カニの巻 コボレバナシ  マンガを読む

我が家の母はちょっと変わっているようだ。
「大人とは本当のことしか言わないもの」だと思っていた私は、まさか母が私をからかうのを楽しんでいたなんて全く気が付かなかった。

 どうやら私はこの母に、かなり色んな事でからかわれていたらしい。
らしい…というのは、やっと今になって、「そうか、あれは騙されていたんだな。からかわれていたんだな。」と実感していて、未だにどこまでがからかいで、どこまでが本気の話だったのかよくわからないでいるという、からかい甲斐があるんだかないんだかわからないという状況になっているからだ。

しかし、純真な子供心をここまでからかっていいものか?
私は本気でカニが茹だって死んでしまったものだと思って、風呂に入るたびに「ごめんなさい」と思っていたのに…。
まあよく考えれば、「なぜそれまでは茹らずにすんでいたのか?」という疑問にぶつかるはずなんだが…。 純真だった。といえば聞こえがいいが、確かにバカだった。
今後も、そんな母の偉業をしたためていくつもりです

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おのつくことの巻 コボレバナシ   マンガを読む

何故か、お漏らしをしても全く恥ずかしくなかった。それどころかものすごい勝利の気分に浸っていた。
そんな私のひるまなっぷりのせいなのか、「やーい、やーい。 このお漏らし野郎。」という子供らしい冷やかしを、これまた全く受けなかった。 
 受けたのかもしれないけど、覚えはない。
ちょっとしたガキ大将だったので、そういったからかいの対象でもなかったのかもしれないが、小学校に入学したばかりで、みんながシャイだったのかもしれない。

 だから、そんなことはすっかり忘れていたのだけれど、その後2年たったある日、転校生がやってきて急展開を見せる。
転校生が来たその日の帰り道、そのころ最もといっていい位に仲のよかった子が、帰り際に謝ってきたのである。
私にとって勝利の記憶でしかないので、言われたところで全然痛くも痒くもないんだけれど、「そうか、やっぱり気になってたんだね。」と思った。 
「そうだよな〜気になるよな〜。」やっと現れた反応にちょっと満足した。
が、転校初日の子にする話題ではどう考えてもないのである。どうやって切り出したのだろうか? 出来れば同席して居たかった。と思いながら家に入った。

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恐怖の巻 コボレバナシ   マンガを読む

人間は肉で出来ている。と信じていた。よもや70%が水分だとは…。
よくよく生傷の耐えない自分の身体を観察していれば、すねだろうが、ひじだろうが、血が出てたってのに、血液は“手首”と“耳たぶ”だけに池のように貯まっているんだと思っていた。
内臓にいたっては、臓器が単体で肉に埋め込まれているのだと確信していた。
だからこそ心臓や血の貯まっているところが大事で、守るべきはそこだと信じて疑わなかった。
あると思っていた体の部位の出所は、はっきりしている。
心臓=「心臓が止まりました…」とドラマで言っていた。
胃  =「胃下垂なのよ〜。」と母が言っていた。
腸  =「腸が弱いのはお父さん似ね。」と母が言っていた。
盲腸=「盲腸を切った。」と父が言っていた。
手首の血=ドラマで自殺シーンを見た。
耳たぶの血=血液検査のときにそこからとられた。
見聞きしたものにこれだけ影響うけているのに、人体解剖図を見たことはなかったのか?我ながら疑問だが、あれはそういったオブジェだと思っていたような記憶もうっすらある。

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私の盲腸な日々 コボレバナシ  マンガを読む

盲腸になるのは今回が初めてではない。

 3度目の正直とでもいうのか、3回目にして遂に摘出の運びとあいなったのだが、その前2回とも手術の危機にさらされた。

 1度目は上京して初の夏休みが目前だった19の時。
「なんだか腹がいたいな〜」と街医者に行くと、「紹介状書くからすぐに行ってね、多分盲腸だわ〜。」と言われた。
「そんなに痛くないです。盲腸じゃないですから紹介状いらないです。」と抵抗した。
結局総合病院に行かされ、そこでも盲腸だと言われ、更に「急性盲腸なので手術しましょう。」と言われた。私としては納得がいかない。「盲腸は転げまわるほど痛い」と常々父が言っていたのに、私の腹痛は、「冷やしたか?」と思うのに毛が生えた程度なのだ。こんなことで身体を切られるなんてたまったものではない。

 「手術は大事で心配ですから、実家の近くの病院でやりたいです。紹介状書いてください。」と、いかにも気の弱そうな事を言って、抗生物質と紹介状を貰い、夏休みに入ってから帰った。実家の近所の総合病院では「盲腸じゃないですね。抗生物質で散ったんでしょう。」と言われた。未だにあれは盲腸じゃなかったんじゃないか?と疑っている。

