|
『天色の如き君』
|
月に一度開かれる蚤の市。
大広場はおろかその周辺までにわたって延々と続く露天商。
その規模の大きさ、扱われている品の豊富さから
掘り出し物を求める人から、ただ冷かしに来る人まで、
それこそ種々雑多な人々で、市は賑わいごったがえしていた。
そんな中、クリフトはかなりあせっていた。
どうしても一度見てみたいというアリーナに負けて来たものの、
案の定というか、
やはりこの混雑の中、見事にはぐれてしまったのだ。
アリーナにもし何かあったら…
クリフトの胸を締め付けるような不安が襲う。
本人はあまり自覚していないようだが、なにせ彼女は、
この国はおろか、世界に名立たるハイムコンツェルンのご令嬢である。
あまりマスコミなどには露出していないから、顔は知られていないだろうが、
この人混みの中、どんな不埒な輩が潜んでいるかわからない。
いくら護身術に長けているとはいえ、
多勢で来られては彼女も敵わないだろう…
いや、例え彼女が誰だか知らなくても、無礼な男たちがいい寄ってくる可能性もある。
躍動感あふれるその姿、つややかな茜色の髪、そして、豊かな感情を表わす蘇芳色の瞳…
その全てに魅了されて…
な、何を考えているんだ、私は。
とにかく、一刻も早く彼女を見つけないと。
青褐色の頭を二度三度と振ると、クリフトは再び周囲に目を配る。
幾人もの女性が、彼の横を通り過ぎる際に熱い眼差しを向ける。
それはそうだろう。彼自身も、端整な容貌を持つ人気ピアニストなのだから。
けれど、そんな女性たちの思惑など気付きもせず、
クリフトは、ただ一心にアリーナの姿を捜し求める。
やがて彼の視線はある露天商で止まった。
しかし、その濃藍色の瞳に映ったのはアリーナではなくて。
けれど、まるで魅入られたかのように、クリフトはそちらへ足を向ける。
彼らしくなく、アリーナを捜すことを失念して。
店の前に立ったクリフトが手に取ったのは、一組のイヤリング。
止め具から短い鎖でつながれているのは滴型の石。
そしてその色は、
「これは…セレステブルー…」
思わず声に出してつぶやく。と、
「おやお客さん、この色を知っているなんて、かなりの通ですねぇ」
この店の主人だろう。縦縞のシャツを着た恰幅のいい男性が話しかける。
「ねぇ、いい品でしょう。動くたびに滴がゆらゆらとかわいく揺れるんですが、
鎖が程よい長さですから、顔にあたって邪魔になることはありません。
それに何といってもその色。何でも偶然とれた鉱石だそうで、
同じ色のものは、もうなかなか見つからないでしょうねぇ」
主人の説明をクリフトはほとんど聞いていなかった。
セレステブルー。
神聖な至上の天空を表わす、晴れわたって澄みきった色。
まるで彼女のために在るような、その色。
書物で知って以来、ずっとひそかに探していた。
いつか、彼女に渡してあげたくて。
それがここにある。きっと彼女によく似合う。
でもこれほどのいい品だ。値段もかなりするのでは…
手の上のイヤリングをじっと見つめているクリフトに、店の主人が言った。
「いいですよ。お客さんの払える値段でお譲りします」
「え…。それはありがたいのですが、ご主人のご商売の方は…?」
「いいんですよ。私はこれが本業ではありません。まぁ道楽みたいなものですよ。
それに、これを委託した方が出した条件は、値段ではないものなんです。
それは、この色がセレステブルーだとわかる人。そして…。
いえいえ、とにかく私はあなたに買って頂きたいんですよ」
「あ、ありがとうございます!」
いくばくかの小銭を残して、クリフトはあるだけの紙幣を主人に渡した。
主人は枚数を確認すると、イヤリングを丁寧に包み始める。
「お客さん、かわいい恋人への贈り物でしょう?きれいに包ませていただきますよ。
おっと、ピアス用の金具も中に入れておきますね。いえいえ、もちろんこれはサービスで♪」
“恋人”
その言葉に反応して、思わず赤面してしまったクリフトだが、
と、同時にとても大事なことを思い出す。
アリーナを捜さないと!
