LOVE・BATTLE
子供の頃、私はいつだって強かった。世界一強いと信じていた。
この世で、私を脅かす者はいなかった。…ほんとよ。
気持ちのいい昼前の一時。
「お疲れ様でした」
アリーナは笑顔で振り向く。そこにはテラスにお茶の準備を整えたクリフトが立っていた。
「クリフトも終わったの?」
ドレスをふわりとなびかせ、アリーナはクリフトの元へ歩んだ。
あの冒険から何年か数えるが、アリーナの足さばきは全く衰えていなかった。
「ええ、少し早く終わりましたので、一緒にお茶でもさせていただこうかと思いまして。どうぞ。」
クリフトがなれた様子でアリーナの前のカップに紅茶を淹れる。
「どうですか?そろそろ新しいご政務には慣れられましたか?」
「うーん、少しはね。でもやっぱりこんなぴらぴらしたの着て、じっと座ってるのってなんだか戦ってるより疲れるわ。
…お父様って凄いのね。まだまだ勉強しなくちゃ。」
そこまで言ってアリーナは紅茶に口をつけた。
「おいしいですか?今日はアッサムです。」
「ええ、おいしい!…ねえ?クリフト?」
なぜかすこしだけ膨れながら、アリーナは言う。
「クリフトも座ったら?」
「あ、すいません。失礼しました。」
そう言って、クリフトは座る。そうしてクリフトも紅茶に口をつける。クリフトは笑顔で言う。
「おいしいですね。…やはり、アリーナ様と一緒に飲ませていただく紅茶は心が休まります。」
その言葉に、アリーナは顔を赤らめ、そして破顔した。機嫌が直る。
「ねえ?クリフトは、どう?勉強する事が私より多くて大変でしょ?」
アリーナがクリフトの勉強内容を指折り数えながら、聞いた。
「いいえ、勉強できる事はとても楽しいですよ。」
「クリフトは相変わらずね、そんなんじゃ疲れない?あーあ、私はもっと外に出たいわ。」
「そうですね、疲れますよ。けれど、こんな一時が私を休ませてくれますから。」
そう言ってクリフトは紅茶を飲む。アリーナも嬉しそうに笑って紅茶を口に含んだ。
「もう一杯いかがですか?」
空になったのを見計らってクリフトはアリーナにポットを見せる。
「いいわ、クリフト、私が淹れるから。」
「いいえ、姫様。それはいけません。身分が高い方は紅茶を手ずから入れることは無作法に当たるのでしょう?」
クリフトがぴしゃり、という。そうしてクリフトは立ち上がり、アリーナのカップに二杯目のアッサムを注いだ。
それをアリーナは口つけず、クリフトの方を見た。クリフトはその場で、アリーナが飲むところを見守っている。
「姫様?どうかなさいましたか?」
アリーナは音を立てて椅子から立ち上がった。ドレスをはためかせ、一目散に外へと走り出した。
「アリーナ姫様?」
ポットを急いでテーブルに置くと、クリフトはアリーナの後を追った。
「姫様!」
緑豊かな中庭。誰もいない緑の場所で、クリフトはアリーナに追いついた。アリーナは足を止めたが、こちらを向こうとしない。
「どうされたのです、姫様?私が何か失礼な事申しましたでしょうか?」
アリーナは答えない。ただ、ひたすらクリフトに背を向けている。
「姫様?」
「…私は、もう姫様じゃないわ。」
拗ねたようなアリーナの声がした。
「これは…失礼致しました、女王陛下。」
そう、一年程前から、アリーナは王位を既に継いでいた。世界を救った英雄と言う点、可愛らしく美しいルックス、意外と勤勉な所、
そしてなによりも明るく優しい性格が国民の自慢となっていた。
「そのことでその様にお怒りになられたのですか?」
「…どうしてそんな事言うのよ」
怒りを含んだ声。アリーナはクリフトの方を向かぬまま、言葉を発した。
「知ってるくせに!私が、クリフトにどんな風に呼ばれたいか、知ってるくせにどうしてそんな事言うの?」
しばらくの沈黙が双方に流れた。遠くに時間を示す城の鐘が低く遠くに響く。そして大きく息を吸う音が聞こえた。
「ア、アリーナ…。これで、よろしいでしょうか?」
背中から響くクリフトの声。それは心の奥に響いた。
「ですが、ひ、いえアリーナ。あまり人前ではまだ、私はこのようにアリーナさ、いえ、アリーナを呼ぶことはできません。
それに、いまだ慣れておりませんし…つい以前の習慣が出てしまうのです。それだけはお分かりください。」
「るい…」
「は?」
小さく消えたアリーナの声にクリフトは聞き返す。するといまだ後ろを向いたまま、アリーナは怒鳴った。
「クリフトはずるいわ!どうしていつもいつも、私をドキドキさせるのよ!