 2度目は本格的に痛かった。「ちょっとまずいかもな…。」と、日曜の8時過ぎに急患で医者に行った。
外科の先生にびっくりする診察をされたあと(乙女としてどうか?と思うのでここら辺は省く)「盲腸ですね、今日は休日で手術できないけど、手術した方がいいでしょう。」といわれ、そのまま入院。「盲腸のある私も今日までなんだな。」と窓外を眺めた。
 翌日「切ってもいいし、切らなくてもいいという丁度境くらいの状況です、どうしますか?」と、内科の先生が言う。「昨日は手術しましょうといわれましたが。」というと、「盲腸の場合、内科ではなるべく切らないようにしているんです。」といわれる。 
 更に、駆けつけた母が「
せっかく五体満足に生んであげたのに、あんたはその身体に傷をつける気?」と言った。神の一言である。
 内心「そうか、せかっくの身体だもんな。」なんて思っていたのに、後日その話をしたら、「
あの時は仕事が山ほどあって、入院なんかされたらたまったもんじゃなかったからね。」とあっさり言われた。
 そういえば病院での滞空時間は1時間も無い程度だった。納得しかけた私だったが、胸にひっかかる事が1つ。

 あの日、御茶ノ水の駅で母の名を呼ばわる者あり。「東京に知り合いなどいない。」と歩いていると、唯一東京にいる母の従兄が呼んでいたのであった。
 「立ち話もなんだから、お茶を飲んだのよ〜。」とそういえば言っていたのだ。 「電車の時間までまだ間があったからね。」と、しれっと言うが、
だったら娘の看病しとけよ。おい。


 初めて入る手術室は、あまりにもがらんどうでビックリ。かなり残念な気分だった。
 もしかして簡単な手術の時は簡単な装置の部屋なのか? そんなこと無い? 分からない。
  ただ分かるのは手術室にウタダヒカルは合わないって事だ。 真面目に不安になった。こんなカルイ音楽で気楽に手術されちゃうの? というより、
手術って音楽聴きながらやるものなの? 選曲は執刀医?

 手術のライトに反射して、手術内容が見えると何かの本で読んだことがあったので、かなり楽しみにしていた。
 こんな機会でもなければ自分の内臓を原色で見ることはない。私の内臓なのだから、何が起こっているのか、何をされるのか、見る権利があるってもんだ。
 なのに、すりガラス状になったライトカバーがあって、ぼ〜んやりみえるだけ!! 「やられた。」誰に何をやられたのか、自分自身でもわからないが、舌打ちせんばかりにそう思っていた。 
医者に行った当日の執刀だったので、何も考えられなかったが、その後執刀医に「患者が望めば、手術を撮影してもらえたりしたんですか?」と聞いてみた。
ビデオは微妙らしいが、「
カメラだったら確実に撮影できる。」と言われ、頼んでおけばよかったと後悔した。
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ミギトヒダリの巻 コボレバナシ  マンガを読む

 小学生だった頃、全ての基本は小学校にあった

 左右も、方角も、全てが学校では決まっているんだと思っていた。というよりも、他の場所では右が左になったり、北が南になったりするんだと思っていた。

 北にずんずん進んで行くと、いつか南極にたどり着く。北に行ったはずなのに、もと居た地点からみれば南にいる事になる。 西にいると思っても、更に西の人から見れば東にいることになる。
 子供の解釈違いなのだが、そんな感じで、世の中のものは全て流動的でその時によって変わるのだと思っていたのだ。 へたすれば、両親でさえも明日からかわるのかもしれないのか?と不安になったこともある。
 しかし、北極星が日本から見ればいつでも北にあるように、どこかに定まる場所があるんだとは思っていて、自分の席が決まってあり、自分の出席番号がきまっている学校が、私にとっての定点だと勝手に思い込んでいた。 

 家の中でも自分の指定席くらいあるだろう? と思われるかもしれない。 
確かに家族の指定席は決まっていた。 しかし兄は左利きだ。箸を持つ手も、鉛筆を持つ手も逆なのだ。しかも母の神の一言で、書道だけは右手で筆をもっていた。 
かくして家の中は、左右の確定しない場所、ようは流動的な世間の一部なんだと解釈していたのだった。流動的な家のなかでは左右の確証がもてないため、学校からそうっと帰ってきて、その安定した場を家の中で再現してみたりしていたのだ。 我ながらへんな子供だった。

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ダメなものの巻 コボレバナシ  マンガを読む

イナゴが好き嫌いにはいるのかはともかくとして、史上最強の良い子供を作り上げようとした母は、好き嫌いもゆるさなった。
今の好き嫌いのない私は、そんな母の努力のたまものか。と思っていたら、なんのことはない「あんた達はほとんど好き嫌いがなかったよ。」ということだった。

 では何が好き嫌いだったかというと、
イナゴとレバーとトマトジュースである。
野菜だったらともかく、ジュースが嫌いだからといって、無理やり飲ませなくてもよさそうなものである。が、しかし、母は飲ませるべく、世にも恐ろしいプロジェクトを決行した。