「ご主人、茜色の髪の女性がこのお店に来ませんでしたか?」
「女性?」
「はい。美しい茜色の髪で、これくらいの背丈で、瞳は…」
「なんともいえない赤い色をしたお嬢さんですか?もしかしてアリーナさんとおっしゃる?」
「ご存知なんですか?!」
「ええ、そのお嬢さんならここで買い物をして、しばらく私と話をしていたんですよ。
いやぁ、元気で、明るくて、かわいらしい方ですねぇ。それに…」
「すみません、そして彼女はどこに?」
「あぁ、お客さんが来る10分…いや20分くらい前かな…に出て行かれましたよ。
何でも、公園に行ってみるとかおっしゃりながら。…はい、これ。出来ましたよ」
主人はクリフトに包みを渡して、にっこりとウインクをひとつ。
「あのお嬢さんにきっと似合いますよ。お客さんはホントに幸せものですね♪
いえ、実はですね…」
「え、いや、その…。とにかく、ありがとうございますっ!」
品物を受け取るや否や、クリフトは駆け出した。もちろん全速力で。
その姿を見送った主人がつぶやく。
「やれやれ、よほど気が急いておられたのですね。
お嬢さんがここで何を買ったのかも聞かないなんて。
…でも、まあすぐにわかることだから、良しとしますか。
さて、商売商売っと」
主人は愉快そうに笑い、お腹を揺らして自分のいた場所へと戻っていった。
人の波をかきわけながら、走って走って、走っていくと、
やがて視界がひらけた。公園に着いたのだ。
先ほどまでの喧騒が、嘘のような静けさ。
その情景に似合わぬ性急さでクリフトは周囲を見まわす。
と、その瞳にようやく求める姿が映る。
それは、木陰で涼む小柄な少女。茜色の髪を気持ち良さそうに風になびかせている。
「アリーナ!」
安堵のあまり、つい大声で呼びかけてしまった。
おどろいたような感じで彼女が振り返る。が、すぐにその瞳を輝かせて、
「クリフト!」
元気に返ってくるソプラノ。
アリーナのところまで駆け寄ると、
彼女はにこにこしながら傍らの芝生をポンポンとたたく。
その意味を汲み取って、クリフトは彼女の隣に腰をおろす。
風が、心地よい。
「落ち着いた?」
「ええ、なんとか」
「そんなに息が切れるほど走ってくるんだもの」
「それは…あなたとはぐれてしまったから…」
「いやね、もしそうなってもここで待ち合わせするって話をしてたじゃない」
「そうですが、もしあなた一人の時に何かあったら、と。
あの人込みの中には、あなたをハイム家の…」
「大丈夫。私はあまり表にでていないもの。クリフトの方が有名なくらいだわ」
思わず苦笑する。確かにそうかもしれない。
けれど。
そう言われても、心配してしまうのはもうどうしようもないことで。
「ですが…」
「心配しないで。ほんとに何もなかったから。
それに、あんなに混んでいたから、はぐれてしまっても仕方なかったのよ。
それより…」
話題を変えるかのように、アリーナはその瞳をくるりとまわして、
「クリフトもお買い物したのね。何買ったの、その包み?」
「あ…」
気がついて、右手の中をあらためる。
せっかく主人がきれいに整えてくれた包みは、
ずっと握り締めていたせいで、汗まみれの無残な姿をさらしている。
「ずいぶん強く握っていたのね。そんなに大切なものなの?」
「………」
「あ、ごめんなさい。もしかして、聞いちゃいけなかったことなの?」
アリーナの表情が曇る。
「…!ちがいます。そんなことありません」
自分の迷いのせいで、
彼女にそんな顔をさせてしまったのが申し訳なくて。
(もうこのまま渡してしまおう)
手の中の包みを出来るだけ整えて、彼女に向けて差し出す。
「すみません、こんなにしわくちゃになってしまったのですが…」
「私にだったの?」
「はい、そうです」
“もちろんです。あなた以外に、なんて考えられません”
その台詞は心の中に留めておいて。
「ありがとう。中を見てもいい?」
包みを眺める彼女の顔は、今はこどものように好奇心に満ち溢れていて。
「構いませんよ。どうぞ」
自然と笑みがこぼれる。
「きれい…」
手のひらに零れ落ちた滴を見つめ、アリーナがつぶやく。
「気に入って頂けましたか?」
「うん! ね、これ、今つけてみていい?」
「もちろんです」
「でね…」
アリーナは再びくるりと瞳をまわす。悪戯っ子のような笑みを浮かべて。
「ちょっとお願いがあるの。目を閉じていてくれる?」
つけるところを見られるのが、そんなに恥ずかしいのだろうか?
