり、そこを艶堂しほりの涙の説得に突かれて、悔い改めるという展開だったそうだ。しかし、それを説明的にやると映画は70分を越えるそうなのである。そこで、悪党共が艶堂しほりの涙の説得に、一瞬引き気味になる芝居と、艶堂しほりの熱演に委ねたとのことであった。悪党の男優陣の演技には、それなりの説得力があったが、艶堂しほりは、もう少し迫力のある熱演でないと、説得力に乏しい。しかし、それはかなり酷なような気もしないではない。

 初号試写には、艶堂しほり「先生」と「同級生」桜田さくらさんは来なかった。もし来たらその後の打ち上げの酒席は、文字通り「楽しみ」な夜間高校の「同窓会」になったのだが、残念であった。

打ち上げは新宿だった。散会後、「ピンク映画大賞」投票者の鎌田一利さんとゴールデン街の2次会に繰り出す。鎌田さんはゴールデン街に詳しいようで、水原香菜絵さんの店に案内される。水原さんの隣に、今日が初店との「龍子さん」なる人もいる。これが何と!ニューハーフ!言われてみて、よく見ればそのとおりだ。

鎌田さんから、この近くに速水今日子さんの店もあることが紹介され、私は仰天する。私の注目女優の一人である。堀禎一監督との名コンビが素晴しい。何で他の人はもっと注目しないのかと、かねてから疑問に思っていた。2005年の「ピンク映画大賞」の「不倫団地 悲しいイロやねん」では、女優賞に一票投じたくらいである。昨年の福原彰作品「連続不倫U 不倫相姦図」の姉役も見事だった。楚々とした触れなば落ちん人妻の儚い憂い顔のムードが素敵だ。

そこまで入れ込んでるならと、鎌田さんと速水今日子さんの店へとハシゴをすることにする。(早々に引き揚げることになって、水原香菜絵さん、本当にすみませんでした)ドアを空ける。カウンターの中に速水さんがいる。いたァ〜!ナマ速水さんが動いてる〜!感激である。でも、ここでの速水さんは、たくましく生きているバーのママだった。楚々たる人妻の風情と全然ちがう。つい「会わない方がよかった」なんて失礼なことを口走ってしまったら、「それが、演技ってものでしょ」と速水さんは微笑んでいた。まあ、鎌田さんと連名でボトルも入れたことだし、それで勘弁してください。でも、最後はベロベロに酔ってしまい速水さんの店がゴールデン街のどこにあるのか、全く一人で行ける自信がない。鎌田さん、次の機会もご案内をよろしくお願いします。

この後、荒井晴彦さんは必ずいるから、私がこれから「bura」にご案内しますかなんて話にもなったが、かなりご両者酩酊の折、結局引き上げて正解だった。翌日はグッタリ死んでおりました。

それにしても、里見瑤子さん、水原香菜絵さん、速水今日子さん、女優さんに失礼続きを繰り返し過ぎてるなあ。でも何だか、こんなにどんどんピンク映画界が近い存在になってくるとは、何だか夢みたいな話ではある。
2009年ピンク映画カタログ−21

2009年9月5日(土) ●上野オークラ劇場
「黒髪教師 劣情」(旧題「高校教師 −赤い下着をつける時−」) 2000年公開
監督・脚本・中村和愛  主演・藤井さとみ,優生通子

新版改題でも旧題でもどっちでもよい。見てのとおりのXcesものである。主人公の高校女教師が、自分にとって初めての男がクラスの教え子にも手を出しているのを知り悩む。落ち込んでいるのを、同僚の体育の女教師に励まされ、気分転換に馴染みのバーに繰り出す。体育教師は、そこのバーテンといい仲になる。主人公のクラスには、他校でグレて転校してきた2年遅れの成人の教え子がいる。彼は主人公の教師によって、真面目な生徒として更生しており、最後は結ばれる。以上、これも濡れ場の方便でストーリーが転がるXces流の一編でした。

強いて取り得を言えば、単純ピストン・アヘアヘ一本調子の濡れ場ではなく、いずれも恥じらって喘ぎながら次第に激しくなっていくあたりの緩急をつけているところだろうか。それと、主人公は完全マザコンで、母の膝枕で「ふるさと」を歌ってもらった原体験から抜けられず、大人になりきれなかったのが、教え子の子を宿し自立していくというドラマの仕掛けか。童謡「ふるさと」が、効果的に使われていると言えないでもないが、まあどっちにしても、それほどのものではない。

「欲情ヒッチハイク 求めた人妻」 2005年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・夏目今日子,華沢レモン

筋立てに特に目新しいものはないが、才人・竹洞哲也=小松公典の監督・脚本コンビは、ここでも情感溢るる一編をまとめあげて見せた。

夏目今日子は、夫の浮気に切れて家出して、ヒッチハイクを始める。目的地は故郷の長野で民宿を経営している昔の恋人の那波隆史の所だ。二人はかつて愛し合っていたが、夏目今日子はどうしても東京へ出たくて別れたのだった。
 ヒッチハイクの途中で、夏目今日子は華沢レモンに出会う。彼女は遠距離恋愛の松浦祐也に会うために長野に向かうところだったので、便乗させてもらうことになる。

久しぶりの夏目今日子と那波隆史は再会したが、時期はすでに失し、那波隆史は婚約中であった。そこへ、親に交際を反対された華沢レモンと松浦祐也のカップルが、駆け落ちして民宿の客として訪れてくる。

婚約中のかつての恋人の那波隆史との仲に未来はない。「一晩だけの未来があってもいいんじゃない」一夜だけの最後の情事に燃える夏目今日子が切ない。小松公典の粋なダイアローグと竹洞哲也の絶妙な演出が、情感を鮮やかに高める。一泊を過ごした後、駆け落ちを続ける華沢レモンと松浦祐也、あてどないヒッチハイクを続ける夏目今日子、「行き先は走りながら考えるわ」「行き先は歩きながら考えるわ」この繰り返しのダイアローグも洒落ている。

所在なげに携帯の電源を入れる夏目今日子、夫からのメールが連続してあふれかえっている。「いつ戻る…」「いつ戻る…」「いつ戻る…」、そして視線の先のバス停に夫の竹本泰志の姿が…。この映画初登場の竹本泰志が、ロングで表情も定かでないままの登場で締めくくられるのも、情感を残す。

ベテラン葉月蛍が、亡夫との思い出に民宿を訪れ、寂しさからオナニーに狂い、民宿の主の那波隆史を誘惑するサービスシーンもある。準カメオ的出演だが、このあたりの遊び心も楽しかった。

「アラフォー離婚妻 くわえて失神」 2009年公開
監督・脚本・吉行由実  主演・冴島奈緒,延山未来

女流監督ならではの、変に物欲しそうな濡れ場に走らず、人の営みの一つとして、あるものをあるがままに描く吉行由美演出は、ここでもユニークな佳作を残した。

主人公のエステ経営者の冴島奈緒は、3度の離婚を繰り返し、今は男の心なんてどうでもよく、SEXの対象としか考えていない。彼女の娘の延山未来は、母が自己チューな男に男らしさの魅力を感じてしまう軽薄なところが、失敗を繰り返している原因なのを見抜いている。冴島奈緒のエステ経営のパートナーの「上加あむ」は、歳の離れた夫の荒木太郎と円満である。冴島奈緒のコンプレックスは、
「上加あむ」が夫婦の営みで何度も失神しているそうなのに、自分は失神経験が一度もないことである。

冴島奈緒の娘の延山未来は、何とか母を落ち着かせようと、実直なだけが取り柄で父のように慕っているゼミの教授「なかみつせいじ」と母を、結び付けようと画策する。二人の関係は紆余曲折を経てギクシャクするが、娘の延山未来もボーイフレンドの金子弘幸とのSEXで失神したことを知り、冴島奈緒は、やはり男は体でなく心だとの自覚に目覚め、「なかみつせいじ」とのSEXで、初の失神体験をして、メデタシメデタシとなる。艶笑ライトコメディ風の他愛のないお話だが、吉行由美演出は、後述するがなかなか見せるものがある。

あるものをあるがままとして自然体として濡れ場を描く吉行演出は、変に扇情的デフォルメが無いので、あまりエロくはない。しかし、今回の主役の冴島奈緒は、肉体快楽主義者であるから、自然体演出でも十分エロく盛り上がるという見どころがある。

男をとっかえひっかえするが失神にまで至らない冴島奈緒と、「上加あむ」=荒木太郎の失神を繰り返す夫婦の営みの対比も味わい深い。快楽主義でパートナーを頻繁に変える肉食系人種は、実はSEXの真の快楽とは程遠いのかもしれない。奈良林祥の「HOW TO SEX」に「なる性感体」言葉があるが、「なる性感体」を開発し合えるのは、せっかちにパートナーを取り替える肉食系浮気人種にはなく、ある意味で「一穴主義」「恐妻家」と称される草食系人種の、昼も夜も長く生活を共にした夫婦でこそ可能なような気がするのである。別に「アラフォー離婚妻 くわえて失神」は、そんな小難しいことを言っているわけではないが、吉行由美の自然体濡れ場演出が、そんなことまで連想させ作品的にふくらみを与えているのである。

エステの客として吉行由実監督もカメオ出演している。カメオといってもセミヌードを披露し、マッサージにより豊乳がグッと強調されている。昨年のシネキャビンの納涼会で、「自作の監督作品に出演するくらいで、女優として声がかからないのは寂しい」と言われていたが、この日の上野オークラ劇場の舞台挨拶を見ても、まだまだ第一線の女優として行けると思う。なお、この映画の編集は、私の「映画友の会」旧知の友人で日活出身の鵜飼邦彦さん。相変わらず頑張っているのがうれしい。今後のご活躍を期待いたします。
2009年ピンク映画カタログ−20

8月7日(金)に「痴漢温泉 みだら湯覗き旅」が公開になった。5月の「OP映画祭り」で、「痴漢電車もそろそろ出つくしたので、今度は痴漢温泉で行きます!」と、池島ゆたか監督自らハシャギ気味にPRしていた一篇である。鑑賞に先立って併映の「火照る姉妹 尻・感染愛撫」の公開年度をチェックする。何と!今年3月公開の新作ではないか。1回の鑑賞で一気に二本稼げる最近では珍しいラッキー番組となった。(残る一本は鑑賞済の新版改題再映作品「触る女 車内で棒さぐり」)併映は私とは肌の合わないXces作品だが、この際に贅沢は言わない。何でもいい。昔はXces2本同時封切りという番組がよくあり、困った時のXces頼みで、いよいよとなったら好みも何も関係なく本数稼ぎに走ったものだが、新作激減でそれもなくなった。1回で二本消化は本当に近来にないおいしい番組だ。

2009年8月8日(土) ●上野オークラ劇場
「火照る姉妹 尻・感染愛撫」 2009年公開
監督・黒川幸則  脚本・黒川幸則,カジノ  主演・かなと沙奈,夏川亜咲

前置きでXcesに対しあまり好意的でないことばかり言ったが、この新作はそんなに悪くない。最近のXcesは、濡れ場方便ストーリー・単純アヘアヘピストン運動から一味変えて、ドラマ性を重視する傾向にあるが、「火照る姉妹 尻・感染愛撫」もその流れの一篇である。

飯島大介と「かなと沙奈」は父娘で医師である。飯島大介が熱を出し寝込む。昨日の患者から新型インフルエンザをうつされたらしい。その患者は翌日死亡したニュースが流れている。娘の「かなと沙奈」は診療所に行くが、そこに得体の知れないフラフラの患者「ほたる」が現れて、突然「かなと沙奈」に抱きつき首筋に唾液をこすりつける。新型インフルエンザは、唾液・汗・その他の体液で即感染する強力感染性を有している。症状から鑑みて、「かなと沙奈」も新型インフルエンザに感染したらしい。

ということで、これはピンクの大先輩・瀬々敬久の一般映画「感染列島」にあやかった一篇というか、ジャーナリスティックに新型インフルエンザの話題を早くも取り込んだ一篇というか、いずれにしてもピンクならではのフットワークの軽さが楽しい。

飯島大介と「かなと沙奈」、父娘そろって感染している家に、この日、「かなと沙奈」の妹の夏川亜咲が、彼氏の園部貴一を連れてきて紹介する予定になっていた。何とか家に入れまいと、父娘でバリケードを気付く。父の飯島大介は全共斗世代で、思い出のヘルメットを取り出したりして、喜々としているあたりも楽しい洒落っ気だ。苦心の大袈裟なバリケード効果も空しく、夏川亜咲と園部貴一にアッサリ裏口から中に入られてしまうズッコケぶりもおかしい。

「かなと沙奈」は二人を何とか外に押し出そうともみあっているうちに、彼女と園部貴一が将棋倒しになり、唾液が園部貴一の首筋についてしまう。夏川亜咲は園部貴一を強引に自室に連れこんでSEXに及び、かくして4人全員が感染に至る。

 実は、園部貴一は「かなと沙奈」の幼馴染みで、彼女は憧れのクラスメートだったのだが、嫌われていると思いこんでいた。そして、夏川亜咲が「かなと沙奈」の妹とは知らずにつきあい始めてしまったのだ。しかし、「かなと沙奈」も心の底では園部貴一が好きだったのである。こっそり盗み出した彼の笛を、今でも大切に持っている「かなと沙奈」の切ない心情表現も味わいが深い。

「かなと沙奈」が父の部屋に様子を見に行くと、何と!得体の知れない女「ほたる」がここにも闖入して来ていて、父の飯島大介の上にまたがっている。彼女も「かなと沙奈」と園部貴一のクラスメートだったそうで、園部貴一が好きだったのだが、彼の心は「かなと沙奈」にあったことを逆怨みし、新型インフルエンザで一家全滅に追い込もうとしているとんでもない女だったのだ。飯島大介は静かに眼を閉じる。最期の時が来たようだ。

 ここから先は、かなりXces調に転換する。もはや短い命、お互いの心を確かめた「かなと沙奈」と園部貴一はSEXに狂う。アクロバティックな体位の数々で、延々とアヘアヘピストンが繰り返されるが、心理的バックボーンが明確なので、これまでのXces調とは一味ちがうエロっぽさである。

 虚脱状態になった二人に夏川亜咲が加わり、ガンガン大音響で音楽を鳴らし、セミヌードで三人は狂ったように踊り続ける。突然、飯島大介が目を開き、「うるさい!」と怒鳴る。何のことはない。飯島大介は眠りこけただけだったし、4人ともただの風邪だったという他愛のないオチである。「ほたる」も自己チュー感違い女に過ぎなかったわけだが、その怪演も実に楽しかった。Xcesの限界なのか、結末はブッ飛び不足で凡な所にオチたようだが、まあこのくらい見せてくれれば良しである。

「痴漢温泉 みだら湯覗き旅」 2009年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・真咲南朋,山口真里

「OP映画祭り」で池島ゆたか監督が気合いを入れてPRしていたので、意欲作を期待していたが、これは真咲南朋・山口真里・若葉麗子と、なかみつせいじ・野村貴浩・竹本泰志の各3人の男女優が順列組み合わせでからむ、ある意味ではピンクの王道、ある意味では濡れ場方便の安易なストーリー展開という、肩の力を抜いた軽い一篇だった。「未亡人民宿 美熟乳しっぽり」もそうだったが、池島監督は案外こんなのも好きらしい。ただ、今回は若干池島作品らしいヒネリは効いている。

自殺したくなった3人の男女がいる。彼氏にフラれた真咲南朋、派閥争いに敗れそうな大学教授「なかみつせいじ」、その飲み仲間で派遣切りに遭った野村貴浩の3人だ。失意の3人は自殺場所を求めて、温泉旅館に出掛ける。旅館で迎えるのは女将の山口真里、仲居の若葉麗子、そして神出鬼没の謎の痴漢男の竹本泰志といった布陣である。

旅館に向かう3人の点描は、ミュージカル風に綴られる。切ない女のひとり旅を歌う山口真理、飲み仲間の男二人連れ「なかみつせいじ」と野村貴浩は空元気を出し、陽気に草原を歌って踊って飛び跳ねる。さしずめ「カルメン故郷に帰る」の男版といったところか。池島ゆたかの遊び心が楽しい。

温泉旅館の中で、「なかみつせいじ」と野村貴浩は、夢ともうつつともつかない幻想空間で、山口真里と若葉麗子に次々と体の接待を受ける。一方、自殺を決意して湯船に浸かっていた真咲南朋に、痴漢男の竹本泰志の指が這う。体の悦びに目覚めた真咲南朋は、次第に生きる気力が湧いてきて、痴漢男の愛撫を待つようになる。そんな時、彼女に野村貴浩の濡れ場を覗いて興奮した「なかみつせいじ」の指が伸びる。これをきっかけに、二人は惹かれあうようになるが、野村貴浩も彼女に想いを寄せ、二人の男にモテた真咲南朋は、完全に生きる気力を取り戻し、3人は和気あいあいと歌い踊りながら帰路についていく。

実は、山口真里・若葉麗子・竹本泰志は、天使だったのである。自殺者は地獄に行ってしまうので、自殺を防いで天国の仕事が暇にならないようにするための、仕掛けなのだった。さらに、旅行前に「なかみつせいじ」と野村貴浩がボヤきあっていたバーの隅で、ギター爪弾き美声を聞かせていたのが、昨年ピンク大賞の技術賞受賞者で作曲家、この作品の音楽も担当している大場一魅だが、彼女も天使の一員でしたとのオチもつく。他愛がないといえば他愛ないけれど、洒落ていると言えば言えなくもない幕切れだった。

池島監督と五代暁子・脚本のコンビだからといって、必ずしも名画のオマージュ=パロディ探しをすることもないのだが、強いて言うならば「素晴らしき哉、人生」の超変化球といったところだろうか。


今回の二本一挙消化により、これで今年のピンク大賞の対象鑑賞作品は19本、昨年の「湯布院映画祭」行きまでの本数は21本、一昨年は20本。それに比べればやや少ないが、参加資格25本まであと6本で、湯布院帰り後の9月〜12月の間で何とかなるだろう。とりあえず、これで安心して湯布院に迎えそうである。
2009年ピンク映画カタログ−19

2009年8月4日(火) ●上野オークラ劇場
「美尻誘惑 公衆便所のいたずら」(旧題「公衆便所 私、いたずらされました」) 1999年公開
監督・瀧島弘義  脚本・瀧島弘義・五藤利弘  主演・森本みう,吉行由実

吉行由実は、売れている女流官能作家だ。公衆便所で痴漢の佐野和宏に襲われ、そこに歓びを感じてしまったことがあった。彼女は、それをベースに執筆を始める。そして、小説内の世界が映像化されていく。小説内世界の主人公は森本みうである。彼女は、文壇の先生や編集者たちとのプレイに溺れることによって、売り込みを図っているが、現実と仮想世界を往還する佐野和宏のトイレ痴漢の官能に溺れ、次第にもう一つの肉欲地獄に陥っていく。

吉行由実の妄想の現実世界、仮想世界の中で悶え狂う森本みう、現実と仮想が混沌とする魅惑はあるが、濡れ場の方便でストーリーを転がすXces流といってしまえばそれまでの展開である。ただし、現実と仮想が混沌として入り混じる濡れ場のバリエーションは悪くない。吉行由実の熟女女流作家の色気は魅せる。仮想と現実が混沌とし、吉行由実と森本みうが会話を交わすシーンは、夢幻的空間が広がる。それ以上に現実と仮想を往還する佐野和宏の存在感は、圧倒的であった。濡れ場の方便でストーリーを転がすXces流も、このくらいの仕掛けをしてくれればまあ満足できる。

「人妻探偵 尻軽セックス事件簿」 2009年公開
監督・竹洞哲也 脚本・小松公典・山口大輔  主演・かすみ果穂,友田真希

男と女の情念をシッットリ描くのが竹洞哲也映画と思っていたが、最近は猟奇・耽美の世界があったり、前作の「いとこ白書 うずく淫乱熱」では、艶笑コメディでも力を発揮しつつある。

この映画の前半も完全な艶笑コメディだ。かすみ果穂は、夫の浮気のあてつけに浮気したら、探偵に裏を取られ離婚に追い込まれた。離婚後、生活に窮してその探偵事務所に押し掛け就職をして探偵になる。探偵事務所所長のAYAは秘書の倖田李梨とレズ関係、そのレズの所長に恋い焦がれるのが半人前の探偵の松浦祐也というハチャメチャ世界だ。松浦祐也がオーバーアクトで、ドタバタ・コメディを盛り上げる。

 後半の、依頼人の人妻の友田真希の登場で、ムードが転調する。友田真希は、クラス会の再会で、初恋の人の那波隆史への想いに火がついてしまった。学園祭で、あずかってくれと風車を渡され、そのまま去っていった男の思い出として、大事に持ち続けていた小道具の効果が効いている。友田真希は、人妻として年に一度の逢瀬の節度を守っていたが、ここ2年、約束の場所に現れない。かすみ果穂の調査の結果、彼が別れることを決心したのは、不治の病にかかったことが原因と判明する。竹洞調のベタな世界だが、こういうあたりで男と女の切ない心情を描ききるあたりは真骨頂だ。

ということで、正当の男女心情ドラマと艶笑コメディという二つの竹洞世界が、同時に楽しめる一篇であるのはまちがいない。ただ、それが、満腹感を与えるよりは、散漫な感じに終わったあたりが、問題ということだろう。
2009年ピンク映画カタログ−18

2009年7月29日(水) ●上野オークラ劇場
「奴隷性愛 私のおもちゃ」 2003年公開
監督・脚本・杉浦昭嘉  主演・松葉まどか,葉月螢

ヒロインの松葉まどかは、父の負債を肩代わりしてくれた社長の幸野賀一と、愛のない結婚をして、夫のDVに怯えながら暮らしている。内気で控え目で、夫の顔色をビクビクしながら伺っている松葉まどかの、初々しい新妻の風情が良く、暴力夫の幸野賀一も粗暴さをよく表現している。

男の方の主人公は石川雄也。天文が趣味で星空を眺めるのが趣味のおとなしい男で、人に頼まれると断れない控え目な青年である。石川雄也も、そんな男の魅力をよく表現した。彼は幸野賀一の部下で、当然ながら荒くコキ使われる。そんな石川雄也に、幸野賀一の新妻の松葉まどかは、星空に夢を託す少女のようなところもあったため惹かれていく。最後に2人は駆け落ちし、流星群が見渡せる屋外での全裸の濡れ場で幕となるロマンチックなラブロマンスの一篇である。

2人を結びつけるキーになるのが、まどか=幸野夫妻の知り合いである有閑マダムの葉月蛍だ。彼女は、百円ショップで購入した陶器を持ち歩いて当たり屋まがいのことをし、破損した陶器を貴重な骨董品と偽って脅迫し、男を「性愛奴隷」にするというとんでもない女だ。石川雄也がその毒牙にかかり、奴隷にされてしまう。

葉月蛍は、主婦仲間の松葉まどかにも、性愛奴隷の石川雄也を回す。松葉まどかと石川雄也のきっかけはそうした変則的なものだったが、激しく燃えて結ばれる。後日、石川雄也が幸野賀一の部下だったことを知った葉月蛍は、そのことを幸野賀一にチクる。当然、松葉まどかは激しい夫のDVにさらされる。見かねた石川雄也は、流れ星に自分に勇気を与えてくれるように願いをかけ、松葉まどかを救出して駆け落ちに至るというのが、事の顛末である。

ということで、全体的には純愛めいたラブロマンスなのだが、葉月蛍の有閑マダムの悪女ぶりが強烈で、焦点がぼけて分裂した印象を残したのが痛い。

「コンビニ無法地帯 人妻を狩れ」 2009年公開
監督・国沢実  脚本・内藤忠司  主演・成田愛,佐々木基子

「まんたのりお」のコンビニ店長は、妻や子に携帯電話での頻繁な連絡を欠かさない良き夫で良き父であるとともに、監視カメラで好みの人妻の万引きを見つけると、それをネタに脅迫し、密かに整えた密室で変態性欲地獄に陥れるというもう一つの顔を持っている。「コンビニ無法地帯 人妻を狩れ」そのままで、タイトルだけで中身の想像がつく安易な凡ピンクにも見える一篇である。しかし、そこは才人の国沢実、それなりに見応えのあるものに仕上げたから立派である。

一人目の犠牲者の人妻は佐々木基子、密室で全裸に首輪をかけられ犬のように引き回される。二人目は成田愛、緊縛プレーでいたぶられる。責め場の対比のメリハリも見事なら、中年のセックスレスの熟女妻と、仕事人間の夫との生活にジっと耐えている若妻という2人の女の対照も効いている。ベテラン佐々木基子と新進の成田愛のバランスも巧みだ。「まんたのりお」の怪演も相変わらず見せる。

 そんな「まんたのりお」にも災難がふりかかる。一人の女は一度だけと決めている彼に、緊縛の魅惑に目覚めてしまった成田愛が、しつこくつきまとい往生する。また、女子高生の「かわのすみれ」の万引きを摘発し、こちらの方は人妻でもなく趣味でないので軽く済ますつもりだったところ、援交を迫られ逆レイプされてしまう。コンドームまで準備して装着までサービスする手回しの良さと思ったらさにあらず、精液のタップリ入ったそれを、DNAの証拠品としていただかれてしまう。仲間をつれてくるから、次からは「交際」なしの「援助」をお願いねと、アッケラカンと要求されてもグーの音も出ない。

