『お医者さんが云うには成長期の終わりが目安なの
あのこ、消えてしまうかもしれない
嘉修も、隠元に吸収されて、本当の私の兄に戻るかもしれない
でも、あくまで仮定、いくつもの”かもしれない”がつくのよ
これは云わないでね
あのこには、云わないでね
それでも、あなた、は――』
病は”気/奇=「危機」”から Vol.4
その少女が店内に入ってきた折に両眼を見開いた
綺麗な顔立ちを歪めて禍々しい気概を放つそのひとに、俺はもう一つの非日常を見る
まっすぐに俺の横を通り過ぎ、テーブル―――否、嘉修氏へ名を叫び向かっていく
鈍く光る得物に俺は顔を強張らせた
括る房の黒髪と銀色の前髪が緩くうねる
少女は拳を突き出した
拳を繰り出すその速度には目を見張るものがある
俺が練習に付き合って貰っていた”一般”のトレーナーや中学の拳法の同好会とは違うのだ
あそこには、確実な痛みがある
”彼”ならばこの現実(リアル)を嬉々として受け止めたのだろう
”彼”の別人格は困ったような惚けたような顔をしているだけだ
ふとその別人格―――…嘉修氏が俺に視線を向ける、数秒
微笑んだ、気が、した
彼に突き進んでいった少女が振り向いた
全力で俺を憎んでいる、親の敵、そんな眼で見られた
「テメー…殺す!!」
俺は密かに感動した
純粋に激情できることが俺には感動だ
素直な暴力に昇華する、そのこころのありかた
俺は一体彼女に何をしたのか、あやまらなくては
そう、思ってる間に彼女から攻撃の手がやってくる
彼女は軽く床を蹴り、それほど高くない位置に飛び上がると俺の顔面へ足を繰り出した
ビュ、と風を切る音がこんな短い距離で聞こえた
彼女がきっと重い靴を履いているのだ
そしてその重量をものともしないで蹴りを放とうとしているのだ
足の動きは三連撃
最初の顔面、次の胸部、最後の腹部
俺は咄嗟に腕を出した事を後悔する
その靴の重みは分かっていた筈だ
しかし――…こんな狭い喫茶店で避けたりすれば
俺の後ろに居るレジの店員の青褪めた表情
「グ……ッ…!」
受けるより他はない、受ける重みに鬱血した重い痛みを感じて顔を顰める
「ッシッ!」
女性はスピード重視の攻撃が得意な人が多い
しかし彼女の蹴りは――…靴の所為だけではなさそうだ
格闘をやる人間の動きではない、もっと、専門職の―――…とりあえず、ただものではなさそうだ
観葉植物が彼女に蹴り倒された
ガシャン!と大きな音がする、何か出入り口付近の窓も割ったのかもしれない
それを避けようと身を捻らせてバックステップを踏んだ所に、彼女の追撃がやってくる
「甘ェよ」
離れた場所に居たのに耳元で囁かれたように低いアルトが聞こえた
見える左目の中に燃えるのはくすんだ赤
俺は今度こそまともに蹴りを腹部にくらった
ゴ、ぎ、と、久しく聞かない内臓と骨の近づく音を聞く
「甘いのは…もう充分だ」
さっき見てるだけで腹いっぱいだったんだから
蹴られながら失いかける腕に力を入れる
彼女の膝裏を両腕で掴み、自分の体重をかけて床に引き倒そうとする
すると彼女は地面に倒れる前に身を捻って俺の腕から逃れた
身を捻る力も入れるタイミングも俺が敵う所の相手でははない
それに――…自分の力量を考えればそんな余裕なぞ持つべきでもないのに
相手が女性だということも俺の動きを鈍らせる要因らしい
本当に、甘い
ところで莢嬢とせせりちゃんは無事だろうか
「女の子だからって防戦一方だと顔が穴だらけになっちゃうよ藤村君」
