ブルース・リーの映画的考察

ドラゴンへの道


ドラゴンへの道は、ブルース・リーが一人6役(5役や4役とも言われておりその当時は良く解らなかった)、主演,制作,監督,脚本,音楽,武術指導を行った大変興味深い作品です。
香港映画としては初めての海外ロケで、しかもヨーロッパとなれば非常に珍しいものだった事でしょう。
ブルースは、ローマを舞台にする事をかなり以前から企画しており、その機会を待っていたようでした。
映画を見るとすべてがローマで撮影されていたかのように見えますが、実はローマにロケに行ったのは数人でしかも2班に別れて到着しています。
1972年5月4日にブルースとレイモンド・チョウと西本正がローマ入りをして、実際映画に使われなった場所の下見を行っています。
3日遅れて5月7日にノラ・ミアオとチェイ・ユー・チャンと他の撮影スタッフが到着しています。
ブルースは、ローマ撮影の一番最初のシーンを緊張しながらも難なくこなした事にレイモンド・チョウは機嫌をよくして、自分も撮影に参加したいと申し出ます。
普通プロデュサーが映画の撮影に参加する事はありませんのでブルースも驚いたようです。
レイモンドは、映画に出演するのでは無く、彼らの一番必要なものを失わないように協力する事を考えていました。
ローマのロケで必要な人が一人だけまだ到着しておりませんね。
そうです。チャク・ノリスがローマにまだ到着していなかったのです。そこでレイモンドは、空港にチェクをピック・アップしたのです。これで撮影隊の貴重な時間を確保したのです。
ブルースたちは、朝6時から、午後の6時までアグレッシブにローマ・ロケを実行しております。
彼らは、お見上げを買う暇も無いくらいに働いたようです。
彼らは、日曜市でお見上げを買おうとしたらしいのですが、宗教上のお祭りの為。彼らが滞在している間の日曜日には開催なれなかったようです。
ブルースとレイモンドは、ローマ・ロケ中にトレビの泉に願いをかけています。ブルースは、小さい声で「ドラゴンへの道が成功しますように・・・。」と言っていたそうです。
私は、このドラゴンへの道を1974年の早春に見ています。
当時は、ブルースの最後の作品という触れ込みで、「もうブルースを見る事ができなるなるのか。」と少年であった私は、最後の作品を見る事に対してうれしいのとさみしいのを両方重思いながら、映画館に通ったのを覚えています。
ドラゴンへの道は、東映のブルース・リー映画の配給第一号でしかも最後の作品という、映画の配給会社の中でも複雑な位置づけの映画でした。
普通 東宝系のレコード会社のTamが東映の配給した映画のサントラ盤を出すことも非常に異例の事であったし、公開前にこの作品名はドラゴン電光石火と東宝側が発表していた事もあり、ファンにとっても企業間の商売問題が見え隠れするような作品であったことも今となれば興味深い事です。
この作品で、ブルースは自分の実力を観客に見せ付けようとしていた気配が感じられます。JKDの存在を前面に押し出そうとはしておらず、どちらかというとブルースの映画には、余計なトリックは使わない、しかも本当の武道・アクションである事を証明しようとしているように感じられます。
まず 武器の種類を多くしています。又 非常にテクニックを要する使い方をしています。
それから自分の設計した練習道具もさりげなく紹介しています。トレーニング機を秘密にしていたブルースに取っては珍しい事かもしれません。(まあ エアーシールドは、ほとんど何時も持って出歩いていたようですが・・・)
2本のヌンチャクを倒す相手の数に応じて使うという何とも憎い演出などもしております。
又 空手に関しては、本場と呼ばれている日本をイメージした相手と念願であったアメリカ武道家で本当の実力者(ボブ・ウォールもチャク・ノリスも全米空手チャンピオンの経験者)を倒すという事も実現しています。ブルースは、この映画の公開後このように語っていることも彼の気持ちの現れでしょう。「僕は、この映画で本物の武道家を相手にしている。どうだい。彼らと対等に戦っているだろう。僕はタイトルは無いけど、彼らと遜色無く戦うことができる証明さ。」
私は、どのような見方をしてもブルースの方が彼らに勝って見えます。しかも、アクションの切れが違います。確かに、チャク・ノリスは本物だと思いますが、ブルースの死後 チャクの主演した彼が武道監督をした作品を見ましたが、アクション・シーンにおいてもストーリにおいても全然面白味を感じませんでした。やはり、彼らがこの作品で強く見えるのは、ブルースのおかげなのでしょう。
この作品は、ブルースの健康的な感じの受ける最後の作品でもあります。ブルースは、この作品完成後、過労で倒れています。この時にブルースの死へのスイッチが入ったと私は考えております。
ブルースは、完全主義者でした。それゆえに自分の生命までも削って作品を作ったのです。この映画には香港公開版の予定しかありませんでした。ブルースは、国際的なマーケットをまったく意識せず、香港および台湾のマーケットを意識して作っています。ベースになる言葉は、北京語です。ですから登場人物の生活圏で使用されている言葉を各俳優が喋っています。しかし、我々は英語版のしかも日本版を見ています。これは、本当はブルースの意志に反する見方なのかもしれません。
ブルースが演じるタン・ロンは、英語が解らないという設定です。しかし 英語版では英語を話しています。なぜ スープばかり出てきたのでしょう。ウエイトレスがイタリア語でも話していればつじつまがあったのかもしれません。
そもそも我々が見たベースになっている英語版もブルースの死後、アメリカ・マーケットの為に音声をいれてブルースの監修無しで作られたものです。それゆえ アメリカ版には、ブルースの怪鳥音が入っておりません。
いろいろ探せば、不思議な事ばかりのブルースの映画ですが、非常に低予算でたった13万ドルで作成され、公開後に得た収益は5,000万ドルです。非常に費用対効果に優れた作品です。
ブルースは、この映画をインターナショナルに配給する事ができないと思った原因の一つに中国人の世界的認知度があったように思います。実はこの映画のロケ中にこのような事がありました。ブルースら一行がロケをしている間、ローマの人々は彼らの服装に非常に興味をもって見ていたそうです。ファッションの最先端を行く都市でもある訳ですから当然といえば当然なのですが・・・。
ブルースは、この映画のロケの間、出演してる時の服装は、グレーのカンフースーツでした。ローマの人たちは、彼の服装が最先端の服装のようには見れなかったのでしょう。又 彼らはブルースをまったくと言ってよいほど知りません。彼らは、ブルースたちを日本人と間違ったそうです。というのは、ローマでロケをする東洋人は日本人しか知らなかった為のようです。これはブルースに取っては、中国人の認知度の低さを改めて認識せざるおえない事になります。アメリカ時代には、日本人の役をやらされ、香港に戻って海外にロケをすれば又 日本人と間違われる。これは、中国人が主役の映画を海外に配給しても、又 日本人に間違われると認識したのでしょう。実際、燃えよドラゴンがアメリカで公開された後、日本人のすべてが格闘技をしているように思われたように。又 日本人でさえ香港の人々がすべてカンフーをやっているように思っていたように・・。
ドラゴンへの道は、香港版が見れる現在において本当のブルースの意志が汲み取れるように感じる事ができます。当時のブルースは、成功すると思いながら、香港の映画界での自分の限界を感じていたように思えます。次回作の「死亡遊戯」で香港での撮影を終えて、海外資本の映画でアメリカに戻りたいと考えていたようにその当時の手紙から伺え知れます。
当初、この映画の題名を"Enter The Dragon"にしておきながら、名前を変更したのは、世界への進出は海外資本での意図があったからではないのでしょうか?
あなたは、どう感じましたか?

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