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尾道に関する考察2 艮神社の謎
(5) 神社からアプローチする「尾道学」


新聞など久しぶりに読んでみる。
 すると、地元の新聞山陽日日新聞に興味深い記事を発見。「神社からアプローチする『尾道学』」。
 林 良司氏のレポートである。昨日付の新聞でAとあったから、きっと@があるだろうとバックナンバーを漁る。

あったあったありました。その@はなんと『尾道最古の総産土神 艮神社』。魂が震えたねえ今日は。
読んでいくと、面白い説が出てくる。
そこで今回はそのレポートの紹介。


 特に興味深い点は、江戸時代の尾道郷土地誌「尾道志稿」の「当社古は本殿一宇のみなり」と言う一文に関する考察である。
私はほうほう本殿しかなかったのかと、ただそれだけしか思わず読み飛ばしたが、氏は
「私は此処に言う本殿とは実は拝殿ではなかったかと読んでいる。」
と言うのだ。
 拝殿しかない神社と言えば、三輪山を神体山と仰ぐ大神神社がその典型である。神社拝殿は自然そのものを神体として拝する遙拝所となる。
 そして、「此処に言う自然神体(神体山=カンナビ山)とは無論後背に控える大宝山。其処には恒常的な神社施設成立以前の原始古代神道において、神座として用いられた磐座(イワクラ/特定の岩石を神体とする祭祀形態)にふさわしい、玉の岩を筆頭とする巨岩・奇岩の宝庫である点からも頷けられる(玉の岩を艮宮原祀の神体とする説も聞かれる)。岩の山と言うことからすると、単に神体山とするよりも山全体を巨大な磐座として見た方がより適切かも知れない。」と結ぶ。


 おお。やはり艮神社は千光寺山(大宝山)を神体とする遙拝所だったのか。艮神社が大宝山をちょうど背にする方向で建てられているのも納得。「艮神社の謎(1)」の千光寺と艮神社に関する仮説はここに裏付けられた形となる。


  続いて「艮」の名前についてである。レポートにはこのように書かれている。


「今に馴染まれる艮なる社号も実は後の改称に成るもので、旧『尾道市史』に載る艮神社由緒書には、古く『多氣遠宮』『建遠神社』と称している。それをどう読むかはっきり分かっていないが、恐らくは、いや間違いなくそれは『タケオ』と読むのだろう。では一体『タケオ』とは何か?」と言うところから語り始める。タケオとは、艮神社に祀られるスサノオ、正式神号「建速須佐之男命/タケハヤスサノオノミコト」のことである。
 当初はスサノオを祀る神社であったものが、吉備津彦命が976年合祀される。それに関連して艮神社と改称されたものと思われる。

「艮とは鬼門(キモン)として畏怖される東北方位(丑と寅の中間)を示すものだが、これを冠する神社は備後地方に密集し、その祭神として吉備津彦が圧倒的に多く、艮神=吉備津彦という図式ができあがっている。」というのだ。


 どうやら何かの鬼門を守る、というよりも、吉備津彦命を祀る神社だから艮神社、という方向に傾きつつある。
う〜ん、やはりそうなのだろうか。大山祗神社まで行ったんだけどなあ。まあ、そんなこともあるか。

ということで、また艮神社について新たな何かが見つかったらその6を書こうと思う。


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