北海道の簡易軌道を彷彿とさせる、綏稜林業局ナローのレールバス+客車


中国鉄道の旅その2

中国満州 絶対領域。

2006年の夏休みは黒竜江省などで萌え鉄に明け暮れる。


(06年8月〜9月)




 
2006年の夏休みは直前までとれるかどうか冷や冷やだった。本来自分の担当ではないベトナムの案件で問題が 発生してその手伝いをさせられていたのだが、その関係でこの夏は1回ハノイに出張していたのだが、もう1回シ ンドい出張が入るかもしれないということで、“そうなったら休暇取り消しね”という上司の言葉を真に受けて、 取り敢えずいつでも変更できるチケット・・・今年末で切れる全日空AMCの2万マイルで羽田=関空=大連経由 =瀋陽=成田というアワード券を抑えておいた。これなら日程変更しても手数料かからないからね。

 出発は夏休みの混雑も一段落した、8月26日(土)。まだ紅葉には早いけど、中国北方3省はもうそろそろ涼 しくなってきて、(中国の田舎ではあまり期待できない)エアコン付の部屋でなくてもいいくらいの気候になりつ つある筈。
 無事に休めてホッとしつつ、朝5時半に自宅すぐのサンプラザ中野の前からリムジンバスで羽田に向かい、07 :35発のANA141便にチェックイン。事前にネットで足元の広い22Gを抑えておいた。こんな朝っぱらか ら結構混んでる羽田では、Eチケットでのチェックインが機械ではできず、3カ所くらい窓口をたらい回しされて 若干苛つく。



哈爾濱駅で出発を待つ緑皮車を連ねた夜行列車。

 
 関空で一旦荷物を取り出し、国際線のチェックインカウンターで、“(瀋陽までのチケットだけど途中の)大連 で降りたい”とダメもとで申し出てみたが、検討された結果として(当然だけど)却下。どうしても大連で降機し たかったら「関空→大連」を別に買い直せとの事。まあ正しい措置だ。実は瀋陽で降りても、哈爾濱行きの国内線 に丁度乗り継げず、次まで6時間待ちとなってしまい、その後の行程が若干キツくなる一方、大連で降りると丁度 哈爾濱行きに乗り継げるので・・・と思ったのだが。実際のところ、(荷物さえなければ)大連でそのまま降りて しまうのは物理的には可能だったのだけれど、「一人行方不明」とかで出発が遅れたり、帰りの予約落とされても 困るし。

 が、結局そんな心配は全く杞憂に終わった。この日、青島のレーダーが故障したとかで、中国行きの国際線は全 て出発時間未定状態となってしまったのだ。一旦搭乗して席に座って40分ほどした頃だった。筆者の搭乗する1 0:00発大連経由瀋陽行きNH947便のみならず北京、上海行きなど全部アウト。いつになるか全く判らない というので、仕方がないので以前課長から貰ったラウンジ券があったのを思い出し、そちらへ取り敢えず移動。有 り難いなあ、こういう時にラウンジ使えるのって。来年頑張っちゃおうっかな。。。SFC目指して。

 結局再搭乗のアナウンスがあって出発したのはおよそ3時間半遅れの13時半過ぎ。大連で一旦降りて入国手続 きしてから同じ機体に再搭乗。大連での一休み時間を短縮したのか瀋陽に着いたのはちょっとだけ回復して16時 半過ぎだった。荷物を受け取って、これから市内に出て夜行を捕まえてもいいのだけれど、途中乗車だから寝台券 がとれるか判らないし、外は雨。幸か不幸か遅れて着いたんで、哈爾濱行きのフライトまで実はあと2時間ほど。 昨日まで残業続きで疲れているので、今日は短時間でも横になりたいかな。ということでいそいそと国内線出発カ ウンターへ。



今回の舞台は中国東北部の旧満州地域。黒竜江省メイン(+吉林省と遼寧省も少しだけ)。

 
 哈爾濱への乗り継ぎは18:50発の山東航空SC4897便。空港だから定価販売で税込590元(9,00 0円ほど)。SDAと大書されたビルボード塗装のB737-300は1時間ほどのフライトでほぼ定刻に哈爾濱 着。20:00発の最終のリムジンバスにすんなりと乗り込み、市内哈爾濱駅前までは途中幾つかの停留所で客を 降ろしながらおよそ50分ほど。バス停に着くやいなや降車客を取り囲む客引きを払いのけて哈爾濱駅へ向かい、 2階の発券カウンターへ直行。中国の大駅とは思えないほど空いているカウンターでおよそ1時間後の22:08 分発・烏伊嶺行き快速N17次の硬座の切符を無事に入手。「1時間後の発車のヤツだよ、間違いないね?」と確 認してくれる、結構親切な発券嬢。

N列車は快速のうち1つの鉄道管理局内のみを走行するものに与えられる列車番号の記号。が、17次なんて若番 なんでさぞかし優等列車なんだろう・・・と思ったらさにあらず。哈爾濱→綏化間125kmの運賃は僅か11元 (170円)。えーひょっとして新空調硬座快速じゃないのか・・・。硬座車は案の定昔ながらの緑皮車、完全非 冷房のYZ22型が延々と連なっている。まぁ、これで一晩明かす訳じゃないし、いいか。
こんな時間から食堂車でもないんで、出発前から廻りだした車販から冷たい水だけ買って飲んでるウチにほぼ満席 になり、走り出してしまえば涼しい風も入ってきてそれなりに快適。うつらうつらするうちに23:58分、本日 の目的地、綏化(Suihua)駅に到着。小雨降る駅前に何軒か目に入ったネオンには「旅社」「招待所」と並ぶ中、一 軒だけ「賓館」とあって一番まともそうだったので、12時を廻って店終いしようとしていたところを滑り込みセ ーフ。ぶっきらぼうながらもちょっとだけ愛想も見せる受付の小太りの女性は軍服のような格好・・・と思ったら 、宿の名前は軍供賓館。人民解放軍がやってる宿泊施設なのかな? 寝るだけ80元。部屋は清潔だけど、シャワ ーからはお湯出ず。




 ようやく空が白み始めた翌29日朝5時前、頼んでおいたらキチンとドアをノックしてくれモーニングコール。 丹東から夜行で一晩走って来た05:30発の斉斉哈尓行き2125次普快は、昨夕瀋陽から乗ろうかと考えた列 車。こんな途中駅に発券割当はないので当然無座で乗り込まざるを得ないのだが、綏化でも結構下車客は居たのに 硬座は座れず、食堂車も未だ営業開始前で入れて貰えず、1時間立ちっぱなし。上に座れるようなスーツケース持 って旅行するのがよいのかなあ。
          


建興駅で折り返しを待つ列車。グリルがゴツい。

 

 さて、降り立ったのは06:23着の綏稜(Suiling)駅。綏化で乗り込むときにはまだ降っていた雨は上がっ て薄曇り。昨日の綏化はまだ「市」だったけど、いよいよ田舎になってきた。それでも駅前ではミニバスや三輪タ クシーなどの客引きが頑張っていてそれなりの活気。
 駅前に並ぶ食堂の一件が「行李寄託」の看板を出していたので、バックパックを預けて(4元)、三輪タクシー で森林鉄道の駅に向かうことに(3元)。朝ご飯食べてもいいのだけれど、取り敢えず列車の時間を確認してから にしよう。
 ちょっとした街を10分ほど北に走り、町はずれの住宅地のような所を抜けたところに林業局の施設はあった。 事務所の正門にはSLを模した小洒落た飾り付けがしてある。

 建物の脇から中に入ると、ナロー762mmのレールが駅構内に広がり、あちこちに空の運材車が並び、ホーム にはスカ色?に塗り分けられた小さなレールバスが紅白塗装の1両の客車を繋げて出発待ち中。ホームから荷物を 積み込んでいて、そう遠くなく出発しそうな雰囲気。客車は前回の芭石のような手造りっぽいのではなく、国鉄標 準型のリブ付の硬座車をそのままナローのサイズまで縮小したような感じ。客車に乗り込もうとすると、乗り心地 が悪いのを少しでも和らげるためか、発泡スチロールの板を渡され、座席に敷くように言われる。出発時間は7時 の由。
          


