夢の中 〜THE HONEY MOON〜
「そろそろ帰ってくるかしら?」
「うーん、じゃああたし、ちょっと見てくるわね。」
マーニャはそう言って家を飛び出す。ペスタに挨拶をしながら村の入り口が見える場所まで走った。
明日はマーニャとミネアの15の誕生日。その祝いをする為に、村の外にある研究所から父と弟子達が10日ぶりに帰ってくる約束なのだ。
西にあるコーミズの入り口。逆光を浴びながら伸びる影を見つけようとマーニャは眼を凝らす。
(あ!)
影が伸びる。男の影だ。マーニャは駆け出す。
(あれ…?)
マーニャはいぶかしんだ。伸びてくる影は二つ。たった二つだったのだ。
「出迎えてくれたのか?ありがとう、マーニャ。」
「マーニャ様、どうもありがとうございます。」
そこにいたのは、2人の弟子。たくましい肉体に、少し野性味おびた顔、そして優しい目のバルザックと、
同じくたくましい体と常に微笑んだ優しい顔のオーリンだった。
「そう、それじゃ、お父さんは帰って来れないのね…」
ミネアが食卓でため息をつく。自分が作った五人前の食事を目の前にして、少し落ち込んだようだった。
オーリンとバルザックがエドガンのフォローをする。
「ミネア様、エドガン様は約束を守られようと必死に頑張られたのですが、あと5日は様子を見ておかないといけなくなってしまったのです。」
「私たちも残ろうと思ったんだよ。だけどエドガン様が『せめてお前達だけでも祝ってやってくれ』と送り出して下さったんだ。
『5日経ったら必ず戻るから。そしたらちゃんと祝おう』そうおっしゃってたよ、マーニャ、ミネア。」
「まあ、いいわよ。どーせいつもの事だし。バルザックとオーリンは祝ってくれるんでしょ?」
「もちろんだよ、マーニャ。」
「ええ、私たちがエドガン様の分も、二人が生まれたことをお祝いしたいと思っておりますよ。」
明日15歳になる、二人の姉妹は微笑んだ。
「それなら、十分ですわ。お父さんも後で祝ってくれるんですもの。」
「そうね、じゃあ、せっかくミネアが作ってくれたんだし食べましょ。おなかすいちゃった。」
そう言って食前の祈りを捧げる。そして4人はにぎやかに夕食を始めた。
「ねえねえ、明日のことなんだけど。」
食事をしながらマーニャは楽しそうに言う。
「なんだい?」
「明日ね、ハバリアに市が来るんだって。それでね、ミネアが新しい占い道具が入るから見にいきたいって言ってたの。」
マーニャの言葉にミネアはうなずく。
「ええ、占いに出ましたの。『新たな神託の聖具来る』って。多分、占いの道具が来るのだろうと思うのですけれど。
姉さんも、アクセサリーとか舞芸の道具とかが見たいっていってたので。明日、良かったら一緒に行っていただけません?」
「ええ、もちろんですとも。」
「かまわないよ、いいのが見つかるといいね。」
「あ、ちょっとまって。」
承諾した2人の弟子の言葉をマーニャが止める。
「姉さん?」
「そうしようと思ってたんだけどね、父さんが来ないならちょうどいいわ。あたし、本当はモンバーバラに行きたいの。」
「モンバーバラ…ですか?マーニャ様、モンバーバラはマーニャ様が行かれる様な場所では…」
モンバーバラ。それは快楽溢れる夜の街。
男は劇場できわどい衣装の女を見て、飲み屋で女性をはべらす。そして… 一時の春を手に入れる場所。
オーリンはそう認識していたし、それは間違ってはいなかった。だが、マーニャは止める。
「あたし、明日で15よ。立派な大人よ。少なくとも子ども扱いされる年じゃないわ。モンバーバラには舞台があるんでしょ?
