じっと、正面を見つめている。

 いや、厳密に言えばそれは正確な表現ではない。確かに自分の視線は正面に位置しているが、前だけに意識が向いているわけではない。
 眼球が確保している、正面を中心におおよそ100度〜120度の視野。強化建材と白い光子緩衝材の壁によって囲まれた、五十ヤードほどの奥行きを持つ、長方形のがらんとした空間。
 そのすべてに、均等に意識を向ける。視界を広角に保つ。どんな変化も見逃さない。
 神経系に装備された電子索敵機能、及びスペクトル探知はカットしてある。
 それはつまり視覚情報のみで状況に対応しなくてはならないということで、強化された神経系も今この時点では補助にしかならないということだ。意識を集中させる。
 広角に保った視界の中で、目標を捜す。
 「準備よし」のサインを出してから、まだ何秒も経っていないはずだった。なのにこの一瞬が、ひどく長いものに感じられた。
 集中を維持することによって、体感時間が引き延ばされている。
 それでも「まだか」とは思わない。無意識下でその言葉を封じ込める。焦らない。
 意識の集中と共に、精神をフラットに保ち続ける――。
 唐突に、「標的」が出現する。右斜め15度の方向、距離にして二十フィート弱。
 意識が一点に集約されるのと、肉体が行動を起こし始めるのは同時だった。
 標的の中心に、質量を伴った光が叩き込まれた。一発目。弾体射出時の反作用により跳ね上がった銃身のぶれを補正する。間髪入れず二発目。寸分違わぬ箇所に光子弾頭が吸い込まれるのを確認するまでもなく銃身を補正。圧縮トリガーオン。
 銃身上部に装填された光子ペレットのバードライブ光。
 三発目。
 スペクトル硬化により仮想実体化していた標的が、その質量に耐えきれず砕け散った。二発目とまったく同じ場所。ミリ単位の狂いもないワンホール・ショットだった。
 『試射終了』を告げるサインとアラームが出た。
 射撃姿勢を解き、同時に精神を弛緩させたことろに声がかけられた。



「――見事なものね――」



■三射三様/もしくは長考の果ての次の一手について■
 
 
 
 シ・オンはその気配に気付けなかった。だからと言ってどうという反応を見せたわけでもなかったが。
 いや、実際には反応していた。緊急回避と目標の補足、速やかな攻撃を要求してくる本能を無理矢理ねじ伏せなければならなかったし、背後からかけられたその言葉に対してかすかに顔を――あくまで見えないようこっそりと――しかめてみせるくらいのことはやっていた。
 声の主は、気配の出現から場所を変えていない。
 きっと「いつもの微笑」を浮かべたまま、自分が何がしかの反応をするまでそこに立っているつもりなのだろう……そんなことを思う。腕のひとつも組んだまま、壁に寄りかかり、ひどくリラックスしたような風情で余裕たっぷりと、

「ターゲットが出現してから二発目までで0.57秒。三発目のハイパワー弾に0.4秒。
 しめて一秒以内のワンホール・ショット、得点は1078ポイント――この訓練場のハイスコア更新は間違いなしと言ったところかしら?
 さすがは軍情報部屈指のレイマール、≪黒姫≫の名前は伊達じゃ、」
「……≪侯爵領七本槍≫にそこまで誉められるってのも、ある意味気味が悪いものね」

 遮るようにそれだけ言って、シ・オンはようやく振り向いた。
 果たして声の主は想像通り、たったひとつの入り口に近い壁に背をあずけ、こちらを見ていた。ゆったりとしたウェーブのかかったくすんだ赤毛と鈍色の瞳、ほんの微かな笑みをいつも浮かべているような口元、ハンターとしてはやや大仰なほどぴしりと着込んだ黒を基調とした軍装、赤い帽子に縫いつけられた金糸の紋章。
 特徴を記憶と照らし合わせるまでもない。何度か会っているし、今の任務についてからというもの、その名前はいやというほど聞かされている。
 キャラダイン・フラッシュハイダー。≪侯爵領七本槍≫の五。
 それぞれの役割を持つ七本槍においては、その主要任務は情報戦担当――。