ナローとしては立派な牡丹江型DLが機務段に並ぶ。

 

 この綏稜林業局の森林鉄道、ここ綏稜から北東方面に森林鉄道網を張り巡らせていてその総延長は少なくとも 300km程度はあったと思われるが、既に相当の部分が廃線になっている模様で、また、この時期は運材列車 の運行は行われておらず(原則として冬季のみ)現在旅客営業を行っているのは綏稜を起点に「Y」の字型の部 分のみ。乗務員らからの聞き取りによれば、綏稜を朝出て95km地点の建興(Jianxing)まで行って折り返し てくる列車と、途中85km地点の六裸松(Liukesong)駅で分岐して10km先の石頭山(Shitoushan)迄の支線が あり、こちらは石頭山を朝出て綏稜着、昼過ぎに折り返して帰っていくとの変速2往復の客レが運行されている由。

 7時に出るはずがなんだかトラブルがあったようで、出発は7時半過ぎ。運行時間を聞いてみたり、写真を撮 ったりしてたら出発直前に関係者専用と思しきレールバスに呼ばれてこちらに乗り込むことに。レールバスも客 車もサラリと座席が埋まる程度の乗りで出発。ギアを操作しながら、ホントにバスのように、しかしノロノロと 動きだし、暫くは北へ向かう国鉄に沿って走る。運が良ければ国鉄の列車からも見えるかもしれない。

 森林鉄道とは言いつつも、車窓はノンビリとした丘が続き、木曽や屋久島のそれとは全然違い、むしろ北海道の ローカル線のような車窓。いってみれば(筆者は全く知らないけれど)その昔北海道の北部や東部のあちこちに広 がっていたという簡易軌道はこんな感じの雰囲気だったのではなかろうか。           


魚売りのおばちゃん達。全然売れてなかったけど、カメラを向けたらニコニコ。

 

 踏切の脇の簡易乗降場のような駅に幾つか停まりながら一時間ほど走った黒馬劉という駅では、交換用の側線 にはどうやらエンコしたと思われる牡丹江型DLが1台、その後ろには交換待ちの石頭山からの上り列車。同乗 していた元SLの運転士だったというメカニックの男性が工具箱を抱えて下車。この関係で遅れてたのかな?

 更に1時間ほどが過ぎ単調な風景に若干飽きてきた頃、四海店という集落の、何本かの側線が広がる駅でトイ レ休憩。列車の周りには近所の川で捕まえてきたのかな? 洗面器に入れた魚を売りに来るオバちゃん数名。さ すがにこれは買っても仕方がないや。朝食食べ損ねてたし、焼いてあったら買って食べても良かったのだけど。 

 車窓から見る限りでは沿線随一の街と思われる六裸松駅に着いたのは11時頃。砂煙を上げてトラックが走る のが目に入り、驚く。そういえば綏稜の街を出て以来、クルマはおろか、道路というものを殆ど見てなかった。 当然未舗装なんだけど、所謂並行道路未整備ということでこの鉄道は残っているのだろうなあ。
 六裸松駅を出て、右に石頭山方面への支線を分岐した頃から、車窓はようやく森林鉄道っぽくなってきた。登 り気味になった線路は適度なカーブを描きながら森の中を進み、エンジン音は一層高らかに、時折汽笛を鳴らし ながら・・・ という気分に酔いしれるまもなく、ほんの15分ほどで終点建興着。なかなか楽しい3時間半ほ どの旅路でした。95kmを3時間半って事は表定速度は時速27kmか。まあこんなもんだろうかね。

 レールバスは単端式なので、建興ではデルタ線を使って方向転換。水谷豊似の運転士は作業が終わったら一緒 にお昼を食べようというので暫く駅周辺をブラブラ。何軒かの商店の並ぶメインストリートは舗装工事の真っ最 中。外国人が珍しくないのか、全く来ないのでそんなこと想像だにしないのか、筆者がカメラ持ってフラフラ歩 いてても特段関心を示されず。
 暫くして現れた運転士に連れられ、その商店街?の一角の行きつけと思われる(当たり前だけど)中華料理屋 に入り、遅れて女性車掌(奥さん?)も合流。隣の部屋では昼間っから結婚式の二次会かなんかで盛り上がり騒 がしいが、豆腐と挽肉の料理、鶏の揚げ物、スープにご飯となかなか豪華な昼食だが当方には頑として払わせて くれず。 
 お腹も一杯になって1時頃、上り列車は出発。往路と同じ駅で下り列車と交換したりしながら、やっぱり3時 間半ほどかけて綏稜に無事帰着。車庫を見せてくれるというのでそのまま推進運転の回送列車で機務段へ向かう ことに。これは心付けを渡さない訳にはいかないなあ。           


綏稜の“至宝”、C2型021号機。

 

 今の時期は使われていない数台の運材用の牡丹江型DL(午前中の、エンコしてた奴は帰りは見かけなかった んで、無事に修理して戻ってきたんだろう)が並ぶ機務段の奥には立派な車庫があり、蒸機はここかと問えば、 事務所から鍵を持ってきて開けて見せてくれることに。頼んでみるもんだ。
 薄暗い庫内には、紅白の名鉄のようなレールバスと並んで、お目当てのC2型SL021号機が、以外と奇麗 な状態で保管されていた。
 聞けばもう随分長い間走らせてはいないけれど、整備さえすればまだ走れる状態にあるという。ちゃんと屋内 保管してあるだけのことはある。冬の煙が出る時期になると、きっと撮り鉄の人達がチャーターして運材列車を 引かせてフォトランしたりするのだろう。
しかし良いもの見せていただきました。でも欲を言えば、走ってるところ、見たかったなぁ。(なおこの021 号機、2006年の年末に、日本の撮り鉄のグループがチャーターしてフォトランしたらしいです。無事復活し たんだねー)

 機務段の前から林業局の前まで少し歩いたら、丁度市内方面行きのマイクロバスが出るところ。市内で三輪タ クシーに乗り換えて綏稜駅へ、荷物を受け取ってから18:02発の哈爾濱方面・丹東行き2126次を捕まえ、 当然のように硬座は座れず、食堂車に直行。相席ながら座れたので夕食。今朝の綏化を過ぎ、次の興隆鎮(Xing longZhen)で下車。三輪タクシーに「この街で一番良い賓館」と伝えて連れて行って貰ったのは街の中心を大回 りして駅の裏手になる、5階建てと結構立派な興隆賓館(108元)。窓からは遠くには駅が一望でき、時折汽 笛を響かせて列車が行き交う良い(?)立地。翌朝に備えて森林鉄道の駅を目指す。三輪タクシーに乗ったら一瞬で 到着、が林鉄の駅には車輌は見あたらず。ネット上では廃線の情報もあっただけに若干心配になりつつ眠れぬ夜 (笑)を過ごす羽目に。




          


結構立派な興隆林鉄のレールバス。興隆鎮駅にて

 

 28日朝5時半、今日も早起き。宿の前から三輪タクシーを拾って林鉄の駅へ。まだ列車は入線していなかっ たが、乗客が集まっていて一安心。ゆったりと造られたホームの脇の駅舎で無事に終点和平(Heping)までの切 符も入手、「19」と座席番号が記入され、指定席らしい(18元)。切符によれば、この路線は「興隆林業局 森鉄処」というのが正式名称らしい。
 ホームには物売りも現れるが、朝食になりそうなものはなさそうなので、ポカポカと柔らかい日差しを浴びな がら待合室でノンビリするうちに、6時20分頃になって推進運転で列車が入線してきた。
 白地にオレンジ色のラインと爽やかな塗装の、結構大型のレールバスと後ろには元レールバスと思われる客車 が一両。荷物がドンドン積み込まれていくしこっちは窓ガラスもないので貨車扱いかと思ったら、車内の板張り の椅子の上には席番号が書かれているところを見るとこちらも指定席らしい。早めに買わないとこっちになっち ゃうし、もっと直前になると立ち席になってしまうのだな。実際出発時には相当な混雑で押すな押すなの大混雑 になってしまっていたので、早めに来ておいて正解。