そこで踊り子が踊るんだわ。あたし、この村の人以外に踊りを見せた事がないから、自分がどれくらいの水準が見てみたいのよ。」
「マーニャ様…ですが…」
「そうよ、姉さん…モンバーバラなんて…」
オーリンとミネアは渋い顔をした。バルザックはなぜかため息をついている。モンバーバラは人が集まる。それも欲望を含んだ男達が。
そう言ったところには、必ず詐欺やトラブルがつき物なのだ。しかしマーニャは手をひらひらと振る。
「大丈夫よ。ミネア、あんたは予定どおりハバリアに行って。あたしは昼に行って、夕方から劇場を見て帰ってくるわ。
お酒なんて飲んだりしないし、劇場から出たら寄り道なんてしないわ。」
「ですが、色々トラブルも聞きますから…」
オーリンの言葉をバルザックが止める。その表情は呆れながらもとても優しい顔だった。
「いや、オーリン。マーニャがそう言うならば聞き届けてあげようと思う。私が一緒に行くよ。その代わり、裏通りに行ったりしないね?」
「うん、約束するわ!その代わり、ちゃんと守ってね!」
マーニャは笑顔で答える。ミネアは顔を赤くしながらオーリンに話し掛けた。
「でしたら…私と…その、ハバリアに行ってくださいますか?オーリン?」
オーリンは微笑んでうなずいた。
「ええ、ミネア様。私でよろしければ喜んで。」
「嬉しいわ、ついに来たのね!」
「マーニャ…あまり暴れてはいけないよ。」
全身で喜びを伝えるマーニャにバルザックは優しく諭す。
(いけない、あたし、もう15なんだもの…あんまり子供っぽくしたらいけないわ。もっと大人っぽくならなくちゃ…バルザックは見てくれないわ。)
「そうね。でも嬉しくて。一度来てみたかったから。でも…」
マーニャはきょろきょろと周りを見回す。
「なんだか見られてない?」
マーニャはほとんどコーミズを出た事がなかった。ハバリアの町に数度行ったっきりで、あとはほとんどコーミズで生活していた。
そのため、自分がいかに人に見られるかを体感した事がほとんどなかったのだ。
「マーニャは綺麗だからね。皆みとれてるんだよ。」
その言葉にマーニャは破顔した。誰に言われるより、誰にみとれられるより、バルザックに『綺麗』と言われたことが一番嬉しかった。
マーニャの胸の炎が燃える。心臓がどきどきと動き出す。バルザックをちらりと上目遣いに見ながらマーニャが言う。
「あったりまえじゃない。このマーニャちゃんに見とれない男なんていないわよね。
…でも、そうするとバルザックはどういう風に見えてるのかしらね?」
「そうだね、やっぱり兄と妹じゃないかな?」
マーニャはとたんにむっとする。
「兄弟にしては似てないと思うわよ。」
「あはは、似てない兄弟なんていくらでもいるよ。でも恋人と言うには年も離れているし、なによりマーニャと私は釣り合いが取れないよ。
本当に、あっという間にマーニャは美人になったね。」
むかつきは、その一言に泡と消えた。
(あたしが綺麗になったのは、バルザックの、バルザックだけの為よ。)
そう思いながら、思いっきりバルザックの腕に自分の腕を絡める。
「でもせっかくの誕生日に、こんな美人が恋人もいないでうろついてるなんて、それこそ似合わないわ。
しょうがないから今日、バルザックはあたしの恋人役に任命してあげる。感謝してよね!」
「マー…わかったよ。」
バルザックはうろたえた。だがマーニャを見る男の視線の何割かは、自分へ嫉妬交じりのきつい視線を向けていることに気が付いていた。
だからその腕を振り払わず、ただマーニャの方を見て、いたずらっぽく笑い、そうして歩き出した。
モンバーバラの店の半分は女性向の店と言っても過言ではなかった。
それは踊り子や、飲み屋の女にプレゼントする花やアクセサリーだった。マーニャとバルザックは劇場開演までゆっくりそれを見て回った。
バルザックの腕はたくましかった。ずっと腕を組んで、バルザックと歩いた。バルザックはとても楽しそうにマーニャと店を見て回った。
そして、モンバーバラの劇場に入る。端の席につく。
