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尾道に関する考察2 艮神社について

その4 尾道にあるもう一つの艮神社


もう一つの艮神社、山波艮神社。

 艮神社にこだわりはじめ、ついに愛媛県まで行ってしまった。(大三島だけど)
しかし、尾道にはもう一つの艮神社が存在するのだ。
その名は「山波艮神社」。
尾道駅から東へしばらく進む。尾道大橋をくぐり、尾道造船の建物の裏側あたりに松林が見える。
そこが山波艮神社だ。

また出たか艮神社。
尾道の艮神社と区別する意味で山波艮神社と呼ばれているのだろうか。
今度は何の鬼門なのか?今までの説はどうなる?
・・・・・・・・
こうなりゃ行ってみるしかないでしょ。
行ってみてから考えよう。ということで行ってみました。

たどり着いた山波艮神社はこれ。ここには山波とも何とも書いていない。幟には「桃太郎伝説の里」と書かれている。

桃太郎伝説の里?

山波艮神社は非常にたどり着きにくい場所にある。
というのも、国道2号線から線路を隔てて北側なのだが、道がものすごく狭いのだ。
車での探訪は止めた方がいい。せいぜい軽4だなこりゃ。駐車場もない。
第1回チャレンジでは寺に突っ込んでしまった。すまんすまんと言いながら寺でUターン。
神社の南側を行き過ぎてからちょっと広くなったところにすかさず車を放置して神社へと小走りに移動。

幟がある。普通は○○神社とか○○大明神とかいろいろ書かれてよく奉納されているが、これはどうも手作りっぽい。
「桃太郎伝説の里 さんば町」
「きびとさんばの桃太郎」
という文字があり、木をバックに、舟に乗った桃太郎らしき人物が見える。

誰がつくった幟だろう。素人っぽさもあるが、字はきっちりとレタリングだ。
中学生か?(違っていたらごめんなさい)

しかし、ここで鬼退治の話など聞いたことないぞ。

桃太郎から教育を考える

「吉備津彦命の正体」(岡本正人)によると、ここに吉備津彦命が舟でやってきて上陸したらしい。
桃太郎伝説とはそのことを指しているようだ。
まあ、桃太郎のモデルは吉備津彦命だとされているので、
「吉備津彦伝説の里 さんば」とするより
「桃太郎伝説の里 さんば」とした方が子ども達にもよくわかっていいだろう。

桃太郎を知らない子はいないだろうしなあ。

ここを通る子ども達も、「ええ、ここと桃太郎が関係あったんだあ」と喜び、郷土愛とか郷土の歴史を知ろうとする意欲とか、そんなのに結びつくかも知れないし。
だいたい郷土の歴史なんて興味持たないよなあ・・・と自分のことを振り返る。
今になってやっと郷土の歴史に興味を持ち始めたのだから・・・。
小学校の教育と中学校の社会の教育に関わる人にはぜひこういう「郷土史」を教えてほしいものだ。

皮肉なことに、
「君たちに告ぐ ここのガラスは君たちのお父さんお母さんがお金を出してはめているものだ。
だからガラスを割るのをやめなさい」
みたいな張り紙があった。

いったい尾道の子ども達の郷土を愛する心はどこへ行ってしまったのか、と他人事のように考える。

盥石と吉備津彦命の足跡

 吉備津彦命が上陸した地、尾道造船所内の吉備津神社と吉備津彦命が休息をした艮神社は同じ祭神である。艮神社には、盥石というものがある。直径1m少々の円形の石である。中央がくぼんでおり、ちょうどパラボラアンテナのような形をしている。
 ここで吉備津彦命が水浴びをしたという。現在もすぐ近くに蛇口があり、盥のような用途で使われているのかも知れない。
 
それにしても不思議な形だ。台座もきちんとあり、大きな盃のような感じである。こんな石が自然の状態で存在していたのであろうか。
 
これが盥石。

尾道造船所内のウバメガシ

 艮神社から線路を隔てて南側に尾道造船所がある。尾道、向島は造船の町。至る所に巨大なクレーンや建造中の船が見られる。
もっとも、20年以上前の造船不況で向島の日立造船は船造りをやめ、橋梁などの製作に転換、尾道駅からよく見える日立造船西工場は閉鎖されてしまっている。そのクレーンを現在ライトアップし、観光に役立てようというのだが、果たしてどれぐらいの効果があるものか。
たしかにきれいだが、これを見るためにわざわざ人がやってくるとも思えないのだが。

 さて、尾道造船所。そこの事務所脇に巨大なウバメガシ(バベ)の古木がある。広島県天然記念物だ。これは吉備津彦命が杖を立てたのが芽吹いたものと言われている。
 そんなことがあるのか?という真偽の程はさておき、古木であることは間違いない。樹齢2000年ほどだと言われる。その木の脇に艮神社がある。
 このウバメガシ、もとは国道2号線を挟んだ尾道造船所工場内にあったらしいのだが、工場内にあるので当然弱ってくる。立ち枯れのような状態になっていたのをこちらに移動したらしい。
 移動と言っても簡単なものではない。何しろ、この大木の枝を落としたり、塗料を吹きかけたりする者には神罰がくだるという噂があり、この木に手を出すものが居なかったのだ。
 工場としてはここで立ち枯れにするわけにはいかないと移植を強く希望、しかし、氏子は失敗をおそれる。また、誰もやろうとする職人はいない。

 庭園師の責任者、野中正人さんは、
「この木を枯死させないことが私の使命です。それでも祟れば覚悟しています。」ときっぱり。

 移動の時は造船所のクレーンを使い、国道2号線を封鎖しての大移動となったらしい。幸い木は根付き、現在もまるで森のような大樹が青々とした葉をつけている。

 この土地は尾道造船所の土地だが、木は神社の木である、という変わった所有関係となっている。
 また、ウバメガシの右手前に、吉備津彦命が船をつないだという「ともづな石」がある。
ウバメガシの幹。樹齢2000年。
森のように見えるが、一本の木。
ウバメガシの解説。

艮神社の分布

「艮」については何の整理もついていない。
最近気になる話を聞いた。「『艮神社』というのは備後だけでしょう」という話だ。
たしかに、「艮神社」で検索をかけると、ほとんどが尾道の艮神社だ。さらに詳しく調べてみると、他府県にも多少はあるようだが、備中、備後あたりがやはり多いようだ。
 図書館の本では『北辰信仰との関わり』というのがうたわれていた。
 また、岡山の吉備津神社では、吉備津彦と戦って敗れた温羅を、神社の北東(丑寅)の方角に「艮御崎宮」を造り祀っている。

どうも吉備津彦命関係の神社が多いようだ。
それと方角へのこだわりはやはりありそうだ。

吉備津彦命関係の神社だからこの近辺に集中しているのか?それとも全体的にどこかの鬼門を守っているのか?そのあたりは今後さらにデータを集める必要がありそうだ。

相変わらずスカッとした解答を導き出せないままずるずると深みにはまっていくのである。
古い歴史をたどっていくのだから、数学の答えを出すようにスカッとは行かないさ、と自らを慰めながら新たな方向性をもとめさまよい歩く私である。

山波艮神社と艮神社の位置。


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参考文献:吉備津彦命の正体 岡本正人 1996 近代文藝社
尾道の民話・伝説 尾道民話伝説研究会 2002