それでも、監視カメラに好みの人妻の間宮結を発見すると、気を取り直して全く懲りずにいそいそと楽しげに、行動を開始する「まんたのりお」であった。ことに及ぶため、通話の途中で放り出した家族への携帯電話から、漏れ聞こえてくるのは気象情報である。彼の良き夫、良き父ぶりは、狂言の一人芝居だったことが最後に判明するのだ。「まんたのりお」の心の中の、ある種の孤独感・寂しさが伺われ余韻を残す。凡ピンクにしかならないネタを、これだけ洒落たものに仕上げた才人・国沢実は大したものだ。
2009年ピンク映画カタログ−17

2009年7月21日(火) ●上野オークラ劇場
「いんび変態若妻の悶え」 2009年公開
監督・荒木太郎  脚本・三上紗恵子  主演・淡島小鞠,あすか伊央

冒頭に「太宰治生誕100年記念!!」と大きくブチ上げたタイトルがバーンと出る。この映画の原作は太宰治の「きりぎりす」である。確かに古典文学は、著作権が切れているので原作料は不要だ。この手はありということである。ただ、別にピンクとしては、初めての話ではない。2006年作品「熟母・娘 乱交」は、諸般の事情でクレジットはされなかったが、原作・三遊亭円朝だとのことを、脚本家の方から漏れ聞いた。こういう手は、もっと活用してもよいのかもしれない。

我々の若い頃は、古典文学を読み漁るのが、青春の通過儀礼みたいなものだった。私も夏目漱石・芥川龍之介・谷崎潤一郎などは結構読んだが、太宰治だけは、何か肌が合わない感じで、「走れメロス」程度しか読んでいない。よって、映画「いんび変態若妻の悶え」が、どこまで原作の「きりぎりす」に則っているかは、検証のしようがない。

淡島小鞠は、生活力の無い貧乏画家の野村貴浩と結婚する。私が嫁として支えなければ駄目だとの使命感からである。しかし、野村貴浩は内助の功に感謝するどころか、モデルのあすか伊央と浮気をして、恬として恥じない。太宰治に詳しいわけではないが、いかにも世間的イメージの太宰文学だなという感じである。古風に耐え忍ぶ淡島小鞠の風情に味わいがある。彼女のモノローグは、原作に即しているのだろうか。味わい深いダイアローグだとは思う。

では、良い映画だったかというと、首を傾げざるを得ない。何だか文学風の雰囲気だけがあり、ピンクとしてはピントのズレたものとしか思えない。叙情性という点では、いつもの荒木太郎演出に比べると、一段も二段も落ちると感じた。

図書館に行って、この際に太宰治の「きりぎりす」を読んでみようかと、今思っている。そんな風に思わせたあたりが、私にとってのこの映画の功績の一つかもしれない。しかし、還暦を越えてから、ピンク映画に示唆を受けて太宰治を読むなんて、客観的に見れば、何ともおかしな風景である。
2009年ピンク映画カタログ−16

2009年7月12日(日) ●浅草世界館
「痴漢電車 下着検札」 1984年公開
督・滝田洋二郎  脚本・高木功  主演・風かおる,竹村祐佳

「おくりびと」アカデミー賞受賞効果で、滝田洋二郎の新版再映が盛んだ。他の新版とちがって改題されていないので、完全に滝田アカデミー効果といっていいだろう。
 滝田ピンクの楽しさは、リアルタイムでハマった秋本鉄次が、キネマ旬報4月上旬号「監督 滝田洋二郎 ピンク映画もオスカーも往還可能のボーダレス、シャレが分かる監督の個性と軌跡」で、タップリと蘊蓄を傾けている。でも私としては、現時点で観ることは難しい滝田ピンクだから、指をくわえているしかないと思っていた。ところが、文中で絶賛された作品のうち「痴漢電車 百恵のお尻」「連続暴姦」に続いて、「痴漢電車 下着検札」も観ることができた。アカデミー賞様々、ピンクの再映慣習様々といったところだ。

昭和3年、張作霖爆殺事件で行方をくらました彼の隠匿財宝の黒真珠。それは、旧満州の荒野に転がった張作霖の手首に、指輪として嵌められていた。部隊全滅で、唯一生き残った関東軍の兵士が、それを拾う。黒真珠は数奇の運命を辿り、昭和59年、再び満州の荒野に放置される。ラストシーン、地底から現れた張作霖の手首が、骨だけの亡霊となって、その黒真珠に向かって這っていく。(秋元鉄次は前記キネ旬の記事で、これを「ハリーハウゼン真っ青」と評していた)

ようまあ、ピンクでこれだけスケールの大きい法螺話を思いつくものだ。(さしずめ今なら、ロマノフ王朝の秘宝争奪戦を、密室劇のピカレスクにまとめた国沢実監督、樫原辰郎脚本の「淫臭名器の色女」といったところか)どこでロケしたか不明だが、冒頭の満州の荒野のスケール感を出した滝田演出もさることながら、「痴漢電車 百恵のお尻」「連続暴姦」に続いての高木功脚本の構想力にも感心させられる。しかも、「痴漢電車 下着検札」もアイデア倒れに終わっていない。序盤・中盤・終盤と、見事な構成でピンクならではの見せ場も散りばめ、鮮やかな転調で飽きさせないのだ。(残念ながら高木功は一般映画に進出することなく逝去されたと、業界に詳しい人から教えられた)

舞台は一転、昭和59年(つまり製作当時の現在)の満員電車、初老の男が痴漢にいそしんでいる。しかし、興奮し過ぎたせいか、心臓発作で倒れる。
 この男こそ、張作霖の隠匿財宝の黒真珠を拾った兵士の現在の姿だ。今は、一児の長男がいるが、妻と死別し風かおる演じる若い後妻をもらっている。
 妻も息子も黒真珠の存在を知っており、いまわの際にそのありかを聞き出そうとする。彼は「マン拓」と謎の言葉を残して、息絶える。ここまでがプロローグだ。

妻の風かおると息子は、謎を解くために探偵事務所に依頼する。この探偵を演じるのが螢雪次郎で助手が竹村祐佳、「痴漢電車 百恵のお尻」の探偵コンビである。髭面の螢雪次郎はメークが大分ちがうので、シリーズとは言わないまでも、さしずめ姉妹編といったところか。

螢雪次郎探偵の推理が始まる。床の間に額に入れて飾ってある「マン拓」(解ります?魚拓のもじりで、女性のあそこに墨を塗って押し当てて取ったものです)にヒントがあると見る。そのマン拓の主は、妻と息子以外で唯一の遺産相続権者の姪だ。なぜかマン拓はそれ1枚しかなくて、しかも半分に欠けている。他のマン拓は、火事で焼失したとのことだ。
 とにかく、その姪の完全なマン拓が黒真珠のありかのヒントだと、螢雪次郎探偵は結論し、姪の捜索を開始する。その姪が見付かるまでが序盤だが、その展開が完全に人を喰っている。

螢雪次郎探偵は、電車の中で痴漢に励み、そのドサクサに紛れてマン拓を取りりまくり、残された半分のマン拓と合致する女性を見つけることで、姪を捜索しようというのである。この序盤は下ネタギャグ満載で、生理中の女性に痴漢して拓本上に経血とタンポンが乗っかっていたり、興奮して粗相してしまった女性が拓本上に脱糞したり、痴漢を嫌がってお尻を押さえる女の手をどかそうと思い、螢雪次郎探偵がライターの火を近づけたら痴漢男の手だったりと、ナンセンスの極みである。

 こんなことで姪がみつけられるわけもないし、このような乱暴な痴漢がまかり通るわけもないが、設定そのものがナンセンスなのだから、この序盤は序盤で良しと言えるだろう。このあたりは、今風に例えれば、渡邊元嗣流のブっ飛び感覚、浜野佐知流のアナーキーな性描写に通じるところだろう。

 姪が見つかった以降の中盤は、謎解きになる。螢雪次郎探偵は、文豪で日本史研究でも高名な松木清張(注意!松本清張ではありません)に、協力を依頼する。この松木清張を演じるのが竹中直人(当時はナオト)。得意の形態模写で、そっくりさんを怪演・快演する。ついでに松木清張が出るTV番組のキャスターとして、松田優作の形態模写にも竹中ナオトは悪乗りするが、これはあまり似ていないのがご愛敬だ。

 中盤のもう一つの軸は、連続殺人である。姪が庭で胸を刺されて殺される。長男は内鍵がかかった密室で服毒死していた。松木清張は、遺産を一人占めしようとした長男が姪を殺したが、罪の意識に襲われて自殺したとの、何とも安易な推理をして去っていく。

螢雪次郎探偵は、これを後妻の風かおるの遺産一人占めのための、連続殺人であることをつきとめる。トリックは、レコードの回転と凧糸を巧妙に結びつけ、風かおるが長男を毒殺して退室する前に仕掛けて、密室を造り上げたのだ。いわば「本陣殺人事件」の裏返しトリックなのだが、螢雪次郎探偵によるトリック再現で仕掛けを見せるあたりは、本格的ミステリーの趣きである。

 黒真珠の隠し場所探索の謎解きの方は、あっけない。マン拓を横にすると猫に見えることと、マン拓と並べて床の間に掛けてあった掛け軸の言葉とを組み合わせて、床の間の招き猫の置物の目にはめ込まれていると推理したのだ。ところが、招き猫をチェックしたら、すでに外された跡がある。そして、黒真珠はTV出演中の松木清張の指に輝いていた。図々しくも松木清張は、早々と謎を解いていてチャッカリと黒真珠を失敬し、退散したという顛末だったわけだ。

 これだけでも洒落た落ちだが、映画はまだまだ終わらない。終盤に突入する。螢雪次郎探偵と助手の竹村祐佳は、なぜか性力を高めるエアロビクスに励みだす。乳首がハッキリ浮き出る竹村祐佳のレオタード姿は色っぽくそそる。性力に溢れた二人の濡れ場は、タップリとエロい。この手のシーンも滝田洋二郎は、十分に達者である。これは単純にサービスシーンなのかと思っていたら、そこに止まらない予想外の展開になっていく。

竹村祐佳は、満員電車で松木清張こと竹中ナオトに体をすり寄せ、痴漢行為を誘う。その気になった彼は、性器に指輪を嵌めたまま指を挿入してくる。膣圧をギュッと高める竹村祐佳、電車はホームに着き彼女は下車する。そうなれば松木清張は指を抜くしかない、かくして黒真珠だけは竹村祐佳の体内に残される。なるほど、エアロの目的は、そういうことだったのか。造り物であるが、性器内部からのアングルがあるのも、定石どおりでとはいえ楽しい見ものだ。

 さて、探偵事務所に戻ったが、まずは体内から黒真珠を出すべく、竹村祐佳は出産もかくやとばかりにいきむが、なかなか出てこない。ここも、何ともユーモラスな下ネタギャグである。そこに馴染みのラーメン屋が、店をたたんで満州に帰るとのことで挨拶にくる。(冒頭に探偵事務所へのラーメン出前シーンがあり、そこで、そろそろ店じまいして満州に帰るかもしれないとラーメン屋が告げる伏線がある)ラーメン屋は、探偵事務所に持ち込まれていたかつての黒真珠の隠し場所である招き猫を、餞別に欲しいと言い、螢雪次郎探偵は快諾する。

招き猫を自転車の荷台に乗せ、走り出そうとするラーメン屋、その瞬間、やっと黒真珠が、竹村祐佳の膣内から飛び出す。しかし、勢いあまって二階の窓の外まで飛んでしまい、元々の隠し場所の招き猫の目に、ピッタリ嵌る。もちろん、そんなことにラーメン屋は気がつかない。螢雪次郎探偵と助手の竹村祐佳は、路上の隅々からゴミ箱漁りまでして探しまくるが、当然見つかるわけもない。

冒頭のロケ地と同じ満州の荒野を歩くラーメン屋、招き猫の目から、ポロリと黒真珠は再び満州の荒野に落ちる。そして、前述した秋本鉄次言うところの「ハリーハウゼン真っ青」の、エピローグになるわけである。

「痴女・高校教師 童貞責め」 2007年公開
監督・神野太  脚本・松本有加  主演・浅井舞香,ミュウ

Xces映画である。題名だけで、全部見当がついてしまうような内容である。
 保健教師の浅井舞香と体育教師の山本東は、職場恋愛の仲だった。しかし、出世のために山本東は、教育委員会の理事の娘のミュウと結婚してしまう。浅井舞香と体育教師の山本東は、教員用マンションではお隣さんである。浅井舞香は、毎朝の、出勤時に山本東とミュウの新婚熱々ぶりを見せられるのだからたまらない。

空しさから浅井舞香は、保健室でオナニーに耽っていると、膝を怪我して治療に来た野球部の小滝正大に見られてしまう。勢いにまかせて、生徒の小滝正大に抱きつき、若いからすぐ果ててしまうが、その変わりすぐに何度も回復OKで、浅井舞香は童貞男に病みつきになる。

女子生徒の華沢レモンは、以前は登校拒否児で、今でも教室に入ると腹痛を起こし、保健室を逃げ場にしている。やはり、中学の時に登校拒否児童だったクラスメートの真田幹也に元気づけられて、今では好きになってしまっている。「避妊だけはちゃんとしなけりゃ駄目よ」と、保健教師の浅井舞香は華沢レモンにコンドームを渡す。ピンク映画の中でしかありえない物分かりのいい先生である。

処女と童貞の華沢レモンと真田幹也は、当然うまくできるわけがなく、二人の関係はギクシャクと疎遠になってしまう。華沢レモンは保健室で落ち込む。浅井舞香は、先生が仲を何とかしてあげると、それを口実に味を占めた童貞喰いで真田幹也もくわえこんでしまう。実は真田幹也は、かつて愛した体育教師・山本東の甥だったことが判明する。浅井舞香は、ますます真田幹也の体にのめりこんでいく。

こんな調子だから、そろそろ展開を追うのもウンザリしてきた。もうここまでで、いかにもXces流な濡れ場の方便だけで、ストーリーが転がっていくだけのしろものかが分かるだろう。見どころは初々しい華沢レモンのセーラー服姿と、嫉妬に狂った彼女が浅井舞香と生徒の真田幹也の情事をビデオ盗撮していて、浅井舞香の教師としての破滅が暗示される幕切れに、洒落っ気があると言えば言えるが、まあ、どっちにしても大したものではない。

「三匹の奴隷」 2009年公開
監督・佐藤吏  脚本・金村英明  主演・友田真希,亜紗美

2007年の佐藤吏監督作品「奴隷」の姉妹編といった感じである。テーマ的にはMの資質を有した女を、ひたすら描きつくすだけだ。視覚的には緊縛が醸し出す被虐美の魅惑である。分かる人には分かるし、その手のものが全く駄目な人には駄目という一篇である。廣木隆一監督のドキュメンタリー「縛師」でも、緊縛師の濡木痴夢男が「被虐美というのは、分かる人には分かるし、分からない人には絶対に分からない」と明言している。少なくとも私は、絶対に分からない側にはいないようなので、それなりに堪能した。

「奴隷」では平沢里菜子が孤軍奮闘したが、今回は、人妻の友田真希、OLの真咲南朋、風俗嬢の亜紗美と、ヴァラエティに富んだ3人のM女の三部構成である。1部の友田真希と3部の亜紗美は母娘で、二代続いたMであり、それにはさまれたやや趣きを変えている第2部の真咲南朋のエピソードと、ほどよくバランスしている。

全編を通しての主役は、那波隆史の調教師であると言える。暗く隠微な男の色気をなかなかよく出していた。第1部は友田真希と「なかみつせいじ」の夫婦の話である。妻に新しい感覚を与えようと、夫の「なかみつせいじ」は、調教師の那波隆史を雇い、妻の友田真希を調教させる。妻は緊縛の被虐の魅惑を知るが、夫の縛りには満足できず、調教師の下に頻繁に通いつめるようになってしまう。次第に熟女の魔性が燃え盛っていく友田真希が妖艶だ。海岸に立てられた十字架に全裸股縄亀甲縛りで緊縛されるシーンをはじめ、凝りに凝った緊縛シーンの被虐美が画面に迸る。

第2部は、一拍おいて艶笑コメディ風の要素もある軽やかな一篇。凝った縛りもほとんど無いし、どちらかといえば女の羞恥心をかきたてる団鬼六風な責めである。
 OLのM女の真咲南朋は、ご主人さまの調教師の那波隆史が絶対で、同僚とのオフィスラブにはあまり感じない。那波隆史を訪れる時は、トイレを済まさないで来るように命じられている。訪れると、まず全裸にされ首輪をつけられ、犬のように四つん這いでトイレに向かわせられる。しかし、ドアの手前で首縄を引かれ、入ることを許されない。「トイレへ行かせてください」と哀願しても、「何?聞こえないよ」と返され、はしたない欲求を何度も口にさせられ、「ああ〜漏れちゃう」と悶えることになる。最後は、食卓上のそうめんの器の中に放尿することを強制され、あられもない姿を凝視される。

そんな風に仕えているご主人さまなのに、どうやら別の奴隷も調教しているようだ。嫉妬心を抱き、ある日押入れに潜んで待ち伏せていたら、案の定調教が始まったようだ。カッとなって押入れから飛び出したら、女は不細工なデブ女だった。商売だからどんなM女でも依頼されれば調教を引き受けるということなのだろうが、興ざめした真咲南朋は、那波隆史と別れる。腹いせに同僚とラブホインし、Sプレーをもちかけて、手足を縛ったままさっさと出ていってしまう。ジタバタする同僚の男のユーモラスな光景で、第2部は幕となる。

第3部の亜紗美は風俗嬢で、Sプレーのために那波隆史の下に派遣される。実は、雇い主の本当の狙いは彼女をM女にすることが目的だった。那波隆史にM資質を見抜かれ、第1部同様の凝った緊縛の被虐美が、今度はローソク責めも混じえて、延々と展開する。ついに彼女はそのまま同棲し、那波隆史の身のまわりの面倒を甲斐甲斐しくみるようになる。

亜紗美は那波隆史に身の上話を語り始める。小学生の時、父と母と知らない小父さんとの3人のSMプレーを目撃してしまった。そして、母は知らない小父さんと、どこかへ行ってしまった。長い時間がたって帰ってきた母は、父と首を絞めあうSEXに溺れ、行き過ぎて死んでしまった。那波隆史は、この身の上話を聞いて、彼女の母が友田真希だったことを知る。第1部で、調教が誰かに覗かれていることを暗示させる描写があるが、覗いていたのは小学生の頃の亜紗美だったのだ。

緊縛プレーは延々と続く。ラストシーンは母の友田真希と同じポーズ、同じ海岸に立てられた十字架に、全裸股縄亀甲縛りで緊縛される亜紗美である。この被虐と耽美の最後は、姉妹篇の前作「奴隷」で富士山の見える原野に全裸で立ち木に吊り縛りされ放置された平沢里菜子と、鮮やかな対をなしていた。
2009年ピンク映画カタログ−15

2009年7月4日(土) ●上野オークラ劇場
「連続暴姦」 1983年公開
監督・滝田洋二郎  脚本・高木功  主演・織本かおる,大杉漣

「おくりびと」アカデミー賞受賞効果で、滝田洋二郎の旧作が引っ張り出されている。今回は大杉漣の出演作ということもあり、看板やチラシで大杉漣主演作!と悪乗りしている。いずれにしても、結構なことである。

この頃から滝田洋二郎の腕前は、なかなかのものだったことが確認できる。基本はミステリーなのだが、骨格が本格的でしっかりしている。そして、サスペンス・アクションとしても、スピーディーで小気味いい。もちろん肝心の濡れ場は、充分にエロくネチっこく、ピンクとしても合格である。さらにストーリーに映画をからめ、上板橋東映の協力も得て、映画愛にも溢れているのも、調味料として効いている。

大杉漣は、ピンク映画館上板橋東映の映写技師だ。ある時1本の映画の一場面にギョッとする。この映画が本編と同じ題名の「連続暴姦」なのが洒落ている。レイプ魔の太股に、自分と同じ蛇の刺青があるのだ。森の中のレイプ風景も13年前に自分が犯した強姦殺人のとおりである。

ここから先はネタバレになります。知る人ぞ知るピンクの名作なので時効かもしれませんが、これはミステリーでもありますから、一応断りを入れておきます。

後2年で時効を迎える大杉漣はあせる。映画の製作会社を訪れ、「連続暴姦」の脚本家はどんな人間かを尋ねる。会社の営業マンの話では、脚本を書いたのは山崎千代子というOLで、現在売り出し中であり、女優として出演させたいくらいの若い美人だそうだ。大杉漣は、山崎千代子を突きとめ殺害する。

実は、本当の脚本家は、殺された女の同僚のレズ相手・織本かおるだった。パートナーの名前をペンネームにしていたのである。大杉漣に山崎千代子のことを教えた営業マンは、織本かおるとの仕事の打ち合わせの時、OL山崎千代子の強姦殺人事件の記事を目にする。そこで、織本かおるから、脚本に賭けた思いを聞くことになる。

織本かおるは、少女の頃に、森の中で姉がレイプ殺人されるのを、なすすべもなく木陰で震えて見ていたのである。その時に強くクッキリと印象に残ったのは、犯人の太股に彫られた蛇の刺青である。犯人の遺留品の手袋には、切れたフィルムを繋ぐテープが張り付いていた。彼女は、犯人を映写技師などの映画関係者と推理し、自作のシナリオの中に犯人おびき出しのキーワードを埋め込んだのだ。この二転三転の展開は、ミステリーとしても緻密で隙がない。

後半は、サスペンス・アクションに転調する。警察に頼らず、自らの手で犯人おびき出しを図る織本かおると、真相を知る者を次々とレイプ殺人していく大杉漣とのバトルである。真相を知った上板東映のもぎり嬢も、大杉漣の毒牙にかかる。レイプ場所はスクリーン前の舞台上で、上映映画は「連続暴姦」という虚実皮膜・二重構造の凝りようである。

この時の映画館の客席は無人だ。それ以前に、営業マンが支配人を訪れている時に、「連続暴姦」は大人気と告げられるシーンがある。しかし、最終回の上映を残して、客はゾロゾロと、全員帰ってしまう。「人気あるって言ってたけど、何で」「日曜日の最終回はこんなもんですよ」こうした二人の会話の自虐ネタも洒落ており、それがスクリーンと現実の二重レイプに、しっかりと連動している。

 クライマックスの、トンネルを駆け抜ける織本かおると大杉漣の追跡戦は、冒頭の姉の強姦シーンとも対をなしており、スピーディーでダイナミックな演出が見事だ。そして、廃墟の空きビルの空間を巧みに駆使した攻防に繋がっていき、ついに織本かおるはレイプされてしまう。

レイプの後、大杉漣はライターの炎を、頬や陰部に近づけてサディスティックに彼女をいたぶる。この時、バッグの中からヘアスプレーを取り出した織本かおるは、大杉漣の顔面に噴射する。織本かおるのOL時代の描写で、化粧室でしばしばヘアスプレーを常用していた伏線が、ここで見事に効いてくる。大火傷を負い視力を失った大杉漣は、窓から転落してエンドマークになる。このサラリとしたエンディングもスマートだ。

レズ時代の織本かおるの、女同士の濡れ場は、かなり延々とネチっこくエロい。パートナーが殺害された後は、彼女は営業マンといい仲になるが、こちらの方も、裸をよくみたいとスタンドをつける男と、恥ずかしいからと消す織本かおるの、灯りの点滅が何度も繰り返され、その照明効果が扇情感を激しくそそる。カラミをしっかり撮るピンク監督としても、滝田洋二郎は一流だった。

4月12日の「痴漢電車 百恵のお尻」の時にも記したが、こんな風に滝田洋二郎の才能満開の時を、リアルタイムで知った人は、なんと至福の時間を過ごしたのだろうと思う。

「如何にも不倫、されど不倫」 2008年公開
監督・脚本・工藤雅典  主演・鈴木杏里,佐々木麻由子

主人公の深澤和明はいい気な男である。十分に色っぽい佐々木麻由子を女房に持ち、その実家から経済援助も受けて、湘南にバーを出させてもらっているのにも関わらず、ウエイトレスのキヨミジュンにも手を出している。さらに、有名野球選手との不倫発覚で、番組降板・謹慎中のニュースキャスター鈴木杏里とも、いい仲になってしまう。まあ、こういう都合のいい男でも出さないと、濡れ場の連鎖につながらないわけで、その意味では、十分にXces流と言える。

ただ、新作激減で精鋭主義に転換したかに見えるXcesは、最近変わったとも言われている。単なるエロではなく、ドラマ性を重視し始めたと漏れ聞いているが、ほとんど見ていない私には分からない。ただ、この作品を観る限りでは、微妙なXcesの変質を、私も感じた。監督・脚本は、2008年「PG」ベステン作品入選の工藤雅典である。

これまでのXcesと違って良いのは、濡れ場が一本調子の激しいピストン運動とアヘアヘだけではないことである。3人の女優のキャラがキチンと立ち、濡れ場もそれなりの変化があって、飽きさせないことだ。

鈴木杏里は、入局直後に上司の「なかみつせいじ」と、SM的なプレイを仕込まれ、何かを吹っ切るように人気リーガーと不倫し、バーのマスター深澤和明とも関係する。最後は、人気ロッカーを誘惑して上司の「なかみつせいじ」を捨てていく。長身でスレンダーの退廃的活力(変な形容であるが)が眩しい。
 海岸で所在なげに佇んでいる時、キャスターらしく発生練習や発音練習(これが何と、私が「蛙の会」でもよくやる「外郎売」、杏里嬢、早口言葉をもつれずに頑張っておりました)をしているあたりの描写も味がある。

ベテラン佐々木麻由子は、夫との濡れ場では人妻の妖艶さをよく表現し、夫の不倫を進言に来た若いウエイターは誘惑してくわえ込み、最後は離婚して夫を叩き出す熟女のしたたかさを、手堅く魅せた。

ウエイトレスのキヨミジュンは、マスター深澤和明とキャスター鈴木杏里の関係を知り嫉妬に狂い、持ち出した店の金と自分の体を代償にして、2人組の不良サーファーに、深澤和明と鈴木杏里をひどい目に会わせるように頼み込む。小悪魔的存在が印象に残る。

鈴木杏里、キヨミジュンと、私があまり見かけない顔だが、新人なのだろうか。もし、そうならば、これまでの「ピンク映画カタログ」でも述べてきたように、今年の新人賞候補は顔ぶれが豊富といえる。もっとも、最近の新人は、出てきたと思ったらすぐいなくなり、ピンク映画に定着しないから油断がならない。新人賞を受賞し、女優賞も間近と思えた私名付けるところの売れ熟れレモンちゃんこと華沢レモンも、ピンクから引退したとの噂を耳にした。これも新作激減の一つの影響なのだろうか。

見事に切り取られた湘南の風景にモダンな音楽がかぶさるあたりは、往年の日活映画を彷彿させる。確かにこれまでエッチ一辺倒だったXcesが、変質していることは感じる。しかし、だから何なのと言うと、それ以上の魅力は、私には感じられない。私はまだ当分Xcesの良き観客にはなれそうもないようだ。


「愛液ドールズ 悩殺いかせ上手」 2009年公開
監督・渡邉元嗣  脚本・山崎浩治  主演・クリス小澤,青山えりな

渡邉元嗣・山崎浩治の監督・脚本コンビは、またまたブっ飛び映画を創ってくれました。今回はSEX相手のレンタル・ロボットのお話である。さしずめ眉村卓のSF「わがセクソイド」のピンク版といったところか。しかし、これはブっ飛びはブっ飛びでもお笑いではない。切なさいっぱいのロマンチックな一篇なのである。

キャリアウーマンの小山てるみと、作家の「なかみつせいじ」は仮面夫婦である。「なかみつせいじ」は若い女・青山えりなを自宅に引き込み、妻の目の前で堂々と乳繰り合う。小山てるみの方も就活中の若い下宿人・西岡秀記と、よろしくやっている。ある日、小山てるみは泊まり込み出張に出かける。

西岡秀記は、「なかみつせいじ」のパソコンをいたずらし、「なかみつせいじ」宛のアンケートに答えて返信を返してしまう。すると、即日に宅配便でレンタル・ロボットのクリス小澤が、全裸の箱詰めで送りつけられてくる。

ここから先はネタばれ、注意!