「こういう劇場はね、たいてい一番最初に一番古い人が出て来るんだよ。マーニャが参考になるのはこの人じゃないかな?」
「判るの?ここに来た事あるの?それに…一番最初にベテランが来るって変じゃない?」
「来た事はないよ、でもこういうのはたいてい形式が決まってるからね。ここはどちらかと言うと…その…色気とかに重点を置いているからね、
ベテランって事は少し年を重ねてるからね、上手なんだけど余り人気がないんだよ。周りを見てごらん?」
見てみると、少し年のいった人や女性の客が多かった。
「ほんと、あんまり若いひと、いないわね」
「この時間はまだ仕事があったりするからね。まず上手い人に前座を任せてそういった客をひきつけるんだ。その次には新人。
まだ下手なんだけど、お客を獲得する為に頑張るから、そういった踊り子に眼をつけたい客はその頃合を狙ってくる。
そして最後の方に一番人気の踊り子を任せて、ラストに皆で踊るんだ。そうすると上手く客がばらけて入れ替わりできるだろう?」
「すごい、よく知ってるわね。」
そう言って笑うマーニャの顔をバルザックはいつまでも見ていたいと思った。幸せなこのときが続いて欲しかった。
「マーニャは…ここで働きたいのかい?」
マーニャはバルザックを見た。その表情が少し寂しそうに見えて…マーニャは嬉しかった。
「判らないわ。けど、あたしまだコーミズを出るわけにはいかないわ。ミネアもいるしね。」
「けれど、マーニャは踊り子になりたいのだろう?」
バルザックに問われ、マーニャは少し首をかしげて思案する。だが、すぐにバルザックの方を向いた。
「いつかは・・・って気もするけど。あたしは踊るのが好きよ。けど、踊るだけなら別にコーミズでも踊れるわ。
だけど…コーミズにはモンバーバラにはない、大切なものがあるからね。」
そう言って微笑むマーニャはとても15歳には見えない、艶っぽい笑顔だった。バルザックは舞台のほうへと眼をそらした。
「そろそろ、始まるよ」
「そうね。」
そう言うマーニャをずっとこの場に止めておきたいとバルザックは思った。ずっと、自分の近くに…と。
幕が上がる。たったひと時の夢を観客に与える為、女たちは全力を尽くし、踊る。
男達は、その夢に浸るため、みつめ、歓声をあげる。
初めに踊った女はバルザックの言うとおり、少し年のいった女性だった。
30に手の届くか届かないかで、このようなところで踊るには少し精彩がたりない、そんな印象を受けた。
(へえ…やっぱり凄いわねえ…あんなふうに指を動かせばいいのね…)
マーニャは感心した。確かにマーニャのような派手さはその踊りにはなかった。
だが、とても繊細で丁寧なのだ。練りこむような効果的な踊り。
例えて言うなら真っ白な大理石の彫刻。何も色がはいっていない、だが、そこを良く見れば彫られた彫刻は繊細で、美しい。
それはマーニャにはなかったもの。
マーニャは眼を見晴らせて見た。すべてを吸収しようとするように。自分の気持ちを、もっともっと深く踊りに現わせるようにと。
だが、感心できたのは最初の何人かだけだった。
「なによ、これ。踊りにもなってないじゃない」
「仕方ないよ、まだ新人なんだから。」
そう、マーニャと同じや、それより少し上くらいの女たちの踊りは、既に踊りと呼べるものではなかった。
露出度の高い洋服でただ、体を動かしている、といった程度だった。
女たちはただ、いかに自分の足を、胸をきわどい所まで見せるかという事を中心に踊るため、
曲からリズムを外し、時には転げてしまうほどだった。
また、パターンがほとんど同じだった。おそらくトップ・スターの真似をしているのだろうか。
少し順番が違うだけの同じ踊りを見せられて、マーニャはうんざりしていた。
観客も、そこに踊りの美しさは求めていない。ただ、女性の可愛い姿や魅惑の肢体を見れればそれでいいと言った風だ。
一度幕が下がり、休憩に入った。
「良かったのは最初だけ…かあ。モンバーバラの劇場なんてこんなものなのね。」
「途中のは新人だからだよ。まずはああやってお客をひきつけないといけないっていうのはしょうがない事だよ。」