離れた所で嘉修氏の声が聞こえ、俺は振り返った
せせりちゃんは彼に保護されているようだ、莢嬢も無事の様子
俺は、それを見て目礼し、メッシュの少女に視線を戻す
あんまり余所見していられる相手ではない
相手は体勢を立て直し、俺に構え直すと同時、拳を繰り出した
鈍い光に気が付いた時は身体を元位置からずらしても頬が切られた
ピンで顔が切れるものなのか、と聊か驚き、俺は目を瞬きさせた
「ところで俺はなんで攻撃されているのかな」
間合いを取りながら俺は疑問をぶつけてみた
止めに入ろうとする店員も眼の前の少女の気概には近づくこともできない
散らばるガラスの破片の真ん中、立ち竦む彼女の背後がゆらり、と捻じ曲がるようなものが見えた、気が、した
「そんなもん手前ェに答える筋合いはないね…此処で消えりゃいいんだ」
「そうはいかない、俺は消される訳にはいかない、君も消えたくはないだろう?」
「ハッ…あたしを消そうなんざ百年早ェよ、雑魚」
「雑魚は…まァ、仕方ないんだけどね…
じゃあ俺も本気を出すよ、お嬢さん
”彼”が見てるからね」
「……は?」
俺は嘉修氏を指差した、銀メッシュの少女は強い眼光を、やや消して半眼になった
当の嘉修氏は妹とせせりちゃんに囲まれてニコニコとしている
まぁ…”彼”じゃないんだけど、俺の云ってるのは…
俺は左手を己の腰横に沿え腰を低く落とし、右手足を前に突き踏み出す構えを取る
それを見て相手の表情がスゥ、と、一瞬にして無表情になった
専門家は本気になると表情を消す、俺がちゃんと拳法の構えを取ったから
「俺は好きな子の前じゃ、張り切っちゃうんだぜ」
彼女が俺の言葉を無視するように再び攻撃を仕掛けてきた
右拳を下から突き上げるように繰り出す、喉を狙っているのだろう
俺は彼女の正確すぎる軌道を潰すべく、蹴りを―――
「こら! 柚木! 他校生と問題おこしてんじゃないわよ!」
唐突に響く声に俺は突き出した蹴りの勢いを殺した
チョン、と彼女の身体に爪先を当てた程度でその蹴りは終わる
彼女の方も俺の喉に攻撃の触れる寸前で、ビタリ!と針を止めた
声のした方角に振り向けば息切らしてきた感じの派手な風貌の少女…彼女の声なのだろうか?
不思議な善く通る声は、何故か戦闘中の俺たちにまでしっかりと聞こえたのだ
「あぁ!? 音無邪魔すんじゃねぇ!!」
「あんた脚早すぎ! …問題を起こせば、湯山は我井帝まで詫び入れに行かなきゃなんないのよ?」
「…ぁ…」
ユヤマ、という人物らしきの名前を聞いた途端、その少女はみるみる落胆した
先程までの美しい殺気を丁寧に消しゴムで消してしまったかのように、
今は可憐に後悔を堪える少女に変貌した、どこにも、さっきの彼女は、いない
「ねぇ、お嬢さん――…誰か、愛しているの?」
俺はその至近で彼女に囁いた
彼女の必死さを―――…俺に似てると云ったら、彼女はきっと怒る
ユヤマ…我井帝に詫び…後に来た少女の言葉を拾えば総番の湯山狂介、だろうか
銀メッシュの彼女は、彼に傾倒しているのだ、きっと
自分の情熱を他人に同意してもらいたくはない
これは、自分だけのものだ
彼への気持ちは、自分だけのものだ
わかるよ、なんて云って貰いたくない
きっと、彼女は、俺に似たそんな恋をしている
「……それもアンタに答える筋合いはない」
想定の範囲の拒否を貰うと、俺はゆっくりと微笑んだ
後からやってきた少女に連れられて銀メッシュの少女は、先程まで俺が座っていた席に向かう
