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平田真英氏と航友会


   拝啓
 突然の一筆、失礼いたします。
元陸軍航空工廠の職員人事に タイピストで居ました山崎友子と申します。
浅見属殿、佐藤さんと一緒に居ました。四年になりますでしょうか、立川に行きました折、知念様が 奥様と御一緒にお出でになりましてお話する言葉も少なかったですが 本当に懐かしゅうございました。
この度、家の者が旅行で参りますので、一寸お電話を差し上げるよう申しておきました故、お逢いできれば幸いと存じます。
そのうち又、航友会にでもお会いできる日を楽しみにお待ちいたしております。
いつまでもお元気で御過ごし下さいます様、お祈り致しまして失礼いたします。          

一九八X年X月三日

平田様






   平田ご夫婦様、ながい間ご無沙汰いたしております。
お元気で、ご清栄のことと存じ上げます。ほんとに無音に打ちすぎまして、何とお詫びしてよいやら申しわけございません。
沖縄へ、そしてお宅へお伺いして厚いおもてなしをいただきましたこと、アルバムを開くたびに想いだされ、懐かしく思っております。
その節は大勢で楽しくさせていただきまして衷心より御礼申し上げます。
さて、航友 会の「つばさ」、昨年の総会時、出席者に手渡され、お出でになられなかった方には十月までに送本されたので、平田様にも届いたことと存じます。
実は私、このつばさの編集、タイプ等、務めさせていただいておりますので、今回、平田様にもご投稿願いたいと、御無沙汰お詫びかたがたペンをとりました。そのつもりは、以前からもっておりましたので、関係記事を切り抜いておきました。ここに同封いたします。
どんなことでも結構です。平田様の近況でも、十一年前になりましょうか、御夫妻で航友会総会にご出席の思い出でも私達大勢がお邪魔したことでも、また沖縄の事々など、なんでも結構でございます。ご投稿くださいますようお願いいたします。
私は、沖縄の平田様の記事がほしいと思っておりましたので。
私達お伺いしたのは、五十五年三月八日でした。月日の流れるのは早いものだ、とつくつく思います。もうちょうど八年満となりましたものね。
ことしは総会が九月十八日(日)となるかもしれません。お出かけになりませんか。お会いしたいと思います。ますます増えまして、会員、全国に八百名近くと、事務局からの報告です。そして出席者も二百三十名ほどの大賑わいです。
昨日(十日)新聞の尋ね人に飛行機第四工場の方が同僚を探しておられたのを見、私尽力して消息を分かり合え、四十三年ぶりと。両方の方から喜ばれました。奇しくも尋ねられた方が、私と同じ板橋区内の方でした。明十二日、十二時探していた方がお出でになるということになり、私も近いことゆえ、一寸ご一緒することにしました。探しておられた方は、神奈川県川崎の方です。
このお手紙ポストに入れた直後に、お二方の感激の対面が私、見られそうです。男同士の友情こそガッチリしている、と思われます。
沖縄は、海開きとなったのでしょうか。今冬は、テレビ等で報じられたように、実に暖かく、私達としては、凌ぎようございました。がツケは、夏にくるのでしょうか。水不足、日照りなどで農作物にはいかがかと案じられもします。東京は梅が真盛りに咲いています。椿も咲いています。
どうぞよろしくお願いします。
  ごきげんよう。  さようなら    

一九八X年三月XX日夜

黒崎花子



追伸;牛島中将は、陸軍航空工廠から沖縄に転属なさったと思います。





航友会の沖縄旅行

1980年3月8日、那覇市の平田真英さんの御宅にて





 


陸軍航空工廠


航友会総会写真集


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