苦笑しながらなだめるバルザックにきつい視線を向ける。
「バルザックはああいうのが好きなの?」
だが、バルザックはきっぱりと言う。
「いや、僕がマーニャの踊りの方が好きだよ。けど、それを理解してくれるような人ばかりじゃないし、
それを伝えられるような才能の人間もめったにいないんだよ。」
「でも踊り子でしょ?なのに、手の動きも脚の動きも、表現も稚拙すぎて話にならないじゃないの。」
「まあ、これからだんだんと人気の踊り子が出てくるから。」
「そおお?この程度じゃ、所詮、しれてるけどね。」
そういって、マーニャは話を切り上げた。だが、そこに割り込んできた声があった。
「そう?じゃあ貴女に踊っていただきたいわ。
貴女みたいなガキが踊るんなら、あたし達には踊れないような、ドアに挟まったバブルスライムみたいな踊りなのでしょうね。」
マーニャの席は、ちょうど端だった。そう、控え室の廊下に一番近いドアのある席だったのだ。
そしてそこからマーニャの言葉を聞いていたのは。
「エミリーちゃん!エミリーちゃんじゃないか!」
「エミリーちゃんがどうして今ここに!」
「ちょっとあたしの前座を眺めてたのよん。そしたら田舎者の無礼者が馬鹿なこと言ってたからね。」
目の前にいるマーニャをつぶさん勢いで、観客席に座っていた男達がどっと詰め寄せてきた。
バルザックはとっさにマーニャを引き寄せる。
マーニャはバルザックに抱き寄せられる形になった。マーニャの胸はまた張り裂けんばかりに跳ね上がる。
「この方は一体?」
そんな様子にも気が付かず、バルザックは寄ってきた男達に聞く。
「あんた、ここにきといて知らんのかい?ここのトップ・スター、エミリーちゃんだよ!」
その声に、エミリーはファンを退けながら高飛車に笑う。
「ちょっと、あなたたち、邪魔だからどこか行ってて…このエミリー様を知らないなんて、貴方達一体どこの人間かしら?。」
マーニャはエミリーをじっと眺めた。だいたい20歳くらいだろうか。
その女性はたしかに今まで出ていた女たちとは段違いに綺麗だった。だが。
エミリーも相手を良く見て喧嘩を売るべきだったのだろう。
「厚化粧…舞台の上以外じゃ全然似合わないわよ。こんな明るい所に出ない方がいいんじゃない?」
マーニャが言い返す。その顔を見てエミリーは言葉に詰る。その顔が化粧も無しに非常に美しい事に、いまさらながら気が付いたのだ。
…残念ながらエミリーは「普通の美人」だった。マーニャの「稀代の美人」に喧嘩を売るには少々役不足だった。
それでもエミリーは果敢に言い返した。トップ・スターの名にかけて、ここでひるむわけにはいかない。
「あらあ?こんなお子様がどうしてこんな所にいるのかしら?保護者さんも気をつけてくれないと駄目じゃない。
まあ、そんな田舎者じゃあ、こっちの常識もわからないでしょうけど?」
その言葉を聞いて、マーニャが切れた。バルザックの胸から離れ、すくっと立ち上がる。
「いいわ、踊ってやろうじゃない。こんなちんけなあんた達と一緒に踊るなんて、ちょっと物足りないけど仕方ないわね。」
「あらあ?そんなこと言ってもいいの?ふふ、いいわ、こっちに来なさい。」
そう言ってマーニャを楽屋に連れて行こうとした。
「マーニャ!」
バルザックはマーニャの手を取る。
「マーニャ…」
「行ってくるわ、バルザック。ここで見てて、あたしの初舞台をね。」
「だけど、マーニャ…」
言いかけたとき、バルザックは気が付いた。マーニャの手が、少し震えている事に。
強がっているのだと、初めて気が付いた。少しだけ、翳った笑顔。
(弱気になっちゃいけない…いつでも強気なあたしでいなきゃ…弱いあたしなんて、バルザックはきっと好きじゃないわ…)
「バルザック…あたしの踊り、好き?」
「ああ、一番好きだ。」
マーニャは微笑む。もう大丈夫だった。迷う事は何もない。
「じゃあ、わかるわよね。あたしは大丈夫よ。安心して、見てて。」
バルザックは微笑む。輝かしいマーニャの顔を見て。そしてその笑顔がまた、マーニャの糧になる。