今だって今だって名前を呼ぶだけでどうしてこんなに一人だけうろたえなくちゃいけないのよ!ずるいわ!」
「ひめさ…いえアリーナ…私はいったいどうすれば…」
「言ってる事がめちゃめちゃだって判ってわ!私だって…だけど、クリフトはずるいんだもの!
こんなふうに簡単に私を喜ばせたりドキドキさせたりしてくれるのに、すぐ冷たくなっちゃうし!」
「お、落ち着いてください、姫…アリーナ!」
自分がどれだけ支離滅裂か、アリーナはよく判っていた。
(だけど止まらないんだもの!)
「私だってクリフトにドキドキして欲しいのに、ずるいわ!…私も、クリフトさんって呼んでいればよかった…」
(姫様…それは無理です…)
アリーナの言葉にクリフトが思ったことはそれだった。だが、なんとかアリーナを治める方法を早く考えなければならない。
「…アリーナ。そんなことはありませんよ。私もいつもドキドキします。ですから…」
「嘘よ!いつもクリフトはにっこり笑って、私一人うろたえて…」
「…アリーナ、こちらをむいて下さい…」
アリーナは首を振った。
(こんな顔…クリフトに見せられない…)
顔は真っ赤で、それでいて拗ねた顔。まるで小さな子供みたいだ。
「大丈夫です、姫…アリーナ。こちらをむいて下さい。」
小さいけどはっきりした声。もう、アリーナはその声に逆らえなかった。ゆっくりと、クリフトのほうを向く。
そして、勇気を出して、クリフトの顔を見た。
「!」
そこには、アリーナ以上に顔を赤くしたクリフトがいた。
「クリフト…その顔…」
「これでも顔に出さないようにするのは上手くなりましたけど、私はいつもこうでしたよ。」
そう言われて思い返す。クリフトの今の顔はどこか懐かしかった。
(そういえば、旅に出る前、クリフトはいつもいつも変に顔を赤らめていたような気がする…)
「ですが、やっぱり、なれないことをすると…駄目ですね。きっと……ア、アリーナ以上に… 胸が高まっていますよ。」
顔を見て、名前を呼ぶのにさらに照れたらしいクリフトの顔が、耳まで染まっていった。
「でも、クリフトはやっぱりずるいわ。隠せるなんて…ずるい。私、いつまでたっても勝てないじゃない…」
「それは…きっと年季の差です。…私のほうが何倍も、長い間想っていましたからね。」
そう笑うクリフトは、どこか自信に溢れているようにも見えて、アリーナはずるいとおもった。
アリーナはクリフトに指差して宣言をする。
「いつか、絶対にクリフトをびっくりドキドキさせるんだから!負けないわ!」
「それは…困りましたね。」
少しあきれたようなクリフトの顔が、また愛しくて、アリーナはドキドキした。
「貴方の無意識のしぐさですら、私は惑わされてしまいそうですのに、それを意識的にされてしまっては適いそうにありません。」
「そんなこと…ないわよ」
「ですから、気づかないで下さいね。…貴方が…どれほど無意識に私を惑わしているかということを…」
勝てない、絶対に勝てない。この人には、絶対に。
(その言葉がすでにずるいもの…)
ただ、顔を赤くしてアリーナは黙り込んでいた。クリフトはそっと頭に手をあててアリーナを促す。
「では、そろそろ帰りませんと。もうお昼の鐘がなってしまいました。」
「そうね…休憩時間、とっくに過ぎちゃったわね。」
そう言ってアリーナはドレスのすそをそっと掴んだ。
(汚れてない…?)
あれほど必死に逃げたつもりなのに。すそは全く綺麗なままだった。
「ふふふふふふ」
「どうされました?」
「ううん、なんでもないわ。」
「ご機嫌ですね。…おそらくブライ様、怒っていらっしゃいますよ。お仕事も多分溜まっているでしょうし。」
すいません、とあやまるクリフトにアリーナは上機嫌で言った。
「いいわ、今度王族に入る人に、代わりに怒られてもらうもの。」
「それは…困りましたね。…私も王族になるための勉強があるのですけれど…仕方ないでしょうか。」
「そうよ、全部クリフトのせいだもの!」
それだけ言うと来る時と同じように、アリーナは走り出した。
今度は意識的に、クリフトが追いつけるように。
(そうよ、私が本気で走ったら、クリフトが追いつけるはず、無いのに。)
大人になって、私は弱くなった。世界でたった一人、適わない人が出来たから。
だけど、その人さえいれば、私は世界一強いのよ。…ほんとよ。
だって、私は恋をしてるんだもの。
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