実は「なかみつせいじ」が引きこんだ青山えりなも、セフレタイプのレンタル・ロボットだったのだ。せっかくだから二泊三日のレンタル期間中は楽しんだらとの、「なかみつせいじ」の勧めで、西岡秀記は取扱説明書に則り、恋人タイプのロボットのクリス小澤のスイッチを入れる。ロボットには、絶対に自分がロボットであることを知らせないこと、それを知ると混乱して制御不能になることを、西岡秀記は「なかみつせいじ」に注意される。

クリス小澤は不幸な育ちの帰国子女で、レンタル相手を運命の人と信じ込むようにプログラミングされていた。当然、二人は熱く燃える。しかし、無情にもレンタル期間の最終日はあっという間に近づいてくる。そんな時、クリス小澤は西岡秀記の脱ぎ捨てられた上着の内ポケットの取扱説明書を目にしてしまい、自分の過去も今の想いも、プログラミングされたものに過ぎず、レンタルの終了もすぐであることを知ってしまう。混乱した彼女は家出する。

一方、完全に情が移ってしまった西岡秀記は、クリス小澤を追いかけレンタル期限なんて無視して駆け落ちしようと訴える。クリス小澤の清楚な佇まいと、どこか無機質な美しさ、西岡秀記の激しい慕情が、この場面を盛り上げる。クリス小澤も新人なのだろうか。としたら、またまた新人賞候補の登場だ。

この後、第二のドンデン返しがある。出張から帰ってきた小山てるみは、「なかみつせいじ」に事の顛末を聞く。レンタル・ロボットと駆け落ちしてどうするんだろう、レンタル期限がくれば電源が切れるのに、などとの会話の後、もう一つの驚くべき真実が明かされる。実は西岡秀記も、小山てるみがレンタルしたロボットだったのだ。何のことはない。夫婦がそれぞれレンタル・ロボットとのいちゃつきを見せあって、倦怠期回復を図っていただけのことなのである。

ハイキーの映像の中で、激しくも美しくからむクリス小澤と西岡秀記の濡れ場は、切なさいっぱいである。そして時間がくる。電源が切れる。二人はガックリと人形のように崩れ落ちる。

二体のロボットは欠陥商品としてメインテナンスにかけられる。これで、すべてがエンドと思いきや、最後のドンデン返しがある。メインテナンスが終わったクリス小澤と西岡秀記は、手に手をとって再び駆け落ちしていくのだ。
 二人がラブラブだった時、煌々と大きな満月(これが特撮のデフォルメで効果を上げている)が輝く川の畔で愛を囁く。二人の仲は永遠だよ、満月の下で口に出したことは叶うんだって、誰が言ったの、私が言ったの。
 大きな満月の下を、全裸にシーツだけを巻きつけた姿で、駆け落ちをするクリス小澤と西岡秀記。口からでまかせなことでも、心を込めれば真実になる。これは、80年代でまだダイアン・レインが少女だった頃の「リトル・ロマンス」の現代的ピンク的復活でもあった。
2009年ピンク映画カタログ−14

2009年6月27日(土) ●新宿国際名画座
「痴漢電車 いたずら現行犯」 1994年公開
監督・深町章  脚本・双美零  主演・青木こずえ,杉原みさお

「痴漢」を題材にした3話構成の洒落た艶笑コメディ集で、オムニバス風の一篇。深町章の練達の職人技はここでも冴える。以前にも「艶笑コント風の三つのショートストーリーで見せ」る「発情電車 痴漢がいっぱい」を昨年2月に紹介したが、ここでもその腕前は健在だ。(その後、私の掲示板でサンドストームさんから、これは1988年作品の旧題「満員通勤電車 集団痴漢」であることをご教授いただいた)

最初は青木こずえとルームメートのお話だ。ルームメートは彼氏ができてルンルンしている。落ち込んだ青木こずえは、電車内で痴漢に遭遇する。そこに現れたイケメン男に助けられ、彼とラブラブになる。
 ルームメートの彼氏との4人で、パジャマパーティーが企画される。ところが顔を合わせてビックリ。ルームメートの彼氏は、あの時の痴漢ではないか。ところが、青木こずえの彼氏は、ルームメートに痴漢した男であり、ルームメートはその時に助けてくれた男と、やはりラブラブになっていたのだ。要するに、ナンパのネタに痴漢を利用した男のコンビだったのである。
 男なんてもうコリゴリだと、女二人はレズ感覚に目覚め、こんな体を男にやることはないと、愛撫しあってのアヘアヘとなるのが落ちである。

 彼女達の隣室の住人が、売れないエロ作家の神戸顕一である。小説のネタ集めとばかり、壁に耳をあてて女二人の喘ぎを楽しむ彼に場面が移行して、第2話の幕開けとなる。仕事の話が来たので、満員電車に揺られて出掛けて行く。そこで肌を密着する破目になった女が、故林由美香さんだ。彼女は、神戸顕一が昔に家庭教師時代だった時の教え子で、彼女の最初の男であり、今は人妻になっていた。焼けぼっくいに火がついて、ホテルインに至る。(この第2話だけが「痴漢」ネタというにはやや無理があり、全体のトーンが崩れたのは、残念なところだ)
 第1ラウンド終了後、「私も変わったのよ。でも、満足させてくれるわね」「いいよ」、そんな会話の後、由美香さんはシャワーを浴びに、いったん退室する。もどってきたら…鞭を片手のブーツに革装束のSMスタイルで登場!ビシビシ打撃が飛ぶ。ヒーヒーいう神戸顕一、「満足させる約束よ!」と、由美香さんは容赦ない。昔の女といい思いを貪るつもりが、とんだ災難となった顛末でした。

ラブホの外を、最近彼氏と別れて苛立っている女が通る。話はその女に移行し、第3話につながっていく。窓の外にまで聞こえる男の悲鳴は、ますます彼女の苛立ちを増していくことにしかならない。満員電車で別れた男の部屋の合鍵を落としてしまう。どうでもいいとも思うが、やはり気になり拾おうとするが、混み合っていて思うにまかせない。(これが落ちの見事な伏線になるのもうまい)
 そこに、セロテープを巧みに駆使して、拾ってくれた男が現れる。お礼を言うと、調子に乗った男は痴漢行為に出る。でも、男と別れたばかりで苛立っており、欲求不満だった女は、燃えてしまい男とラブホインとなる。
 男は絶妙のテクニックで女を燃え上がらせ、巧みに器具を使って絶頂に追いたてていく。実は、その男は大人の玩具のセールスマンで、欲求不満の女を一目で見分ける特技の男だった。ある程度愛撫を終えたら、早速セールス活動を始める。
 屈辱にまみれた女は泥酔し、帰って眠りこける。眼が覚めたらベッドの隣に元彼がいる。「どういうつもり!」と怒り狂うが、実はそこは元彼の部屋で、泥酔していたので合鍵を使って上がり込んでしまっていたのだ。こうして、ヨリがもどってめでたしめでたしのエンドとなる。

 林由美香さんは、今でもスクリーンの中では、溌剌と生きていた。ピンク映画の場合は、回顧上映とかリバイバルとかの感覚と無縁で、新旧作品が混然と併置されている空間がユニークだ。例えば、平沢里菜子と早乙女宏美が同時代として並列されてしまう場所なのである。
 普通に考えれば、故人が全裸をさらし、アラれもなくよがるなんてものを、死後もさらけ出すなんて、死者への冒涜で慎むべきことかもしれない。でも、林由美香さんに限っては、「今」としてスクリーンの中に活き続けているのは、とてつもなく嬉しい。こんな素晴らしい供養はないと思う。私は、若干胸にジンとくるものを感じながら、ピンク映画館特有の空間で由美香さんを見つめ続けていたのだった。

「触る女 車内で棒さぐり」 (旧題「痴漢電車 朝から一発」) 1989年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・林こづえ,秋本ちえみ

これも旧題は「痴漢電車」である。「痴漢電車」というのは、ピンク作家にとって、イマジネーションを拡げる題材のようだ。こちらの方も、山崎邦紀調のブっとび感覚で、一味ちがった「痴漢電車」ものになっている。これを受けるのが奔流する性のアナーキー描写が激しい浜野佐知演出だが、今回は少々おとなしい。1点突破でスゴいのもあるが…。

主人公の林こずえは、ヒモのような同棲相手に、少々ウンザリしている。そんな彼女のところに弁護士から、大変な朗報が入る。彼女は「数奇」という珍しい苗字なのだが、アメリカに数少ない親類の大叔母がいて、遺産は20億円あるという。引き継ぐ条件としては、彼女が大叔母が見込んでいる遠縁の男と結婚することだそうだ。それでなければ、20億円は福祉施設に寄付されてしまうのである。

ここから先が、人を喰った山崎邦紀流になる。「数奇」一族は、赤ん坊の頃に割礼のような儀式を行う。男は男根の先端、女は小陰唇の内側に、★の刺青を入れるのだ。婚約者の手がかりは男根の先端しかない。もう一つの手掛かりは、最近都内の痴漢グループ中で見かけたとの情報である。

20億円のための婚約者の捜索、林こずえは友達の秋本ちえみに1億円の謝礼で協力を呼び掛ける。電車の中で痴漢にわざと襲われ、そのドサクサで男の男根を引き出し、確認していこうとするのである。ね、何とも人を喰った展開でしょ。

こんな非効率な方法で、婚約者が簡単にみつかるわけもない。戦法を変えて、都内の痴漢の元締め(そんなのあり?)に相談する。すると、公園の覗きで、大勢の男がイチモツを出してシゴくので、まとめて確認できると教えられる。

林こずえは、秋本ちえみに彼氏を誘惑させ、その現場に踏み込んで締め上げる。許すかわりにどっかで女を見つけて青姦しろと、命令する。
 公園での青姦、群がる双眼鏡の覗き集団、その覗き集団のイチモツを双眼鏡で逐一確認していく林こずえと秋本ちえみ、何とも奇天烈な光景が展開する。アレヨアレヨの山崎邦紀流ブっ飛び展開だ。残念なのは、低予算のために、覗き集団の人数が少な過ぎることだ。想像以上の人数でデフォルメしたら、ナンセンス度は、さらに高まっただろう。

ついに、それらしき男発見!なかなかのイケメンで性格もよさそうだ。ホテルインする林こずえ、「私が口でしてあげる」と一刻も早く男根の先端を確認しようとするが、「君にそんなことはさせられない」とやさしく囁かれ、激しく燃え合い、やっと先端を確認できたら、実は単なるホクロだった。彼を憎からず思えてきたのだが、20億円のためには振るしかない。

金の亡者になっていた林こずえは、自己嫌悪に陥る。ついに「自分は嫌な女だ、遺産はあきらめる」と弁護士に告げる。突然、弁護士はズボンとパンツを下ろす。男根に★の刺青だ。婚約者は彼だったのだ。自分の婚約者の林こずえを観察するために、今まで黙っていたのだ。「僕もいやな男だ。遺産はあきらめる。でも、君のことはあきらめられない」2人は体を重ねる。

造りものではあるが、小陰唇の裏側にある★の刺青まで見せる精巧な女陰のアップ。体内からのアングルで、これも先端に★の刺青が彫られた精巧な男根が、ゆっくりと挿入されてくる。アナーキーな性描写が特長の浜野佐知演出にしては、ここまでの濡れ場はおとなしかったが(でも一般的な眼で見れば十分エロい)、ここに来て大爆発してみせた。

後は定石通り、遺産相続した林こずえ、謝礼の1億円を手にした秋本ちえみ、共に幸せになりましたとのことで、おわり。

「いくつになってもやりたい不倫」 2009年公開
監督・坂本礼  脚本・中野太  主演・春矢つばさ,三木藤乃

前回6月12日の「ピンク映画カタログ」で、「淫乱ひだのおく」を「ピンク映画ベストワン」とハシャギ過ぎた。いちおう「候補」と断ったからまあいいが、あまりハシャぐのも考えものだ。本作の「いくつになってもやりたい不倫」、これも有力なベストワン「候補」の一本である。

内容は、別に目新しいものはない。題名どおりの「いくつになってもやりたい不倫」を、カッチリと描いた映画に過ぎない。
 夫婦のSEXは、一般的にはまず子造りだ。でも、それだけなら、そんなに回数をイタすことはない。本来の目的以外のお楽しみとしても存在する。ただ、だんだん惰性になっていく感も否めない。
「不倫」の場合は、子造りの目的はない。いや、デキちゃったらそっちの方が問題である。だからイタすことそのものに情念が集中し、トキメキ感は夫婦のそれよりもはるかに高いだろう。
 そんな人の心の奥底に潜む不倫願望の本質を、マザコン・ファザコンもからめて、ピンク映画ならではの濡れ場を駆使し、ユニークに表現してみせた。

ただし、例によっての坂本礼作品、濡れ場は全然エロくない。王道ピンクからいったら、失格なのかもしれない。でも私は、これはこれでピンク映画ならではの見事な表現だと思う。「淫乱ひだのおく」の練達の職人技の深町章を取るか。新進気鋭の若手の坂本礼のユニークな表現を取るか。難しいところである。でも、映画というのはこのように多様多彩だからこそ面白い。

映画は、温泉旅館の一室のスワッピングで幕を開ける。かなりの人数が激しくからみあい、何組の夫婦がいるのか見当がつかない。大乱交だ。いよいよ坂本礼作品も、エロ度アップになったかなと思わせる。でも、前作の坂本礼作品「や・り・ま・ん」も、いきなり華沢レモンの乳房のアップから始まったが、男が勃起不全ではぐらかされたので、油断はならない。しかし、今回は集団スワッピングをネチっこく見せ切った。

夜が明けてスワッピングを終え、三々五々夫婦が旅館を去っていく。初老のカップル三木藤乃と飯島大介に、映画の焦点は移る。車を運転しながら飯島大介が、三木藤乃にフェラをねだる。「どうせ勃たにないだろうけど頼むよ」と呟くが、これが後で伏線となって効いてくる。車内でのフェラというピンクならではの定番だが、初老の男女である。エロさとは程遠い。結局、興奮した飯島大介は、前方の自転車に乗った石川裕一をはねてしまう。飯島大介の車は、はずみで道路から転落して、彼は死亡し、三木藤乃と石川裕一は重傷を負う。

実は、三木藤乃と飯島大介は不倫の仲だった。三木藤乃は、長女の佐々木ユメカと長男の吉岡睦雄の、二人の子供がいるバツイチ女だった。佐々木ユメカは、ふしだらで父に去られた母を憎んでいる。まだ幼児だったのでそんなことの記憶はない吉岡睦雄は、母を慕っている。
 久し振りの佐々木ユメカは、今回は濡れ場抜きだが、単なるカメオ出演ではなく、母を憎む女の心情をクッキリ表現し、作品に色を添えた。

飯島大介の葬儀を放っておくわけにもいかず、重傷の母の名代として、佐々木ユメカと吉岡睦雄は、香典を携えて告別式を訪れる。当然、遺族の反発を喰らう。飯島大介の娘・春矢つばさと夫・北川輝の二人に、非常識だと香典を突き返される。(何たって、三木藤乃の口の中に、勢いで噛み切っちゃった男根の先が残ったことを、警察の検証で知ったのだから、娘の怒りも当然だ)

吉岡睦雄は、次に果物籠を下げて、交通事故被害者の石川裕一を、お詫びと見舞のため病院に訪れる。そこには春矢つばさもお詫びと見舞に訪れていた。石川裕一は、派遣切りに遭った後、やっと職がみつかったのに、これで駄目になったと、二人に激しく怒りをぶつげる。時事性を巧みに素早く取り入れるピンクならではのフットワークが見事だ。これは、ドラマの幹に対して枝葉の部分だが、前述した佐々木ユメカのエピソードも含めて、この映画は枝葉の部分にもコクがあるのが、映画に厚みを与えている。

告別式ではいがみあった春矢つばさと吉岡睦雄だったが、同じ加害者の立場として石川裕一になじられたことから、お互いのつらさを理解し、相手を憎み過ぎていたと感じて、冷静さを取り戻してくる。このあたりの坂本礼演出が見事につきる。坂本礼は、ロングで前景と後景の人物を同時に捉え、カットを割らず長回しで、心理をジックリあぶりだす映像を用いた時、力を発揮する。この映画でも、帰路のホームに離れて立つ春矢つばさと吉岡睦雄の会話を、ロング長回しで捉え、二人の心の氷解を映画的魅惑で鮮やかに表現してみせた。

思えば「ピンク映画カタログ」の前身、「ピンク日記」スタート2000年の初回で、坂本礼監督の「セックスフレンド 濡れざかり」について、「女子学生と彼氏の幼なじみが、部屋で二人きりになった時、長くみつめ合ううちに、思わず唇を合わせてしまい、その後、女子学生自身が心の空洞に気づき泣きじゃくる息の長い長回しは圧巻」と記しているが、その演出パワーは、今だ健在だ。

春矢つばさの下には、父の飯島大介と三木藤乃の思い出のビデオが残っていることが、吉岡睦雄に告げられる。二人でそのビデオを見ることにして、彼女は吉岡睦雄のアパートを訪れる。観光地で楽しげな表情の、それぞれの父と母の顔を、二人は複雑な思いで見つめる。一転、画面は2人の濡れ場になる。それも、飯島大介がバイアグラを使い、無理に勃たせてのアナルSEXだ。思わず顔をそむける二人、ビデオを停止する。
 複雑な表情で窓際に立ち、間をもたせるようにボーッと外を眺める春矢つばさ。暫しの沈黙の後、「俺、やっぱり見る!」と意を決する吉岡睦雄。生唾を飲み込みビデオを凝視する前景の吉岡睦雄。光景には、ジッと何かに耐えているような窓際の春矢つばさの後ろ姿。この息の長いショットで、確実に二人の心の中で何かが変わったことが、見事に表現される。

 この濡れ場は、冒頭のスワッピング、車中のフェラに続いて、ピンク映画ならではの想定の見せ場として3度目になるが、冒頭のスワッピング以外、初老の男女のカラミだから、いずれもエロとは程遠い。でも、ピンクならではの人間描写であることは、まちがいない。ここでも坂本礼監督の個性は満開だ。

この後、帰宅した春矢つばさと夫の北川輝との、夜の営みになる。それなりに愛し合っている夫婦ではあるが、描写としては素っ気なく、この4度目の濡れ場も全くエロくない。それも当然で、夫婦の営みなんてこの程度のアッサリしたもので、そうでない他の映画の夫婦のエロい営みの描写は、ピンク流エンタメ化のデフォルメに過ぎないのである。

吉岡睦雄は、母の三木藤乃を見舞う。母は、娘の佐々木ユメカが心を開いてくれないのを気にしている。「俺が老後は見てやるよ」と吉岡睦雄が慰める。「いやだよ。お前にお下の世話までされたくないよ」と三木藤乃の母。「俺、母さんのアナルSEXまで見ちゃったんだぜ。今さら気にするなよ」と息子の吉岡睦雄。マザコン息子と母の、えも言われぬ心の綾が、クッキリと浮き彫りになる。

再び、吉岡睦雄のアパートを理由もなく訪れる春矢つばさ、二人はいつしか激しく求め合う。一見、展開としては唐突だが、それとなく説得力もある。夫婦の日常の営みに慣れかかった春矢つばさが、バイアグラで無理に勃たした父のアナルSEXの不倫の激しさを目の当たりにしてしまったのだ。不倫の快楽の渕に、飛び込みたくなるのは一つの必然である。かくして、この映画5度目の濡れ場で、初めて二人だけの激しくエロい光景が展開する。

しかし、この激しいエロさは、長く続かない。二人の再会、映画として6度目の濡れ場は、不自然な形で不倫地獄にハマった二人だけに、エロというよりも、もう脱出不可能になった人間の業を背負い込んだ苦行にしか見えてこない。

この後、愛人だった飯島大介に線香の一本も上げたいと念じる三木藤乃と、キッパリと拒絶する正妻の長谷川晴枝との確執がある。そこで、春矢つばさの不倫願望の根にあるのは、ファザコンの気持らしいことが浮き彫りになってくる。吉岡睦雄との濡れ場の後に、「あなたなんか大嫌い!」と叩きつける春矢つばさ、この映画としての最後の濡れ場も、当然エロさとは無縁となってくる。

春矢つばさは母の長谷川晴枝に無断で父のお骨を持ちだし、三木藤乃に線香をあげさせ、息子の吉岡睦雄には訣別を宣言し、夫の北川輝と離婚して、すべてにけじめをつけ、いずこへともなく去っていく。

1年後、墓参りの場で、春矢つばさと吉岡睦雄は再会するが、思い出話を軽く交わしただけで、永遠に別れていく。狂おしいまでの不倫の、一瞬の情熱の燃え上がりとはそうしたものだ。熟年の不倫の炎が、男の死と共に鎮火するが、それがファザコン・マザコンの若い二人を燃え上がらせて、その炎も時間とともに燻って終わる。「不倫」、何ら生産的なものはなく永続きもしないが、一瞬激しく燃え上がる。その本質をピンクならではの展開で描き切った秀作である。変にエロに流れない坂本礼演出は凄いの一語に尽きる。

ということで、前回「ピンク映画カタログ」では、「淫乱ひだのおく」を監督・脚本賞の本命とした心が、揺らいできた。「からみをちゃんと撮れないピンク監督は駄目」との池島ゆたか監督の言に殉じれば、監督賞は深町章監督となろうが、ピンク的描写を有効に活かしながら、ドラマの構成要素以上にはエロく流れない新進気鋭の坂本礼演出の斬新さに一票という気持も、本音としてはある。まだまだ、今年は折り返し点、今後も、もっと悩ましてくれる傑作続出を期待しよう。

主演の春矢つばさは、新人なんだろうか。清楚な人妻の佇まいが、実に印象的だった。また、熟年の肌を惜し気もなく曝した三木藤乃は、出戻りなのか?新人なのか?新人ならば、これも十分に新人賞候補の一人だ。このあたりは、最終的に逐一「ぢーこ」さんにチェックしていただきましょう。よろしくお願いいたします。
2009年ピンク映画カタログ−13

2009年6月12日(金) ●新宿国際名画座
「人妻投稿写真 不倫撮り」(旧題「特別企画 ザ・投稿写真」) 1990年公開 
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・外波山文明,杉村みはる

外波山文明は、人妻のヌード写真をアダルト週刊誌に売り込んでいるカメラマンだ。街頭で目をつけた女性に声をかけ、言いくるめてホテルに連れ込み、猥褻ポーズの写真を撮りまくる。といっても、街頭で声をかけたシーンから、ラブホテルの看板のアップのカットに繋げ、もうヌード撮影に至るカットになり、口説きの過程はスッ飛ばすピンク流ご都合主義の安易さだ。

メインになるのは、杉村みはるのエピソードである。彼女の夫が、週刊誌上で妻らしき女のヌード(眼にマスクはかかっているが)を発見する。編集部に乗り込み、妻であることを確認する。カメラマンからはポジが送られてくるので、レンタル・ラボの利用者だろうと編集者に教えられ。ラボに張り込んで、彼はカメラマンをボコボコにするが、編集者になだめられる。