マーニャはそのまま行ってしまった。バルザックはさっきまで握っていたマーニャの手のぬくもりを握り締めた。
(守って…あげたい…マーニャをこの手で守ってあげられるくらい、私は強くなりたい…)
そうして、バルザックは立ち上がった。そして一時退場の手続きを取って、街に出た。
「ふふふ、あんたはあたしの後に踊らせてあげるわ。あたしの後に踊って恥をおかきなさい。」
エミリーが笑う。マーニャはにっこりと笑う。
(バルザックがいてくれる。怖くないわ。あたしは、バルザックへの気持ちを、ただ踊ればいいんだから。)
「あたしの前座をしてくれるってわけね、トップ・スター、エミリー。」
エミリーはマーニャをにらんだ。
「ふん、強がっていられるのも今のうちよ。恥をかけばいいんだわ、あたしと比べられる事がどういうことか、思い知りなさい!」
そう怒鳴って、エミリーが立ち去った。マーニャは渡された衣装に細工がない事を確認して、衣装をつけた。
どうやらもっとも新人用の露出度の高い衣装だが、マーニャは気にしなかった。
その衣装は、まるであつらえたようにマーニャを引き立てた。
マーニャの少し幼げな表情を隠し、既に女性の様相を見せ始めた肢体を存分に引き立てた。
(バルザックが見ててくれる。バルザックが側にいる。だったらあたしはいくらでも綺麗に、強くなれるわ。バルザックの、為に。)
自分が踊る理由なんて、それだけで、十分だ。
バルザックが席に戻った時には、既に終盤に差し掛かっていた。ここらへんの踊り子はさすがに良質だった。そして、…エミリーの番が来た。
(さすがにトップ・スター…マーニャは本当に大丈夫なのだろうか。)
いくら今まで見た動きでも、真似は真似。本物とは比較にもならないほど、それが効果的に使われていた。
エミリーは自分がどうすれば美しく見れるかを良く知っていて、それにあわせて踊る舞は、とてもエミリーを美しくみせた。
そしてなにより、観客の熱気が違った。
「エミリー!」
「エミリーちゃーん!さいこー!」
全員が立ち上がり、エミリーにあわせ手を振り上げる。
「エミリー!エミリー!エミリー!!」
(マーニャ…この気迫に飲み込まれていなければよいのだが…)
バルザックにできる事は、ただ、マーニャを信じる事だけだった。
そして、幕が落ちた。皆が、フィナーレを期待する。バルザックは息を飲む。
幕が上がった。踊り子全員がいるはずの舞台。そこには、マーニャが一人、立っていた。
「なんだ?」
誰かが一人声をあげる。人々の不満が高まる。
”次は、飛び入り参加、マーニャ!”
そう案内が入ると、一斉に皆はブーイングを始める。
だが、そこにいる人たちは、生涯その時を忘れなかった。
ここにいる人間は、伝説の踊り子、マーニャの初舞台を目の当たりにできた幸運な人間なのだから。
音楽が鳴り出す。初めて聞いた音楽。だが、マーニャはひるまなかった。その音楽のリズムに、自分の胸の鼓動を重ねる。
そして舞台を見据えた。バルザックを見て、笑った。
そして、マーニャは火花に変わった。
マーニャは踊る。心の中に燃える炎となって。
マーニャは伝える。この想いを受け取ってと。貴方の為に踊るのだからと。
マーニャは踊りとなり、踊りはマーニャ自身となった。
バルザックへのときめき。燃える炎。その動きにあわせて、マーニャは踊り続けた。
誰も、何も言わなかった。歓声もなく、ただひたすら、マーニャの踊りに魅入る。魂を、そのまま舞台に乗せて、ただ、みつめる。
バルザックの心に火が付いた。美しかった。舞台にいるマーニャは地上の人間とも思えないほど、美しかった。
(あれは…まるで、太陽だ…地上に全てをもたらす、陽の光の様だ…)
それは舞台と観客席の距離。そして、大地と天空の距離。
手に届きそうで、決して届く事はない。人では。
そして、マーニャが動きを止めた。一瞬、時が止まる。
そして、次の瞬間、その時が爆発したように、観客が声をあげる。
「マーニャ!マーニャ!マーニャ!」
「マーニャ!最高だ!マーニャ!」
そう悲鳴のように声が上がる。そして、観客がマーニャの元へ群がった。皆がマーニャに魅せられていた。