東興駅で交換する上下列車。

 

 6時40分頃出発。興隆鎮の駅を出発した列車は左に向きを変え、北に向かう。機務段の脇をゆっくりとかす めるので、“居る筈”のSLが見えないかと目をこらすが残念ながら見えず。車内は路線バスのような2人がけ の座席が前方を向いて並んでおり、この大型レールバスも実は単端式。終点にはまたデルタ線があって向きを変 えるのか。
 連日の早起きが祟ってか、また暖かい陽気+平凡な風景+立ち客がギッシリで反対側の車窓が全然見えないの も相まって、またうつらうつらしてしまう。この区間の描写は、C2型SL牽引の貸切旅遊列車をアレンジさせ た「鉄道ジャーナル」社のツアー(RJ誌2002年2月号)に任せることにして、駅の停車・発車の際毎に気 がつきつつも、ようやく本格的に目が覚めたのは9時過ぎの沿線随一の街、興隆鎮より72km地点の東興。
同じ2両編成対向の上りと交換なのだが、運転台が左にあるので通票の交換をし易いように右の線路に入り、 それなりの下車客があり、車内はようやく落ち着いてきた。駅には1日2回の交換列車目当ての売り子もでて、 結構な賑わいだ。



興隆林鉄の切符。 快速列車もあるのか?

 
 東興を出てすぐ、右手には湖が広がる。香磨山水庫と称するこの湖畔まで伸びる観光用の新線を右手に分け (見過ごした)、ここからは駅に停まる毎に次々と乗客が減り、青峰あたりでサミットを超え、今度は下りに なった。次の、如何にも林業の街、という雰囲気の太平を過ぎたあたりからは空席も出だし、未舗装ながら久 しぶりに併走道路を見かけた鳳山あたりは既に人の流動的には通河(Tonghe)圏に入りつつあるのを感じる。

 終点の和平に着いたのは11時半過ぎ。線路はかつてこの先の大きな街、通河の近郊の烏鴉泡というところ まで伸びていたらしいが、現在は休止だか廃線だか。前述のRJ誌によればかつては総延長541kmに達す る世界最長の森林鉄道を誇った時代もあったようだが、現在はここ和平まで146kmの本線と一部の貨物支 線を残すのみとなってしまっている。
 今はその廃線となった区間を結ぶようにバスと乗合タクシーが走る。ホームなどない和平駅構内の線路上には 6台ほどの夏利(ダイハツ・シャレード・ソシアル)のタクシーと1台のマイクロバス。いずれも通河へ向かう とのこと。乗合タクシーでも運賃は1人10元(160円)とのこと、全然問題ないので先を急ぐことに。どれ に乗っても良かったのだけれど、助手席に奇麗なお姉さんの乗っている奴に決めて(笑)後席に乗り込んだら、 横にはむさ苦しいオッサンが乗り込んできたりと悲喜こもごもあったものの、舗装こそされていないながらグレ ーダーで固められた道をクルマは80km近い速度で快走、あっという間に通河着。今日のうちに佳木斯まで行 ってしまえるだろうか。



レールバスの和平到着を待ち構える乗り合いタクシー。

 

 が、通河のバスターミナルまで行ってみると、哈爾濱行きの高速バスこそ毎時1〜2本あるのだけれど、あと は近郊のローカル線が殆ど。黒竜江省北東部の中心地である佳木斯迄行く便は朝9時半の1本のみ、あとはもう すぐ今朝出てきた興隆鎮行きなどあるようだけれど、これは廃線列車代行のつもりかな? いずれにせよ戻って も仕方がないのだが、どうしよう。隣の方正という街まで行けば、哈爾濱と佳木斯とを結ぶ高速道路が通ってる から、普通便のバスなど停車したりしないかと期待しつつ、方正へ向かうことにしてみる。近くの食堂で「早く できるもの」といって出てきたワンタンスープで昼食後、哈爾濱行きに乗って方正で降りろと言うので乗り込ん でみると、街の南側でいきなりバスはフェリーに乗り込むことに。ここ通河は松花江の畔にあるのだが、この大 河には殆ど橋が架かっていない。手元の地図を見る限り、高速バスで5時間近くかかる下流の佳木斯から上流の 哈爾濱市内まで途中一本もないようだ。なのでここでもフェリーで渡河。3隻の船がバスも含めて6台ほどの車 輌を積み込み頻繁に運行しているようで、しかも路線バスは優先乗船らしく、殆ど時間のロスはなかった。

 方正の街はずれで下車、またいつもの三輪タクシーでバスターミナルへ向かうが、ここも残念ながら佳木斯行 きは朝のみ。一応客待ちをしていたタクシーに佳木斯までの値段を聞いてみるが、500元(8,000円)等 と抜かすのでお話しにならないので却下。この街で泊まっても仕方ないので、時刻表を睨みつつ方針転換。取り 合えず15:00発の、哈爾濱と牡丹江を結ぶ鉄道線上の街である尚志市行きがあるのでこれに乗ることに。3 時発のサンジ行きだ、とクダらないことを考えて苦笑。若干疲れてきたかな? 



通河=方正間で松花江を渡る渡船の上で。
すれ違う船の喫水の浅さが気になる。

 
 方正からの道は手元の地図に出ているほどの道なのに未舗装で穴だらけでやたらと時間がかかる。中間点の 延寿という街まで2時間もかかったのだが、そこからはうって変わって高速道路並の高規格道路に一転。同じ くらいの距離なのに半分の時間で18時頃尚志(Shangzhi)着。駅について本日の目的地である葦河(Weihe) までの切符を買った後、そんなに混んでいなかったので、翌日の夜の牡丹江からの夜行の切符も頼んでみる。 「没有没有」と面倒なことには取り合ってくれない奴らばかりの中国だけど、ここの駅員嬢は一緒に頭を捻り ながら発券用コンピューターと格闘し、無事に希望の切符を手に入れることが出来て感謝。「謝謝」と礼を述 べると「不要謝」などとニコニコしながら応えてくれるなど、とても気分がよい。この辺の人達はみんなこん な感じなのかしら。



 食堂車で夕食(携帯カメラで撮影)

 

 尚志19:33発の快速N81次は東方紅まで800km以上を走る夜行列車。当然まだ下車客など殆ど居 ないので座れるわけもなく、例によって食堂車へ直行。メニューに見覚えのある漢字が殆どなかったので、隣 の人が食べているモノ等から2品+スープ+ご飯だけなのに、ビールも飲んでないのに600円以上と座席料 にしては結構な額になった。が、昨日の夜の列車よりは格段に美味。昨日のはご飯はベチャベチャ、肉野菜の 炒め物は肉が殆ど入っていなくて値段は半額だったんだけど、こっちの方が遙かにイイや。
今回はあまり時間がないので少々慌てて掻き込み、20:17葦河到着。翌日午後の牡丹江行きの切符を買っ てから駅前の三輪タクシーに例によって「この街で一番良い賓館へ」と頼む。市にもなっていない小さな街だ からたかがしれてると思ったら、「大きいのと小さいのがあるけどどっちが良い?」との意外な返答。「小火 車の駅に近い方」と応えたら、じゃあ、と小さい方の宿に向かうことに。線路沿いに東に向かい、踏切を亘っ て数百メートル行って右折。一旦小火車の駅に寄ったというか、勘違いしてそちらに連れて行かれた後、“小 さい方の”ながら結構立派な葦林賓館へ。なんだか活気のない感じ。116元だったかな。

 一息ついてからちょっとビールでもと思い街歩きに出ると、“小火車の駅”の方から汽笛の音が聞こえてき たのでフラフラと誘われるがままにそちら方面へ。小火車、即ちナローの葦河林鉄の駅というか機務段には、 噂どおり、ナローのC2が一台、今日の仕業を終えようとしているところだった。機務段の黄色い照明に照ら し出され、ナローの小型SLがドラフト音を響かせながら、給水・給炭施設などを行ったり来たり。思わず見 とれ、聞き入ってしまう。プロの人ならバルブで撮ったりするんだろうかな。暫く佇み、聞き惚れ、最高の夜 景を拝ませていただきました。そして機務段の門の前のお店で汽笛を聞きながら、向日葵の種をつまみに飲む、 この夜のビールはまた最高でした。