編集者は、新しい感覚を知って下さいと、彼にカメラを与え、編集者と妻との痴態を撮影させる。彼は新しい世界に目覚め、妻の杉村みはるのエッチ写真を撮りまくり、投稿しまくり、そんな夫婦生活に興奮する。

例によっての浜野佐知流の性のアナーキー、山崎邦紀流のブッ飛び感覚の魅力と、好意的に見れば見えないでもないが、まあ、すべてを安易にエッチのネタにしてしまう新田栄流の凡ピンクに近いだろう。強いて言えば、ボディもフェイスもとりわけナイスではない素人っぽい人妻風をキャスティングしているドキュメント調が、見所といえなくもない。


「淫乱ひだのおく」 2009年公開 
監督・深町章  脚本・小松公典  主演・藍山みなみ,里見瑤子

傑作である。私にとって、今年のベストピンクの最有力候補だ。監督は練達の職人の深町章。昭和初期の娼館を、座敷内のみにカメラを限定し(庭のシーンは何カットかあるが)、室内の小道具と娼婦の艶めかしい赤い肌襦袢で、低予算ピンクにも関わらず見事な雰囲気を醸し出してみせた。

脚本は、竹洞哲也監督との名コンビが光る若手気鋭の小松公典。ベテラン深町監督とのコンビでも、鮮やかなサポートを見せた。登場人物は女3人・男3人の、6人限定、カッチリとしたシンプルな構成である。そして、キャスティングが
女優は御贔屓里見瑤子嬢を挟んで、藍山みなみ・友田真希と、シュンな女優の揃い踏み。男優は千葉尚之・西岡秀記・牧村耕次と、ピンクを代表する芸達者の面々。私のピンク大賞では、監督・脚本・男優・女優の各賞は、おそらくここから選出することになるだろう。

ただ、多分私だけのベトワン候補になりそうな気がしないでもない。PGのピンク映画大賞では、深町章作品はどうも分が悪い。昨年の「やりたがる女4人」にしても、私は脚本・女優・男優の各賞の対象にしたのだが、「PG」ベストテンでも、「映画秘宝」のピンク映画ベストテンでも、圏外であった。どうも、構成がきっちりしてコンパクトな深町章の練達の職人技は、いわゆるピンク映画「通」のファンには、あまり覚え目出度くないようだ。多少、凝ってゲージュツしてないと駄目ということのようである。

「淫乱ひだのおく」の話題に戻そう。プロローグは、御贔屓里見瑤子嬢の娼婦と馴染み客の西岡秀記との、濡れ場である。瑤子嬢の赤い肌襦袢は妖艶で、ねっとりと濃密な色っぽい濡れ場は、ベテラン深町章ならではの盛り上げだ。もはや瑤子「嬢」という形容は憚られる感も強い。

最近の里見瑤子嬢のこうした展開は意外だった。瑤子嬢はいくら年齢を重ねても、故林由美香さんがいつまでも童顔の魅惑なままだったように、年齢不詳のブッ飛び感覚が続いていくと思っていた。しかし、どうも葉月蛍・佐々木ユメカ・佐々木麻由子の如き、熟女の艶めかしさに転身していく気配である。5月30日(土)阿佐ヶ谷ロフトAの「歌う!ピンク御殿5」でも、「もはやベテランと言ってもいいでしょう。里見瑤子さんです」と紹介されていた。

ここで、「歌う!ピンク御殿5」に、ちょっと寄り道をいたします。回を重ねているこのイベントだが、私は初参加、もちろんお目当ては御贔屓里見瑤子嬢である。私は早めに入場したが、瑤子嬢とお話できる機会があるとしても終演後だろうなと思い、ビールグラスなどを傾けながら開演を待つ。後ろで楽しそうな男女の歓談の声が聞こえる。何と!瑤子嬢がファンに囲まれているではないか。私も、早速歓談の輪に加わらせていただく。

「『人類ドピュー』観ました!里見さん、綺麗だったですね。舞台で泣いていたのは、ビックリしました。たまたま私の観た回だけだったんですか。毎回泣けるんですか」「ええ、毎回泣きましたよ。でも、泣いてるのって分かりました」「はい、横顔の時は、あれ、汗かな涙かななんて思ったんですけど、正面向いたら涙ボロボロでビックリ」私はそんな話題を出し、しばしファンとの歓談の花が咲いたが、「あっ、時間ですね。出番を控えているのに、ノンビリしていたらいけませんよね」そう言ってにこやかに楽屋の方に去っていった。

いや、これには御贔屓里見瑤子嬢、大したものだと思った。私のような活弁や社会人寄席の素人芸でも、ステージ前はかなりナーバスになるものである。アドレナリン全開になって、逃げ出したくなる。ワーッと叫びたくなる。何でこんなこと始めちゃったんだろうと激しく後悔する。楽屋の中は、一人言をブツブツつぶやく個人リハーサルの狂気の集団と化している。そんなステージ前なのに、あえて客席に来てファンとの交流を図るあたり、いかにファンを大事にしているかということだ。mixiで「〜泥の中に蓮一輪〜いつも心に里見瑤子」なるコミュを開設するファンが出るのも、必然というところだろう。

では、話題を「淫乱ひだのおく」に戻します。御贔屓里見瑤子嬢と西岡秀記の濃密な濡れ場を堪能した後、ドラマがスタートする。「初めて客に上がったのは、まだ大正だったな」との西岡秀記の言葉で、この映画の時代背景が昭和初期であることを伺わせる。繰り返すが、赤い肌襦袢をはじめ、衣装や室内小道具にちょっとした工夫を凝らすだけで、低予算にも関わらず時代色を感じさせる深町演出は見事だ。「お金くれる。これが2人の馴染みの長さね」と瑤子嬢、「なぜだい」と西岡、「最初の頃は、先にお金払ってもらったじゃない」、何とも粋で色っぽい会話のやりとりだ。小松公典脚本は、後述するが、この後も洒落たダイアローグが続く。

西岡秀記は里見瑤子嬢に、所帯を持とうと持ちかける。ところが、瑤子嬢は色よい返事をしない。この世界では、客に本気で惚れちゃあいけないんだと話す。そして、妹のように可愛がっていた藍山みなみの、悲しい恋の顛末を語り出す。この入れ子構造の脚本構成もうまい。

里見瑤子嬢と、娼館に売られてきた藍山みなみとの、最初の出会い。地味で純朴な風情の藍山みなみは適役だ。この娘は娼婦の世界には向いてないと、瑤子嬢は感じる。無邪気に庭で紙風船をつく藍山みなみの清純さが鮮烈だ。(この庭のシーンが唯一の屋外シンーンである。その演出のアクセントも見事だ)

予想どおり、藍山みなみの最初の客の、牧村耕次との行為はぎこちない。体を固くして、おびえきったような藍山みなみと牧村耕次との濡れ場は、冒頭の里見瑤子嬢=西岡秀記のネットリした濡れ場と、鮮やかな対比を出す。「金払ってんだ!嘘でもヨガってみせろ!」と、牧村耕次の平手打ちが飛ぶ。

その場に里見瑤子嬢が乗り込んでくる。「何だ!てめェは!」気色ばむ牧村耕次。「ここは男と女が楽しむところだよ。どなり声や叩く音が聞こえちゃあ、ほっとけないね!」瑤子嬢の威勢のいい啖呵が小気味いい。「四畳半革命 白夜に死す」のスナックの気っ風のよかったママを思い出す。「これで文句ないだろ!」と花代を牧村耕次の口に詰め込むあたりは、痛快の極みだ。

シンミリ語り合う里見瑤子嬢と藍山みなみ。藍山みなみの口から、牧村耕次は自分を売り飛ばした義父であることが、明かされる。「それで、最初に味を見ようっていうのかい。外道だねえ。でも、あたしは実の父親に売られたんだから」と、瑤子嬢も自らの身の上を明かす。薄幸の女二人が、ひっそりと心を寄せあう姿が切ない。瑤子嬢の姐御っぷりが、ここでも光る。二人の源氏名は、瑤子嬢が蓮華、藍山みなみが朝顔、このあたりの小松公典脚本の情緒あふれる命名も素晴らしい。

そして、藍山みなみは、馴染み客の千葉尚之と恋に落ちる。二人は将来を言い交わす仲になる。恥じらいながらも燃えていく藍山みなみ=千葉尚之の濡れ場は、妖艶な里見瑤子嬢=西岡秀記の濡れ場、美女と野獣的な藍山みなみ=牧村耕次の濡れ場との、いずれとも一味違う濡れ場として見事な見せ場を構成する。

千葉尚之は、自分の決意を示すために、ある悲恋話を藍山みなみに語る。身分違いの恋から、身受けに行こうとした日に、男は親に蔵へ閉じ込められ、やっと抜け出した時は、女は絶望し自害して果てていた。でも、自分は父との二人暮らしで工場を経営しており、誰も反対する者はいないから安心してくれ、と話す。

姉貴分の里見瑤子嬢は藍山みなみに忠告する。「人を信じるには二つの覚悟がいるよ。信じる覚悟と、裏切られる覚悟さ」このダイアローグも味わい深い。ここでも小松公典脚本の良さが光る。

だが、千葉尚之の工場のスポンサーの娘の友田真希は、千葉尚之に横恋慕していた。彼女は人妻だったが、離婚してまで千葉尚之に迫る。手錠・足縄で千葉尚之を拘束し、父の援助が打ち切られれば工場はつぶれると脅迫し、激しく彼の体にまたがる。昨年のピンク大賞の新人女優賞、新人離れした大型新人の友田真希の、熟女の鬼気迫る深情けぶりが凄い。前述の三種の濡れ場とまた一味ちがったSMチックの濡れ場であり、この変化のつけ方も見事である。

「淫乱ひだのおく」では4回の濡れ場があるが、すべてバリエーションを変えているのは、さすがに深町章の練達の職人芸だ。これならば、ピンク映画特有の濡れ場の連発も、ドラマが中断されて「またかいな」とウンザリすることはない。これはこれでドラマとは別種の見せ場として、立派に成立する。度々引き合いに出して恐縮だが、ある意味でのピンク王道である新田栄作品の濡れ場は、一つだけみればかなりエロいが、激しいピストン運動アヘアヘの連続で、続いてくるとゲンナリしてくるのである。ただし、上野あたりの出張サラリーマンの時間調整、新橋あたりの外勤中途のサボリの暇つぶしで、中途から見て中途で出てしまう客にとっての、新田映画の存在価値を私も認めないものではない。

藍山みなみは待つ。待って待って待ち続けるが、次第に憔悴し、ロクに眠らず食事も摂らず、衰弱していく。千葉尚之が友田真希を絞殺し、やっと脱出して駆けつけた時、藍山みなみはすでにお骨になっていた。瑤子嬢が彼に告げる。「最後に、ナミと伝えてください、と言いました」多分、朝顔の本名なのだろう。最後は本名を呼んでもらいたいとの藍山みなみの心情が哀れを誘う。「ナミー!」千葉尚之は骨壷を抱きしめて号泣する。小松公典脚本の情感の盛り上げはここでも鮮やかだ。(もちろん演出の巧みさは言うまでもない)

里見瑤子嬢の、西岡秀記への長い話は終わる。「だから、あたしは客との恋なんて信じないのさ」と気だるく語る。「俺はあきらめない。いつまでも待つよ」と西岡秀記。これ以前に瑤子嬢の口から「人も煙草も最後は灰さ」という言葉が吐かれている。これも味わい深いダイアローグだ。映画は、灰皿の吸いさしの煙草のアップでエンドとなる。

変化をつけた四様の濡れ場、衣装・小道具を巧みに活用しての時代色の表現など、ベテラン深町章監督の見事な演出。登場人物を男3人・女3人に絞り込んだコンパクトな構成と、味わい深いダイアローグに溢れた小松公典の名脚本。そして、それらをきちんと具象化した3女優の御贔屓里見瑤子嬢・藍山みなみ・友田真希と、3人の男優・千葉尚之・西岡秀記・牧村耕次。繰り返す。これは私にとって、今年の有力なピンク映画ベストワン候補である。
2009年ピンク映画カタログ−12

2009年5月24日(日) ●新宿国際劇場
「痴漢電車 ゆれて密着お尻愛」 2005年公開
監督・加藤義一  脚本・岡輝男  主演・矢藤あき,小川真美

日雇いの松浦祐也と柳東史は、痴漢の常習コンビだ。ある日、初老の日雇い仲間の久須美欽一に息子になってほしいと、松浦祐也は懇願される。久須美欽一は、一人身の寂しさから、擬似家族を作ろうというのである。

松浦祐也の相棒の柳東史は、久須美欽一がゴミ溜めから五千万円を拾ったことを嗅ぎつける。仮の息子になって、隙をみて金を盗み出してしまえとそそのかす。久須美欽一は、仮の妻になることを行きつけの飲み屋のママ小川真美に頼む。その店の常連のおかま色華昇子も家族に加わりたがり、久須美欽一は「一人くらい、こういう出来の悪いのがいるのもいいだろう」と、松浦祐也の妹(弟?)にすることで承諾する。(グラマラスな巨体のニューハーフ色華昇子、一時期ピンクで大活躍していたが、最近は見ない。今はどうしているのだろう)

ここまで来れば、この映画の元ネタは明白である。前田陽一の「喜劇 家族同盟」だ。おかまちゃんが加わるあたりも、元ネタに忠実だから、これはパロディやオマージュというよりは、むしろリメークと言った方がいいかもしれない。

さて、息子役の松浦祐也には、嫁が必要となる。そこで、柳東史との痴漢コンビで一計を案じる。電車内で柳東史が、行きずりに目をつけた矢藤あきに痴漢行為に及び、それを松浦祐也が救うというシチュエーションだ。一計は的中し、あっさりと矢藤あきと松浦祐也は、恋におち結婚にまで至る。

ただし前述したように、あまりにも元ネタに忠実なのは、かなり分が悪い負け戦になる。何たってオリジナルのキャストは、有島一郎・ミヤコ蝶々・川谷拓三などの芸達者揃いなのである。元ネタとの違いは、矢藤あきだけが擬似家族なのを知らないということで、それが判明したことが擬似家族解体のきっかけになるのだが、オリジナルの面白さは、全員が虚の家族を承知の上で演技をするところなのだから、むしろその面白さを希薄にしてしまい、また元ネタと比して妙に湿っぽいものにもしてしまった。元ネタと異なるもう一点は、ピンクらしく擬似夫婦二組がしっかり関係して濡れ場を見せることだが、これもオリジナルの擬似家族演技の面白さを半減させる結果にしかならない。

久須美欽一は、一千万円で擬似家族を堪能して十分満足し、残りの四千万円は社会福祉団体に寄付してしまい、松浦祐也と柳東史の大金盗み出しの目論見は泡と消える。すべてを失って解体した擬似家族だが、月日を置いた花見のある日に、鍋を囲んで全員が三々五々集まって来て、ホノボノムードで終わるのは悪くないが、所詮はオリジナルのユニークさに対して負け戦にしかならなかった。この種の類いは、つくづく池島ゆたか監督=五代暁子コンビのピンク流アレンジがいかに絶妙かを、感じさせられた一篇だった。

「屋台のお姉さん 食べごろな桃尻」 2009年公開
監督・脚本・荒木太郎  主演・飯島くらら,佐々木基子

久須美欽一と荒木太郎(監督自身の主演!)の、兄弟のような仲良しコンビは、無許可の屋台食堂を共同で開いている。このオープンセットが、スローガンなどがそこら中に貼り出してあったりして、凝っており眼を楽しませる。失業者のための安売りサービスというムードも良く出し、時節を巧みに取り込んでいる。願わくば安さが売りのオリジナルメニューを、もっと次々と美味しそうに見せてほしかったところだ。

ある日久須美欽一と荒木太郎は、レイプされていた飯島くららを助けて、店に連れてくる。彼女は、親が借金で夜逃げしたため一人放り出され、北海道から上京してきたという。北海道のオリジナルメニューを開発し、愛らしさから看板娘になる。飯島くららの田舎娘丸出しだが素朴な可愛さは、新人(だと思うんだが…ぢーこさん、来年の投票時には、また確認ご教授の程をお願いします)賞の有力候補だろう。

当然、久須美欽一と荒木太郎は飯島くららに夢中になる。夢の中や妄想で、激しい濡れ場を展開する。ある日、彼女が議員候補の野村貴浩に夢中になっていることに、二人は気付く。ところが、後をつけたら野村貴浩は、恋人らしき佐々木基子と仲睦まじくしているではないか。そこで二人は計略を巡らせる。食堂に来た佐々木基子を二人で誘惑し、ついに事に及んだところで野村貴浩を呼びだして見せつけ、心を引き離そうというのである。ところが、実は佐々木基子は野村貴浩の姉だったのだ。かくして、野村貴浩と飯島くららは結ばれ、佐々木基子は久須美欽一と荒木太郎コンビといい仲になり、文字どおり二人は「兄弟」となってめでたしめでたしと、叙情派の荒木太郎映画としては、今回は他愛なく終わるのでした。佐々木基子が、久須美欽一と荒木太郎の二人を並べて寝かせて跨り、イチモツ2本を同時に女陰に飲み込む濡れ場は、新趣向であった。いや、この新趣向は、冒頭にまず展開されるのである。

ということで冒頭の御贔屓里見瑤子嬢のパーツです。今回の瑤子嬢は、カメオ出演に近い特別出演的存在である。貧乏食堂の二人の幼馴染みで、セレブの「なかみつせいじ」がいる。その愛人が里見瑤子嬢だ。精力絶倫女である。まず久須美欽一と荒木太郎のイチモツ2本を同時に下の口でくわえ込んであっさりイカせてしまう。それだけでは満たされず、激しく体をくねらせのたうち回るエロっぽさは魅せる。そこで、やおら愛人の「なかみつせいじ」がのしかかり、彼女は喜悦の声を上げる。後背位の状態で、食堂の出前料理を口いっぱいに頬張り、「ガオーッ」と叫ぶあたりは、久々にブッ飛び女優の御贔屓里見瑤子嬢の面目躍如であった。この後、精力を吸い取られてトボトボと帰路につく久須美欽一と荒木太郎が、レイプされている飯島くららに遭遇する前述の場面につながっていくわけである。
2009年ピンク映画カタログ−11

2009年5月14日(木) ●飯田橋くらら
飯田橋くららがビデオシステム上映になってから初めて入館したが、やはり画質の鮮明度・色調はフィルムに比べて、かなり劣るのは否めない。ただし、木戸銭は通常の半分の900円均一也。

「P・G Web Site」で、新版改題再映作品リストのリンクが拡大された。誠に優れモノになって、結構な限りである。

「極撰マダム 前も後ろもナマで」(旧題「本番熟女 女尻の奥まで」) 1997年公開
監督・浜野佐知  脚本・山崎邦紀  主演・成瀬美佳,吉行由実

例によっての浜野佐知のアナーキーな性の奔流に、脚本・山崎邦紀のブッ飛び感覚も加わって、奔放な一篇が仕上がった。
 医学博士の久須美欽一が経営する健康道場がある。各自それぞれが持つ性感帯を発見し、それを解放することが健康に繋がるとの、独自の理論を持っている。吉行由美の主婦の性感帯は、乳房のふもとで、夫にそこを愛撫されて、心身絶好調である。主婦友達の成瀬美佳も、彼女に勧められて道場を訪れ、性感帯は尻の奥だと診断される。でも夫の真央はじめになかなか言えない。思い切って告げたら、夫に道場を怪しげな新興宗教と同列と決めつけられ、穢い!と言われて相手にもされない。ここまででも、ずいぶん怪しげな山崎邦紀流だ。
 ここから、浜野佐知流のアナーキーな性の奔流が始まる。診断が正しいかどうか確かめるために、吉行由美は自分の夫を貸すと申し出る。オイオイオイ、そういう展開アリ?って感じである。診断は正しく成瀬美佳は悶え狂う。しかし、彼女の夫は相変わらず取り合わない。
 悶々として成瀬美佳は、久須美欽一博士に相談する。すると、尻の奥に性感を持つが、やはり妻に穢い!と拒否された彼女と同じ悩みの杉本まことを紹介する。当然、成瀬美佳と杉本まことはうまくいく。うまくいくけど、それってあり?それでいいの?という感じである。
 成瀬美佳の夫の真央はじめは、義妹の青木こずえに同情され、不倫にいたる。すべては浜野佐知流アナーキーな性の奔流で、めでたしめでたし(?)となりました。

「獣の交わり 天使とやる」 2009年公開
督・いまおかしんじ  脚本・港岳彦  主演・吉沢美優,尾関伸嗣

「いまおかしんじ」の映像パワーは、相変わらず凄い。具体的に文章化できない私の非力を感じるが、とにかくショットに力がある。
 描かれるのは神と罪と許しというかなりハードなテーマだ。さしずめ「いまおかしんじ」版の「シークレット・サンシャイン」といったところか。
 尾関伸嗣と山崎康之は喧嘩の果てに、山崎は植物人間になってしまう。その尾関伸嗣は郷里の宮崎から大阪に働きに出ていたが、時節柄失業してしまい、帰郷してくるところから映画は始まる。
 植物人間の山崎康之は、母と妹の吉沢美優の二人の介護を受けている。当然生活は苦しい。吉沢美優は上司と不倫関係にあるが、経済的援助も受けているようだ。
 吉沢美優はクリスチャンで、教会に礼拝に行く。兄を植物人間にした山崎康之を、何とか許そうと努力しているようだ。山崎康之は、浅黒い素足の「何者か」につきまとわれている悪夢にとりつかれている。そんな中で、帰郷の途中のホテルに備え付けてある聖書を手にする。神からの許しを通じて、贖罪を図ろうとの意識が目覚めたようにも見える。
 帰郷して吉沢美優に許しを乞う山崎康之。それが関係したのか否か、吉沢美優は聖書を海に投げ込み、何かを決意するように、全裸になって海に入っていく。そして、突然(植物人間の兄を抱える家計のためであろうか)風俗に身を沈める。
 風俗嬢として吉沢美優を買い、ホテルの部屋で謝罪して許しを求める山崎康之。そして何故か二人は、いつしか熱く体を重ねている。何かが吹っ切れたような表情で、再び海岸に佇む吉沢美優、「水に濡れていない」真新しい聖書が、「海から」打ち上げられてくる。それを手に取る吉沢美優に、彼女の聖書の詩句の朗読が、エンドクレジットが終わるまで、延々と続く。聖書の詩句の朗読は、それまでも随所に差し挟まれていた。また、幻想のように、尾関伸嗣が植物人間から意識を取り戻し、母の前に立ち上がってくるインサートなどもあった。
 映像パワーがあるから何とか観ていられたが、私にとっては、何だか狐につままれたような映画にしか見えない。脚本は「シナリオ」誌の第4回ピンク映画シナリオ募集入選作だったそうだが、私の感想は、最終的には次の一言に尽きる。「ピンクでゲージュツやっちゃ、いけませんわな」
2009年ピンク映画カタログ−10

上野オークラ劇場の「GWイベント!! OP映画祭り2009」に皆勤した。これで2009年度ピンク大賞の対象作品鑑賞は8本。まだまだ、今年も大賞参加資格ゲットには、前途多難である。イベントの話題は、「映画三昧日記」で簡単に紹介します。寄り道して下さい。本コーナーは従来どおりの「カタログ」に徹します。

2009年5月2日(土) ●上野オークラ劇場
「不倫ファミリー 昼から生飲み」 2009年公開
監督・池島ゆたか  脚本・後藤大輔  主演・真咲南朋,浅井舞香

大学院生の真咲南朋は、同じ研究室の准教授の柳東史と不倫関係にある。彼女の母の浅井舞香は、大阪に単身赴任中で月に一回帰宅する夫「なかみつせいじ」を、待ち続ける境遇を十年も続けている。その寂しさから出張美容師の久保田泰也と不倫関係にある。
 実は夫の「なかみつせいじ」は大阪に山口真里の愛人がいて、小学生の子供までいる。しかも、リストラされて生活も愛人に支えられており、別れるに別れられない深みにはまっている。
 真咲南朋は、柳東史の子供を妊娠して自分で育てたいと思うが、実は彼は種なしだった。そのゴタゴタで、彼との関係に嫌気がさしていた時に、かねてから彼女に想いを寄せていた公園の整備員の野村貴浩に告白され、深い関係になる。

何だかこう書いていくと、濡れ場の方便でストーリーが転がる凡ピンクみたいだが、そこは才人の池島ゆたか、決してそれだけに終わらせない。愛人の山口真里が、交通事故で急死する。切羽つまった「なかみつせいじ」は、小学生の私生児の息子を連れて、大阪から帰郷する。ショックで妻の浅井舞香は寝込んでしまう。怒り狂った娘の真咲南朋は父をののしり、小学生の息子を、大阪までの旅費を渡して追い出してしまう。名画のパロディ=オマージュが定番の池島=五代暁子(今回のポジションは脚本でなく原案)コンビだが、今回は「鬼畜」の様相を呈してきた。

でも、名作「鬼畜」を単純にリメークするような負け戦は、決して池島ゆたかはしない。父の「なかみつせいじ」が自殺を匂わせる置き手紙で家出し、行方を探すことを通じて義理の姉弟の二人の仲が近さをます。公園のブランコから激しく墜落して気絶した「なかみつせいじ」を自宅に運びこんだのは、公園整備員の野村貴浩で、これも真咲南朋との関係に親密さを増す結果になる。この大怪我がきっかけで、浅井舞香と「なかみつせいじ」の夫婦仲も回復する。これら伏線の張り方も、さすがベテラン池島ゆたか、実に巧い。