ふと、その後からやってきた青髪、派手な風貌の少女に見覚えがあるのを思い出す
彼女も…財界のパーティで会った気がする、確か…音無家の令嬢だ
あの時はこんな派手なグラサンもヘッドフォンもしてなかったからパッと見わからない
少女が少女を慰めている光景の最中、店の人間がおろおろとしていた
俺は店長に乱闘騒ぎの非礼をまず詫びた
救急車を呼ぶか、もしくは警察を呼ぶか、と云われたが、どちらも面倒なことになりかねないので
「お願いです、ただのケンカですからどうか事件にはしないでください、
あとお店の損害はこちらで負担させていただきますので…」
携帯電話で秘書に店舗修理の手配をさせた
まったく、珈琲二杯が高くついた
けれども…今日は本当に色々ある日だ
軽く喉に息が詰まったような感覚があったので咳き込むと身体が痛む
蹴りが重かった、今度もしまたまみえる事があったら
あの娘には気をつけなくてはいけない、と密かに思う
個人的には、一度ゆっくり話をしてみたいのだけれども
そんなことを思いながらその彼女を見遣れば、銀メッシュの少女は
せせりちゃんと莢嬢に挟まれてテーブルで沈んでいる
「そういや、一体何が原因だったのかな…」
「大丈夫?」
そう、一人ごちていると嘉修氏に声をかけられた
俺は改めて彼の姿をしていながら彼で無い、別人のその人に奇妙さを覚える
「はい、まぁ、大丈夫です
頑丈なのが取り得ですよ」
「君は…まだ喧嘩は未開拓地?」
「この激戦地区でお恥ずかしいですが、まだ素人の域を出ません」
「うん…試合を見ているみたいだったよ」
試合…そうだな、今の俺はそんなものか
俺は別に命のやりとりがやりたかった訳じゃない
”彼”に近づきたいだけ
俺は”彼”に近づきたいだけ
俺はほんの少し苦笑染みた笑みを浮かべてしまったかもしれない
人前では自嘲の笑みは浮かべないようにする積もりだと誓ったばかりなのに
音無嬢が彼の背後に忍び寄っていた
彼女がシィ、と指先を口に当てるので俺が適当にニコニコしていると
「いいね、若さを感じ…」
ガッ!!
「ぐあッ!」
思わず眼を細めてしまった、今度は俺が大丈夫?と彼に聞きたい
音無嬢に金的を食らった嘉修氏はその場所に屈みこんだ
「何、悠長に話してんのよこの伊達男。役立たず。」
「うわぁ、じょ、女王様…股間は…ちょっと…」
「あんたなら止められたでしょうが。無駄な仕事増やしてんじゃないわよ。玉潰すわよ。」
そのまま女王様と呼ばれた少女は下僕と化した男を靴で踏みつけにした
社交界で常に蝶よ花よと謳われる美貌も、その優秀な頭脳の評価も、
何というか、違うベクトルで輝いている
「嘉修さん…サドマゾがご趣味ですか?」
「ううん…俺は過激なプレイはしない…主義…ッ…Vv」
青褪めつつもまんざらでもなさそうな嘉修氏に笑顔で尋ねると苦しみながらも解答してきた
まだ余裕あるなこの男、違う意味であなどれない
「藤村君、大丈夫?」
音無嬢が俺に嘉修氏を踏んだまま尋ねてきた
俺は下の人を見ないようにしながらゆっくりと頷き受け答える
「…なんとか。音無嬢はお元気そうで何より。」
「あら、覚えてたの?」
「取引先の綺麗なお嬢さんは忘れられませんから。」
「あら、可愛いこといってくれんじゃない。」
「それより…彼女は…」
大丈夫か、と案に俺が尋ねつつ、少女達の集まるテーブルを横眼に見遣ると、彼女は少し眉根を寄せた
「うん…あの席ね、ちょっと…あの子の憧れの人が座る所なのよ」
「湯山狂介?」
「ああ……なんだ、知ってたの」
「いいえ?
