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艮神社の謎〜その2 現地取材の巻〜


解けた謎・深まる謎

 さて現地取材である。改めて艮神社を訪れると、なにか凛とした空気が漂っている。
平日の夕方のせいか、国道2号線からすぐの所なのに、突然違う世界へ入ってしまったような、そんな感じを受ける。
ちょうど太陽が真上に来て、楠の間から木漏れ日がスポットのように神社を照らす。
「よく来たね」と言ってもらっているようで、なんだかうれしくなる。

 まずは神社を一巡り。大きい神社だ。例の巨石の近くに行ってみる。
近づいてわかった。めちゃくちゃ大きいじゃん。4Mぐらいはあるだろうか。それ以上かも知れない。
なんだかドキドキしてくる。

 境内東に行くと、小さな岩に注連縄。

なんだろうこれは。
注連縄がかけてあるからとりあえず聖なる岩だろう、と写真をパチリ。

陽が差し始めた艮神社。

 境内に偶然宮司さんがおられるかな?と虫の良い想像をしてきたのだが、人っ子一人いない。
猫がいるばかりである。(近くに招き猫の美術館がある)

 う〜ん。
行くしかないか。今日はそのために来たのだ。と、境内脇の社務所へ。
 宮司さんに御由緒書きをいただき、話を伺う。
 以下御由緒書きの要約。


  • 806年鎮座。祭神は伊邪那岐神、天照皇大神、速須佐之男神、吉備津彦命。
  • 後に大宝山、南は碧海、境内に大木大石。常に清水湧出、至極の清浄地であった。周囲は原野。
  • 尾道市役所所蔵「社寺明細帳」の中にある記述によると・・・・
  • 天平大朝録という書に「山田岩根麻素多氣遠神社」という名で出てくる。
  • 須佐男命が「この土地は勝れて清浄なる土地故に賀須麻の岩根と名付け」、ここから鞆の浦に渡った。
  • 神宮皇后がこの地に来て「建遠神社」と名付け、この近辺を「長江の里」と名付けた。
  • 976年、勅命により吉備津彦命を多氣遠の宮へ合殿に勧請。
  • 幣多賀宮と多氣遠の宮の二社合祭となる。
  • 丑寅宮、艮神明宮と称する理由は不明。     

「社寺明細帳」は真偽不明といえど参考のために・・・と記されている。
ここにも素民将来伝説やいろいろな話が出てくるが、少なくとも次の点は確かだろう。

  • このあたりは非常に風光明媚、清浄な地であった。周囲は原野。前は海。
  • 周辺には岩が多くあった。
  • 長江(旧出雲道入り口)あたりはかつて海であり、港があった。
  • 勅命により吉備津彦命を勧請している。
  • 艮神社とは改名しての名前である。
本殿左の大きな岩。近くで見るとかなり大きい。

 解けた謎と、かえって深まった謎が出てきた。

 やはり「艮」は改名してつけられた「艮」である。この謎は解けた。

 しかし、どうして勅命で吉備津彦命を勧請するのか。わからない。
 それと艮の方位の謎。多賀宮との合社となったのは1200年頃。
 厳島神社が今のような形に造営され始めたのが1168年。
 どうもこのあたりかこれ以降で改名されたような雰囲気がある。
 1275年(建治元年)の古地図では「丑寅社」という名前で記されているのである。
 厳島神社と大山祗神社、そして艮神社。
 「大山祗神社の鬼門」説はあながち暴論でないのかも知れない(自画自賛( ̄_ ̄ i))。
 
 江戸時代、尾道は港町であり、西国街道(山陽道)の宿場町であり、出雲道(石見銀山街道)のスタート地点である。
 もちろん古来からの寺社が多い、聖なる地(宗教都市)でもあったはずだ。
 尾道には昔81ヶ寺があったという。
 現在24ヶ寺、それでも「寺の町」だと感じる。その3倍以上。もう寺だらけではないか。
 こんな田舎でそんなに寺の多い町が他にあるのだろうか。

 そしてさらに、艮神社のすぐ東から出雲道が始まっている。南は西国街道。そしてすぐ近くに港。
 今でいうターミナルのすぐ脇のような土地なのだ。非常に重要な土地である。
 

暴論を覚悟で敢えて言う。ここは瀬戸内全体の鎮守のために置かれた「大山祗神社から見た『艮』神社」なのではないか。

追記:厳島神社社殿が創建されたのは593年、浄土寺が618年創建。
    空海が厳島弥山を開基したのが806年。なんと、千光寺山、艮神社の創建と同じ年である。
   


太陽崇拝と「岩屋山」の名前、そして新たなキーワード

宮司さんに「あの小さな岩は何ですか」と質問をすると、『神宮遙拝所です』と返事が返ってきた。
昇る太陽をあそこから拝むということだ。
年間を通してこの岩の向こう(石柱の間)から太陽が昇るという。
まあ、ほぼ東を向いているのでそうなるだろう。
このむこうは、昔はすぐ海の近くだったという。
太陽崇拝である。
神宮遙拝所。ここから朝日を拝む。
千光寺との関係については、あまり関係ないと思う、という返事であったが、
大きい岩について
「あの大きな岩と楠の間が一番強い氣が出ているところです。
このあたりの寺社は北面していないものが多いが、岩屋山を向いているものが多く、
どうもあそこの山から非常にいい氣が出ているらしいです」
ということばが飛び出してきた。

ここでも岩屋山か。
そして『氣』の存在。
たしかに岩屋山と太陽を考えると、『千光寺』である。しかし、他の寺社は太陽とは関係ない。
キーワードは『氣』なのかも知れない。
ただ、艮神社は千光寺と違い、岩屋山の方を向いてはいない。寺社を建てるとき、その方角を意識して建てるのなら、艮神社はやはり神奈備型の大宝山を背にしており、大宝山を意識して造られたものと思われる。
右側が岩屋山。艮神社は岩屋山に向かってはいない。

そして新たな発見。

宮司さんにお話を伺い終え、もう一度巨石にあいさつをしに行く。
すると、巨石手前、鳥居の横の石に目が引きつけられる。

盃状穴だ。

やはりこの岩には昔から人々が力を感じ、岩を崇敬してきたのだ。
その証を最後に岩からもらったような気持ちになった。
盃状穴。巨石手前の石にある。

有意義な探訪だった。帰り道、振り返ると大宝山のシルエットが美しい。

次回は怒濤の大山祗神社探訪!

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