最後はラブラブの二組のカップル、真咲南朋=野村貴浩、浅井舞香=「なかみつせいじ」の、濡れ場のカットバックで締めくくられる。この間に、食器を丁寧に丁寧に洗っている少年の姿がインサートされる。多分、この子も家族の一員として、居場所を得ただろうことを匂わせるハッピーエンドである。

恋がうまくいかない時に、真咲南朋が庭に投げ捨てた泥だらけの熊のぬいぐるみを、少年がきれいにして部屋に戻す伏線もある。また、野村貴浩は、下に4人の弟を抱えており、そのために働かなきゃならないと、真咲南朋に話すシーンもある。多分将来は、この弟たちも加えた楽しい大家族ができるのではないかとの、暖かい気持ちも生じさせる。「鬼畜」と同様の不倫の子をネタにしながら、家族の崩壊ではなく、それとは真逆に家族の再生を描いてみせる。さすがに池島ゆたか映画だ。

脚本は、ここのところ池島監督とのコンビが多い後藤大輔。冒頭にチープなアニメ(というよりも手作り動画といった方がふさわしい)と組み合わせた真咲南朋と柳東史の、コミカルな濡れ場がある。ラストはデフォルメに近い磨き上げられた食器の山である。この最初と最後のシュールな感じが後藤大輔風といったところだろうか。

後の上映作品2本は私がすでに観た「超いんらん やればやるほどいい気持ち」と「未亡人民宿 美熟乳しっぽり」。

2009年5月3日(日) ●上野オークラ劇場
「乱姦調教 牝犬たちの肉宴」 2006年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・青山えりな,吉岡睦雄

男と女の交情をシットリと描くのが持ち味の竹洞哲也だが、これは一味違って、昨年の「監禁の館 なぶり責め」同様の耽美・猟奇ホラーである。

視力障害でボクサーの道を断たれた松浦祐也は、世をはかなんで樹海に入る。それを追って樹海に入る恋人の青山えりな。しかし、樹海の中で、奇声をあげる奇妙な男の吉岡睦雄に補足されてしまう。監禁された一室には、倖田李梨がいた。彼女は吉岡睦雄に、徹底した調教を受けていた。中出しされ、尻を叩かれて精液を再び放出させられ、コップに受けたそれを吉岡睦雄はあたかも牛乳のように苺に塗りたくり、倖田李梨の口に押しこむ。反吐が出そうな食物であるが、体力を維持して、いつか逃走しようと思う彼女にとっては、受け入れるしかない。人格徹底崩壊に追い込むサディズムは、「監禁の館 なぶり責め」と同様である。

だが、吉岡睦雄は倖田李梨に飽きたようで、彼女を解放し、青山えりなに毒牙を向ける。解放された倖田李梨は、樹海の巡回員の小林節彦に救出されるが、実は彼もグルで、海外に人身売買する組織と繋がっている。

青山えりなは、股間を凝視されたままでの放尿、立ち小便まで強要され、吉岡睦雄は喜々として尿を飲みほし、精液まみれの苺を彼女の口に押しこむ。今度は、彼女が人格崩壊に追い込まれていく。時折、障子の陰に写る女の姿を目にするが、青山えりなの救出を訴える悲鳴は聞こえないようで無視される。女は、もう一人の捉えられているらしい男の上に跨ったりもしている。この猟奇・耽美の地獄絵図を、軽く点滅を繰り返す照明も効果的に、クラクラする幻想空間として、竹洞演出は現出する。

はい!ここから先はネタバレです。

捉えられている男は、青山えりなの恋人の松浦祐也だった。障子のシルエットの若い女は、吉岡睦雄の女装だった。彼には、かつて朝日かりんの同棲相手がいたが、彼女はそのサディズムに耐えられず逃亡した。その時、吉岡睦雄は絶望のあまり、彼女の人格を己の中に引き込んだ。サイコホラーとはよく言うが、これは文字通りのヒッチコックの「サイコ」ホラーであった。吉岡睦雄のアンソニー・パーキンスばりの狂気表現はなかなかいける。時空を超越して出没する不気味な映像効果も、それを盛り上げていた。

青山えりなは、松浦祐也と共闘して反撃し、脱出に成功する。その後の樹海で、今度は朝日かりん(吉岡睦雄の進化した姿か?)が亡霊のように犠牲を求めて彷徨っているエンディングが、さらに効果的だった。最後に流れる童謡「とおりゃんせ」も不気味である。「監禁の館 なぶり責め」同様に、男と女の交情をシットリと描くのが持ち味の竹洞哲也が、もう一つの個性を際立たせたホラーの佳作であった。

「いとこ白書 うずく淫乱熱」 2009年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・赤西涼,かすみ果穂

幕開けは高校生で、その後に大学に進学する赤西涼と、その従姉の大学生かすみ果穂の、二人のあっけらかんとしたSEX行状記。往年のロマンポルノ「桃尻娘」を彷彿させる青春艶笑コメディ風だ。竹洞哲也の新たなる個性の開花である。ただ、「桃尻娘」における突っ込みの竹田かほり、ボケの亜湖ほどの対照の妙が、赤西涼とかすみ果穂に乏しかったのが残念なところだ。

赤西涼には、高校時代のボーイフレンドがいる。かすみ果穂には想っている人がいる。クラスメートのバイト先の店長の岡田智宏である。クラスメートの方はかすみ果穂を想っている。かすみ果穂は従姉の赤西涼との四人のダブルデートを仕掛け、折をみてクラスメートの方を引き離してくれと頼む。ところが、かすみ果穂は酔いつぶれてしまい、気がついたらかすみ果穂とクラスメート、赤西涼と岡田智宏という逆カップルでホテルinしてしまった。

かすみ果穂は、酔い潰れている女を抱くなんて最低だと、いったんはクラスメートを振るが、後日、スキャンティーまでは脱がしたが何もできなかったとのことを知り、その純情に感じてよい仲になる。岡田智宏は赤西涼に夢中になり、あっけらかんと高校時代のボールフレンドとの二人の男を振り回す赤西涼の姿でエンドとなる。他愛ない話といえばそれまでだが、赤西涼とかすみ果穂とのナチュラルにポンポン飛び交う奔放なやり取りが魅力のこの映画は、それでいいのである。

この映画の公開日は5月15日(金)だから、「OP映画祭り」では先行公開である。よって、「P・G Web Site」でも、公開日・タイトル・配給・監督・主演のみの記載しかなく、詳細スタッフ・キャスト・物語の記載はまだない。これがないと、いかに私が「ピンク映画カタログ」が書きにくくなるかを痛感させられた。いや、それだけならいいが、誤認などがあったりしたら、ご容赦ください。

もう1本の上映作品は、すでに私が観た「桃肌女将のねばり味」

2009年5月4日(月) ●上野オークラ劇場
「女子大生セックス占い」 1984年公開
監督・小川和久  脚本・(不明)  主演・三条まゆみ,しのざきさとみ

ネットの「日本映画データベース」に脚本の記載がない。キネマ旬報決算特別号「封切映画一覧表」でも、この頃のピンク映画は監督の記載しかない。こうと知っていれば、鑑賞時にクレジットをチェックしておけばよかったんだが、文字どおり後の「祭り」である。

不感症の女子大生がいる。愛人は、何とか目覚めさせようと、SEXクリニックでバイトさせる。クリニックの院長は、SEXレポートを書かせる宿題を与え、性感の目覚めを目論む。男なんてつまらないというレズの女子大生コンビが協力する。レポート作成を通じて、3人とも男が最高との性の快楽に目覚める。不感症を克服した主人公に、愛人もクリニックの院長も夢中になるが、彼女はもっと多くの男を知りたいと、二人から去っていく。

濡れ場の方便だけで、ストーリーが転がる典型的な凡ピンクである。この日のメインゲスト加藤義一監督の選定だそうだが、何でだろう。テンポのよい音楽がかぶさる濡れ場はそれなりに見せるが、その程度だ。

トークショーの加藤義一監督の弁によると「僕の映画を3本続けてみても面白くないでしょ」「今日上映する『半熟先生 淫らな課外授業』でしのざきさとみさん(この日のゲストの一人)に出てもらったので、若い頃のしのざきさんも観てもらいたいと思いました」「こういう古い映画って、なかなか観る機会がないですよね」「私は、小川監督の映画が好きなんです」ウーム、最後の一言、「好き」ならばしょうがないか。

「禁断の記憶 人妻が萌えるとき」 2009年公開
監督・加藤義一  脚本・岡輝男  主演・小島遊恋,藍山みなみ

新人の小島遊恋は、小島遊と書いて「たかなし」と読むと、上野オークラ劇場のチラシで紹介されていた。いい機会なので…ということで藍山みなみは、藍山と書いて「あおやま」と読むことも併記されていた。後者の方は、かなりの人が知っているかもしれない。

この映画の公開日も5月22日(金)で、「OP映画祭り」では先行公開である。だからこれも「P・G Web Site」では、公開日・タイトル・配給・監督・主演のみの記載だけで、詳細スタッフ・キャスト・物語の記載はない。「いとこ白書 うずく淫乱熱」同様に、誤認などあったりしたらご容赦ください。

小島遊恋と藍山みなみのレズ関係がシットリ描かれ、情感あふれた良い映画である。ブッ飛びが持ち味の加藤義一監督だが、時にこのような竹洞哲也風の情緒の世界を魅せてくれる。

藍山みなみは医師の夫人だが、レズ体質のあるせいか、夫とのSEXに少しも燃えない。ウンザリした夫は看護師の女と不倫関係にある。ある時、記憶喪失の女の小島遊恋が病院に担ぎ込まれてくる。彼女は高校生時代にピアノの天才で、全校の憧れの的であったが、高飛車なヤナ女子高生でもあった。ネクラの眼鏡ブスだった藍山みなみにとっても憧れの存在だったが、そっと遠くから熱い視線を送ることしかできなかった。

藍山みなみは、小島遊恋の記憶回復のために、アパートを借りて同居することを夫に申し出る。そして、昔の2人は無二の親友であり、一回キスしたこともあるとの過去をデッチ上げ、いつしか、二人はレズ関係の深みに入る。その後、藍山みなみは、夫の不倫を知り、離婚する。

街頭で、高校時代のクラスメートの岡田智宏と、二人はバッタリ出会う。全校のアイドルとネクラのメガネブスが共に仲良くいることに、不自然さを感じる。嘘の過去がバレることを恐れ、藍山みなみは彼を遠ざけようとする。しかし、岡田智宏は自宅まで調べて、さらに藍山みなみに接近し、ついにナイフを突き付けて彼女を拉致する。

ここから先、ネタバレです。注意!

大学に入った小島遊恋は、高飛車な態度が反感を買って、指を怪我させられてしまう。ピアノを失った彼女は自暴自棄になり、男漁りに精を出した。真面目なサラリーマンの岡田智宏も彼女の毒牙にかかり、サラ金やついには会社の金にまで手をつけて貢いだあげく、捨てられる。会社も首になり人生を破滅させられた岡田智宏は、怒りにまかせ彼女を崖から突き落とす。その彼女が生きている。折角再び立ち直りかけた人生なのに、彼女の記憶がもどったら終わりだ。岡田智宏は殺人未遂の現場の崖上で、藍山みなみにそのことを告白する。

その二人の前に小島遊恋が立ちはだかる。彼女は、その地を訪れて、記憶を回復したのである。もみ合いになる3人、勢いで藍山みなみは、岡田智宏をつき落としてしまう。「嘘をついてごめんなさい」と藍山みなみ。「いいの、いやな過去の私を消し去った記憶を創ってくれたんだから。ありがとう」と小島遊恋。二人の関係は誰も知らない。この過失致死も二人だけの秘密にしましょう、となる。

クライマックス、女二人だけで生きていくことを決意した小島遊恋と藍山みなみ。紙の鍵盤を体に張りつけた藍山みなみ。ピアノを弾くように小島遊恋の指が、藍山みなみの乳房へ股間へと、愛撫するように這う。ハイキーの画面が、情感をタップリ盛り上げる。

岡田智宏は死ななかった。失語症の記憶喪失者として、以前に小島遊恋のいた病院に担ぎ込まれていた。記憶回復の手がかりにと絵を書かせられる。書いた絵は、彼が小島遊恋にプレゼントし、突き落とした時に耳につけていた高価なイヤリングのスケッチだった。この後の展開や如何に…余韻を持って映画は終わる。

藍山みなみは適役だった。決してブスではなく、むしろ可愛い顔なのだが、何故か眼鏡をかけるとネクラな眼鏡ブスが似合う。「やりたがる女4人」でも、平沢里菜子に「メガネブス、チビタンク」とののしられる姿は絶品だった。

トークショーで小島遊恋が、脚本を読んだら役が逆だと思ったと語っていたが、それはない。やはり、あの医師夫人の役は、藍山みなみ以外考えられない。ただし、小島遊恋に少々華やかさが乏しかったのは事実で、そこがこの映画の残念なところだった。

この日のもう1本の上映作品は、すでに私が観た「半熟先生 淫らな課外授業」(旧題「教育実習生 透けたブラウス」)でした。
2009年ピンク映画カタログ−9

4月11日(土)に新宿国際劇場に行ったら、隣の新宿国際名画座で、祝・アカデミー賞受賞のコピーを掲げた滝田洋次郎作品「痴漢電車 百恵のお尻」のポスターが張り出されていた。フットワークの軽快なピンク映画界ならではである。併映作の一本、新田栄の新版改題再映作品はどうでもいいとしても(失礼!)、もう一本が1月に銀座シネパトスでロードショーした団鬼六原作の新東宝一般映画「Mの呪縛」で、結構おいしい番組だ。滝田洋二郎のピンク映画の楽しさについては、「キネマ旬報」4月上旬号「緊急特集 オスカー受賞 監督 滝田洋二郎」で、秋本鉄次が細かく紹介しているが、私は一本も観ていない。12日(日)は、「蛙の会」会員の高橋晴美座長の劇団「はなムスび」公演(王子のpit北/区域にて開催)「腹腹ボレロ」の夜の会を予約している。それならば、そこに行く前に寄り道するのも悪くない。かくして2日続けての成人映画専門館通いと相成った。

2009年4月12日(土) ●新宿国際名画座
「保健教師 ダブル不倫」 (旧題「濃密セックス 校内不倫」) 1993年公開
監督・新田栄  脚本・岡輝男  主演・仲山みゆき,牧村耕次

仲山みゆきは保健室の校医で、体育教師の牧村耕次と不倫関係にある。仲山みゆきの夫はDV男、牧村耕次の妻は夫を見下しているバリバリのキャリアウーマンと、家庭的には幸せでない結果の二人の不倫だ。DV夫は援交女子高生に手を出すが、それは牧村の教え子だった。女子高生は仲山と牧村の不倫をDV夫にチクリ、追い詰められた二人は、共謀してDV夫を殺害する。ということで、旧題でも新版改題でもどっちでもいいが、題名だけで内容が判明する単純な内容。あとはこれだけのストーリーがあれば、濡れ場の方便にはいくらでも事欠かないお馴染みの新田栄映画でした。

「痴漢電車 百恵のお尻」 1983年公開
監督・滝田洋二郎  脚本・高木功  主演・山内百恵,竹村祐佳

ブッ飛び映画だ!滅茶苦茶面白い。アカデミー監督の滝田洋二郎は、こんなハチャメチャ映画をピンク時代に創っていたのか!
 高視聴率番組を連発していた女性プロデューサーは、山口百恵のカムバックドキュメンタリーで、さらにヒット番組を狙う。ところが、当人には断られてしまう。でも、電車内でスカウトしたそっくりさんを起用して、番組をデッチ上げることにする。そっくりさんを演じるのは、山口百恵のそっくりさんで有名だった山内百恵である。この手の込み方が楽しい。

オンエア中に局内に爆弾を仕掛けたと、脅迫電話が入る。要求は、番組内で山口百恵にオナニーをやらせろとの、無謀なものである。このあたりから、すでに人を喰っている。「太陽を盗んだ男」で、原爆を製造した沢田研二が、野球中継を最後まで放映しろとか、ローリングストーンズの公演をしろとか要求するパロディにもなっている。

そっくりさんを何とか説得して、オナニーが開始される。自宅では、この番組を山口百恵本人(山内百恵2役)が見ている。そこに夫の三浦友和の友人の藤竜也(これもそっくりさん)が訪ねてくる。ブラウン管内の光景に刺激され、山口百恵と藤竜也の不倫がはじまる。そっくりさんとはいえ、山口百恵と藤竜也が、三浦友和のポスターの前で濡れ場を演じ、その背景のブラウン管ではそっくりさんの山内百恵がオナニーしているとの、何ともシュールな光景が展開する。この放映が、低予算ピンクの中で頑張った特撮で、新宿アルタ屋外の大プロジェクタに映し出されるのだから、唖然・呆然である。

脅迫犯の要求はエスカレートする。今度は巨人軍の江川を呼んで、白黒ショーをさせろとなる。江川(これもそっくりさん)は、オナニー中の百恵の前に立つが、巨人軍の清潔さを強調して立ち去る。そばにいたビートたけし(これもそっくりさん。あまり似てないが、首をカクカクさせる動きで、何とか似させようと苦労し努力している。メリークリスマス!と「戦メリ」のパロディも見せる)が、それなら俺が代わりにと、百恵とベッドインする。放映中に抗議の電話が殺到するが、番組は空前の視聴率を上げる。

ここから先はネタバレです。

犯人は誰か?目的は何か?探偵の蛍雪次郎の捜索が始まる。真相は、辣腕女性プロデューサーの仕掛けであった。動機は、以前に山口百恵に番組でヌードを提案し、「馬鹿にしないでよ!」と平手打ちされたことの私怨である。脅迫電話は、過激過ぎてナイター中止時の裏番組に回された彼女の企画ドラマの犯人の声をそのまま流用し、その意味でも歪んだリベンジだった。

蛍雪次郎探偵が真相に気づく根拠は、ナイターの裏番組でそのドラマが放映されたのがキックになること、そして、抗議電話が殺到して回線がパンクしている時にも、脅迫電話が確実にかかってきたことから、犯人は内線電話を使える内部のものであると推理するなど、オーソドックスなミステリーの基本をちゃんと踏まえているのも見事だ。

この番組でいい仲になったビートたけしと山口百恵そっくりさんは、逢い引きを重ね、ついに写真週刊誌にキャッチされ、「新婚の百恵とたけしが不倫」との電車の吊り広告になって、映画はエンドになる。「フライデー」事件も含め、ここまでサカナにされた「たけし」が、怒ることなく滝田洋二郎の一般映画デビュー作「コミック雑誌なんかいらない!」で、ポイントの役どころを楽しそうにつとめているのも、その後の「たけし」の太っ腹を感じさせて楽しい。

80年代半ばの滝田ピンクの楽しさは、前述の秋本鉄次のキネ旬特集の記事に詳しいが、いやー、本当にリアルタイムでこれ経験したら、乗りに乗れて大変だったろうなあ。私がピンクにはまったのは、深町章=川崎りぼん、国沢実=樫原辰郎の、監督=脚本コンビの一連ブッ飛び映画だっただけに(御贔屓里見瑤子嬢との出会いもあったが)、滝田ピンクに当時出会っていたらハマりにハマっただろう。ただし、この頃は、私は40前後の働き盛りで、子育て・家庭サービス真っ盛りであり、とうてい不可能だった。邦洋合わせて年に20〜30本程度の王道作品を観るのがやっとこさっとこだった時期だ。天は二物を与えてくれずということだろう。滝田ピンクをもっとリバイバルしてくれないかなあ。

最後に、併映の新東宝一般映画「Mの呪縛」に簡単に触れておこう。監督はピンクの新里猛だが、「ピンク映画」と無縁の紛れも無い「一般映画」であった。男を取り殺す魔性の女、妻が犯されるのを覗いて興奮する不能夫、緊縛趣味のカメラマンと、それなりのネタは並んでおり、濡れ場と縛りもあったりするが、描写としては一般映画の、エロチックミステリーの範疇を大きく超えるものではない。原作者・団鬼六は、私の知人の将棋関係者によると(鬼六さんは将棋界とも関係が深い)、最近は文学志向だそうだから、その影響もありということか。

それにしても、大型新人と銘うたれた主演・成田愛に、フェースもボディも縛りの被虐美にも、全く何のインパクトも感じない。チラシにあるようにホントに「団鬼六氏が惚れこんだ!」んだろうか。私としては「SM映画の女王谷ナオミを彷彿させる」と書かれると、ホントかいなと思うばかりだ。このへんも、団鬼六の嗜好の方向が、すでに別のところに行ってしまったということかもしれない。
2009年ピンク映画カタログ−8

ミスマッチの話題から始めます。
 「映画三昧日記」3月4日(水)で、ディズニーリゾートのマジックキングダムクラブを通じ、4月10日(金)のニューアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」プレビュー招待に応募したことを記した。15日(水)オープンのニューアトラクションを一足早く体験できて、その後は1日ディズニーランドで楽しめるという誠に結構なプラチナチケットである。もちろん激戦だろうが、「取らぬ狸の皮算用ですが、当選を期待して一応この日は空けときます」と、このことも「映画三昧日記」に記したとおりである。

何と!これが当選してしまった!!1組2名×2=4名分である。さて、新たな悩みが出てきた。私の知人でこのプラチナチケット希望者は数知れずいるが、何てったって平日である。私のような月10日勤務の嘱託の定年退職者ではない。行きたいのは山々なれど…と、涙を飲んで討ち死にする屍の山(?)が築かれる。結局、行くのは私一人か、さすがに一人のディズニーランドは侘しいな、と思っていたが、そこはプラチナチケット、仕事の中で「何とか時間を創りだした」人も現れ、結局4人分のチケットは無駄にせずに済んだ。世代も男女もほどよいバランスの4人で、いずれもディズニー好きの面々、ニューアトラクションを堪能した後、終演間際まで入園し続け、最後は舞浜駅近くの地ビールのレストランで、華やかに打ち上げたのであった。

さて、何でこれが「ピンク映画カタログ」に関係するのかということである。これも「映画三昧日記」に記したことだが、翌11日(土)は御贔屓里見瑤子嬢出演のお芝居、桃色軍手「人類ドピュー」を予約していた。小屋は阿佐ヶ谷、せっかくだから新宿あたりで観る映画はないかと物色したら、新宿国際劇場で里見瑤子嬢新作「わいせつ性楽園 おじさまと私」の初日であった。併映の中にすでに観た「不倫妻 愛されたい想い」が含まれている。明日のスケジュールを組むには、この作品の上映時間を確認せねばならない。それにしても、ディズニーランドの中で、新宿国際劇場に電話して、「あのー、明日の『不倫妻』の上映時間を教えてください」なんて、我ながら何とも喜劇的光景に感じておかしかった。まあ、何がディズニーランドと「ピンク映画カタログ」と関係しているかっていうと、単にそれだけのくだらない話だったんですけどね。

ただし、この超楽しかったディズニーランドの一日は、これ以上に「映画三昧日記」に記すことはありません。これ限りです。何故って、私以外はいずれも仕事の中で「何とか時間を創りだした」方々だから、あまりはしゃいで書きまくって、メンツが特定されるとまずいことも出てくると思われるからです。

でも、ニューアトラクション「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」について、ちょっとだけ話しましょう。いや、話したい。場所は休止中だった「ミート・ザ・ワールド」の位置です。内部は全面改装でした。前の回転劇場システムは跡形もありません。(それはそれで勿体なくも思います)ライドは2人乗りで、回転が結構効いていて、感覚はロジャーラビットのアトラクションに近いです。懐中電灯が設置されていて、隠れているブーを、マイクやサリーやその他のモンスターが探すというコンセプトで、懐中電灯で照らしながら楽しむという趣向です。映画「モンスターズ・インク」の第一の素晴らしさは2歳児の女の子ブーの肌の色がよく出せて、初めてCGで可愛らしい子供を造形できた価値でしょう。それまでは、どうしてもCGの人間はどこかグロテスクでした。それとマイクの体毛のフサフサ感をCGでリアルに表現できたところです。映画に比べると、人形のブーの方が可愛らしさ不足かなと感じたのが、私の印象でした。

このアトラクションは4月15日(水)にオープンしますが、当分は60分待ちやら80分待ちやら、超人気アトラクションになるでしょう。「もうしわけありません。今日はプレビュー体験者のみのオープンです」とキャスターに言われて、指を加えている一般の入場者を横目に、待たずにスイスイ入るのは快感でした。


2009年4月11日(土) ●新宿国際劇場
「乱れ三姉妹 うねる萌え尻」 2006年公開
監督・池島ゆたか  脚本・五代暁子  主演・池田こずえ,森田りこ

朝丘ひらり、森田りこ、池田こずえの三姉妹の前に、神秘的な二枚目の竹本泰志が現れ、心をかき乱した後、いずこへともなく去っていく。このことを通じて、三人は身近な人への愛を再確認する。竹本泰志は、最後に三人の母の原田なつみにまで求愛していく。

池島ゆたか=五代暁子の監督・脚本コンビの十八番は、著名作品のオマージュ=パロディだが、ここまで書けばこの映画のオリジナルは分かるでしょう。そう、韓流の「誰にでも秘密がある」でした。実際に画面の隅に、この映画のチラシだかDVDだかが、チラリと映っていました。イ・ビョンホンの役を演じた竹本泰志は、さぞいい気分だったでしょう。

三女の池田こずえは、作家志望の恋人の津田篤を振り、エリート会社員の竹本泰志に乗り換えて婚約する。ただ、家族を紹介する段階になると彼は煮え切らず、次第に津田篤の誠実さに気づき、婚約を解消して元のサヤにおさまる。

