十歳の時に工科大学を卒業した
己の意思というものや研究意欲は無かったから
卒業後は細々と映像の研究と父の仕事の手伝いをしていた

”佐伯の人間に相応しい人間になれ”という父
その人こそ、俺は
凡そ人間らしい表情を浮かべている処を見たことがない





病は”気/奇=「危機」”から





「おぉい、デブ男(お)くん、トントン」

金沢市の中学校に通う事になったのは今年の春から
あまり自分の身の回りには頓着しない
徹夜作業が仕事で多いから、という理由で、食事の制限などしていない
ついでに云えば思春期にきびも凄かった
更に云えば黒髪は伸ばし放題で肩口以下だった
視力も極端に悪かったから、度の高い黒縁の眼鏡が手放せない
自分なんてものに興味はかけらもない



もっと云えば、自分を良く見せようと思わないのは他人にも興味がないから



自己愛というものは他者を攻撃する上で輝くように成り立つらしい
子供社会に入ったのはこの13歳になった歳が初めてだった

元々クラスメイトと積極的に馴染む積もりはなかったが、
その一人が俺の机の上に置かれていた飲料水の缶を払い落とした
かしゃん、と小さな音と共に、床にぼたぼたと零れるそれを見つつ
面倒臭いな、と思った

「ええと…デブはわかるけどもね…トントンはパンダだったような気が

「クッ…!あ、揚げ足取りやがって!
 そんなことはどーでもいい、おまえ金持ちの坊ちゃんなんだろ?」

「そんなことはありませんよ、たかだか
 敷地一万5千坪20棟の家敷に住んでいるくらいで

それが金持ちってんだよォォ!!お前嫌味か!?
 嫌味返してんのかァ!?


「嫌味なんてそんな、庶民と僕の間にある
 圧倒的申し開きのある事実を申し述べただけで


この野郎ォォォ!!
 金巻き上げるだけで勘弁してやろうと思ったがついでだ!
 そのブタマン面一発殴らせろやァ!」

「やめなさい!」

そう云いながら俺とそのクラスメイトの少年の間に割り込んできた少女が居た
クラス委員で…幼馴染のの八千草香澄だ
気が強く教師にも受けのよい彼女、そのに睨まれてその少年は舌打ちし、その場所を去っていく
俺は折角助けて貰ったのに彼女に礼も云わず、手にしていた文庫本に目を戻した

「藤村くん、さっきの…お節介だったかもしれない、ごめんなさい」

「…でも、助かったのは事実だよ、ありがとう」

彼女に礼を云う積もりになったのは彼女が紅茶の零れた床を雑巾で拭いてくれたからだ
本当は、どうでもいい、と思っていた
そう思うとまた少し惨めな気持ちになる

「でもあのひとたち、学校の中でも性質が悪いって有名なのよ」

「八千草女史にまでお墨付きを貰うぐらいだ、余程の小悪党なのだね」

「ふざけないで頂戴、心配なの」

彼女に窘められ、真っ直ぐに大きな黒目で見据えられる
そうするとやや親に叱られたような気分になる
父やあの女からも感じたことの無いプレッシャーを感じる

「僕には…必要ないよ、ありがとう」

そう云うと八千草女史は少し哀しそうな顔をした

傷つけたかな、そう思うも、俺は薄笑いしか浮かべられない





胎の底がむかついた







二進数の世界は0と1だけで成り立つ
素数は孤独だ、その数でしか割り切れない
僕に勇気を与えてくれる数字だ
今更義務教育を受けてどうするんだ、父さん
僕には必要がない、協調性などは特に要らない
僕は社会の歯車だ、自分の数は自分でしか割り切れない素数だ
数字を追いかける以上に楽しいことなんかない

なぜ、此処に居る必要があるんだい?
他人はいらないよ、父さん

あなたが僕を必要としないように、僕も僕を、そして他人を要らない
誰も必要じゃない、満ち足りたことなんかない
難しい問題なんて、僕には関係ないんだ



解けようが、解けまいが





「ふーじーむーらーくーん?」

屋上へのお誘いのラブレター、女子からだったら嬉しかったけれども
生憎と俺の手元に届いたのは汗臭そうな果たし状だった
いや、女子からだろうが誰からだろうが本当はどうでもいい
無気力こそが俺の本音で