葦河火車站で出発を待つ始発列車。

 

 29日早朝5時過ぎ。チェックアウトは12時なので、荷物を部屋に置いたまま身軽な格好で小火車の葦河 駅へ5分ほど歩いて向かう。朝の涼しい空気の中、葦河森鉄の駅というか操車場というか、ともかく始発駅に は既にピカピカのC2型054号機が2両の標準型客車と1両の荷物車を従えて出発準備中だった。昨晩は殆 ど真っ暗だからよく判らなかったけれど、3年も放置されていたとは思えない奇麗な状態でまずは驚き。

 そう、この森林鉄道は、ここ葦河から南に100km程の路線を延ばし、最末期までC2型SLが運材列車 を牽引する最後の森林鉄道の一つとして、毎冬零下30℃の地に多くの日欧の撮影家達を集めていたのだが、 沿道の整備に伴い運材業務はトラックに譲り、2003年の春に惜しまれつつ廃線となったのだが、数キロの 線路が将来観光用に使う事を目的としたのか残存させていたのが、この2006年秋、工事による数ヶ月間の 道路不通に伴い一部区間が奇跡的に復活を遂げ、その筋の方々の中では話題沸騰となっているところなのであ る。復活したのは、葦河からおよそ10km地点の八里湾(Baliwan)というところまで。なのだが、かつてこ の地にしばしば撮影に訪れていたその筋の方々のネット情報によれば、終点の八里湾駅は旧本線上ではないという。


原型を損なわずに奇麗に整備された客車内。

 

復活運行の列車は客車内に掲示された時刻表によれば葦河発が朝06:00、09:30、13:00、16 :00の一日4本、八里湾までの所要時間はおよそ50分、15分ほどの停車の後に葦河に折り返すというスケ ジュールになっている。
 2両の客車は見た目は国鉄のYZ22型をまんまナローに縮小したような規格型なのだが、このうち、炭水車 次位の88035号車の方は、原型を損なわないまま奇麗に整備され、とても快適・好感が持てる。出発前には 2両ともほぼ満席になり、いったい皆この10kmの為にわざわざ乗りに来てる観光客でもあるまいし、どういう ことなんだろう。

 高らかな汽笛とともに定刻に出発した列車は、市内もう一カ所の停留所で数十人の乗客を更に詰め込み、なんと まあギュウギュウな状態。そのまま立派な高規格道路立体交差するなど極めて違和感のある風景と、例によって森 林鉄道っぽくないノンビリとした風景の中を、評定時速およそ12kmから想定できるとおり、カタコトとゆっく りと走り続ける。



3カ月の為に再作成?
葦河森鉄の乗車券

 

 この鉄道の復活は工事終了までのホンの3カ月程だけらしいのだが、廻ってきた車掌はキチンと「葦河森鉄管理 処 補充客票」と印刷された立派な補充券を一人ずつ切っていく(5元)。幾つか小さな集落の停留所に停まりな がら進むうちに、並行する道路が掘り返されているのが目に付く。ここが復活の原因というかこの工事のお陰で2 1世紀に奇跡が起こったのか。

 6km地点の真珠(Zhenzhu)という少し大きめの駅でかなりの数の乗客が下車した。駅前には2台のマイクロ バス。ここで乗り換えて更に奥地へ向かうのだろう。バス代行ならぬ、道がなくてバスが走れない葦河=真珠間を 列車で代行してるのか。写真家の方の本によれば、真珠から興安というところまでの支線があったそうだが、この バスはその路線に沿って走るのかな。



荷扱いまでしてる。終点でロバ車に積み替え。
一体いつの時代なのだ?

 

ここ真珠までは少なくとも昔の森林鉄道の本線上だ。ここから更に南西の奥地、東風という集落で線路は東へ 向きを変え、終点柳山(72km)まで汽車は走っていた。本線の何処かの地点から八里湾終点までは新たに建設 されたそうだが。。。というのも、ここ八里湾の周辺はスキーリゾートとして開発過程にある地域らしく、この線 路が残されていたのも、将来このリゾートのアトラクションの一つに使おうとの魂胆があったのが、このような形 で一歩先んじて実現してしまったという感じか。分岐点は全く判らぬまま、というかハッキリ言って反対側だった ので見落としていたらしい。いつの間にかそのリゾートのエリア内に列車は入り、到着した終点八里湾の駅舎は白 地に水色とえんじ色に塗り分けられた遊園地の駅風のメルヘンチックな建物、でホームには折り返しを待ち構える 数十人の乗客が。SLと雑型客車にこんなに似合わないものもないだろう・・・ 
 それでも乗客は観光客ではなく地元住民が殆どのよう。駅舎の反対側には4台ほどの小型バスが並び、下車客の 殆どはこれらのバスに吸い込まれて行った。行先は東風など元の森林鉄道の沿線の街などだ。この夏に復活したば かりの鉄道とは言え、立派に交通機関として成り立っているのが全くもって奇妙この上ない。これらのバスは奥地 の街を早朝出てきて、この上りの始発列車に接続し、葦河の街へ向かうわけだ。デルタ線も転車台もないので、機 回しだけして今度はバック運転となった上り列車も殆ど満員。機関士に運転台の写真など撮らせて貰ってるうちに ちょっと出遅れ、帰りは後ろ向きの通路側の席にしか座れなかった。



“中国のナロー”らしい標準型客車がまたソソるんだ。

 

この一時復活の葦河森鉄、10月末には道路工事も終了し、運転を終えるという。またいつか復活するときは来る のだろうが、それはいつになるのだろうか。沿線には取り立てて絶景というような撮影ポイントはなさそうだけれ ど、ナローのSL牽引の旅客列車なんて(観光用のはともかく)一体、世界のどこで見ることができるだろうか。 この時期に訪中することにしてたタイミングの良さに我ながら自分を誉めちゃいたい。

宿に戻ってチェックアウトし、葦河からは国鉄特急塗装のDF4D型DL牽引の12:08発普快1451次。 これまでのN快速よりランクは下の列車の筈なのに、硬座も全て“新空調硬座普快”の快適仕様。済南から延々 走ってきて終点の牡丹江まで後少しという末端区間なので半分くらいの座席が埋まっているだけで、今度は無座 でも無事に座れた。なので食堂車ではなく、車販の弁当(5元)でお昼。
 元々はロシアの東清鉄道として建設された歴史ある路線はさすがにカーブも多い亜幹線の風情で山岳地帯をゆ っくりと抜け、14時半過ぎ、終点牡丹江に到着した。



快速列車の入線。さあ、今度は座れるだろうか?