次女の森田りこは、眼鏡をかけた大学院生の研究者タイプで、まだ処女である。教授の国沢実が密かに想いを寄せているが、彼女は引っ込み思案だ。自分の奥手を克服するべく、AVを見て研究を始めたところ、男優の竹本泰志に夢中になってしまう。偶然に彼と町で出会い深い仲になるが、いつしか彼は姿を消す。せめてビデオで再会したく思い再生するが、そこに映ったのは別人だった。虚脱の中で、彼女は身近の教授の国沢実の愛に目覚める。監督・国沢実は、例によって俳優・国沢実として訥々としたいい味を出す。竹本泰志と知りあってからの森田りこは、眼鏡をコンタクトに変えて、女らしく変貌していくところが見せる。

長女の朝丘ひらりは、夫の本多菊次朗が浮気に夢中で、今はセックスレスである。ある日、空き巣が侵入した時、救ってくれたのが近所でエアコン工事中の業者の竹本泰志だった。欲求不満を彼にぶつけいい仲になる中で、次第に色っぽさを増してくる。その結果、夫が妻に見向くようになり、夫婦円満を取り戻す。

竹本泰志の正体は、死者から変身した天使であった。三人の娘を残し先立ってしまい、やはり天使となった父親の牧村耕次が、娘達を幸福にするように頼んで、彼は地上に降臨することになった。彼は三女には篠津、次女には天野、長女には上甲斐と名乗った。これは上野天篠津甲斐(神の天使のつかい)というアナグラムでしたとの洒落っ気も楽しい。

竹本泰志は最後の行き掛けの駄賃で、三人の母すなわち牧村耕次の妻にまで求愛していったところが、牧村の気になるところだ。関係の有無は、映画の中でもボカされている。「もし、妻と関係していたら殺してやる」「無理ですよ。お互いに死んでいるんですから」との最後の二人の会話も粋だ。

ゴッタ煮的印象の強かったオリジナル「誰にでも秘密がある」に比して、こちらは洒落たファンタジーのトーンできれいに統一されていた。3月18日(水)のイベント「ピンク×緊縛」で池島ゆたか監督とお会いした時、「『女の中にいる他人』のリメークは、さすがに負け戦だろうと思ったら、ちゃんとピンク流の一味ちがうものにしましたね。さすがです」と話したら、「ボクは絶対に負け戦はしませんよ」と語っていた。この映画もそうした池島作品らしい面目躍如の一篇だった。


「わいせつ性楽園 〜おじさまと私〜」 2009年公開
監督・友松直之  脚本・大河原ちさと  主演・水無月レイラ,野上正義

奔放に弾けた若い娘の水無月レイラと、孫ほどに年のちがう老人の野上正義の、共にちょっと個性的な二人の、束の間の交情を味わい深く描いている。

水無月レイラは、高校生の時に母の愛人と関係し、発覚して家出する。金子弘幸と同棲するが、彼はDV男で路上でもめているところを、散歩中の男やもめ老人の野上正義に救われる。彼女は、図々しく家に上がり込み、家事をこなしお礼をすると迫って誘惑し、ついに泊まり込んでしまう。

野上正義は、一風変わったところがある。麦茶に塩を入れる。暑い時に汗をかいた塩分補給だという。ヘビースモーカーだが、喫煙はアルツハイマー防止になるとの医学的結論も出ている、肺癌で死ぬかアルツハイマーになるかのどっちかだとうそぶく。「血圧に悪くないの。アルツハイマー防止ってホント?」と言う水無月レイラに、「健康法なんて流行りに過ぎない。昔からやってきたことを変えない方がいい」と平然としている。

新人(と思うのだが)水無月レイラの長身でスラリとしたルックスと、眼の輝きが鋭い個性的な風貌が、まぶしく輝く。受けて立つ野上正義は、昨年の50周年記念作品「悶々不倫 教え子は四十路妻」に続いて、初老のやもめ男の哀愁をにじませて見事だ。今回は、それに一風変わったユーモラスな年寄りの我儘ぶりも、調味料に加えている。また、DV男の金子弘幸を水無月レイラから追い払う時、自らの腕にナイフを突き刺してビビらせるシーンに被り、過去のニュースフィルムがインサートされて、人生を重ねてきた男の凄味も表現してみせた。

水無月レイラは、あっさりと交通事故で死んでしまう。父と幼い娘の二人連れを交通事故から庇っての死であった。父親を知らずに育った彼女の父恋しの心情が浮き彫りになって見事だ。息絶える直前に女の子の無事を確認し、血だらけの顔で微笑みつつ死んでいく情感のたかまりが切ない。

話は前後するが、野上正義はキャリアガールの次女の山口真里と同居していた。仕事が忙しいので会社に泊まりこむと言い、彼女は家を出勤する。実は徹夜でオフィスラブに励むためである。彼女の姉が御贔屓里見瑤子嬢で人妻である。その晩は実家の父の下に泊まりにくる予定だったが、直前にキャンセルの電話を入れる。夫からの電話があったら、来ているが今は手が離せないので電話口に出られないと口裏をあわせてくれと頼まれる。彼女はテニスクラブのコーチとの不倫にのめりこんでいたのだ。

ということで、たまたま一人になった夜に、図々しく転がり込んでしまった水無月レイラというのが、ことの顛末である。朝帰りした山口真里は、「どうせ遺産目当てだろう」と、彼女をたたき出す。水無月レイラは、パニック症候群で、その常備薬を忘れていってしまう。心配になった野上正義は、名前を呼びながら後を追い、やっと公園のブランコに所在なげに座っている彼女と再会する。幼い頃から、父親が公園に迎えにくるのが夢だった水無月レイラは、それをきっかけに野上正義への慕情がぐっと高まる仕掛けもよい。

里見瑤子嬢と山口真里のダブル濡れ場は、ピンク映画的サービスで、ドラマの本筋にからむところではないが、打楽器の音楽をベースにカットバックで激しく展開するそれは、さすが鬼才・友松直之らしいダイナミズムに溢れ、それだけで独立した見せ場になっていた。

それにしても、御贔屓里見瑤子嬢が人妻で、山口真里の姉とはねえ。以前だったら絶対に水無月レイラのポジションだったろうに、やや寂しき限りである。でも(多分)20代も後半に入ったであろう瑤子嬢。いつまでも「処女に見える」とか「セーラー服が似合う」とかだったら、かえって気持ち悪いかもしれない。ここはもう、熟女の魅力へと序々に変身していく潮時だろう。里見瑤子「嬢」と呼ぶのも、そろそろ考えもののような気がする。


番外 演劇 桃色軍手「人類ドピュー」  作・演出・山崎栄
御贔屓里見瑤子嬢出演!  アートシアターかもめ座

この後に観た里見瑤子嬢出演のお芝居についても、ちょっと触れておこう。
 私は、演劇については詳しくない。だから、このお芝居についても全く予備知識がない。瑤子嬢が出ているから行っただけである。

チラシに出演者の顔が並んでいるが、全員が煤だらけの汚れメークなのである。何だか汚らしい芝居だなと思っていたら、実際の舞台とは全く関係なかった。桃色軍手の前回公演の写真を流用したんだろうか。

ディケンズの「二都物語」の芝居だった。里見瑤子嬢は、Dr.マネットの令嬢ルーシーを演ずる。煌びやかなドレスが眩しく、美貌が際立つ。ため息が出るくらい綺麗だ。弁護士カートンに無償の愛を告げられ、「私にしてさしあげられることは、何もないのでしょうか」と感情をぶつけるシーンの横顔で、飛沫が飛び散っている。汗?つば?と思っていたら、正面を向いた時、瑤子嬢の顔は大粒の涙で濡れていた。映画ではカット割とか目薬とか、いくらでも手があるが、生のステージの芝居である。女優さんって舞台でホントに涙を流せるんだな、と感嘆した。もっとも、私は芝居に詳しくないが、芝居好きにとってはあたりまえの光景なんだろうか。

いずれにしても、ここでは若さがキラキラ輝く里見瑤子「嬢」であった。
2009年ピンク映画カタログ−7

2009年4月4日(土) ●浅草世界館
「熟女調教 発情のめざめ」(旧題「まん性発情不倫妻」) 1996年公開 
監督・吉行由美 脚本・関根和美・吉行由美  主演・小川美那子,吉行由美

吉行由美第1回監督作品である。作家のすべては処女作にありというが、確かに扇情的に煽ることなく、自然体で男女の性を淡々と描いて味わい深く、この後に生み続けた秀作群を彷彿させる佳作だった。

小川美那子と伊藤猛の夫婦のお話だ。吉行由美は伊藤猛の妹という役どころである。小川美那子は、控えめで清楚な女性なのだが、上司の坂田雅彦とサディスティックなSEXに弄ばれて、肉体改造されてしまう。でも、何とかそんな世界から逃れたいと思っている。
 伊藤猛は坂田雅彦の部下で、優しい人のいい男だが、活力にも乏しく、今風に形容すれば草食系の男だ。小川美那子に救いを求められ縋りつかれ、上司との関係を承知しながら、彼女を救うために結婚をする。小川美那子の新妻ぶりが魅せる。
 伊藤猛の妹の吉行由美は、義姉の小川美那子と対象的な活発で社交的な女だが、実はレズであった。高校生の時に母を亡くした時、死体を半裸にして同衾した過去もあり、マザコンを引き摺っているようである。
 小川美那子は、幸せな結婚をしたはずだが、やはり淡白な伊藤猛では満足しきれず、自分の体を悲しく感じつつ、涙を浮かべて坂田雅彦とのS的情事を思い出して、オナニーに耽る。それを目にした義妹の吉行由美は、レズのテクニックで慰める。夫の伊藤猛はそれを知り、当初はショックを受けるが、最後は庭の水撒き器で水をかけ合って和気藹々に3人がはしゃぐユートピア的風景で幕を閉じる。
 吉行由美脚本(関根和美と共同)は、濡れ場の方便でストーリーが転がる典型ピンクパターン(ラストの夫婦・義妹のレズまでからんだユートピア風景は異色としても)であるが、ピンク的扇情感と無縁に自然体であるがままに性を描く演出力は、見事につきる。(当然、エロくないから駄目という逆の意見もあろう)
 小川美那子と伊藤猛のノーマルな夫婦の濡れ場、SMチックな小川美那子と坂田雅彦の濡れ場の対比は、描写が淡々とリアルなだけに効いている。小川美那子と吉行由美の濡れ場は、ファンタスティックで象徴的な処理でさらに際立つ。義姉妹でショートケーキを作っていて、手と手が触れあいレズ行為へと進展していく情感は、とりわけ見事であった。

「エッチな襦袢 濡れ狂う太もも」 2009年公開
監督・池島ゆたか 脚本・後藤大輔  主演・日高ゆりあ,野村貴浩

女主人公の日高ゆりあは、自称23歳だが、実際は小学生の子供がいて、10歳近く年齢をサバよんでいる。夫はドラえもんの愛読家で、読みながらバイク事故で死んでしまった。彼女も、いつもドラえもん世界を夢見ており、やや知恵遅れにも見える虚言癖ある浮世離れのデリヘル嬢だ。
 男の方の主人公は野村貴浩。過敏性大腸症候群で、いつも下痢に悩まされている小心者なのだが、組員でヤミ金業者の取り立て屋だ。ある日、下痢でトイレに駆け込んでいる時に、現金入りのバックを持ち逃げされる失態を演じてしまう。兄貴分から300万円の金を用意するように脅されて、困り果てる。
 2人が出会う。虚言癖のある日高ゆりあは、自分は金持ちのお譲様だと偽る。野村貴浩も、資産家の息子でいくつも会社を経営していると偽る。
 日高ゆりあは、子供のために300万円の預金をしていた。野村貴浩はそこに目をつけ、会社の運営資金が足りないと騙って、その金をだまし取ろうとする。日高ゆりあは、300万円をドラえもんの「どこでもドア」と信じており、それで玉の輿に乗れると信じ切る。
 野村貴浩は、ドタン場で彼女に同情し、結婚詐欺をあきらめかけるが、兄貴分が表われて金は強奪され、彼はボコボコにされて顔面血みどろになる。トイレに逃げ込んだ野村貴浩、心配そうに駆け寄る日高ゆりあ。しかし、彼はトイレから忽然と消失していた。
 ここからは、虚実皮膜の後藤大輔脚本の幻想ワールドになる。以前から、日高ゆりあの妄想癖の中で、死んだ夫が頻繁に現れていたのだが、野村貴浩の消失から1年後、彼女は亡き夫とそっくりな男と行きつけのバーで出会う。それは、破壊された顔面を修復した野村貴浩だと名乗る。日高ゆりあは、その男とベッドインし、至福のアップでエンドとなる。
 池島ゆたか=後藤大輔の監督・脚本コンビは、池島100本記念作品「超いんらん やればやるほどいい気持ち」と同じだ。前作が「8 1/2」ならば、今回はさしずめ「カビリアの夜」と言ったところか。とするならば、日高ゆりあの役どころは、前作が憧れの映画への想いの象徴クラウディア・カルディナーレで、今回はジュリエッタ・マシーナの役どころである。大変なミューズを連続して演じる大任を与えられたものだが、日高ゆりあは、2008年ピンク映画大賞女優賞に輝いた勢いで、鮮やかに乗りきって見せた。
2009年ピンク映画カタログ−6

2009年3月17日(火) ●[シアター]イメージフォーラム
「変態家族 兄貴の嫁さん」 1984年公開
監督・脚本・周坊正行  主演・風かおる,大杉蓮

小津安二郎の名作「晩春」の後日談、原節子の嫁ぎ先でのお話という振れ込みだ。とするならば昭和24年で、白熱電球・座布団・卓袱台の世界である。時代の雰囲気をよく出している。低予算のピンク映画としては、うまい仕掛けだ。縁側のある昔風の家さえみつければ、あとは小道具を揃え部屋に並べ直すだけで、時代色を出せる。深町章監督が、戦後間もない時代色を室内だけの描写で表現してしまう手と同様である。ただし、屋外シーンとなるとそうもいかず、東京タワーが堂々と聳えたりしてしまうのだが、まあ、これは別に昭和24年という時代背景にこだわらず、小津的雰囲気を横溢させた異空間と思えばいいのだろう。構図・カット割り・ポツリポツリと交わされる会話の間合いから、タイトルバック・音楽に至るまで、すべて小津的世界を再現している。

小津を知る人は、そのパロディぶりに笑い転げる。でも、小津を知らない者にはどう見えるのだろう。奇妙な映画と思うか、斬新な語り口と思うか、どんなものだろう。でも、そんなことは基本的に問題ではない。問題は小津空間の再現を通じて、周防正行が何を表現したかということだ。

原節子のその後を演じる嫁は風かおる、夫は下元史朗、その父親は大杉蓮で嫁の父親の笠智衆と同様に男やもめである。夫には弟と妹がいる。大杉蓮は完全に笠智衆のコピー演技をする。
 夫の下元史朗は業務多忙で新婚旅行に行けず、家の二階で初夜を迎えることになる。階下の父・弟・妹が居心地悪そうに、二階を気にしながら卓袱台を囲んでいる。

この日常の中の性を、周防正行は小津的世界を借りてユニークに表現した。これほど見事に新妻の初夜の恥じらいを、直接的にリアルに描いたのは類がないように思う。たしかにこうだったよな、最初は。リアルに感嘆した。原節子もきっとこうだったろうと思わせる。ピンク映画ならではの描写力である。煽情性が希薄なデカパンというのも味がある。(これは、ここに限らず全編の濡れ場に共通しており、一つの時代の雰囲気を醸し出す)

この新妻の恥じらいは長く続かず、女はどんどん大胆になっていって、最後は「東京物語」の東山千栄子の如く、巨大な尻で細身の夫の笠智衆を圧倒するようになる。小津映画の凄いのは、性を直接描かずして、そういうものまでも感じさせてしまうところである。後で述べるが、周防正行も、この女の変化というのは、小津世界を踏襲しつつピンク流に象徴的に描いている。

恥じらいの乙女が、結婚し、次第に大胆になり、子育てでなりふりかまわぬデブ小母さんに変貌していくというのは、男にとって感慨深いものがある。トルストイも「戦争と平和」で、華やかな舞踏会の花形ナターシャの、そんな変貌で最後を締めくくっていた。

下元史朗の妹は、以前から結婚して家庭に埋没していく女の生き方に疑問を感じていたが、兄嫁の存在を間近かに観て、その思いは決定的になる。現状打破のために会社を辞め、トルコ嬢(今や死語です。ソープランド嬢のことです。トルコ国から厳重抗議がきて通称を改めました。当然ですね)に転身する大胆な行動に出る。何でもいいから変わりたかったという彼女の心の叫び(でも表面上は小津調淡々セリフで、それも効果的)は、女性社会進出が今一歩だった80年代半ばだけに、強い印象を残す。このあたりは、小津世界の語りを踏襲しつつ、小津世界への反逆を、周防正行は試みるつもりかな、とも思わせる。

義父の大杉蓮は、亡妻によく似ているママがいるスナックの常連客だ。関心を持った息子の下元史朗がそのスナックを訪れる。実は下元史朗はSM趣味があり、そこで趣味を同じくするママと意気投合してしまう。ここにも小津世界からの転調を予感させる。

相次ぐ事態に高校生の弟はショックを受け、トルコ風呂(この当時の言葉なのでそのまま使います。トルコの方、ごめんなさい)ガイドを万引きして、補導される。義姉の風かおるは、義弟の心を落ち着かせるために、一度だけ体を与える。ずいぶん大胆な行動だが、これは、新妻の恥じらいから、次第に女として大胆になっていきつつあることの、ピンク流象徴的表現であって、小津世界の踏襲だと思う。

下元史朗は、ついに家を出てスナックでママと同棲を始める。できの悪い息子に困惑し、嫁の風かおるに同情する義父の大杉蓮。このあたりは、小津というよりは、成瀬巳喜男の「山の音」の、義父・山村聡と嫁・原節子の関係に近い。性の匂いがないのも同様である。(「山の音」に義父娘相姦の匂いを感じる人もいるが、私はその説はとらない)

奔放に生きていたはずのトルコ嬢(トルコの方、度々ごめんなさい)の妹は、ややハゲかかった年長の支配人が相手ではあるが、結局平凡な結婚をする。嫁入り前の最後の日を、父娘が布団を並べて床に就き、父の大杉蓮としみじみと語りあうのは「晩春」そのもので、結局映画は小津世界へ収斂していく。

弟も勉強のために一人暮らしを始める。かくして義父と嫁との二人だけの暮らしがはじまる。義父の大杉蓮は、もう息子は駄目だ、実家に帰ってお父さんの面倒を見なさい、と諭す。しかし、嫁の風かおるは、「嫁いだら何があってもそこに骨をうずめなさい、私もおまえのお母さんといろいろあったがその結果の今がある」といった嫁入り前に聞かされた実父の言葉を告げ、待ち続ける決意を義父の大杉蓮に告げる。ここで、はっきりとこの映画が「晩春」の後日談であることが明白になり、小津の価値観の世界であることも明白になる。そして、これは実の子供よりも血の繋がらぬ嫁の方が親切であった「東京物語」の、義父・笠智衆と嫁・原節子にもダブるのである。

縁側の大杉蓮と、垣根越しに通り過ぎながら丁寧に挨拶し合う夫婦が、象徴的に3度登場する。1度目は新婚のように仲睦まじく、2度目は奥さんのお腹が大きい。3度目は奥さんが赤ん坊を抱いている。円満に見える夫婦ではあるが、これまでの大杉蓮一家の描写から、この夫婦にも、穏やかな外面と裏腹に、多分ここに至るまでは似たような修羅場があったのではないかと連想させ、深い味わいがある。これも、表面のおだやかさの中に修羅を封じ込める小津世界だ。

夫に応じられなかった縛りのプレー、嫁の風かおるはそのことを思い出しつつ、二階の部屋で、ひもを肌にあてながら、オナニーをする。一階縁側の大杉蓮は、庭を見つめながら「母さん、いい嫁じゃないか」とポツリと呟いて、映画は終わる。ここで義父娘相姦なんて、最後に小津世界をブチ壊す暴挙に出なくて、本当に良かったと思う。

ということで「変態家族 兄貴の嫁さん」の総合評価であるが、結局は負け戦だったような気がする。昨年の「歩いても歩いても」も同じなのだが、「結局、小津がみんなやっちゃってるよね」の一言に帰結してしまうのだ。しかも、小津は、ドラマチックな題材でもなく、刺戟的な直接描写もしないで、それを表現しちゃってるんだから凄い。結局、小津の凄さの引き立て役以上には、なれないのである。

しかし「変態家族 兄貴の嫁さん」のラストは、荒井晴彦さんに代表される「やらなきゃダメ」論者にとっては、どういうことになるんだろう。いや、あれはいずれ嫁とヤッちゃうよという余韻の描写だと、解釈できないこともないから、そういうことで納得するんだろうか。「映画芸術」ワーストテンで、私の湯布院映画祭の知人の岡本安正さんが「母べえ」について、「あそこでどうして吉永小百合はやらせてやらないのか?」と酷評していたが、男はすべてサカりのついた牡犬としか捉えられない人間観の人って、ホントに少なからずいるんですね。まあ、岡本さんは荒井晴彦シンパを自任している方ですから、似たような人間観も当然だとは思いますが…。

そういううるさ型の人には山田洋次は酷評の対象になる。しかし、何故か小津は、そんな人もほとんど認めている。
 小津世界でも、透明な人がいる。「晩春」や「秋刀魚の味」の笠智衆は、完全に透明である。再婚を口にしたりするが、それは娘を嫁に行きやすくするための方便でしかなく、生臭さは全くない。もう一つ不思議なのは、娘の原節子や岩下志麻の母親、すなわち笠智衆の妻が、どんな人か全く不明なことである。私は、男はすべてサカりのついた牡犬という人間観を持っていないので、この淡白な透明感に十分映画的リアリティを感じるが、「ヤラなきゃ駄目」論者は、何で山田洋次に突っ込むように、小津のこのあたりを突っ込まないのだろうか?

とにかく「変態家族 兄貴の嫁さん」は、いろいろ小津世界について、思いを馳せさせてくれました。


「行く行くマイトガイ 青春の悶々」 1975年公開
監督・井筒和生  脚本・井筒和生,松岡一利  主演・三上寛,末永博嗣

井筒和生こと後の井筒和幸のデビュー作である。期待していたが、題名どおりの映画であり、それなりに笑いもシンパシーもあるが、それだけのことで、あまり語ることもない。何か冷たい言い方だが、「こちとら自腹じゃ」で、俺さますべてみたいな映画評を耳にすると、お前もそれ程のもんじゃないだろう、との反発心が湧いてきちゃうなんてことは、あるかもしれない。

でも、語ることはない、で終わらせちゃチョット酷なので、少し私見を述べる。「行く行くマイトガイ」そう、マイトガイとは渡り鳥シリーズで人気絶頂だったころの小林旭のことである。マイトガイのアキラに憧れる3人の17歳の地方の少年の映画だ。3人のうちの一人の愛称はトニーで、これは赤木圭一郎の(トニー・カーチス似の風貌からつけられた)愛称で、いかにもこの時代を表わしている。

「大草原の渡り鳥」のポスターが映画中に出てくるので、時代は昭和35年頃ということだろう。この時代、地方の人間にとって、東京は憧れだったようだ。東京下町育ちの借家住まいの貧乏人の小倅の私にとって、その東京幻想の気持は知るよしもないが、確かにそんな時代だった。マイトガイを気取って粋がってみても、地方でくすぶっている事実は否定できず、パッとすることもなく女にもモテず、東京への憧れで、かろうじて希望をつなぐ。中島丈博脚本の「祭りの準備」「郷愁」(こちらは中島丈博自身が監督も務めた)と同種の世界だ。題名どおり「行く行くマイトガイ」と粋がってみたものの「青春の悶々」となるしかない。同年代の女の子に妄想を抱いたり、年上のホステスのお姐さん絵沢萌子に慰めてもらったりと、ユーモラスな描写も含めて、そのあたりはシンパシーを持ってよく描かれているが、それだけのことでもある。

ただ、昭和35年に17歳といえば、昭和18年生まれである。昭和27年生まれの井筒和生(和幸)は、なぜあえて一世代上の青春を描いたのだろうか。ひとつ言えるのは、この時代は高校進学率は5割前後で、映画中の17歳の若者も、いずれも高校生でなく社会人だ。その辺の設定が欲しかったのだろうか。いずれにしてもこれは、ピンク映画というよりは、ピンク映画の形を借りた男の子の青春映画である。だから、主演も当然ながら男優なのだ。


「不倫日記 濡れたままもう一度」 1996年公開
監督・サトウトシキ  脚本・小林政広  主演・葉月蛍,伊藤猛

70年代の井筒和生(和幸)「行く行くマイトガイ 青春の悶々」、80年代の周防正行「変態家族 兄貴の嫁さん」と、正当ピンク映画ではなく、ピンク映画の形を借りて別の何かを表現したかったかのような作品が続いたが、90年代サトウトシキ「不倫日記 濡れたままもう一度」に至ると、さすがピンク映画の王道を踏まえつつ、優れたエロチック・エンタテインメントを構築していると、感じさせられる。脚本は小林政広、男女の心の綾を、濡れ場を通じてみごとに描いた後、それだけに終わらせないで、二重三重のドンデン返しを仕掛けてくる。

葉月蛍と伊藤猛は、相思相愛の仲の良い夫婦である。妻の蛍は、カルチャーセンターで文学の勉強をしており、ちょっと少女っぽい純真さがある。「私…なんです」という彼女のナレーションが、ロマンポルノの宇野鴻一郎の「濡れて…」シリーズを思い出させて、独特の雰囲気を醸しだす。蛍の新妻ぶりが初々しくてよろしい。

カルチャーセンター講師の佐野和宏は、女たらしである。すでに受講生の泉由紀子と不倫関係があるが、さらに「小説を書くには不倫体験も欠かせない」と、葉月蛍をそそのかすし、モノにしようとする。葉月蛍は、受講生仲間の泉由紀子に相談すると、「作家になるには地獄を見ることが必要だ」とそそのかされる。変な純真さを持つ彼女は、今度は夫に相談する。夫の伊藤猛は、妻を愛するが故にそれを認め、浮気の日を決める。葉月蛍は、だんだんと大胆に積極的になってくるが、そうなると佐野和宏の方は序々に引き気味になる。それが泉由紀子の狙いでもあった。純情なんだか淫奔なんだか判然としない葉月蛍の、新妻ぶりがここでも輝く。

でも泉由紀子は、佐野和宏が自分以外の女に興味を持ったことには嫉妬心が芽生え、腹いせに伊藤猛を誘惑する。妻の葉月蛍を愛している彼は全く受け付けないが、半ば犯されるようにして、関係を持たされてしまう。このことを知った妻の蛍は、ショックから自暴自棄になり、悪酔いした果てに介抱してくれた行きずりの男の小林節彦と、公園でアオ姦に及ぶ。ところが、男は女の首を絞めながら連動して絞まる性器を味わう趣味の変態性欲者で、ついに行き過ぎて、蛍は絶命してしまう。ビックリした小林節彦は、その場から逃げ出す。虫の息の葉月蛍の「私…なんです」というナレーションで、純だが愚かな女の一生が、閉じられる。

どうです。いかにも前の二本に比べてピンクピンクしてるでしょ。私の映画評のタッチからしても、前二本に比べていつもの「ピンク映画カタログ」に近いエロイ言葉の乱発になっています。しかし、この映画は、この愚かだが魅惑的だった女の一生だけでは終わりません。ここから驚きの展開に入ります。

ここから先はネタバレです!注意!!