「この間は委員長が出しゃばってきたけどよぉ?
 今回はどうする?悲鳴を上げても委員長は来ねぇぜ、
 こっちの方にも出てきて貰ったしよ」

そうして不良の間を縫うようにして出てきたのは矢張りどこか柄の悪い少年だったが

「あ」

知っている顔だった
数度しか出席したことのない社交界の折、ドアマンを殴りつけて退席させられていた

「――鈴木不動産社長の令息」

佐伯コンツェルンの直接の取引相手ではないけれども
様々な方面の各企業の総資産や売上を考えても鈴木の名の方が上回るものが多い
枝葉はうちが多くても――互角か、それ以上の資産家の令息
真逆同じ学校だったとは、真逆こんなに頭の悪い事に簡単に荷担するとは



「佐伯会長の息子だよな、藤村解良
 お父様の金の力でも何とかもできねぇぜ、わかってるな?」


父――佐伯和男に迷惑はかけられない


彼は僕の父親だが、僕の”父”じゃないから



数字の羅列と理論だけの世界で生きてきた人間に
運動神経が育っていたらそれはご都合主義だ

思い切り殴られた
彼らは夜盗と変わらないな、襲われて財布を奪われながら思う
それでいて彼らは自分が傷つけば高い悲鳴を上げて大人や世の中を恨むのだ
けれど俺は何も恨まない
どうせ数字の羅列より面白い事は見つかりはしないのだ
難しい計算式を解いた日には嬉しかったけれども
俺より上など幾らでもいて、俺より下も幾らでもいた
ああ、どこが境目なのだろう、俺はどこで満足できるのだろう



――…現実(リアル)は何処にあるのだろう?



小説や漫画の話みたいなことが、あるものなのか?
ああいう現実(リアル)は架空の出来事でなく作れるものなのか?



心から楽しい
心から嬉しい
心から―――…



そんなもの、具体的に掴めたことがない

「なんだよカードばっかりかよ、現金は入ってねーのか?」

「とりあえず全部いただいておけよ、何しろ佐伯グループのお坊ちゃんだ
 もっと絞れる筈だぜ…何しろさぁ、こいつって」

顔が痛い、血が出てるのか、汗をかいてるだけなのか、べったりしたものが頬を伝う
これも現実(リアル)だけれども俺には現実感がない
みんなどこかで見たような絵だ
これも数字の羅列の一つなんだろうと思う
何月何日何曜日、生徒負傷、1名
それで終わるんだな、と思う

「妾腹の子だってのによ、本妻の子より頭のデキがよかったんで
 養子にとられたって話だぜ
 家じゃ針のムシロでドロドロだろうさ、
 本当は誰にも助けちゃもらえねーだろ」

「なんだよハッタリかよ!ビビって損したぜ!」

俺のことをよくもそんなに知ってる人がいたものだ
ああ、世界はこんなものなのか
どこまでも空が四角い





――僕だって、一生懸命生きてみたい





その時ふっと長い影が俺の上に落ちた
これ以上殴られたら入院をしてしまうぐらいの怪我になってしまうかな
また父に面倒をかけるな
仕事が滞ったらその分スケジュールを調整しなければいけない

でも大丈夫、大丈夫だ
例え俺の命が無くなっても、俺は俺の仕事の引継ぎの手段を整えているし



「起キロ」





薄目を開いた俺の目に映ったのは―――…1人の、少年





赤い返り血の飛沫を浴びた白い顔
目を引く陽光に透ける緑髪がたなびいて
見下ろす金色の瞳は猛禽類のように細く、鋭利に輝いている



先ほどまで俺を嬉しそうに殴っていた少年達は地面に倒れている



「テメー、誰ダ」

低い声が物を尋ねる響きを知れた筈なのに、俺は痴呆症のように呆けた顔でいただろう
彼はそれを見ると舌打ちし、俺の胸倉を掴み上げ、揺すった
身長差と力の差で安々と持ち上げられる
服が引っ張られて息が詰まればゴホゴホと咳き込んだ