 

 偶には観光、ではないが、後は今日は夜まで結構ノンビリできる。今日の夜は牡丹江21:22発の6413 次慢車(普通列車)。本来なら夜行の鈍行なんてこの歳になってあり得ないが、時刻表ではこの列車には硬座し か付いていない筈なのに、実は硬臥車が1両連結されているのだ。言ってみれば“はやたま”か、地域的には“ からまつ”ってとこか。先日別の列車の車内に掲示してあった「哈鉄管内」の時刻表に、どうやらこの列車には 寝台が付いているような記載があったんで、昨日の夜の尚志駅でダメもとで試してみたら、アッサリと硬臥下段 の寝台券を無事に入手できてホッとしていたところだった。
  駅に荷物を預け、夕方まで繁華街や川縁を散歩して、久々に見かけた文明の香り、ロッテリアで“北京ダッ クバーガー”食べて、久しぶりに動かない夕食もしっかり食べて、夜の牡丹江駅へ。

 1両だけの硬臥車は予想通り満席。よく前日に下段とれたもんだ。切符は終点の佳木斯までだが、明日は途中 未明の樺南で降りるつもり。車掌に切符を預かられるのだが、忘れられては困るので、切符の表面にボールペン で「樺南」と書いてリマインド。
 では、明日も早いし、早寝するとしよう。




8月30日未明。午前3時過ぎ、予定どおり車掌に起こされた。牡丹江からの夜行鈍行6413次の樺南到着は 時刻表では03:24。ノソノソと硬臥の下段から這い出して通路を見るが、さすがにこの時間には人気はなく 皆さんグッスリとお休み中。起こさないように静かに下車の準備をし、まだ真っ暗で8月だというのに吐く息が 若干白くなる涼しさの樺南駅に降り立った。硬座も含めて下車客は多くはないが、佳木斯へ向かうのか乗車客は 多く、こんな朝っぱらから乗車口ではいつものように人民が押し合いへし合いやってる。



樺南林鉄のC2。21043号機と手書きで表記。樺南駅。

 

さて、さすがにまだ早いので一休みしようと、この樺南県で一番良い宿泊施設であると事前に調べておいた樺南 賓館へ鞄をゴロゴロ引っ張りながら歩いていくが、手持ちのネット地図の距離感覚が今ひとつで結構歩き疲れた 頃にようやくたどり着くが、仮眠中の係員を叩き起こして11階の部屋にチェックインしたら今度はエレベータ が故障で動かず。メカニックの人が出てきて30分ほどいじってたけど直りそうもないので諦めてキャンセル。 押金含めて400元を取り返し、今度はタクシーで薄ら明るくなった駅前に戻り、招待所(駅前やバスターミナ ル近く等に多い簡易宿泊施設)に飛び込む羽目に(3人個室30元)。朝っぱらから疲れるなぁもう。

6時半頃再度起床、荷物だけ預けて(3元)宿を出た。駅前からタクシーで駅裏の市街地を抜け、森林鉄道の駅 へ向かう。若い運転手の兄ちゃんは「小火車は貨物だけで、駅なんかないぞ」というようなことを言っているよ うだったが、林業局関係の建物の間を抜け、東へ向かう道が貨物線の線路を2,3本か跨ぎ、それっぽい雰囲気 になってきた頃、右手に小型のSLが動いているのが見えた。もう大分見慣れたナロー標準のC2型が入れ換え 作業を行っている。



照れる運転関係職員。
机の上には書きかけの今日のダイヤグラム。

 

近づいて、機嫌の良さそうな機関士に朝の挨拶がてら撮影の許可を求め、旅客列車は道を挟んで反対側の建物の 裏から出発するというのも聞き出せたので、イソイソと移動。
反対側には5線ほどのヤードが広がり、構内入って貨車などを眺めていると、「樺南駅」と書かれた小綺麗な駅舎 の一角の運転関係施設と思しき部屋から手招きで呼ばれた。部屋の机の上には左側半分まで書き込まれたダイヤグ ラム。今日これからの分はこれから書き込むらしい(!)。例によって何人かに囲まれて筆談してみたり、照れる 中年の係員にやらせポーズを取らせて仕事してる風の写真を撮ってみたり、その辺のメモ用紙に手で撒いただけの 煙草を吸わされて咽せてみたり、するうちに、右手(東側)からC2の牽く運炭列車が到着した。今日の昼間の貨 物は今のところこの一本だけだというのを聞いてかなりガッカリ。                             

引き続いて入線してきたのは単行のレールバス。例によって車内や後部の荷台には大量の段ボールやセメントや 穀物の袋が積み上げられ、前面には自転車が縛り付けられた。並行道路がない奥地の街への1日1本の大切な交 通手段となるこのレールバス、ネット情報に拠れば、この樺南林鉄・・・林業局の運営ではなく、線路を借りて 個人営業している、日本で言うところの“第二種鉄道事業者”に相当するらしい。
よって運賃設定なども“経営者”たる中年夫婦の思うがまま。外国人に対しては片道1回100元を請求すると いう強欲ババァ(車掌)と出発直後に口論となるが、“イヤなら降りな”と強気な態度。独占の弊害の典型だ。 当然、切符も、領収書も、何も出さない。腹ただしい。車内前方に書かれた「祝君旅行 一路順風」の文字にさ え八つ当たりしたくなる。



樺南駅で出発を待つ、“個人営業”レールバス。

 
定刻なのか、席がサラリと埋まる感じで8時頃に動き出したレールバスは、次の道端の無名の停留所で10名 ほどの乗客と電化製品などを積み込み、満席に。暫くは未舗装ながらバスやトラックの併走する田舎町に沿っ てカタンカタンと軽やかに走る。
この林鉄、開通は戦後の1952年。但し先ほどの夜行列車の走る牡丹江から佳木斯までの線路は戦前日本が 建設したもの。所謂満蒙開拓団が初めて入植したのがこの地域なのである。樺南から北へ佳木斯方面に向かっ た孟家崗という集落は、その昔、弥栄村と呼ばれた、まさに最初の開拓団の入植地であった。その後1945 年の終戦直後にこの地域はソ連軍の急襲を受け、開拓団総計約28万人のうち8万人近い開拓団民が犠牲とな り、残留孤児のような多くの悲劇を産みだした土地である。今回筆者はまさにこれを舞台にして書かれた、山 崎豊子の『大地の子』全4巻の文庫本を持参して、毎日待ち時間などに少しずつ読み続けている。
今はなだらかな山並みと畑が続くだけのノンビリとした土地なのだが、今回は色々考えさせられる旅となりました。


樺南林鉄の路線図。現存するのは1路線のみ。

 

話を戻すとこの林鉄、最初の開業は1952年、開通当初は途中20km地点の下樺(Xiahua)から東へ向か う路線が開業、下樺から南へ向かう、現在の終点の紅光までの25kmは炭鉱開発のために1962年に開通し た路線で、その後森林資源の枯渇に伴い当初の路線は廃線となり、現在は樺南=下樺=紅光間45kmのみが石 炭輸送用に残存し、毎日数本(臨時運休多々あり)の運炭列車と、冬期に僅かの運材列車が走ることがあるのだ そう。
下樺の隣の村、電波塔の目立つ駄腰子(Tuoyaozi:樺南から26km)の集落から線路は南へ向きを変え、ビ ートとトウモロコシの畑が広がる山に向かい次第に登りにかかった。途中、線路脇を走ってくるバイクとすれ 違ったと思ったら、今度は線路端の小径も何もないところで手を挙げる乗客を拾い、また別の道端では途中か ら乗った客が下車する。1日1往復しかない旅客列車をこんな風に使いこなしてる人達が居るとは。

暫く唸り声を上げながらゆっくりとクネクネと山を登った列車は、遙か下に今走ってきたレールを見下ろすよう なΩループを過ぎたあたりでサミットに達し、エンジンの音が軽やかになった。突然の列車に驚いた小鳥たちが バサバサと慌てて飛び立つ中、短いレールの継ぎ目のカタンカタンという音だけが響く。



推進運転で終点紅光着。これから荷下ろし。

 
一通り下りきったところで景色が開け、側線のある駅−立新(Lixin)に到着。C2が1台煙を上げている。別の側 線には数量の運炭用の貨車。これから樺南に登っていくのかな? 
この駅で単端式のレールバスはデルタ線を使って方向転換。後ろ向きになってそのまま坂を下りだした。運転士は 普通にクルマをバックさせるような体勢で、推進運転にしては相当なスピードで、まあクルマと違って対向車が来 る可能性は高くないにせよ、結構ヒヤヒヤする走りっぷり。
樺南を出てからおよそ3時間弱、“紅光駅”舎の前を通過し、左側に数量の運炭貨車が並んでいる石炭積み出しの 側線をかすめ、レールバスは終点の紅光(Hongguang)到着。集落の直前で唐突に切れるレールの終端ギリギリ10 cmのところまで寄せて止める・・・必要はないよな。ホームがあるわけでもないんだし。 