「マーニャちゃん!マーニャちゃんはどこの所属だい?」
「どこかの酒場で踊っているのかい?」
「マーニャちゃん、僕と付き合っておくれ!」
すでに観客は舞台に上がり、マーニャをもみくちゃにしていた。
劇場の全ての観客が舞台に集まっていた。マーニャはうろたえた。楽屋に逃げるわけにも行かない。
かといって、この波をかきわけるには、少々経験が足りなかった。
たくさんの歓声、たくさんの褒め言葉。だけど聞きたいのはここにはない。あたしが、聞きたいのは――――
「マーニャ!こっちだ!」
たくさんの声の中、なぜかその声はマーニャの耳に響くように聞こえた。
声の方向を見る。そこには、バルザックが両手を広げていた。
「バルザック!!」
マーニャは強引に人ごみを押し分けると、観客席にいるバルザックに向かって手を伸ばし、飛び降りた。
バルザックはマーニャの手を取り、腰を支え、マーニャを着地させた。そして、二人で顔を見合わせ、劇場から逃げ出した。
男達の追跡がなくなった宿屋の裏手。
「ありがとう、バルザック。」
少し息を切らしながらマーニャが微笑む。バルザックは微笑みながら持ってた袋から花束を出した。
「踊り子マーニャの初舞台の記念だよ、マーニャ。…とっても綺麗だった。今までの中で一番綺麗だった。
トップスターのあの人なんか、比べ物にならないほどだよ。」
そう言って花束を手渡す。マーニャはすこし呆然と受け取り、そしてその花束のような笑顔を見せた。
「ありがと。初舞台見てもらえてよかった。いつもより上手く踊れたわ。
最初の方に見た踊りを参考させてもらったし… あとは、バルザックがいてくれたおかげかしら?」
「私がいるだけでマーニャが上手く踊れるなら、いつだって一緒にいるけどね。」
そうバルザックが笑う。マーニャの胸は跳ね上がる。
『本当!』そう詰め寄りたくて…やめる。
(あせったらだめ…あたしはきっとバルザックにとってまだまだ子供なんだから… まだ、時間はたくさんあるんだから…)
それでも、はやく大人に、バルザックにつりあうほどの大人になりたかった。だから精一杯大人っぽく言った。
「そんな安請け合いして、知らないわよ、バルザック。」
「本当だよ、マーニャ。」
そう言ってバルザックはマーニャの手を取った。そして・・・その腕に宝石に彩られたブレスレットをつけた。
「マーニャの15の誕生日に…そして、この約束の証に、マーニャに贈るよ。」
それは夜の灯りに美しく輝いた。マーニャはそっと腕を抱きしめる。
(時が、止まればいい…このまま…こんな夢みたいな時が、ずっとずっと続けばいい…)
花束を小脇に抱え、ブレスレットをつけた腕を抱きしめるマーニャはとてもとても嬉しそうで美しかった。
このまま抱きしめてしまいたかった。抱きしめて、独り占めしたかった。だけど。
舞台で踊っていたまぶしいマーニャが頭に焼きつく。マーニャはこれからもっともっと美しくなるのだろう。それが恐ろしかった。
(このまま、時が止まればいい・・・ずっとマーニャの近くでいられるように、時が止まってしまえばいい…)
それでも2人は確かに幸せだった。同じ事を想い、同じ夢の中で、ずっとずっと浸っていられると信じていられた。
「帰ろう、バルザック。今日は、楽しかった。ありがとう。これ、大切にするね。」
そういって腕のブレスレットを見せた。バルザックは微笑む。そして、そっとマーニャの肩を抱いた。
「そうだね、帰ろう。そろそろミネアやオーリンも心配しているだろうしね。」
肩に回された手が心地よかった。マーニャはじっとその手を見た。バルザックがそれに気づく。
「今日一日は、私はマーニャの恋人なのだろう?」
「しょうがないわね…かえろ、バルザック、あたしたちの、家に。」
モンバーバラの淡い光。きらびやかな町並み。光るブレスレット。暖かな手。輝く瞳。
それはあたたかな夢の中。ずっとずっとこのままで、ずっとずっと未来まで、そう願い続ける、夢の中。
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