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尾道に関する考察3 鏡岩と玉の岩
(4)御神山について


だんだん話がそれていくが・・・

 なんだかだんだん尾道から外れてしまっているのだが、ここまで来たら突っ走るのみである。いっそのことタイトルを「葦嶽山の謎」に変えてしまってもいいかも知れない。
 まあ、超古代の世界では広島県を代表するスポットなのだからお許しをいただきたい。行かれた方はわかると思うが、「葦嶽山」などという道案内は出ていない。すべて「日本ピラミッド」である。それぐらいの場所なのだ。
道路標識は「日本ピラミッド」。

 ということで今回は御神山である。はじめに断っておくが、今までは全てフィールドワークが前提にあった。考察してきた全ての場所は事前に何らかの調査をしていたところである。しかし、まだ御神山には行ったことがない。今回は不本意ながら文献のみでの考察となる。調査が終わり次第この文章はばっさり切られるか、大幅な修正や追加がなされると思う。
 しかしこの山、日本ピラミッドほど道の整備はなされていない。夏場はとんでもない薮こぎを強いられることが予想される。
 なので調査時期は未定。

 日本民族の血!?

 今回の話のもとになるのは「日本民族の血」という本である。妻が買った本だが、タイトルが何ともエグいと思い、ずっと敬遠していたのだ。しかしこれが掘り出し物の本だった。ちなみに副題は「高天原は広島県三次盆地である」という。おそらく絶版なのであろう。ISBNもない。何しろ1980年の本だ。アマゾンでいくら検索をしてもヒットしないはずか。
 著者辻田禎助氏は松山市生まれで栃木県在住。特に広島県に縁があるという人ではなさそうだ。
 三次市(みよしし)は広島県北部最大の都市である。昔から栄えた土地らしく、多くの古墳がある。その周囲は「みよし風土記の丘」として整備されている。ただ、著者が「三次盆地」と呼ぶ地域は厳密に言うと三次盆地以外の場所も多く含まれ、備北地域と考えた方が良さそうだ。
 そこには三次市とその周囲だけでなく、比婆山、吾妻山といった神話の里、熊野神社、日本ピラミッド葦嶽山、自然が作り出した絶景雄橋を含む帝釈峡、安芸高田市の大土山にある高天原なども含む。著者はこの周囲が高天原である、という。

 御神山に関する記述

今回は本の紹介がメインではないので、詳細については別の機会に譲るとして、御神山に関する記述を見ていきたい。

「当時は政治より祭事の方が部族国家にとり大切な行事であった。稲や作物の出来不出来は天候に左右される。
(中略)天孫民族のこの地方での長期にわたる政治の中心地、祭り事の場所は三次盆地の東部、比婆山山麓の地方であったと信じられる。ちょうどこの地方に、「御神山」と言って、豊栄町の天神岳にその条件の似た山がある。私はこの山のみが「三」の文字ではなく「御」の文字が冠せられていることに注目したのである。すなわちこの山のみは、御神山の御の文字を変えることのできない、何かがあったのではないかと思ったからである。

 この御神山はこの付近では一番高い山であり、ちょうど擂鉢を逆さに伏せたような形をして一段高く聳え立つ秀麗な山である。標高899メートル、山頂に登れば比婆、神石、甲奴の三郡及び庄原市を一望に見渡すことができる。以上三郡一市の境界線はこの御神山に集まり、この山は三郡一市に四分されている、珍しく頂上部だけは比婆郡に属している。この山上に旗立岩という、実に見事な巨岩が天空にそそり立っている。祭り事はこの「巨岩」をご神体にしていたのではなかろうか。頂上部だけ比婆郡に属しているということは、比婆郡の地域に祭祀権者、当時の権力者が居たと見て良いであろう。

 御神山はその名の示すごとく、神に繋がる数々の伝説が残されている。上古の時代は自然に霊ありと信じられており、賀茂郡の天神岳の頂の天神岩や、その他皇祖と巨岩との繋がりを述べてきたごとく、巨岩崇拝の時代であったと思われるところから、この旗立岩をドルメンのように信仰の対象としていたと思われるのである。 (中略) 旗立岩の上手の山頂には相当数の石が並べ据えられている。これは恐らく古代の「岩境」の遺跡であろう。すなわち天上なる神の御魂の御来臨を祈り願うための祭礼の聖域として作られていたと思われる。
 