「誰ダッテ聞イテル、コノ糞野郎ノ手下カ?」

彼はそう云いながら鈴木少年を蹴り飛ばした
今は哀れにも思える程に彼の顔は腫れ上がっていて、
鼻血を飛ばしながら面白いぐらいに身を捩じらせて壁まで転がり、ぶつかって倒れた

俺はそれを見て初めて両眼を見開き、自分の胸倉を掴む彼を見た

彼は嘲笑っている

実に愉しそうに、世界を、俺を見ている

ただ己に屈服する世界が愉しい子供の目とは違う
彼の瞳を間近で見たものなら分かる、彼の目の中には
俺の知りえない現実(リアル)があった

「―――…んだ…」

「アァ?」

俺は嬉しかった、だから、彼に聞こえなかった質問をもう一度尋ねる





「君は、どこまでが現実(リアル)なんだ?」





切れ切れの声、俺の唐突な質問
誰だって頭がおかしい奴だと思うだろう
俺はどういう訳か微笑っていて、
彼は俺を睨んでいた





「ソンナモン、自分デ探セ、
 無キャ作レ、作レナキャ

 壊セ」





そう云って彼は俺を突き飛ばした
俺はそれを聞いて浮遊感を感じながら――…酷く安心した

そのまま気を失った



俺は確かに普通じゃなかったのかもしれないが、普通って所で何だ?

別にそれこそがどうでもいいのだ
彼に云われるまで気かないなんて

ところで、彼は、誰なんだろう

金色の瞳、が…とても、残る…記憶に…



動悸が   これは   



             
な    に    ?





次に気がついた時は、保健室のベッドの上で
八千草香澄が俺の隣の椅子で泣いていた

「藤村くん…!気が付いてあげられなくてごめんなさい…ごめんなさい…!」



その日から金色の目の少年は俺の心の中で唯一の信仰になる

最初は憧憬だとかそうしたものだったんだんじゃないかと感情を濁らせた

それが違うと気がついたのは自分の容姿を鏡で覗き込んだ時にはっきりした

激しいショックを覚えた
こんな姿で彼の前に存在していたなんて



「いま、何て云ったの?」

昼食の前、他の女子と食事を取ろうとしていた八千草女史を呼び止めた俺は
彼女に一つの相談事をした

「こんなことを頼めるのは君ぐらいしかいないんだ
 君なら何となくわかってくれると思っている」

「…随分身勝手な事を云うわね…でも、私、その姿勢は嫌いじゃないわ
 前のあなたに比べたら、私はそれもいいのかとも思うわ、けれども」

八千草女史は額を抑えながら少し俯いた、それからゆっくりと息を吐き出した

「私、あなたのことは幼馴染だから仲良くしてた、ってわけじゃないのよ、藤村くん
 あなたの構築する理論の完成度や、目覚めてない人間性にかけたかったの
 あなたのお父様には、私、お世話になっているから」

「前置きもお世辞もいいよ、君が僕を如何思ってたかなんて大体予想が着くから」

「…わかったわ、本気なのね?」

そう俺に念押しのように云い返す女史は複雑そうな顔をしていた
俺はそんな彼女がおかしくてただ緩く笑うだけだった



「え、八千草さんの頼みなら…いいけど…藤村君て、あの藤村君?」

「ええ、そう…メンズエステなんて私、良くわからなくて、お願いできるかしら」

放課後、八千草嬢が思い詰めた表情で友人のとある一女子に相談していたのは
少し噂になった



あの金色を正面から見詰める準備はだいぶ整ってきたけれど

また彼に護られるような立場に立ってしまうのはプライドが許さない

…プライド?

そんなもの、あったのか、俺に

ああ、プライド、なけなしのそれが

少しは砕いておかなきゃならないが失ってもいけないのだ

俺は強くならねばならない、誰よりも、彼よりも――…



「今、何て云ったんだ?」

放課後、違うクラスの中国拳法同好会の部長に声をかけた

「こんなことを頼めるのは君たちぐらいしかいないんだ
 君たちならこうした精神というものを理解してくれると思う」

「も、勿論!歓迎するよ!同好会に新しいメンバーが入るなんて嬉しいさ!」

同好会だから当たり前なのか、嬉しそうに語る彼へ、俺は眼鏡のレンズの底から
ゆっくりとした、それでいて強い眼差しを向けた

「徹底的に鍛えたいんだ
 僕が音をあげそうになっても容赦はしないで欲しい
 中途半端な手加減はいらない、全力で頼む」



「まだまだ!!そんなヤワな拳で敵が倒せるとでも思ってるのかぁ!」

「走りこみも鍛え方もなってない!!あとグラウンド10周だ!!」

久々の新入部員の入部に、先輩である同好会員達はこぞって嬉しそうに俺を構う
いや、いびってるつもりなんだろう
そう、それくらいでいい、それぐらいで、今の俺には、ちょうど――…