 無類の牛乳好きだった私に、
トマトジュース入りの牛乳を飲ませたのだ。

 最初は気が付かれないように少しだけ、徐々にトマトジュースの量をふやし、遂には完全なトマトジュースを飲ませることに成功した。牛乳にトマトジュース。そんなドリンクの方がよっぽど変な味がするだろう。考えるだに恐ろしい。色だって変だと気が付いてもよさそうなものである。ちょっと風変わりな味のイチゴ牛乳だとでも思っていたのか? 子供のころの私ならありうる話である。 しかも現在の私はトマトジュースが大好きとくるのだからおめでたい。

 さてレバーは…と言うと、なぜか一番食べさせなきゃいけないものなのに、母は頑張らなかったのである。 確かにレバーだけはどうしても食べられなくて吐いたことがある。そのせいか、「一生一人で生きていきな!!」という脅しもされずに、未だに食べられないのである。
因みに母は、イナゴとレバーを食べない。それどころか、刺身も海老も食べない。

トマトジュースといえば…
 マンガからはそれてしまうが、トマトジュースというとどうしても思い出してしまうことがある。
 トマト牛乳を飲まされたのかは知らないが、兄もトマジューが好きである。
 小学生だったある日、家族でレストランに出かけた。たいそうに言っったところで、今でいうファミレスのちょっとだけ高級バージョンといったところなのだが、それまで近所の中華屋位にしか行ったことのなかった兄弟には、「すごく高級な所来てしまった。」といった気分が生まれた。
 自分が何を頼んだのかは忘れてしまったが、兄は食前の飲み物としてトマジューを頼んだ。そのありふれた選択に、「あんたなんでそんないつでも飲めるもの頼んでるのよ。」とか「缶が出てくるよ。」と家中の批判を浴びていた。

 が、真っ先に出てきたトマジューは、「
失礼します、トマトジュースでございます。」と、コースターが置かれ、氷とレモンスライスの入ったトマジューのグラスが置かれ、最後にストローが添えられた。 
 今になってみればごく当たり前の風景なのだが、それまで、「ラーメンね。」とか「はいよ。」とかいう店にしか行った事がなかったから、「トマトジュースでございますだって!!」「トマトジュースなのに缶じゃないよ!」「トマトジュースに氷が入ってるよ!」「トマトジュースなのにレモンが入っているよ!!」「トマトジュースなのにストローついてるよ〜!」気分はお大臣、大騒ぎなんである。 そのころの冷蔵庫の製氷機は一応付いてる程度のもので、氷をジュースにうかべるのは、クリームソーダくらいだと思っていたから、かなりのカルチャーショックであった。
 兄も「氷の入ったトマトジュースはおいしいよ!、レモンもいいよ。こんなに
トマトジュースっておいしいんだね。」と、叫んでいた。他の料理も珍しいものばかりで、大興奮のうちに食事が終わった。さぞや会計も大変だろうと思ったが、「そんなにしないんだね。」と言う母の言葉に、「一月に一度はこようね。」と兄弟して言ったのであった。
その後、月一で訪れたかというと、無論行かないのであった。

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タヌキの巻 コボレバナシ   マンガを読む

 最近は田舎でも床の間がない家が多くなってきたようだが、私の幼少の頃は大抵どこの家にも床の間があり、どこの家にも剥製があった。

 当時タヌキの剥製を前にして祖父は剥製のなんたるかを講釈していたが、「ハラワタ抜いて干した皮でしょ?」と聞いちゃあいなかった。なので剥製の醍醐味は未だもって解らない。
 第一、ホルマリン漬けのカエルやらヘビやらは気持ち悪がるのに、剥製だと立派ってのはないんじゃないの? 同じ屍骸よ。ねぇ。
そういえば祖父と母が「やっぱり違うねぇ、目の入り方が違うね。」と言っていたが、
そんなに何件も剥製屋ってあったのだろうか?

 私は内心剥製屋は肉屋の内職なんじゃないかと思っていた。 肉を抜いた皮で作れば無駄もなく一石二鳥。 キジの剥製を見るたびに確信を強めていったのだが、誰にも言わなかった。自信がなかった訳ではない。「内職がバレるのは恥ずかしいんじゃない?」と肉屋の心情をおもんばかっての事だったのだが、よくよく考えれば発注している時点で解るのだから、バレるもなにもないのだった。 

 その後親戚の家で飼われていたキジが剥製になった事もあったが、タヌキで免疫ができていたので、「結構皆そういう目的で飼っているのね」とちょっと安心した。我が家だけが特別冷酷な訳ではなかったのだ。いやしかし、我が家系の特性か?
あの剥製たちはどこに行ったのだろう?今やどこの家に行っても壺や掛け軸があるばかりである。
「死んだ動物を飾るなんて、いいわけはありません!!」風水の流行によって撲滅されてしまったのだろうか?段ボール箱や押入れにしまわれている方がなんだか嫌な感じなんだけど…。 人形みたいに奉納すべきなの?

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