 ――と、

 そこまで思考を巡らせてから、シ・オンは不意を付かれて目を剥いてしまった。
 キャラダインの横に、もうひとりの人物を認めたからだ。キャラダインよりもすらりと背の高い、同じく軍装に身を固めた褐色の肌のレイマールが、そこに一言も発することなく立ち、じっと自分を見つめていたのである。

 ――完全に気付かなかった――今の今まで!?

 いくら電子索敵を解除していたとはいえ、ここまで完全に気配を悟らせない人間など軍部にすらそう何人もいるものではない。呆気にとられると同時に内心歯噛みする。……これが実戦なら? 間違いない、自分はそれに気付くことすらなく殺されている。
 そんな心中の動きを揶揄するような笑みを――もっとも彼女はいつも「そんな笑み」を浮かべているのだけれど――浮かべ、キャラダインは「そう言えば」と口を開いた。

「貴方達は会うのは初めてだったかしら? 紹介しましょう。彼女はティーニャ。
 ティーニャ・D――『ノワール』。もと私の部下だったのだけれど……まあそれはどうでもいい話かしらね」

 確かに後半はどうでもいい情報だった、今は。優先順位としては二位未満だろう。
 シ・オンが聞きとがめたのは、今の台詞の中ではただ一箇所だ。

「……『ノワール』?」

 「ええ」と応じるキャラダインの声を聞きながら、視線を褐色のレイマールに注ぐ。当の本人は自分を紹介されている最中でも沈黙を守り、ただシ・オンの視線を無表情に受け止めている。
 深い海の底のような瞳。
 少女と呼ぶにはいささか不釣り合いだ。シ・オンはそんなことを思う。だけどなんて、純粋な瞳。

 ――それでも≪黒≫の人間なのね、この子は。
 ≪侯爵領≫なんか比べものにならないほど古く、強大な組織の一員だと――。

 ≪侯爵領≫は、チェスに例えるならば変則布陣である。
 全ての駒の代わりに、ただ七個のクイーンが並んでいるチェス盤。ポーンは一切無い代わり、ひとつひとつの駒がおそろしく優秀で、死角がほとんど無く、挙げ句にどれを取ったら詰みなのか(キングがはっきりとその位置を見せない!)もはっきりせず、それを指摘するとすっとぼけるばかり。ゲームを維持するための最低限のルールを守ることもなく、まともな勝負をさせてもらえない。
 対して≪黒≫はというと――そんなことはない。ちゃんとキングとクイーンが、ナイトとビショップ、ルークにポーンが揃っている。キングを取れば詰み、すべてルールに乗っ取っている。
 ただ、ポーンが四十個あるというだけで。
 自分の駒と、相手のポーン以外の駒、それ以外のすべてのマスがポーンで埋め尽くされているようなものだ。勝負をさせてもらえない、と言うレベルの話ではない。初手から勝負にならない。相手の駒が多すぎるからである。
 その膨大な駒の、彼女もひとつだということになる。

「……そう。私はシ・オンよ。そちらのご紹介の通り軍所属。一応階級は――」
「知ってる」女が始めて口をきいた。声音は低いが澄んだ声だった。「≪黒姫≫シ・オン。軍の幕僚第三情報支部所属。階級は准尉。軍務は公表数字で五年。うち特殊訓練目的で≪チーム00≫に八ヶ月」

 一語一句、切るような調子で話す。不思議とよく通る声だった。
 一介の軍人のデータが妙なほどこと細かく調べられていることについては、「思った以上に有名人なのね、私って?」と肩をすくめておくだけにしておいた。≪黒≫の一員と≪侯爵領七本槍≫にどれほど腹芸が通じるかなど、試してみなくても判断がつくというものだ。
 和やかとは言えない自己紹介の後で、その部分だけは本音でため息をひとつ。