「眼鏡、いらなくなったんだ?」

「うん、もう視力が結構良くなってきたからね」

「でもホント、変わったよね、前の姿が想像できないもの」

「はは、そう云って貰えると努力してる甲斐があるのかな」

「おでこのニキビもすっかり消えたわねぇ
 あとヘアメイクが上手になったわ」

「これも八千草女史とあなたのお蔭ですよ」

「いやぁね、美沙子って呼んで、藤村クンv」

「――…私、帰っていいかしら?」

「待ってよ八千草女史、今日は俺が奢る―…」



「あともう一本お願いします」

「え、えっと…藤村?ちょっと頑張りすぎじゃないかな、
 ほ、ホラ、ウチはさ、同好会なんだ、し…」

「そ、そうだよ、全国大会とか出る訳じゃないんだしさ、な?」

サンドバックがもうもうと煙を上げて床にばら撒かれている傍
その男は両手を構えて薄く笑った


「なら今度は俺があなたたちを鍛える番だ
 早く俺と同じレベルに追いついて下さい
 そうじゃないと練習にならない」




「お前―――…本当に、藤村、なの、か…?」

「そうだよ、鈴木くん、いつぞやは大変お世話になったね」

彼の手前には鈴木の部下だったものたちが累々と転がっている
その更に手前に立つ影のような俺に鈴木は顔を引き攣らせた

「ああ、そんなにかしこまらなくたっていいよ
 君には感謝しているんだ」

「こ、こんなことをしてウチの親爺が黙ってないぞ!」

「ああ、君のお父様の会社、俺のグループの傘下になったの聞いてない?
 ちょっと不動産にも手を出してみてね、結構楽しいね、
 ああいう経営も」

「なッ…!」

最後のとっときの切り札を潰された少年の表情は固まっている
右足から踏み込む、鈴木が後退ろうとする動きよりも早く相手の顔面に左手を叩き付ける
そのまま広げた手は、相手の顎をガッ!と掴み、そのまま傾けるように軽く持ち上げた
苦しげに彼が呻くのを至近距離で無表情で眺める


「じゃあ、今更、何の用だよ…?」

苦し気に息を漏らす眼下の相手に気が付くと、
俺はゆっくりと微笑んだ


「聞きたい事がある…準備はいいか?
 仔犬が如く少ない脳味噌をフル回転させろ


 俺はあの人のことがしりたい」


「あ、あのひと――…って――…」





「ご苦労様、とても助かったよ」


そう優しい声で礼を述べる男の足許には
あの日よりも顔の原型を止めずに殴られ倒れる鈴木少年の姿



高校の入学式

桜吹雪の校門前、真新しい灰色の制服に身を包む一年生たち

式を終えた後のこと、

抱えた赤い薔薇の花束の色がその世界にとっときのイレギュラー

少々長めの茶色、前髪はさらさらと風になびく

整えた眉の下、鋭利な眼差しの双眸が瞬きする

詰襟の胸から広がるシルクレースのスカーフ

「彼…ちょっと、ヘン、よね…」

「でも…ルックスは割りと…イケてない?」


その男と擦れ違う女子がそんな言葉を囁き合う

その彼の数歩後ろ、校門を出て行く少女が一人

「頑張りなさいね、藤村くん――…
 でも――…あの中学校で”祇園寺”って名前の先輩…



 男の人……だった、わよ…ね……どう思い出しても……」



「八千草女史、聞いてくれるかい?
 とうとう見つけたんだ、僕の現実(リアル)を
 あの人なら、

 俺は全力でせるかもしれない



















あとがき

藤村解良という奴が祇園寺大豆君に一目惚れをして変わったまでのお話だったらしいです