さて、折り返しの出発は13時とのこと。紅光の集落自体は、500m程先まで続く未舗装のメインストリートの 両側に開いてるんだか閉まってるんだか判然としないお店が数軒、その先には鉱山会社の事務所と学校、それでお しまい。ブラブラしているうちに井戸端談義に興ずる地元のお爺さん達に呼び止められ、しばし座り込んでみた。 特段話す事も語学力もないのだけれど、何となく筆談で話は通じる。やはり時々汽車の写真を撮りに来る日本人が 居るそうだ。この人達、年齢から察するに、日本統治時代を恐らく覚えてる世代だろう。今こうやって呑気にやっ て来る日本人をどういう気持ちで眺めてるのだろうかと思うと、自然と立ち居振る舞いに気をつけるようになって しまった。



紅光の村で地元の老人達と。
   あ、筆者は真ん中ですので念のため。

 
さて、お爺さん達に見送られ、朝ご飯を食べてなかったんで時間もあるし少し早めのお昼ご飯でも食べるかなぁ。 そろそろお昼なんだけど、一軒目はまだ仕込み中と言うことで断られ、レールバスのすぐ隣の、昼真っから賭事な んかやってる兄ちゃん達のたむろする食堂で、メニューなんかないから、厨房の中に入り込んで、「これとこれ適 当に炒めて料理して」って出てきたのよく判らない料理と饅頭の外側だけ蒸かしたような主食。これはこれでそこ そこ食べられる味になってるのがやっぱり食の中国の凄いところ。西アフリカとかじゃあ考えられないね。

 13時定刻に出発した帰りのレールバスはやっぱり満席+結構な荷物。また例の強欲車掌オババに100元とられ 、往復3,200円と結構な出費だが、まあ遊園地のアトラクションみたいなもの、これでこの鉄道が残ってくれる のなら、と割り切ることにしよう。
陽の傾き始めた15時半前に樺南に着き、国鉄の駅前に戻って荷物をピックアップ。タクシーで公共汽車站に向 かい、すぐ発車する高速バスで佳木斯へ。さあ、今日こそはお湯シャワーの出る宿に泊まるぞ。




 8月31日。昨日の夜は夜市の屋台で炒麺に串焼き、吉林省製造の華丹干という見慣れないビールで久々に旅に 出たなあ〜っと爽快な気分に浸っていた。普段家や仕事帰りに一杯、なんて全然やらない人なのに、旅に出るとビ ールが飲みたくなるのはなんでだろうね。

さておき、今日のお目当ては東の双鴨山か北の鶴崗か、どっちにしようかな。いずれも同じような規模の専用線な のだが、迷った結果、事前のネット情報の少なかった東の双鴨山(Shuangyashan)へ行くことに。双鴨山行の列車は 朝の06:11発の夜行崩れの次は11:05迄ないので、佳木斯駅前の汽車站からバスで出発。約80km程の 道のりを1時間半ほどで走り、10時頃到着した双鴨山の駅前で下車、タクシーに乗り換えて専用鉄道の旅客列車 の始発駅である、市街地南方の、その名も“中心站”へ。



既に無煙化されていた双鴨山鉱務局のDL。

 

この双鴨山鉱務局の専用鉄道、国鉄の双鴨山終点から南に接続する形で双鴨山の広域市内をぐるっと半周する形 で東の宝山を経て新安まで約70kmの本線と、その途中から北へ向かって福山という、いずれも広域双鴨山市内 の炭鉱住宅街を結ぶ(他に運炭専用線多数)鉄道で、両線に毎日2〜3本程度の旅客列車も走り、2002年に前 進型(QJ)こそ引退したものの、運炭列車も含めて殆どが蒸機による牽引であるとの情報を得ていた。
 中心站に着いた瞬間、列車が滑り込んできて、出口から下車客が吐き出されてきた。が、どうも様子が違う。改 札なんかやってなかったので出口からホームに入り込むと、なんと到着した列車の先頭には灰色の大型のDL  (@_@)/ ここも落ちたか! 取り敢えず列車の時刻を確認しようと駅舎内に入ってみると、今着いた列車の乗務 員と思しき制服のおばちゃん達が出入りしているので、おずおずと一人捕まえて話を伺うに、「あら〜蒸汽車は もう一昨年くらいから全然使ってないわよ〜。わざわざ写真撮りに来たの〜。残念ね〜。」と同情されてしまっ た。号泣。 (T_T)〜   

 せっかくだから今日はこの専用線に乗ってみてもいいのだけど、そうなれば方向転換、鶴崗へ行こう。中心站前 から市内バスで双鴨山駅前のバスターミナルまで戻るも、鶴崗行きのバスは午後1時半頃までないとのこと。どっ ちにしても動きがとれないのならばやっぱり列車だ。並びの食堂に入ると水商売風のお姉さんと相席になった。2 品と麺を頼んだら、先に注文したお姉さんの方に食べきれないほどの大皿の料理が出てきて呆れた風情。いつの間 にか勧められるままにご相伴にあずかり、そのうち自分の分の大皿も現れたのでこちらもお返し。隣の席の孫娘? 連れのお婆さんも交えてみんなでお昼ご飯。

 双鴨山13:10発の佳木斯行きN88次快速は期待した新型ディーゼル列車ではなく普通の客車編成。途中 (広域)双鴨山市の北の中心街の福利屯1駅停車、僅か1時間20分の列車にしては食堂車に軟臥・硬臥車まで ついたやたらに長い編成だな、間合い運用かな?と思ったら、全く大当たり。14:30到着の佳木斯からは1 4:45発のK340次直快に列車番号を変え、北京まで直通する長距離列車に変身するのだった。



鶴崗鉱務局の通勤列車を引く無骨な凸型電機。

 

 再度の佳木斯駅前汽車站からすぐに出発する鶴崗行きの高速バスに乗り換え、今度は高速道路をそれなりの速度 で走って16:20頃、佳木斯北方約70kmの所にある鶴崗市の市街地で下車。中国はどこの街でも都市間バスが 停まるとすぐにタクシーがワラワラと集まってくるので乗継ぎは便利。その1台を捕まえて乗り込む。既に何度か書 いているように中国の都市間バスは意外と終車が速い。ここ鶴崗の炭鉱専用鉄道の最終は夜20時頃まであるような のだが、その時間には佳木斯へ戻るバスは恐らくもう無い筈。鶴崗からは21:29発の哈爾濱行きの夜行列車もあ るのだが、これはセーフガード。なんとか終バスを捕まえたいところだ。
タクシーの目指すのは市内を縦横に走る専用線のうち、旅客営業をしている北方と南方へ向かう2本の路線のう ちの北側の終点、興山。ただ、この鉄道自体鉱山労働者の通勤用がメインだからか、タクシーの運転手は興山地区 がどの辺かはわかるものの、近づいて来るにつれ、“興山站”がどこだかよく判らないようで、さかんに当方手元 の地図を覗き込もうとする。手元の時刻表では1日2本しかない列車の興山発は16:50。あと10分、ヤバイ かな・・・と思いだした頃、通行人に何度か尋ねながら、未舗装のガタガタ道を登っていったところに積み込み設 備のようなものが見え続いて緑皮車を連ねた列車が見えた。、、、が、SLじゃなーい!! ここも落ちたか! 