ここから先は、葉月蛍が幽霊となって、その後の顛末を見守る形となる。さしずめピンク版「ゴースト ニューヨークの幻」といったところだ。
 愛妻の悲しみも時が癒し、伊藤猛は泉由紀子と結婚し、今は妻が子を宿し、幸せ絶頂である。ある日、彼は二人の男に呼び出される。何と!それは佐野和宏と小林節彦だった。小林節彦は、口やかましい妻にウンザリして、殺すことを考えた。佐野和宏は、浮気相手の妊娠した泉由紀子が邪魔になり、これも殺そうと思っていた。伊藤猛は、実はリストラに合って多額の借金を抱えており、保険金目当てに葉月蛍を殺そうと考えた。愛しているが故に、妻に事実を話せぬ果ての、苦渋の決断だ。

佐野和宏,伊藤猛,小林節彦は、パチンコ最中に強盗事件に巻き込まれ、たまたま知り合った。世間的には無関係の三人だ。こうして、交換殺人よりもっと複雑な三角殺人が考え出された。佐野和宏は、小林節彦の妻を殺す。小林節彦は、葉月蛍を殺す。伊藤猛は、泉由紀子を殺す。だから、葉月蛍の死は、行きずり殺人でなく計画殺人だったのだ。いずれも怨恨が発生する人間関係がないから完全犯罪となる。しかし、伊藤猛は、腹の子が自分の子でないことを知りながら、泉由紀子と愛し合って結婚生活にまで至ってしまった。今や残った殺人は、伊藤猛の請負分のみになった。佐野和宏と小林節彦は、伊藤猛に約束履行の殺人を迫る。

どうしても泉由紀子を殺せなくなった伊藤猛は、「俺の子でなくても、自分の子だと思って育てるよ」「どうしてそんなこと言うの。あなたの子よ」、そんないたわりの会話を交わした後、全財産を持たせて泉由紀子を出産のため里帰りをさせる。後は何とか自分の手で決着をつけようと腹を括る。里帰りする泉由紀子だが、ここで二重のドンデン返しとなる。泉由紀子には本命の彼氏がいて、腹の子も実は彼の子であり、伊藤猛の全財産を抱えて、彼とフィリピンへの逃避行に走る。

さらに、三重のドンデン返しが待つ。決着をつけるため佐野和宏の自宅を訪れた伊藤猛の前に現れた佐野の妻は、何と彼が真実愛していた前妻と瓜二つ(葉月蛍の二役)だった。錯乱した彼は非常階段から転落して墜死する。見守っていた葉月蛍の幽霊が突き落としたとも見えるし、そもそも佐野和宏の妻が、伊藤猛の前妻と瓜二つのこと自体が、幽霊が仕掛けた妄想かもしれない。こうして、幽霊同士となって再会した葉月蛍と伊藤猛は、再び深い愛で結ばれるのであった。

泉由紀子を乗せた飛行機は消息不明になり、佐野和宏と小林節彦は再びパチンコ強盗に遭遇し命を落とし、こちらの悪役連は因果応報となって締めくくられる。

7割までを、葉月蛍の純だがちょっと妙なところもある新妻の初々しい魅力でさらい、残りの3割で、怒涛のアレヨアレヨの三重ドンデン返しで、一気に締めくくる。ピンクの枠をキチンと守りながら、しっかりと最後まで見せ切る傑作であった。
2009年ピンク映画カタログ−5

2009年3月11日(水) ●[シアター]イメージフォーラム
「地獄のローパー 緊縛・SM・18才」(新版改題「SMクレーン宙吊り」) 1986年公開
監督・脚本・片岡修司  主演・早乙女宏美,下元史朗

23歳の早乙女宏美の弾けるような肌に縄がからみつく。ピチピチした胸の膨らみが亀甲縛りで強調される。股縄が激しく喰い込む。そんな姿で、地上からクレーンで吊り上げられていく。20mもあるだろうか。ギリギリ、ギリギリ、上昇する。それがワンカットでしっかり延々と捉えられ続ける。現在のCGを用いれば、見かけ上は、もっと過激なシーンはデッチ上げられるかもしれない。しかし、これはCGではない。

WWEプロレスでオーエン・ハートが、空中から入場するパフォーマンスで、アクシンデントが起こり墜落死亡した。だから、映画「地獄のローパー」で早乙女宏美が挑んだのは、命懸けのパフォーマンスだ。縄目がゆるんだら、あるいはクレーンにアクシデントがあったら、一命を取り落とすのはまぎれもない事実だ。
 この縛りクレーンは、フィクションの中の1シーンだ。しかし、この命を掛けたパフォーマンスは、断じてフィクションではない。映画というのは、生身の現実をドキュメントする時に、とてつもないパワーを発揮する。映画の魅惑の原点の炸裂が、ここに存在していた。それが「地獄のローパー 緊縛・SM・18才」の魅力のすべてだ。後はどうでもいい。

と、言い切ってしまっては、ちょっとこの映画に対して酷だろう。それ以外にも、洒落っ気とナンセンスに溢れた楽しい一篇であるのは、まちがいない。[シアター]イメージフォーラム「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965−2008」の1頁を、絶対に飾る作品であろう。

しかし、それにしては、映画界のデータの扱いがお粗末だ。イメージフォーラムのチラシによれば、この映画は「地獄のローパー 緊縛・SM・18才」だ。ただし、劇場でも断り書きが貼り出されていたが、ニュープリントでの上映のために、メインタイトルは新版改題「SMクレーン宙吊り」である。(今回は催し物の特殊性から、これまでの「ピンク映画カタログ」の慣例に反し、あえて私も原題を全面に出した)そして、キネマ旬報決算特別号の1986年封切日本映画一覧表とPG.Web.Siteでのタイトルは、「緊縛・SM・18才」である。さらに、劇場に掲示されていた当時のポスターと思われるものには、「『地獄のローパー』より 緊縛・SM・18才」となっていた。本当のところは、旧プリントのメインタイトルに当たるしかないのだが、それはもはや不可能だろう。いずれにしてもピンク映画史の1頁を確実に飾るべきこの映画にして、データ的には、本当のオリジナルタイトルすら不明の体たらくは、残念な限りである。

映画は、「倒錯の館」を一人の男が訪れるところから始まる。案内役は若き日の俳優・池島ゆたか、サングラスでバチッと決めた二枚目ぶりである。SやらMやらスカトロやらの倒錯の数々を勿体ぶって仰々しく説明していく。何くわぬ顔で大真面目に駄洒落を交えているのが、何ともおかしい。大仰な音楽がこれにかぶさり、この人を食ったタッチは全編にわたっている。

訪れた男はSコースを選ぶ。しかし、男の女に対する暴力は、S趣味とはどこかちがう。池島ゆたかは、それは女への憎悪だと見抜く。実は、男は恋人を暴走族グループに拉致されて、恋人は性的凌虐を受けているという。それが、何故、女憎悪に結びつくかって?実は男はゲイで、拉致されたのは男の若者。暴走族は、男よりも強くあれと結成された女ばかりの集団だったとの、これも何とも人を喰った展開となる。

男がゲイであることと、そしてことの全体を見抜いたのは、調教師のこれも若き日の下元史朗、黒装束にドクロのイラストを書き込んだ眼帯で、ビシッと決めたダンディーぶりだ。女は憎むだけでは駄目だ。調教して従順にさせるべきだと語り、男の救出と、女暴走族の調教に腰を上げる。

一方、23歳の若き日の早乙女宏美は、男より強くなれとの主張に共感し、暴走族に入団を申し入れている。こちらはセーラー服姿で決めている。タイトルの「緊縛・SM・18歳」の中の「18歳」というのは、ここに由来しているのだろう。早乙女宏美の凄みある鋭い視線が印象的だ。

かくして、暴走族と調教師の抗争が始まる。暴走族メンバーは、次々と調教師の下元史朗の軍門に下る。こりゃないよと思わせるアクロバチックな凝った縛りの数々は、エロを越えてギャグの域に達し、笑いすら誘い眼を楽しませる。暴走族のリーダーは、下元史朗に恋をしてしまう。下元史朗は、大袈裟に聖書の一節を引用したりしながら、「俺はすべてのマゾヒストの女性のためにいる。君だけの男になるわけにはいかない」と、キザなセリフを連発するのも何とも楽しい。

リーダーの名前は真知子、真知子巻までして登場する。二人の別れの橋上のシーンは、完全に一世を風靡した大メロドラマのパロディだ。別れの記念に下元は「君の名は(君の縄)」と言って、女に縄を差し出す。ここに至るまで、さらに大仰な音楽がガンガン流れるのは、抱腹絶倒である。

かくして、ただ一人残った早乙女宏美と下元史朗の決闘となる。実は過去に二人は戦ったことがあり、早乙女宏美は下元史朗の片目をつぶしたが(その痕がドクロの眼帯だったのだ)、結局は犯されてしまったのだ。二人にとって、共に決着リベンジの時がきた。ナチスの戦闘服に身を固め決戦の場に臨む早乙女宏美が凛々しい。下元史朗はクレーン車を駆って決闘の場に向かっていく。

この構成とキャスティングの大半は、前年1985年「逆さ吊し縛り縄」(新版改題「激しいSEX 異常愛撫」)を踏襲している。本作はその姉妹編といったところか。ただ、ゲイ男を入れて新味を効かせたり、クレーン吊し縛りなるブローアップの点で、明かにこちらの方が出来栄えは上である。1年間の進化といえようか。

最後の決闘で、早乙女宏美が下元史朗の残った眼を潰すが、盲目になっても下元史朗の神技的投げ縄は、鮮やかに早乙女宏美を拘束し,痛み分けに終わる。そして、冒頭に紹介した圧巻のクレーン吊し縛りに至るのである。それに続く盲目の下元史朗と縛られた早乙女宏美とのSEX、その憎悪を越えた愛欲の耽美世界に我々は圧倒され、映画は幕を閉じるのだ。


「濡れ牡丹 五悪人暴行篇」 1970年公開
監督・梅沢薫  脚本・日野洸  主演・港雄一,山本昌平

現代の眼で観たら、これを「ピンク映画」と称するのだろうか。女を半裸に?いての拷問シーンもある。レイプもある。でも、骨子はヤクの取引現場に第三者の無差別殺人が割り込み、双方が疑心暗鬼の渦中に放りこまれるピカレスク・ハードボイルドである。拷問もレイプも、今の眼で観ればピンク的過激さにほど遠く、むしろハードボイルドのいいアクセントになっていた程度である。

その結果、チラシに則って、この映画の主演は男優ばかりになってしまった。映画の実態もそのとおりである。最近観た若松孝二監督の「鉛の墓標」の時にも感じたことだが、濡れ場で何とか無理しても時間を持たせる(持たすことを要求される)現代ピンク映画とは、完全に別物である。上映時間は74分で、現在のピンクの1.5倍で、さらに濡れ場の制約多い時代だから、それだけで時間を引っ張ることもできず、ドラマで勝負しきるしかない。これは、今の観点で観れば、堂々たるピカレスク・ハードボイルドの一般映画だ。

脚本はチラシによれば、「大和屋竺脚本の代表的傑作」とあるのだから、クレジットは変名なのだろう。大和屋竺監督作品の「裏切りの季節」「荒野のダッチワイフ」を今観た人は、多分、これもピンク映画とは思わないだろう。「濡れ牡丹 五悪人暴行篇」も、これは一般映画で、鈴木清順作品「殺しの烙印」と同類のピカレスク・ハードボイルドと位置づけるべき映画だろう。

キネマ旬報決算特別号の1970年封切日本映画一覧表では「濡れ牡丹」としてのみ記録されていた。ネットの日本映画データベースでは「濡れ牡丹 五悪人暴行篇」とキチンと記録されており、映画のメインタイトル「濡れ牡丹 五悪人暴行篇」のとおりだった。前作「地獄のローパー」でも記したが、ピンク映画史のデータ性のあやふやさについて、私はかなり危うさを感じている。


「(秘)湯の町 夜のひとで」 1970年公開
監督・渡辺護  脚本・大和屋竺  主演・大月麗子,佐原智美

かねてから隠れた名作との評判は耳にしていたが、予想にたがわぬ秀作であった。温泉町の場末を渡り歩く夫婦エロ事師の切ない哀感を描き切り、今村昌平映画を彷彿させる傑作だった。

私は、自身の映画鑑賞リストを、公開年月別に整理している。そこで、キネマ旬報決算特別号の1970年封切日本映画一覧表をチェックした。ところが、この歴史的名作の題名が無い!無いのである。そこで、ネットの日本映画データベースで当たり直したら、渡辺護作品としては存在しているが、公開月日は不明なのである。日本映画データベースでは、ピンク映画を中心にしてマイナー映画では公開月日が不明な作品が少なくない。多分、それらの映画は、キネマ旬報決算特別号の封切日本映画一覧表から落ちているということだろう。絶対に映画史的に落とせない「(秘)湯の町 夜のひとで」まで、公式記録と言えるキネ旬封切日本映画一覧表から欠落しているのを見ると、ピンク映画に関するデータ性の危うさを、本当に危惧したくなる。

「(秘)湯の町 夜のひとで」で、あるエピソードを紹介したい。
 横浜発で1970年からベストテンを開始し、今やミニコミ誌としては、歴史と伝統あるベストテンがある。投票ルールがユニークで、一人10本に対し20点(5本選出の人は10点)が与えられる。1本に対し上限は10点で、後の配点も自由だ。投票者は20名〜30名だから、ルール上は2〜3人が結託し10点を投じれば、ベストテン入り確実になる。(「映画芸術」ベストテン選出方法の先駆けみたいなものである)

当時、「(秘)湯の町 夜のひとで」を圧倒的に支持した者として、後のヨコハマ映画祭主宰者となる横浜「映画友の会」の鈴村たけしさんがいた。メインストリートで映画評価されないものに着目する鈴村さんの面目躍如で、それが後のヨコハマ映画祭立ち上げに繋がっていったのだろう。鈴村さん以下のシンパの何人かが10点を放り込めば、ベストテン入りどころか、ベストワンにもなりかねない盛り上がり方だった。

ミニコミ発行者から疑義が出た。「ピンク映画は対象としない!」「何で!」鈴村さんは猛反論した。ピンク映画と一般映画とは何が違うのか?ピンク映画とは何か?では一般映画とは何なのか?大激論となった。結論の出る議論ではない。ミニコミ発行者の「俺が嫌いだから駄目なんだ!」と、ついに決定的な言葉が出た。「当然だよね。あなたは権力なんだから」と、私はクールに論評した。「あのな、おまえ…権力なんてな…」ミニコミ主催者の顔が強張った。「国家権力」云々という言い方を頂点として、「権力」という言葉に極端なアレルギーがあった時代だ。そうとう過激な発言だったと思う。

でも、権力って、所詮そうしたもんでしょ。この主催者は、以後40年弱、自費で結構豪華なベストテン冊子を発行し続け、無料配布している。本人は「権力」なんて言われりゃ心外だろうけど、まあそのくらいのある種の子供っぽさの趣味の行使があって当然じゃないの。「映画芸術」にしたって荒井晴彦さんがそれなりのリスクを背負って発行しているんだから、それなりの「権力」を奮って当然なんですよ。ただ。「権力」を意識しないで、「権力」を奮うのって、一番ヤバいパターンなんですけどね。

この件があったので、私はこのミニコミ誌のベステン投票には、慎重にピンク映画を排除していた。でも最近は、そんなことを知らない新規ベストテン投票参加者が、どんどんピンク映画を入れているし、主催者も何も言ってないようだ。時代は移ろうということだろう。

さて「(秘)湯の町 夜のひとで」である。うらぶれた温泉街を巡るエロ事師夫婦の物語。ブルーフィルムをロケし、エロ写真を撮り、白黒ショーに奮闘する。しがない無声の8ミリ映画に、懸命に活弁をつけたりする主人公の男の、そして渡辺護監督の、映画愛が溢れる。際どい商売を続けて、ついに夫は風俗担当の刑事に挙げられる。でも、そうしたら、妻は保釈金を稼ぐために、マネージャーと結託し、さらに危ないエロの橋を渡らなければいけない。見切りをつけたマネージャーは、彼女を暴力団に売り渡す。絶望の果てに川辺で突っ伏し、顔を水面に沈める妻、下層庶民の生き抜く切なさと、その行き着く果てをしみじみと表現する。これも上映時間70分の尺、ピンク映画というよりも、今村昌平映画の「盗まれた欲情」「エロ事師たちより 人類学入門」の系列に連なる一般映画の秀作というべきではないか。
2009年ピンク映画カタログ−4

2009年2月26日(金) ●上野オークラ劇場
「変態エロ性癖 恥汁責め」 2004年公開
監督・脚本・国沢実  主演・世志男,片桐さなえ

怪優・世志男の怪演がすべての映画である。
 主人公・世志男は、喫茶店でバイトをしているしがないウエイター。パッとしない男で、今日も店内でいちゃついていた橘瑠璃と山名和俊を注意したら、逆ギレされ、トマトジュースを頭から浴びせられる。反撃するかと思いきや、情けなくもウットリと恍惚の表情を浮かべるばかりだ。

同僚のウエイトレス片桐さなえは、そんな世志男を憎からず思っており、彼は童貞だとにらんで筆下ろしをさせてやろうとする。ところが、世志男はマザコンで、女の体にトマトケチャップを塗りたくり興奮する変態男だった。冷蔵庫にはケチャップがいっぱいだ。つきあいきれないと、彼女は世志男を突き飛ばし遁走し、彼は後頭部を打って昏倒する。

実は、世志男はケチャップ会社社長の野上正義の御曹司で、父親は早く息子を一人前にしようという親心から、形の上で勘当したのである。そんな彼に、社長秘書(国沢実監督が自ら、ヌーボーたる風情で相変わらずの妙演)が、父親が急逝し遺言で世志男が社長になったことを告げにくる。

社長になった世志男は、町で橘瑠璃と山名和俊と遭遇する。金の力にまかせ、二人に性的凌辱を加え、かつての恨みを晴らす。と、思ったら頭を打って昏倒している間の夢落ちだったりする。その後、父親は腹上死で本当に世を去り、世志男は社長になる。片桐さなえは世志男の筆下ろしをしてやる。まあ展開は凡で、繰り返すが怪優・世志男の怪演がすべての映画である。

ケチャップを下腹部の前にも後ろにも塗りこめ、臍の中にも塗りたくってのベロベロなめる濡れ場は、気色が悪いだけで、ユニークな見せ場には程遠い。でも、このあたりも怪優・世志男の怪演で救われ、かろうじて見せ場として成立していた。

「妹のつぼみ いたずら妄想」 2009年公開
監督・竹洞哲也  脚本・小松公典  主演・赤西涼,鳴海せいら

岡田智宏は、父親の度会完に似ず大変な秀才だったが、都会に出ることなく地元の地方公務員に甘んじている。「貞王」を名乗り、童貞会会長として地元の若者を束ねている。デリヘル嬢の倖田李梨を相手に童貞を捨てた久保田泰也を、リンチにかけたりする。

岡田智宏の父親のダメサラリーマン度会完は、妻に逃げられ、今は若い鳴海せいらを後妻に引き込んでいる。岡田智宏には赤西涼の妹がいて、彼はこの高校生の妹に夢中、いわゆるシスコンなのだが、当然ながら関係はできるわけもない。「童貞会」結成も、都会に打って出ない理由も、底はそんなところだったのだ。

その後、赤西涼の家庭教師に石川雄也がつく。岡田智宏が2人の関係にヤキモキするのも定石なら、結局二人がいい仲になってしまうのも定石である。失意の岡田智宏を、デリヘル嬢の倖田李梨が筆下ろしをしてやるのも、落ち着くところに落ち着いたといったところだ。

男と女の情感をシットリと描く名手の竹洞哲也と小松公典の監督・脚本コンビはここでもいい味を見せるが、童貞男を引っ張り出してまでのひねりは、果たして必要だったろうか。もっとストレートな世界の方が持ち味が出るような気がする。

●「童貞映画」に思うこと
今回見た2本、たまたまいい歳をした童貞男が共に出てきた。でも、最近いい年をした童貞男の話題が巷を結構にぎわしている。
 これは、我々より二世代くらい下(現在40歳前後)のシングル志向に関係するようである。我々の世代は結婚適齢期というのがあった。男は20代後半を過ぎると、親族も会社も地域も挙って結婚をさせようとする。会社なんかでは「身を固めていない独身者に、部下指導などできない」と、昇進にまで差し支えるくらいだ。30歳も過ぎて独身だと、体がおかしいんじゃないかと、あらぬ噂までたてられたものだ。今ならプライベート侵害(女性ならセクハラにもなる)で大変だが、そんなことを許容するのが社会慣習だったのだ。

プライベートやセクハラに対する意識の高まりにより、それも相まってシングルの人間が増えた。昔は、とにかく20代後半を過ぎた男は、一部例外をのぞいて妻帯者なのだから、家の外で風俗遊びをしようが浮名を流そうが、そういうことと関係なく、童貞ではありえない。子供までいれば、これはもう絶対確実である。(この時代は結婚してしばらく子供がいないと、やはり親族・会社・地域ぐるみで「赤ちゃんまだ?」「どこか悪いんじゃないの?」とおせっかいでうるさいことであった。シングル自由、子供を造らない夫婦も自由というのは、一面で今の社会の方がよいのかもしれない)

「映画芸術」誌で「サラリーマンピンク体験記」を連載していた頃、2003年春号の第7回「主婦の体験レポート 二人だけの夜」で、「夫婦の日常の濡れ場」と、「恋愛・不倫の非日常の濡れ場」の対比をテーマにした。私より二世代下(当時30歳代半ば程度)のシングルの友人2人に、取材というほどの大袈裟なものはないが、酒席も兼ねながら、妻帯者とちがって、シングルの者にとり、日常のSEXと非日常のそれとは、どういうことになるのか、と聞いてみた。

一人は、生き方にも女性への想いの出し方も、あまりにも実直過ぎて、その実直さにある種の鬱陶しさを感じさせる、まあ、生き方下手の人間である。私の問に対して「童貞だから、そんなこと解らない」と率直な答えがかえってきた。例えばビートたけしあたりが「俺、童貞だから、そんなこと解るわきゃないだろ。バカヤロ」と言えば、立派なギャグになるが、もちろん大真面目なのである。このあまりの率直さに私は絶句した。そして彼は「周磨さん、これで捨ててこいって風俗代くれますか?」と自嘲気味な冗談で笑ってみせた。

もう一人は、なかなかスマートで、(当人は否定するが)かなりモテると私がふんでいる男である。彼は「恋愛や不倫が非日常って…恋愛中の恋人とのSEXの場合は日常でしょ」ウム、そうか。我々団塊の世代あたりからそろそろ壊れてきたとはいえ、まだまだ私の若い頃は、婚前交渉はふしだら、できちゃった婚なんて不道徳の極みだった時代だった。「娘が傷モノにされた!」という言い方が、まだかろうじて成り立っていた時代である。そうとう社会的非難の視線を浴びた。確かに今は、婚前交渉・できちゃった婚なんて日常茶飯事で、誰も批難はしないだろう。恋愛中のSEXなんて、ドキドキする非日常じゃなくて日常ということなのだ。

シングルが増加している今だが、積極的に風俗に行ってまでヤル気はないという者は、案外多いのかもしれない。いや、風俗通いにハマってる方が少数派かもしれない。現在40歳前後以下のシングル志向世代から鑑みて、「童貞映画」というのは一つのテーマの核のような気がする。