 当時、御神山の山頂に神祠が設けられていたと言われているが、現在は山麓の宮内地区の宮内神社に遷宮されている。祭神は須佐之男命である。地元の人々は昔から「てんのうさん」とよびならわしている。つい最近までこの御神山の巨岩の上にも小さな祠が祀られていたが、暴風雨のたびに岩から転落するので、その祠も最寄りの鍛冶屋床地区に祀られている。

 私は以上の事項よりして、この山こそ皇祖に深い繋がりをもつ信仰の霊山であったと思ったのである。」

以上御神山に関しての記述である。また続いて葦嶽山、鬼叫山についても著者は言及している。

 「東向きの巨石の表面が平に加工され、畳十帖以上の広さがあり、この表面が昔鏡のように磨かれ輝いていたので、鏡石と名がついたと言われる。また鏡石の前に相当広い板石が数枚見られる。これも人工により平に整形されている。おそらく鏡石の前面に敷石されていたのであろう。
 次に鏡石の隣に四角の石柱が立っている。これが屏風岩である。そのうちの一本の上部に径十数センチほどの半球状の穴がある。この穴に昔、夜光球(ダイヤモンドか水晶)がはめられていたと言われる。
(中略)
当時の人々が多くの労力を費やし、長い年月をかけ苦難の末建造したであろうこの巨石群の全貌を、眺めることのできる対象は、当時の人々が生命ありと信じ、信仰していたであろう、東の空から昇る太陽以外にはないのである。
(中略)
想像を逞しくするなら、よく磨きあげられた鏡石や屏風岩を東に向かって立て、その後のお立ち台に司祭者が立つ。司祭者は万物に恵みを与える太陽に生命あるを信じ、鏡石や屏風岩によって太陽の霊を引きつけ得るものと信じ、東より昇る太陽に敬虔な祈りを捧げている情景が私には想像されるのである。


 以上、また長々と引用をしてしまった。
 真南の光が鬼叫山の鏡岩に反射して届いていたであろうと言われる御神山が、当時の祭祀の中心地であったかも知れない、ということがこの文章から考えられる事である。葦嶽山や鬼叫山の陰に隠れてマイナーな存在となってしまっている御神山だが、調査をすると大発見があるかも知れない。
 また、夜光球というものがダイヤモンド(!!)か水晶であろうという。名前の通り夜も光ったのであろうか。夜も光ったという玉の岩や龍王山の玉を思い起こさせる表現である。

 千光寺山とタンク岩


さて、これを尾道に置き換えて考えてみると、千光寺の鏡岩に反射した光は西国寺山のタンク岩を照らすと言われている。タンク岩は線刻の多い岩である。また、現在はややマイナーな存在となっているところも御神山と似ている。タンク岩と太陽信仰との関連も現地調査をしてつきとめていかねばなるまい。う〜ん、行かなければならないところが増える一方だ。
 玉の岩に関しても、神武岩のように角柱状に加工されていればこれはなんだミステリーだという話になっているだろうが、多少加工した様子は見られるものの、神武岩ほどではない。また、上面に彫られていたという穴も見ることができない。それどころか電飾が施されてしまっている。いっそのこと玉を取り払って穴を見たいものだ。その穴も電飾取り付けの時に壊されているかも???そうなると悲しい限りである。昭和30年頃の千光寺の写真を見ると、今よりももっともっと岩だらけの山なのである。
  
 以上のようなことから、尾道の龍王山、千光寺、西国寺は葦嶽山、鬼叫山、御神山と同様、光る玉と鏡岩を使い、光ネットワークのようなものを作っていたということは考えられないだろうか?誰が、どういう目的でそのようなものを作ったのかということはわからないが、それだけのものを作る力を昔の人がもっていた、ということは言えるであろう。

 次は視点を変えて、「尾道の鏡岩は何故丸いのか?」というタイトルで引き続き鏡岩について考察をしていきたい。

参考文献:日本民族の血 −高天原は三次盆地である− 辻田禎助 新人物往来社 1980

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