鶴崗煤鉱専用鉄道の切符

 

 発車時刻直前に着いた興山駅のホームには仕事帰りの乗客が発車を待ち、息を切らして駆け込んできた筆者を 興味深げに眺める。が気にせず取り敢えず6両ほどの編成を眺めて回る。先頭に立つ濃緑色の凸型ELは198 0年ドイツ民主共和国(東ドイツ)製。その後ろに連なる緑皮車は全国標準の硬座車YZ22型と通勤型のYZ 31型。車両の両端にデッキのあるYZ22型に対し、YZ31型は車両の中央部に両開き扉が2つ。キハ48 とキハ47の違い・・・ といってもそんなの最近あんまり見ないな。165系急行型と113系近郊型の違い みたいな感じと言えばいいか。いずれも車内はボックスシートが取り払われ、板張りのロングシート化されている。
 夕陽を浴びながらゆっくりと走り出した列車は、壮大な吊り掛けモーターの音を響かせながら、左手に大きな 露天鉱を見ながら駅毎に通勤客を降ろしながらノンビリと走る。

 車掌が切符を売りに来たので1元出して購入する。昔の料金なのか、五角の券片を2枚渡された。他の乗客は殆 どが定期券のようなものを見せているようだが、別に外国人料金倍額ではなさそうだ。券面表示によると、この鉄 道、「鶴崗煤鉱集団公司鉄路運輸部」というのが正式名称らしい。



鶴崗・集配駅の機務段で整備中のSY0498。

 

 途中3つほどの駅に停まり、終点、というか本来は起点になる集配站まではおよそ30分のミニトリップ。ちょ うど国鉄鶴崗駅の真裏にあたるこの駅の北側には機務段が隣接していて、こちらにはまだ蒸機が数台煙を上げてい るのが見え、ホッとする。貨物はまだ蒸機牽引なのかな。駅舎はホームから階段を上がった上のようだが、別に検 札してるわけでもなく、下車客の数人がそのままヤードの中を歩いていくのでこちらもそのまま線路を数本跨ぎ、 機務段の方へ。こちらを眺める職員にカメラを見せると“どーぞ、お好きなだけ!”というような手振りだったの で、そのままお邪魔します。入ってすぐの所には足元から蒸気を噴きながら整備中の上游型(SY)0498号機 、奥まったところにはまさに動きださんとしているSY3043号機。
 数枚写真を撮りながら作業を眺めているうちに、背後の車庫の建物の後ろから、上記の2台とは逆の南側を向い たSYが一台突然集配站方面に走りだした。慌てて機務段の職員に手で謝意を示しながら集配站に走って追っかけ る。運炭車を繋ぐ作業をしている間に追いついた瞬間、作業を終えた蒸機機関車は、こちらに手を振る機関士を乗 せてそのまま南方に走り去ってしまった・・・

 仕方ない。タクシーで鶴崗国鉄駅前の汽車站に戻り、無事に18時発の最終バスを捕まえ、佳木斯市へ戻る。夕食 前にメールチェックしようと市内のネット屋に入るが、身分証明書を見せろとのこと。パスポートなんか持ち歩かな いんで利用できず。青少年の健全育成らしいが、なんだそりゃ。 ちなみにこの路線、架線の凍結する冬期には、客 レにも蒸機(SY)が駆り出されるそうです。





長春軽軌の電車。各色あります。 こちらは在来の市電。路面電車ではない。

 

9月1日。早起きして朝6時過ぎのバスターミナルへ行き7時発の哈爾濱行きの高速バスのチケットを無事入手。 この区間、朝07:00発のN6次快速列車、哈爾濱まで約500kmをノンストップ5時間53分で走り抜く固定 編成の新型ディーゼル列車に乗ってみたかったのだが、昨晩佳木斯駅で訪ねてみるとなんと満席とのこと。夜行寝台 ならともかく、こんな都市間特急が前の日のうちに満席になってるなんて予想してなかった。高速バスの方が所要時 間は短いのだが、それでも5時間も狭い座席に押し込められるのはイヤだけど、仕方がない。早起きしたので途中グ ッスリで殆ど時間を感じなかったのはまあ救いで、昼前に着いた哈爾濱の駅前で軽食(持ち帰りの際、袋にストロー 入れ忘れて多少苦労した)を仕入れ、すぐに長春行きに乗換え。小雨降る高速道路を快走したバスは15時過ぎに長 春着。ああ疲れた。やっぱり長距離の移動はバスより列車だ。

 さて、ここ長春は、中国でも残り少なくなった市内電車の走る街。数年前に遼寧省鞍山市の市電が廃止されてしま い、もう現在ではここ長春と大連くらいしか残っていない。のだが、ここ長春には逆に新しい軽軌と呼ばれるLRT が開通し、最後の1路線となった市電とともに活躍している。
長春国鉄駅脇の判りにくい工事現場の裏手から出発する軽軌を途中の停留所で立体交差する市電に乗り換え、両路線 を乗り比べた後、せっかくなので軽く市内観光。筆者は読者層に併せて通常この手の旅行記には観光話など書かない のだが、ここは触れねばなるまい。

ご存じのとおりここ長春は、旧満州国の首都として新京と呼ばれていた時期がある。市内には当時の建物が今も多 く残り、その多くが現在も色々な形で使用されている。例を挙げれば博物館として公開されている満州国皇帝ラス トエンペラー溥儀の宮殿や西欧と中国の折衷とされた興亜式建築の満州国国務院、病院として使われている軍事部 や経済部、ホテルとなっている関東軍司令官公邸や満鉄ヤマトホテル、レストランとなっている外交部、簡単には 立ち入れないけれど共産党の省委員会が使用している関東軍司令部、などなど。

旧関東軍司令部は、現在、共産党吉林省委員会。 満州国外交部はレストラン。世が世なら落花生。も?

 
 せっかくなので、車窓からでも一通り眺めてみることにし、タクシー運転手のおじさんに地図の通りの名を見せ ながら小一時間市内をウロウロ。今度はゆっくり見に来ることにしよう。
今日の泊まりは東隣の吉林市。中国で唯一省名のついた都市だそうだが、省都は戦前に幹線鉄道が通ったために遙 かに発展を遂げた長春に譲り、今は田舎町。吉林からは明日の目的地の撫順への直行する亜幹線経由の夜行列車が あるのでこれに乗りたかったのだが、途中駅乗車ということでやっぱり寝台券は取れず、無駄足に。吉林省は北朝 鮮に隣接していることもあり朝鮮族の住民が多く、夕食に入った店の女将も朝鮮族。メニューは中華と朝鮮料理が 半々だったが、久しぶりに韓国語、というか朝鮮語で話をすることとなった。






硬座→硬臥へ変更する車内補充券。

 

9月2日早朝。17分遅れでやってきた、吉林定刻05:16発の長春行き普通快車2168次は牡丹江から朝 鮮国境の図們経由でやってきた夜行列車崩れ。指定が買える筈もないので取り敢えず無座で乗り込むが、結構な立 客。まぁそうだろうな、とは思っていたので、硬座車の片隅にある車掌服務台へ。さすがに明け方だからもう下車 客もいるだろうと硬臥車への変更を頼むと、ホンの十数秒で普通の切符にそっくりな、コンピュータ印字の補充券 が発行された。「10車14号下舗」とキチンと寝台番号の印字された券面には「事由:補臥」「原票:硬座」「随原票使用」と 書かれており、発行は「長春客運段」。料金は44元(約700円)。2時間弱の乗車にしては贅沢だが、この眠 い中2時間立ちっぱなしは勘弁なのだ。寝台は勿論他の客が使った後であまり奇麗ではなかったが、すぐに熟睡、 長春まではあっという間。  


長春→広州間特快T122次のYZ25G客車。

 

長春での乗換は向かいのホームから。07:35発の特快T122次は遙か広東省の広州までおよそ37時間 かけて走るロングラン列車。特快といっても硬座車は他の列車と特段変わらず、4人がけと6人がけのボックス 席が並び、例によって満席。それでも途中停車の四平、鉄嶺と短時間乗車も結構多く、無座で乗っても徐々に座 れて来ているようだ。そりゃ広東省まで立ちっぱなしじゃ堪らないだろう。

 瀋陽に着いたのは11時頃。東京駅・ソウル駅などとよく似た感じの瀋陽駅は、満鉄奉天駅時代からの駅舎 を今も使用。満鉄設計部太田毅設計の満鉄最大の駅舎で、東京駅と同じく、当時流行の辰野式デザインというも のらしい。駅前には現在開催中の花博の飾り付け。花博臨も走っているようだ。
まずはチェックインして身軽になろう。タクシーで向かったのは駅からほど近い遼寧賓館。言うまでもなく、 大連、長春(新京)、哈爾濱と直営ホテルを展開していた旧南満州鉄道の奉天ヤマトホテルで、当時の建物をそ のまま使用している。入口を一歩入ると高い天井のロビーは狭いながらも荘厳な雰囲気、なかなかのもの。さす がに建物としては古く今は3☆のランクで料金もシングル1泊270元と日本ならビジネスホテル並の値段。部 屋は狭かったし、レセプションも英語を話せる人は多くないようだけれど、そこそこ親切でいい感じ。この街で は瀋陽北駅前の東横インという選択肢もあるが、せっかくだから是非1泊はこちらだろう。