先程から端々に聞こえる単語を拾ってね、推理した単純な思いつきを」
「そう…悪く思わないでやって、あの子ね…ホントは」
「悪くなんて、思ってませんよ
ただ、少し残念なだけだ」
「…え?」
ここが喫茶店でなかったら
彼女が俺達を止めなかったら
―――試合を見ているみたいだったよ
先程の嘉修氏の言葉を思い出す
俺は、まだまだ、動物園の檻の中にいる
まだ俺はきっと”彼”に触れることもできない
「あ、天津君!」
「え!?」
音無嬢が動揺し、脚を浮かせた隙に嘉修氏は起き上がり、音無嬢が眼をそらしてる間にさっさと出口に歩き出す
「うっ…嘘つくなー!馬鹿―!」
音無嬢はそう叫ぶとくるり、と踵を返し、柚木嬢達のいるテーブルに小走りに行ってしまう
俺はもう一度携帯で秘書に連絡を取り、一応病院に行こうと思っていると
「藤村君」
名前を呼ばれた気がして顔を上げる
嘉修氏が破壊された店舗の破片を踏みながら扉を出て行くところだ
「大豆が好きなら、決して隠元に会っちゃ駄目だよ。目的を見失うからね。」
「―――…どういう―――…ことですか?」
聞いてるのか聞いていないのか、彼は何も答えずにそのまま立ち去った
目的を見失う?
俺の目的は――…祇園寺大豆、その人の視界に止まること、だ
それ以上の望みはない、彼の記憶に残ればいい
―――…本当にそれは、できるのか?
彼にも俺にも残された時間が少ない
俺なんかの為に彼の時間を裂いてしまっていいものなのだろうか?
それに――…それを差し引いても、俺は
「―――…鴨志田か、俺だ
黒金近辺で検索してくれ、喫茶店SATUKI…
そこを本日貸切にしてくれ、店の飲食代は俺の口座から
あと、修繕の件、今日中で急いでくれ」
携帯電話の向こうにそう告げる
仕事のスケジュールをその後聞いてから、俺は少女達を置いて喫茶店を出た
※
駅前付近の繁華街
その手前の雑居ビルや飲食店のネオンの多い店の通りで彼に追いついた
「待って下さい嘉修さん!
待って…待ち給えそこの伊達男ッ!!」
喫茶店から走り通しだったのでいい加減息が切れた
幾ら鍛えていても肺活量の限界ってものもある
緑色の髪の青年が振り返る気配を感じつつ、逆に俺は疲労に項垂れた
簡単に肉体の痛みはそのさっきで消えない、腹部を押さえて、肩で息をする
それでも、俺は彼に聞かなくてはならない
「待てと云っているだろう…
云うだけ捨て台詞を残しておいて説明もないというのは」
「キミ…あんなに蹴られてたのに、走ってきたの?」
「そうだ、あなたには迷惑かもしれない、知ってる、わかってる
俺は、それでもいいんだ!!」
ぜぃ、と俺は喉が詰まるような不自然な呼吸をした
少し休みたい、そう身体は云っている
「終わりがあることだって、聞いた
ちゃんと理解している
それでも、俺は彼の記憶に残りたい
彼の現実(リアル)を知りたい…!」
すう、と、俺の頬に彼の手が触れた
俺は驚愕して彼を見上げる
嘉修――…じゃ、な、い…?
「どうして大豆のことがすきなの?」
どうして?彼は繰り返しながら俺に近づいてきた
良く聞こえない掠れ声はじっと耳を澄まさなければ聞こえない
その音量が逆に彼を謎めかせて
「いいよね、大豆も、嘉修も
ほんと、いいよね」
いいなぁ、そう、うわごとのように呟きながら、彼は俺の肩を横から担ぐ
俺はぽかんとした風体で彼になすがままになっていると、彼は微笑んだ
「いっしょにおいで、ぼろぼろだ
手当てしてあげようね」
祇園寺大豆には憧れる現実を見た
祇園寺嘉修には今は越えられぬ壁を見た
そしてこの祇園寺隠元には――…見えぬ、暗闇を見た
どうして彼が彼らを羨ましがるのか、俺はその時は何もわかっていなかった
あとがき
ほんまもののBLくさい…!