●竹村祐佳さんの掲示板書き込みにビックリ
私の掲示板に、2月5日(木)「ピンク映画カタログ」で取り上げた「ハイヒールの女王」の主演女優の竹村祐佳さんから書き込みがあり、ビックリした。

「滝田洋二郎監督が、アカデミー賞をとられたので、私は、まだ、生きてるのかしら?って、検索してみたら、まだ、若い私が、スクリーンにいるんですね。前を通り過ぎても、気づきませんでした。教えていただいて、ありがとうございました」

ということなので、「おくりびと」関連で検索して、「ピンク映画カタログ」を眼にしたようですね。滝田洋二郎監督がピンク出身ということは、ここまで偉くなってしまうとマスコミは伏せるだろうなと思っていたが、読売新聞「顔」の記事では「成人映画」出身という表現で、一応キチンと紹介されておりました。

一昨年に、吉原杏さんからの書き込みがあってびっくりしたことは、平成19年10月6日(土)の「映画三昧日記」の『「マイストーリーの舞台に立って感じたこと」に記したが、こういうことがあるから楽しい。
 この時も、名子役の山藤ティボル君の母親で、裏方で活躍している山藤あいさんと吉原杏さんが同一人物だと知るまでは、失礼ながら誰かのハンドールネームの冷やかしかなと、思ってしまった。

しかし、こんなことなら、「ハイヒールの女王」で、「ストーリーとしてはサブの部分だが、映画としての魅惑の中核を占める」と、主演をないがしろにして、助演の早乙女宏美さんを大きく持ち上げたのはまずかったかなと、感じ入った次第である。

●早乙女宏美さんの話題
その早乙女宏美さんであるが、[シアター]イメージフォーラム「日本性愛映画史 1965−2008」の中で、出演作が2本選出されている。2月28日(土)〜3月20日(金)の約1か月間、「ピンク創世期」「70年代黄金期」「80年代ニューウェーヴ」「四天王と90年代」「ピンク七福神」「大蔵ヌーヴェルバーグ/00年代ニューウェーヴ」「ウェルメイド作家たち」のテーマ別に、全42本上映の壮大な企画である。早乙女さん出演作は、「80年代ニューウェーヴ」の中で、「地獄のローバー 緊縛・SM・18才」「緊縛 鞭とハイヒール」(改題「ハイヒールの女王」)の2本が上映される。

ついでといっては何だが、やはり私の知人の前「映画芸術」編集長でペンネーム河本晃さんの、「耳を澄ます夏」(公開題名「痴漢電車 さわってビックリ!」)も、「ピンク七福神」の中にラインナップされている。いずれにしても、私の知人がピンク映画史に記録されるのは嬉しいことである。

早乙女宏美さんは、3月18日(水)ロフトプラスワンの「ピンク×緊縛〜緊縛写真家=田中欽一とエロスの巨匠の夕べ」で、パネラーとしてゲスト出演する。他のゲストは池島ゆたか・渡辺護の両監督だ。これも楽しみなイベントだ。
2009年ピンク映画カタログ−3

ピンク映画の新作が減少しているとはいえ、2月20日(金)封切作品までで(年末封切で今年度ピンク大賞対象の2本を含み)今年度は9本を数える。私の鑑賞本数は未だ2本だ。投票資格ゲットには、そろそろ馬力をかけなければならぬ。早速、PGのシアター・ガイドを漁る。
 ありました。ありました。新宿国際劇場で2/11(水)〜20(金)で、昨年年末封切の「裸身の裏側 ふしだらな愛」を上映している。私の注目・期待している吉行由美監督作品だ。

併映旧作は「変態催眠 恥辱いじめ」と「どスケベ坊主 美姉妹いただきます」の2本、2002年作品の「変態催眠」は鑑賞済である。
 こういう時は、時間を「変態催眠」終了時刻に合わせ、若干早めに家を出ることにしている。この映画には脇であるが、故林由美香さんと御贔屓里見瑤子嬢が出ている。終了時刻の若干前に入場し、ボーっと時間つぶしでお二方を眺めるのも悪くない。

林由美香さんが、今でもスクリーンの中で溌剌と生きているのを見ると、何故か切なくなる。ピンク大賞の打ち上げで2回、それもそんなに長く話したわけではないし、先方も私の記憶は多分なかっただろう。プレゼンターの常連なんだから、毎年1回いつでも話せると思っていて、私もあまり積極的に話さなかった2年間だった。その悔いが残っているので、切ない気分になるのだろうか。
 御贔屓里見瑤子嬢は、キャピキャピ若くてブッ飛んでた頃で、悪玉の催眠術で男の魂が乗り移った時、完全に男に見える楽しさがあった。「ピンク映画カタログ」の前身の「ピンク日記」2002年8月3日(土)で、当時「何でもこなせる宇宙人瑤子嬢、万歳!」と、私ははしゃいでいる。

そんなお二方を、予期しなかったホロ酔いでボーッとながめていた。「予期しなかったホロ酔い」って何?そのへんの顛末は2月13日(金)の「映画三昧日記」の方に寄り道してください。いえ、そんなに大した話があるわけじゃありません。少しでも「映画三昧日記」をPRしたいさもしい根性です。

2009年2月13日(金) ●新宿国際劇場
「どスケベ坊主 美姉妹いただきます」 2005年公開
監督・関根和美 脚本・関根和美・宮崎剛  主演・朝丘まりん,持田さつき

托鉢の旅を続けている城春樹の坊主が、自殺未遂の朝丘まりんをひょんなことから助ける。朝丘まりんは、姉の持田さつきと同居している。城春樹の坊主は、「この家には悪霊がいる。拙僧が退治いたそう」とか、口から出まかせの適当なことを言って、ズルズルと家に居座ってしまう。
 後は城春樹の坊主が、姉妹そろって誘惑してくる妄想に耽ったり、持田さつきと彼氏との濡れ場を覗いたりとかが、他愛なくコミカルに展開する。
 朝丘まりんは、綺羅一馬のリフォーム詐欺にあって、親の遺産の家の明け渡しを迫られていた。自殺未遂の理由は、それだったのだ。
 綺羅一馬は、恐妻家で家出して逃げ回っていた。城春樹はそれをつきとめ、妻を手引きして、綺羅一馬を朝丘まりんから追い払う。実は城春樹も恐妻家で、妻の亜希いずみから逃げるために托鉢の旅に出ていたのだが、最後はついに捕まってしまうとの、オチにもならないオチで幕切れになる。
 いずれにしても他愛ないピンクコメディの一篇でした。

「裸身の裏顔 ふしだらな愛」 2008年公開
監督・吉行由実  脚本・吉行由実・桑原あつし  主演・Amu,若林美保

Amuは、高校の演劇部時代から付き合っている千葉尚之と愛しあっていた。しかし、Amuは海外ダンス留学の夢捨て難く、彼のもとを去る。そして渡航中に事故死するが、死体は上がらない。
 千葉尚之は、Amuと別れたあと同じ演劇部同窓生の結城リナと付き合うが、やはりAmuへの想いは断ち難い。その気持を知った結城リナは彼から去り、後に平凡な結婚をしたようだとのことが、風の便りに千葉尚之の耳に入る。

3年後、千葉尚之は新たな恋人の若林美保と出会う。彼女も演劇部出身だった。誘われて、彼女の先輩の樹カズが演出する芝居を見に行く。主演女優は、かつての恋人と瓜二つの女だった。(Amu二役)彼女は記憶喪失で、樹カズは自分好みの女に育てあげようとしていた。

千葉尚之の心はAmuに向かう。Amuは、彼の自宅周辺の記憶があるようだ。やはり本人か。でもそれならば、Amuが記憶を取り戻したら、やっぱり去っていくのではないかとの、恐れからも逃れられない。今の恋人の若林美保は、嫉妬混じりもあり、彼女の身辺を探る。そして、ある驚くべき事実をつきとめる。

ここから先、ネタバレあり、注意!!

現在のAmuは、千葉尚之の愛しながらも去るしかなかった結城リナの、整形後の変身した姿だったのだ。(ちょっと、ややこしいですね)整形によって、千葉尚之の心を引きもどそうとしたのだが、その前に交通事故で記憶喪失になったのである。これは韓流ギム・ギドク「絶対の愛」のピンク版であった。

記憶を回復した結城リナ(画面上ではAmu、ああややこしい)は、「あなたの思い出を傷つけてごめんなさい。でも、記憶を回復させようと一生懸命になるあなたと、共通の時間を持ててうれしかった」と言って、彼女は去っていく。「記憶がもどれば、自分の元を去るのが分かってるはずなのに、なぜ記憶を回復させようとするんだろうとの千葉尚之の切ない心情と併せて、情感あふれる秀作であった。

こうしたストーリーだから、濡れ場カップルには事欠かない。Amu=千葉尚之、結城リナ=千葉尚之、若林美保=千葉尚之、Amu=樹カズ。さらに加えて、Amu(ややこしいが実は整形した結城リナの方です)の身元調査を、若林美保が樹カズに協力依頼した行き掛かりでデキちゃうなんて、サービスまである。こうなると、一見は濡れ場の方便でストーリーが転がっていく凡ピンクと、大して変わらないみたいにも思えるが、大きく違うのは、吉行由美一流の濡れ場演出である。

とにかく、吉行由美映画の濡れ場はコクがある。扇情感をかきたてるような物欲しさが皆無なのである。あるものをあるがままに、淡々と人の営みの一つとして、自然体で描写していく。だから、それ自体が見事な人間描写になっている。冒頭、自分たちの営みをビデオ録画する趣味の、Amuと千葉尚之のビデオカメラ目線の、構図を微妙にズラした映像は白眉であった。ただし、人によってはエロくないのは欠点だと、言うひともいるかもしれない。

このあたりについて、昨年夏のピンク映画関係者の納涼会で、吉行由美監督と話す機会があったので、恐る恐る伺った。恐る恐るというのは、前年2007年の納涼会で的場ちせ監督に対し、ちょっとアヤフヤな発言をしたら、「具体的に示しなさい!」と烈火のごとき怒りを買ってしまったからだ。私の偏見なのか、男社会の中での女流監督ということからか、これまで私が話したりトークショーを聞いたりした女流監督は、いずれも情の強い人が多いのである。このあたりの詳細は、昨年「映画三昧日記」の「10年目の湯布院映画祭」の2002年「湯布院に喧嘩を売りに来た(?)女流監督の風間志織」の項に詳しいので、よかったらご参照ください。

女流・吉行由美監督は、女優・吉行由美と同様に、たおやかで穏やかな方だった。「そうですね。不自然にまでして、興奮を煽ろうとかは思ってません。自然に描いているのは確かですね」と、私の思っていたような答をいただいて、ホッとした。それよりも「女優として声がかからないのは寂しいですね。自分の監督作でワキで出るくらいしか、今はないですから」との話が印象に残った。素顔もそうだったが、確かにまだまだ女優としても行ける美貌である。声がかからないとしたら、ピンク映画界は、かなり宝の持ち腐れをしているのではないか。

この映画の編集は鵜飼邦彦さんだった。「映画友の会」の古い友人である。ベストテンを1970年以降選出し続け、約40年の歴史と伝統を誇るミニコミ誌「CINEMA893」の投票者として、私とともに名を連ねてもいる。知人がいつまでも活躍しているのを観るのは、うれしいことである。
2009年ピンク映画カタログ−2

2009年2月5日(木) ●上野オークラ劇場
「ハイヒールの女王」(旧題「緊縛 鞭とハイヒール) 1985年公開     
監督・脚本・北川徹  主演・竹村祐佳,牧村耕次

ピンク映画の新作は、昨年同様に減りこそすれ増えてはいないジリ貧状態だ。そこで新版(改題再映)作品が活発になる。本作品も、約四半世紀前のものが引っ張り出されている。私の活弁修行の知人、早乙女宏美さんの若冠22歳の肢体が拝めてしまう事態にまで至っている。

ピンク映画=新東宝の凄味も感じる。約四半世紀前の映画が、鮮やかなニュープリントで、知らない人には二十一世紀の新作と全く遜色のない映像で観られる。これは驚異である。メジャーだって、これほどの保管をキチンとしてるだろうか。数年前にさる市販映画雑誌のピンク映画関係の連載で、新東宝のプロデューサー福俵満氏(昨年の新人監督賞の福原彰氏である)を、新東宝本社で取材させていただいたことがあるが、保管庫の膨大なフィルム缶群が強く印象に残った。映画を大切にしているということでは、ピンクはトップクラスなのかもしれない。(それだけの利用価値があるという商業的理由に過ぎないのかもしれないが、でも映画を大切にしてくれているのは、映画を愛する者として嬉しい)

さらに余談であるが、改題作品にもタイトルバックがちゃんとあるので、ピンクの場合はメインタイトルバックの無字幕のネガも並行保存しているということなのだろうか。ある関係者からは、最近はメインのタイトルバックに映像を入れるのは嫌われるとの話も耳にした。完全に改題リサイクルを射程に置いた製作のようだ。

「ハイヒールの女王」の話題に移る。主人公の牧村耕次は普通のサラリーマン。ただ、深層心理では足フェチ、特にハイヒールの女の足には、徹底してそそられる。(トリュフォーの「恋愛日記」ピンク版といったところか)だから、休日は妻に接待ゴルフと偽り、バックに靴磨きセットを忍ばせ、街頭で俄か靴磨きを開業して、稀に来たハイヒールの女客の靴を磨きながら、淫らな妄想に狂う。帰宅すると妻への足の愛撫を中心にして、ひどく優しくなる。

四半世紀前の旧作だから、当然ながら牧村耕次が若々しい。二枚目である。港雄一・野上正義・下元史郎・池島ゆたかといった男優のベテランが、昔のピンクを見るとなかなかの二枚目であったことを、ここでも確認できる。新版改題再映が増えた怪我の功名だ。

さて、ここでサディスト美容師の竹村祐佳が登場する。身を屈めてハイヒールを磨くことに快楽を感じる牧村耕治の中に、マゾの資質を発見する。そして、彼はSMの世界に引き込まれていくとの、お馴染みの古典的ピンクパターンとなる。

早乙女宏美(以降は知人としてではなく、一般の女優として論じるので敬称略とします)は、美容師の竹村祐佳のアシスタントで、私生活では彼女に苛められるM女として登場する。例によって全裸に股縄が喰い込む亀甲縛りで、時に椅子に拘束され、時にアクロバチックな吊るし責めに遭い、M資質全開して体当たりの熱演だ。責め具で乳首を挟まれ、股縄を絞り上げられ、悶えるあたりは例によって猥褻を大きく超えた肉体スペクタクルだ。ストーリーとしてはサブの部分だが、映画としての魅惑の中核を占める。

昨年6月17日(火)の「映画三昧日記」で「縛師」について紹介した。今や劇団幹部女優となった早乙女宏美が、ドキュメンタリーの素材としてではあるが、20年余の空白を経て、濡木痴夢男とのコンビの緊縛を再現した。そして、肌の色艶も体の線も、20代前半の頃と比べて遜色のないのに驚嘆したのである。

最近さる酒席で、吉永小百合の年齢が話題になった。「昭和20年生まれで、私より二つ上の63歳です」と私が言ったら、「あなたの方が父親に見えるね」と突っ込みを入れられた。昭和20年生まれの女優というのは多い。当時の日活のグリーンライン、和泉雅子・松原智恵子・山本陽子や、東映の藤純子も、確か20年生まれのはずだ。吉永以外は、今でも美貌にせよいずれも年相応のそれであるのに対し、子供の世代の渡辺謙や竹中直人としゃあしゃあと夫婦を演じて違和感のない吉永小百合は、やはり「化物」といっていいのかもしれない。世代はかなり上だが、森光子という「化物」もいる。それらに比べればかなり若いが、早乙女宏美もいい意味で「化物」と言えるのではないか。

「痴漢蚊帳の内 茄子と四十路後家」 2008年公開
監督・坂本太  脚本・蒼井ひろ  主演・竹内順子,倖田李梨

ピンク新作激減の一因は、Xces作品の減少にある。以前は新作2本+旧作1本の3本立てが、結構定番だった。PGベストテン投票参加資格25本以上鑑賞をゲットするためには、困った時のXces頼みだった。とにかく2回映画館に足を運べば一気に4本を稼げるのだからおいしい。もっとも濡れ場の方便だけでストーリーが転がる「ピンク」映画で、ネチッこい描写の羅列だけを3本も続けて見ると、投票資格ゲットのためとはいえ、ウンザリ・グッタリしたのも確かだ。

そのXcesが製作方針を転換したと、風の便りに耳にした。「ピンク」映画から、ピンク「映画」へと軸足を移したそうなのである。もっとも私は、Xces2本新作同時上映が少なくなって以降、積極的に食指をそそられる作品もないので、トンとご無沙汰していた。「痴漢蚊帳の内 茄子と四十路後家」は昨年のXces作品で、私が初めて観たただ1本の映画である。

確かにこれまでのXcesとは一味ちがう。ちゃんとしたドラマがある。主人公は未亡人の小料理屋の女将の小川順子である。かつて夫の成田渡に不倫され、その夫は不倫相手に振られて絶望し投身自殺したとの、屈辱的な悲しい過去がある。男の方の主人公の小林三四郎も、妻に不倫されて、女に不信と憎しみを抱くようになり、女の部屋に忍び込んで一服盛り、無意識の女を犯す若松孝二「水のないプール」の内田裕也を思い出させる屈折した人物である。この二人の男と女の切ない出会いと、その果ての悲劇が描かれる。

小川純子に陰ながら思いを寄せているのが義弟の成田渡(兄との2役)がいる。小林三四郎の娘が杉本愛理で、中学生まで父と入浴していたファザコンで、父親の犯罪を何とかやめさせようとする。小川順子の小料理屋の常連客に倖田李梨と岡田智宏の夫婦がいる。岡田智宏は、未亡人の小川純子を助け小料理屋を出させてやった過去があるが、実は下心もある。小川純子が小林三四郎と結ばれたのに嫉妬し、横恋慕の結果が悲劇に至る。

いちおうはストーリー展開で見せるが、だからどうなのかというと、どうってことはない。ウム、Xcesも変わったのかなと思った程度の一篇であった。


「祇園エロ慕情 うぶ肌がくねる夜」 2009年公開
監督・加藤義一  脚本・岡輝男  主演・椎名りく,大野ゆか

ピチピチ高校生ギャル、椎名りくと大野ゆかのコンビの掛け合いが楽しい明朗青春篇だ。椎名りくは活発で面倒見のいい元気者、大野ゆかは奥手で内気、何でも椎名りくを頼っている。でも何となくウマが合う2人のボケと突っ込みだけで、十分に見せていく。それが魅力のすべてだ。往年の日活ロマンポルノ「桃尻娘」シリーズの竹田かほりと亜湖の名コンビぶりを思い出した。

大野ゆかは、同級生の久保田泰也に告白されて戸惑う。見かけの割には椎名りくは男運はよくない。イラついている時に「相談があるんだけど…」と大野ゆかに言われ、「たまには自分で考えろ!」と突き放してしまう。その直後、京都に行くと母親に書き置きを残し、大野ゆかは姿を消す。

自分が冷たくしたのが原因か、自殺でもしないか、と心配した椎名りくは、大野ゆかの後を追って京都に行く。彼女の京都行きの目的は父親探しだった。ひょんないきさつから大野ゆかは舞妓になりすますことになったりするコスプレ的サービスもある。

大野ゆかは京都まで追ってきた同級生の久保田泰也と愛を確かめ合い、椎名りくも京都でプレイボーイの岡田智宏といい仲になってメデタシメデタシと、内容は他愛ない。繰り返すが椎名りくと大野ゆかコンビの掛け合いの楽しさだけがすべての一篇だった。
2009年ピンク映画カタログ−1

まずは、松の内は過ぎましたが、あけましておめでとうございます。
 新年早々に景気のよくない話ではあるが、今年のピンク映画は、ますます厳しい状況になりそうだ。mixiの「ぢーこ」さんの日記によれば、昨2008年のピンク大賞の対象作品は63本だそうである。私ならずとも、ここまでの激減はちょっと驚きであろう。
 「PG Web Site」によれば、2009年は1月16日までの新作封切はたったの2本である。ちなみに昨2008年は11日までに2本が封切られている。まあ、前年と同ペースというところだろうが、この先どうなっていくんだろうか。
 さらに「PG」によると、昨年は11日までの新版(改題再映)作品はたったの3本だったのに対し、今年は16日までに倍増6本の多きを数えている。これが、今年の傾向を象徴していないのを祈るのみである。
 実は、ピンク映画に関しては、還暦も過ぎたことだし、ピンク大賞投票者の最高齢でもあることだし、そろそろこっちも定年にしようかなと思ったこともあった。しかし、こういう状況になってくると、最後まで見届けて心中したい心境にもなってくる。ピンク大賞20回のうちの1/4の5回を参加したことでもあるし、心中などと縁起の悪いことはさておいて、やはりこちらは定年なしの終身雇用で行ってみたい。
 今年最初の「映画三昧日記」で、私の愛するプロレスについて、「恐怖の氷河期を迎えるのではないか」と記した。ピンク映画といいプロレスといい、どうして私の愛するものに逆風が吹き続けるんだろう。何らかの立ち直りのきっかけをつかみ、絶滅危惧種からの反転攻勢を、深く念じたい。
 ということで2009年「ピンク映画カタログ」の開幕です。


今年のピンク初め(変な表現だが)の2本は、ミステリーという程ではないが、いずれもちょっとしたネタバレ要素があるので、ご承知の上でお読みください。

2009年1月9日(金) ●上野オークラ劇場
「桃色作家 欲望の舌なめずり」(旧題「不倫関係 微熱の肌ざわり」) 2006年公開
監督・関根和美  脚本・関根和美,宮崎剛  主演・朝丘まりん,山口真里

朝丘まりんと山口真里は、学生時代からの親友だ。朝丘は出版社編集長の牧村耕次と不倫関係にあり、彼の勧めでその体験を小説化して、今や売れっ子の女流官能小説作家だ。
 しかし、有名になると共に身辺に異変がおこる。毎日のように手紙を寄越す不気味なファンが表われる。ストーカーのようにつきまとう男もいる。無言電話が繰り返される。ついには、自室での着替えやトイレでの放尿、朝丘まりんと牧村耕次の情事まで録画したDVDが、送りつけられてくる。調べると、盗聴器・盗撮器が、自宅から発見される。
 彼女は、犯人をストーカー男の天川真澄だと思いこむ。しかし、真相は朝丘まりんの作家としての成功を妬み、編集長の牧村耕次を寝取ろうとした親友の山口真里の仕業であった。天川真澄は、ストーカーの結果として、山口真理の犯行をすべて目撃してしまったのである。
 ちょっと洒落たパラドックスで、意外な展開といえないこともないが、それだけのワンアイデアで1時間もたすのだから、結局は濡れ場・エッチの羅列の方便のストーリー展開と見えないこともない程度の仕上がりとも言える。

「痴漢電車 しのび指は夢気分」 2009年公開
監督・渡邊元嗣  脚本・山崎浩治  主演・夏井亜美,早川瀬里奈

夏井亜美と早川瀬里奈の姉妹が主人公である。姉の夏井亜美は眼鏡ブスで地味で引っ込み思案、対照的に妹の早川瀬里奈は超派手好き。早川瀬里奈は、当人はトップモデルのつもりだが、仕事はしがない折り込みチラシばかりである。でも姉の方は、そんな妹のマネージャーを務めるしかないもっとしがない存在だ。
 電車の中で早川瀬里奈が吉岡睦雄の痴漢に遭うことで、話が始まる。痴漢行為に悶えている妹を見て、痴漢にすら遭ったことがない姉の夏井亜美は、オナニーをして体の火照りを納める。それを横目で見ていた真田幹也は、夏井亜美に一目惚れしてストーカーと化し、ついには愛を告白する。真面目な結婚を考えてくれていることから、夏井亜美も自分の女としての魅力に目覚め、眼鏡を外して輝きを増してくる。一方、早川瀬里奈の方は、ひょんなことから吉岡睦雄と再会し、一流企業のエリートであることが判明し、こちらも玉の輿を目指す。
 実は吉岡睦雄も真田幹也も、2人とも詐欺集団の一員で、姉妹は結婚詐欺に引っ掛かるところだった。直前で、2人の指名手配の新聞記事を見て救われる。結局、眼鏡ブスを脱却し華麗に変身した夏井亜美という結果だけを残して、これは一件落着となる。
 そんな姉妹に、電車の中で、またまた痴漢の魔手が襲ってくる。何と、変装した吉岡睦雄と真田幹也だった。指名手配犯の二人に、それをバラしていいのかと、姉妹そろって2人に逆襲して恐喝し、ついには金をまきあげるというエンド、いかにも渡邊元嗣監督流の、人を食った幕切れでチョンとなる。
 それ以外の部分でも渡邊元嗣流の人を食った楽しさは満開だ。吉岡睦雄が騙っていた一流企業のエリート本人は、中野貴雄が演じ、これが冴えないハゲ男である。こちらの方はやはり、ひょんな経過から夏井亜美のストーカーと化し、「宇宙水爆戦」のエイリアンもどきの着ぐるみで出没したりする。エンドクレジットでは、夏井亜美と早川瀬里奈の姉妹が、コスプレショーよろしく華やかに着飾って、キャピキャピと踊ってみせることもやって見せる。
 新年らしく理屈抜きで、楽しませる手練れの渡邊元嗣流一篇といえよう。
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