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尾道に関する考察3 鏡岩と玉の岩
(3) 発見!葦嶽山の伝説


「廣島縣」発行の本

 尾道市立図書館へ行き、地域の文献を検索する。ずいぶん古い本もあるもんだなあ・・・と思って見ているうちに、『神武』の文字が目に飛び込んできた。福山の磐田山天津磐境のことを思い出し、手に取ってみる。
 やはり、金江龍王山の神社に掲示してあった文書はこれだったんだ!
 文字も右から左の横書きだ。
 神武天皇に関する史跡を集めた本で、発行は「廣島縣」。
おお。広島県がこんなものを発行していたか。発行年は昭和16年となっている。

1941年か。時代背景から考えなければならない。
戦争中である。
1940年、国民感情高揚のため、いわゆる「皇紀2600年記念」と称して、古代の記紀にある場所を国が指定することになり、伝説の地はそれぞれ候補地として盛んに運動を起こしていた。広島県でも多くの運動があったようである。磐田山天津磐境もその一つで、広島県知事も金江山の視察に来た、と金江町史に書かれている。おそらくその流れでできた本であろう。したがって何でも神武天皇に結びつけようとする傾向があることは十分予想できる。

ほうほういろいろな地に伝説があるものよのう・・・と見ていくうち、
「比婆郡本村の伝説」が目にとまる。本村は葦嶽山のあるところだ。
   吉備の中山の葦嶽
   盗人岩
   彌廣殿
・・・・・これって、ピラミッドのことじゃないのか?
早速コピーをとったことはいうまでもない。以下引用と解説。文字と表現は現代のものに直します。

比婆郡本村の伝説

 比婆郡本村は、昔の三上郡の内にあり、その郡名は「美古美」より「御神」・「三神」と変じ、「三上」となり、この一帯の「もと」で中心となるべき地の意味より「本村」(ほんむら)と呼ぶようになった。和名抄所載の三上郡三上郷であったといわれ、古より相当に開けた地方であった。
 本村大字本秋寄蘇羅比古山の南麓に郷社蘇羅比古神社があって、天津日高彦火火出見尊、神倭伊波礼比古尊を祀っている。第26代継体天皇の時、(西暦510年)に創建と言われ、また本村にも神武天皇の伝説がある。

 
吉備中山※の葦嶽
(※岡山・倉敷の吉備の中山と異なり、このあたりも中山である。庄原市本村から帝釈峡へ行くときに通る境界の峠は「中山峠」と言い、つい最近まで交通の難所だった。また、備前・備中・備後・美作はかつて吉備の国であった。)
 葦嶽はこの地方における高峰であるが、往古神武天皇がここまで来たという。その際、事代主命が以後絶対に天皇に背かないと言う約束の印として比婆山に宝剣を埋めたという。
 盗人岩
 葦嶽より約1.5キロ北にそびえる岩に奴可郡、三上郡、神石郡の三郡にまたがる三郡岩というものがある。その麓に巨岩が数個あり、その一つは二岩の上に屋根型となって重なり、中は三坪ぐらいの広さである。
 神武天皇が葦嶽に滞在したとき、ここに宝玉を保管し、砂之兵衛にこれを守らせた。ところが葦嶽の南東にある丸嶽の大蛇がそれをほしがり、たびたび襲撃に来た。兵衛がこの雄蛇を矢で射止めたところ、生き残った雌蛇が姫に化けて敵を討とうと度々家にやってきた。ある夜うつくしい女性がやってきたのでこれを射止め、翌朝見ると血を流しながら逃げた形跡があった。その血の跡をたどると盗人岩のところで息絶えていたと言う話。その蛇の鱗でつくった茶托は永く本村のある家に保存されていたという。
弥広殿
 この葦嶽のある山全体を中山といい、全山村有林で、頂上は山の麓の登山口より2300mあるが、頂上を中心として南東に向けて巨大荘厳なる霊所がある。下の方に屏風岩といって高さ4m、厚さ1m、長さ12mの巨石が東西真一文字に直立し、次に高さ3m80,幅50cm、厚さ65cm、上部の尖った飾り石二本が直立、後方に高さ3m40,幅5m80の太陽の光を受けて反射し遠く光るように鏡のごとく磨かれたという鏡岩がある。
 さらに後方に方位石といって十文字に石を合わせ東西南北方位を正しく合うようにつくったもの二石があり、ここより3m進んで自然石に自然石を重ねてつくった献饌案がある。
 これは葦嶽の自然を利用し山頂にのみ人工を加えて造られたピラミッド(彌廣殿)であると言われ、最近発見された神代文字及び北極星の異動等より調査算出し、世界最古のものと伝えられている。
              鏡岩の案内表示

                神武岩
           

 長々と引用をしたのは、次の点にある。
 ・三上郡の語源と御神山の一致。

 ・鬼叫山の「神武岩」に填っていたという玉と、おそらくその玉であろうと思われるものを狙っていた大蛇の話。
  やはり「光る玉」と言えば大蛇、龍が出てくる。(大蛇と龍は容易に混同される)
 ・ピラミッドの描写が現在の状況とは異なっていること。

 今まで葦嶽に関わる文献は多数読んできた。(酒井勝軍の本も八幡書店で買って読んだ。)
 しかし、このような伝説には一度も出会ったことがない。
 葦嶽に神武伝説があったのはこの本が出るよりもずっと以前の話であろう。ある行商人の話で「神武天皇の宝探し」ブームが起こり、立っていた岩を倒してしまったというのはたしか大正時代のことである。おそらくこの本は、倒される以前の状況を誰かに取材して書かれたものであろう。
 ・今は屏風岩と言われるものは神武岩一つだけであるが、これが長さ12mに渡り一直線に並んでいた。
 ・先の尖った飾り石2本があった。
 ・鏡岩はぴかぴかに磨きあげられていた。
その状況を想像してみると、まるで城か神殿である。この周辺はさぞ大事な場所だったのであろう。
そして、三上郡の語源である御神。その名をもった御神山は一体どんな山なのだろうか。
長くなりそうなので続きは後ほど。。。。
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