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はじめに
簡単な解説、といっても私も全く詳しくないので、書物の受け売りです。
というか、引用ですね。( ̄_ ̄ i)
「何じゃその解説は!」という人は、リンクのページから先輩方の解説へ飛んでください。
磐座・磐境・神籬(ひもろぎ)などという言葉は、『日本書紀』や『万葉集』などの古典の中にも出ており、今も神社では使われている。それがどのような形であるかについては、人によって解釈が違うようであるが、磐座・磐境はともに、岩あるいは石であると言うことは定説である。そして、それらの三者とも神の座、神を祀る場であることも異論はないと思う。
古代の伝説や歴史が記録された頃は、日本では仏教がかなり広く行われていて、寺院や仏像の造立も盛んになっていた。その影響であろう、神は社の中に住み給うものと考え、「御魂代」「ご神体」など形あるものとして神殿の中に祀られることになった。勢力のある各氏の一族は、祖先を氏の神として祀り、神の子孫であるとして、競って神社を建立した。しかし、人工の、特に木造の神殿は年とともに変化する。その氏族やムラなど祀る者の盛衰とともに、神殿の規模や様式は、時によって巨大化し、時には小さくもなり、荒廃して跡さえ失っていることも非常に多い。
そのような中にあって、古代の神々の座と考えられた磐は、風雪に耐え、火災や地震の害も少なく、二千余年たった今日まで、初めのままの姿を残している。中には神の座であることを忘れられ、人手によって形を変えられたものもある。特に、戦国の世には山上の岩に対する信仰が失われていたため、山城構築によって破壊された磐座も少なくなかったと思われる。また、近代になっては、土地開発の犠牲となって、永く保持してきた尊容を失いかけた例もある。
(磐座紀行 藤本浩一 1982)
吉備中山 元宮磐座 吉備中山山群のひとつ、飯山。(吉備津彦神社裏)
現在神体山と呼んでいる山岳、またかつては神体山として信仰されていた山岳には、その山中に多くの磐座が存在する。磐座は本質的には祭祀に関して一時神が影向(ようこう)される神聖な場所である。神体山に鎮まる神にせよ、祭る場合は山全体を漠然と神のよりますところとして祭るよりも、その山中の特に選ばれた場所を神座として祭祀を行う方が、祭る人々には神を体認せしめる上で効果的である。それが磐座である。
その場所は祭祀の性質・季節などから必ずしも一定のものに限られておらず、いわばその都度場所が変わったから、山中に多数散在するのも当然であり、祭祀に奉仕するのはもちろん特定の人であり、この限られた人数のものは厳重な潔斎を行い、山中に入り、祭りを行ったものである。
(大神神社 中山和敬 1999)
盃状穴とは、神社や寺院の境内にある置き石、手洗い鉢の縁や灯籠の台石、または昔の港にある常夜灯等に彫りつけられている小さなくぼみのことである。直径も深さも1センチから3センチ程度の穴で、小さな盃状の形状をしているところから、盃状穴と呼ばれている。
盃状穴は弥生時代前期から古墳時代までの日本の古墳にある石棺蓋石からも発見されており、ヨーロッパやアジアの諸外国からも多くの発見例が報告されている。
古代信仰に関連有りという意見が一般的で、諸外国では、「穴にバターを入れ、豊作と家畜の増産を祈る。」とか、「乳牛の乳の出量を増加させる。」等の俗信例が各国から発表されている。
(歌島の奇石・珍石・盃状穴 歌島郷土研究会 1997)
矢喰宮盃状穴 (岡山県総社市)