訝しがりながらも、クリフトは言われたとおりに目を閉じる。
しばしの沈黙。ややあって、ごそごそと何かを取り出しているような音。
「!」
自分の左手をとるアリーナの小さな手。
指先から手首へと抜ける冷たい感触。カシャリというかすかな金属音。
そして…
「はい、もういいよ」
嬉しさをこらえきれないような声で、アリーナが告げる。
目を開けたその先には、自分を見つめる笑顔の少女。
「どう?」
茜色の髪をかきあげてみせたその耳で、セレステブルーの滴が揺れる。
「とても似合ってますよ、アリーナ」
「ありがとう」
にっこりと、彼女が笑う。
蘇芳色の瞳をきらきらと輝かせて。
こころなしか、頬が少し赤らんでいるのが可愛らしくて。
目が、離せなくなる…。
「それでね、クリフト。左手を見てくれる?」
彼女の言葉で我に返り、あわてて自分の左手に目を移す。
「これは…」
そこには、鈍い銀色に光る腕時計。シンプルなデザイン。
その文字盤の色は…
「セレステブルー…ですよね?」
「クリフトもそう思う?よかった!」
「ええ。でも、どうして?これを、私に?」
珍しく驚きを隠し切れないようなクリフトに、
アリーナは答える。彼女も、珍しくはにかみながら。
「うん…。あのね…。クリフト、いつかこの色の意味を教えてくれたでしょう?
その時から思っていたの。この色、クリフトにぴったりだなぁって…」
「………」
「だからお店でこれを見つけた時、どうしても欲しくなって…買っちゃったの。
クリフト、もしよかったら使ってくれる?」
「………」
「クリフト?」
アリーナが彼の顔を覗き込む。
「え、あ、すみません。ありがとうございます。もちろん大切にします」
答えが支離滅裂になる。
ただ、ただ、嬉しくて。
自分にこの色を選んでくれたのが。
そんなふうに、自分のことを考えていてくれたのが。
彼女の気持ちが伝わってきたのが、本当に、嬉しくて。
「ふふふ…。よかった」
アリーナが微笑む。
気がつけば、その笑顔はクリフトの手が届きそうなくらい近くで。
「そういえば、さっきクリフトがくれたこれ…」
再び、髪をかきあげる。
ゆらり。
光にきらめく、耳元の滴。
「時計とおんなじ色だったから、びっくりしちゃった。でも…すごくうれしい。
ふふっ…これで、おそろいだね」
アリーナがまた微笑む。
その笑顔には、一点の曇りもなく。
その瞳は、喜びで満ち溢れていて。
はにかみながら微笑っている彼女がかわいくて。
自分をまっすぐに見つめている彼女が愛しくて、
愛しくて…。
それ以外のことは、もうなにも、かんがえられなく…なる…
「アリーナ…」
想いをそのまま紡ぎ出したような、その呼びかけは、
ちゃんと声になっていただろうか。
そっと、肩を引き寄せる。
バランスを崩しそうになる彼女を抱きとめて。
顔を寄せると、大きな蘇芳色の瞳に映るのは自分だけで。
でも、それは一瞬のこと…
重なり合う唇。
今はただ、そのやわらかくあたたかい感触だけがふたりを支配する。
長いような…短いような…ふたりだけにわかる時間が流れていく―――
ようやく、呼吸がふたつに戻る。
顔中が熱くなっているのを自覚しながら、アリーナを解放する。
自分の服をつかんで、目を伏せている彼女。
忘我してしまったことを、怒ってはいないだろうか。
「すみません…つい…」
不安から、謝罪の言葉がもれる。
「ううん…いいの」
消え入りそうな声でアリーナが答える。そのまま、
するり。
クリフトの首にまわされる、細い腕。
同じくらい熱い顔を彼の頬に押し当てて、彼女はささやく。
「クリフト…大好き!」
思わず、再び彼女を強く抱きしめてしまったクリフトが返す。
「私もです…アリーナ」
やがて戻ってくる、いつものような会話。
「どうします?また市を見てきますか?」
「ううん。大体は見たと思うし、あの混雑はもうたくさん。それに…」
蘇芳色の瞳がまっすぐにクリフトを見つめる。
「ね」
「はい」
濃藍色の瞳がアリーナを見つめて返す。
「ね、もう少しここにいてもいい?」
「ええ…」
言葉にしなかった思いは、きっと同じ。
“欲しかったものは、ここにあるから”
Fin.
|
|