「それで? 貴方……ティーニャはともかく、≪七本槍≫のひとりがなんでこんなところにいるの」

 「こんなところ」とはつまり、ハンターズギルドの射撃訓練場だった。
 ギルド所有のブロックの一部を改造し、広域ホログラムとスペクトル硬化処理によって射撃目標を出現させる、ごくありふれたスタイルのものである。
 ひとつのシップには居住ブロックごとにギルドの支部があるが、そのほとんどすべてにこういった訓練施設が備え付けられていた。それほど空間も設備投資も必要としないため、小規模だが似たような施設を個人で所有している者もいるくらいだ。
 侯爵領にも訓練施設はある。ここよりもずっと大きな。

「……あら。私はハンターズに登録してあるのよ? 使っていけない法はないはずだけど」

 多少の皮肉めいた口調など通じまいと思っていたが、案の定キャラダインはすまして返してきた。
 私「は」、という物言いが暗に「お前はどうなのだ」と言っているあたり、――なるほど手強い。
 せいぜい聞き取りにくいほどの声でそうでしょうとも、と呟き、シ・オンはもう一度嘆息して見せた。手持ちのハンドガンのセフティをロック、大型の銃身そのものを前にスライドさせて光子ペレットを引き抜く。通常のハンドガンならペレットは銃身上部のクリップシリンダーで固定されているものだが、シ・オンの銃はその逆側――銃身下部に直接組み付ける仕様になっていた。
 一時間ほど撃ち続けた程度ではスペクトル半減化もないだろうが、それでもペレットを交換しておくのはクセのようなものだ。手慣れた動作で交換を終えると、待っていたかのようにキャラダインが横に並んだ。
 だらりと両手を下げたままの自然体で立ち、ちらりとシ・オンの手元の銃を見る。

「軍支給のK型レイガンじゃないのね。『ヴァリスタ』の488ナンバー?」
「542ナンバー。……一応官給品よ?」

 かすかに笑みを深くして、キャラダインが一歩前に出る。足を肩幅よりやや狭く開き、首をかすかに傾げたかと思うと、

「『SET』」

 無造作に、そう言った。――訓練開始の合図。
 施設のシステムがその声を拾って、シ・オンが設定していたモードを継続実行。球形の標的を正面120度/最大五十フィート圏内に完全にランダムに、

 出現させ、

 キャラダインの右手がするりと持ち上がるのと、

 ――速い!?

 三発の光子弾を喰らった標的が砕け散るのが同時だった。
 いつ銃を転送パケットから「抜いた」のか――それさえもよくわからなかった。
 シ・オンはぎゅっと眉根を寄せる。得点表示。880ポイント。当たった三発の着弾点のぶれがかなり大きく減点されたのだろう。
 カウント詳細表示。初段発射まで0.2秒ジャスト。

 三発撃ち込むまでに要した時間――0.45秒。

 とてつもない速さであった。
 三発とも通常弾だったとはいえ、0.5秒を切っているのである。コンマ単位を競うスピードで、反射強化処理を施している自分よりも1.5倍以上速いのだ。人間技ではない。
 自分と同じように機械化しているか、何らかの強化処理を施されているのは間違いなかった。

「……まあ、正直に言わせてもらうとね……?」

 手をひと振り、たった一度の試技でハンドガンをパケットに収納し、キャラダインはシ・オンに向き直る。多少手を加えた程度の、何の変哲もないNモデルのレイガンだった。

「ハンドガンなんてものはあくまで近接戦兵装であって、ある程度以上の正確さがあれば充分事足りる……と、『私は』思っているのよ。
 携行武装はあらゆる種類があるわ。状況に応じて転送パケットから呼び出せばいいだけの話。
 むしろその一般的な用途を考えると、ハンドガンに必要なのは『速さ』なんじゃないかってね――」