瀋陽駅前には花博の装飾が溢れる。 旧満鉄ヤマトホテルの遼寧賓館。

 

 今日は瀋陽から東へ40kmほど行った炭鉱街の撫順へ向かう。瀋陽=撫順=梅河口=吉林と結ぶ路線は意外 と本数が少なく適当な列車がないので、駅前からのバスで1時間弱ほど(8元)。ここ撫順には満鉄の財源とも なっていた世界最大の露天掘りの炭鉱があり、その炭鉱労働者輸送用の電車線があるのが今日のお目当て。考え てみれば中国で所謂“電車”というものは殆どなく、大都市の地下鉄・市電・モノレールの他は、最近国鉄が中 距離特急列車用として導入しだした電車編成(広州=香港間などのX2000やCRH系列)位で、都市近郊電 鉄というのは2004年末に開通した大連の快軌が唯一ではないだろうか。そう考えると、最近まで(多分)中 国唯一だった“電車”が運行されているのがここ撫順の炭鉱鉄道である。

 他の鉱山鉄道の例に漏れず、ここも国鉄路線とは(線路自体は繋がっているのだろうけれど)旅客列車は全く接 続をとっていないので、取り敢えずタクシーで撫順駅最寄りの鉱務局駅を目指すが、例によってタクシーの運転手 は「そんなモノ知らん」という感じ。地図を頼りにそれっぽい方向を目指し、なんとかたどり着いてみれば列車の 運行は午前中と夕方のみ。駅の時刻表から察するに、全線完乗は難しそうだが、可能な範囲で乗ってみよう。

炭鉱鉄道の路線図。 西露天鉱。線路が十数段に渡って敷かれ、玩具のように運炭列車が走る。

 

 手元の地図に拠れば、世界最大の西露天鉱側は一周する線路は無いようで、鉱務局駅を12時とすると、8時の 位置の古城子と4時の劉山との間は繋がっていない。なので東側の露天鉱を一周する環状線には乗ってみることに し、その環状線の南西に突き出たヒゲ線の終点駅の“劉山”発14:43発の西の終点機修行きを目標に定める。 まずはまだ列車が動き出すまで多少時間があるので、タクシーで古城子近くの西露天鉱展望台へ。5元の入場料を 支払うと、カラー刷りの結構奇麗なパンフレットを渡され、双眼鏡も設置された展望台からは巨大な露天鉱が一望 できた。
いやぁさすがに凄い。カメラの望遠最大にしても全く追いつかない。スイッチバックなのか、十数段の線路が敷か れ、あちこちに豆粒のような列車がモソモソと動いているのがようやく判別できる。大方はELのようだが、中に は煙を上げている蒸機らしきものも見えるぞ。

ホームの鳥居型時刻表。
電車は朝と夕方に集中。
元気なオバちゃん車掌。 車内売り(上)と駅売り(下)の切符

 

 暫くの後待たせておいたタクシーで西露天鉱の南側を東に向かい、劉山駅へ。例によって運ちゃんは電車の駅の 場所なんか知らず、入り口の看板も何もなく、ギリギリになって坂道を息せき切って駆け上がる羽目になったが、 無事にキャッチ。「あらあら大変ねえ」とでも言いたげなオバちゃん車掌から1元の切符を買うと、水色の携帯電 話会社の全面広告塗装になった、運転台出入り扉の脇という変わった位置に縦書きのサボをつけた3両編成の電車 は、吊り掛けモーターの音を響かせながらゆっくりと走り出した。この電車、どうやら国鉄の標準通勤型客車のY Z31型の改造のようで(車内にはYZ31時代の車番票まで残っている)、運転台部分以外は全く客車当時のま ま。内装は例によってロングシート化されている。
発車してすぐ、東環状線合流前にくぐったトンネルの上は平頂山、かつて日本軍による住民虐殺があった場所だ。 この地方を旅していると、そこかしこにこのような場所があり、決して避けては通れない。ここでそれ以上を語る つもりはないが、心の中でそっと手を合わせた。
本線に合流して南台で一本落とし、後続の古城子行きに乗換え、車庫駅まで来たところで左の電車区に目をや ると・・・ 見えた! とっさにバッグを手にして飛び降りた。ジテが居る!
 


元満鉄のディーゼル動車ジテ1型改造の電車。

 

 電車区の奥には他の電車と同じ水色の中国移動通信の広告電車となった、流線型の101号編成。元を辿れば 1935年に日本車輌製、満鉄が導入したジテ1型電気式ディーゼル列車である。当時は大連近郊列車として用 いられ、試験運転の際には奉天=新京間約300キロを3時間で走破したという。 
 戦後電車化改造され、最近まで使われていたが、今は炭鉱鉄道〜撫順鉱務局電鉄の旅客列車の運転本数自体が 数年先の廃線(予定の由!)を控えて減少傾向にある為か、定期列車は他のYZ31改造の標準型電車のみで足 りるようで、ジテが運用に入るのは希だという。あと何年、いやあと何回営業運用に入ることがあるのだろうか。 そして廃線・廃車になった後、名鉄850型によく似た、この貴重な文化遺産を後世に残すことはできないのだろ うか・・・。

 折り返しの東環状線反時計回りの塔連行き(塔連で20分ほど停車後、列車番号を変えてそのまま古城子行きと して一周)、の到着まで、40分ほどの車庫での滞在は、鶴崗でも見かけたようなごつい凸型電機(こちらは銘板 によると国産が多いようだ)や、やはりYZ31型客車の改造ながら全面を流線型とした通称“ムーミン”(性能 的には何ら変わらないようだ)の出庫を眺めたりしているうちに、あっと言う間に過ぎた。
途中にスイッチバックもあったりする東環状線をノンビリと一周の後、また撫順駅前からバスで瀋陽に戻り、最 後の夕食はガイドブックにも載っていた有名な餃子屋で。




 最終日。今日は13時半の全日空で東京へ戻る日で、時間は限られているので早起き。
 ホテルの前からタクシーで市内の皇姑屯へ。運転手はよく判らないというので、皇姑屯の鉄道駅前から「ども ありがと」と片言の日本語を話すバイクタクシーに乗り換えて数分、やってきたのは1928年、蒋介石の北伐 軍に追われた張作霖が関東軍の手によって列車ごと爆殺された現場である。現在は記念碑が建てられている。こ の事件をきっかけにやがて日本は泥沼の戦争へと足を進めていったのだ。思いを馳せていると、ちょうど上を跨 ぐ旧満鉄線側を列車が通過していった。
 
 その後はやはり有名な柳条湖事件現場へ移動。歴史家でもない筆者が何らかの価値観に基づく記述をすること は適当ではないので、事実関係については読者各位の御認識にお任せしたいが、いずれにせよ1931年9月18 日、ここ奉天郊外の柳条湖(×柳条溝)で満鉄の線路が爆破されたことをきっかけに日本は傀儡満州国建国へと歴 史は大きく動いていったのだった。偶然にもその線路上をちょうどモスクワ行きの国際列車が通過していったこの 現場は現在、9.18事変博物館として抗日教育展示がなされ、今日も沢山の中国人観光客の団体がガイドの説明 に聞き入っていた。



張作霖爆殺事件現場。左手に記念碑が見える。
下が京奉線、上が満鉄線。

 

 最後は市内のホンダのディーラーで友人への土産(中国語仕様の純正アクセサリー)を入手し、チェックアウト 後、突然豪雨となった高速を空港へ。いやぁ今回もまた実に濃い1週間だった。まだまだ終焉を迎えつつあるSL やナローなど行ってみたいところがいっぱいある中国。スタアラOZの4フライト稼ぎがてら、次は何処にしよう か。冬の東北地方は激寒だからちょっと勘弁だが。



サークル「雑型客車」機関誌「Box Train」第101,102号掲載原稿を加筆修正しています。



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