 得点表示を見もせずに、キャラダインはそのまま壁まで下がる。電子的に計算された得点など興味がないと言わんばかりだった。ふたたび壁に背をあずけ、

「もっとも、その辺は価値観かもしれないわ」

 そう付け足す。
 当然、自分に向けられた言葉だと思ったのだが。

「そうでしょう、――ティーニャ?」

 それまでまったく無言だったレイマールが、こくりと頷いて数歩入れ替わりに進み出た。こちらは既にパケットから呼び出したのだろう、シ・オンと同じ『ヴァリスタ』を手にしている。おそらくは500以降の後期開発ナンバー、こちらも目立った改造はないように見えた。

「長距離射撃モードに変更。難易度A」

 射撃スタンスを取って、呟くようにそれだけ言う。え? とシ・オンが聞きとがめたが、視線を向けることもせず、

「『SET』」

 開始を告げる。半身のまま銃把を握った利き腕をまっすぐ水平に伸ばす。そのままぴくりとも動かなくなる。
 五十ヤード先の壁に標的が浮かんだのを、かろうじてシ・オンは視認した。――かろうじて。オフラインメセタひとつ分ほどの大きさしかない、点としか見えない小さな標的だった。
 一秒ほどの間があった。銃身下部の光子ペレットが輝く。オーバードライブ光。ハイパワー弾。

 ――嘘でしょう?

 光弾が電磁加速音とともに撃ち出され、豆粒以下の標的に命中するまでシ・オンはそう思い続けていた。
 信じられるわけがない。反動の少なくないハイパワー弾で、狙撃スコープどころかハンドガンで――五十ヤード先のあれに命中させるなんて!
 目を見張るシ・オンの前で、ティーニャはそれがまぐれでないことを立て続けに証明していく。標的が設定難易度に従ってランダムに動きだし、次第にその速度を増していく。数秒おきに発射されるハイパワー弾が、ことごとくそれに命中していく。
 彼女もサイボーグか。そう思った先から、

「……あれであの子は完全に生身なのよ。信じられないでしょうけどね」

 じっとティーニャを見つめているキャラダインが否定してくる。

「優れたマサイのモラン(戦士)は――メネンガェ(悪魔の地)の底にすら槍を届かせると言うわ」

 キャラダインの声は、相も変わらず余裕に満ちていた。目の前の光景が当たり前であるかのように。
 ただ、この時ばかりは隠すこともない賛嘆の響きが混じっていた。

「私が何でこんなところに、と聞いたわね。答えは見物。
 久しぶりに会った自分のもと部下が、どれほど腕を上げているか、とても興味があってね」

 「想像以上だったけれど」と続けたその表情に、苦笑のようなものが混じる。
 シ・オンにもその苦笑の意味が判った。もと部下の成長を誇らしく感じると同時に、この女はおそらくは――。

「……貴方以上になってた? ≪七本槍≫」

 一矢報いたと思う。キャラダインの苦笑が深くなったからだ。

「五分ね。一対一ならともかく、多対多の混戦状態の中であのストーキングと狙撃技術を使われたら、勝てる目がなくなると言わざるを得ないわ。
 まあ……そんな状況になる前に殺すしかないでしょうね」
「――」

 あっさりと「そのこと」を認めるキャラダインに、シ・オンは絶句する。
 囁き声ではない。ティーニャにだって聞こえていないはずがない。それでいて至極当然の事実のように言い切った。

 ――『見物』。戦うときの参考に。『興味』。敵の強さがどれくらいか。
 懐旧の皮を被ってはいるが、このふたりが此処に来た目的は、実際には――。

 シ・オンが図らずもキャラダインと向き直っている間に、ティーニャは訓練を終えたようだった。
 パーフェクト・スコア。ただ得点は平凡だ。一発ごとにかけた時間が長すぎた。
 当たり前だ。狙撃用兵装を使用することを前提にした訓練なのだから。
 こんなことをハンドガンでやろうとする人間など、おそらく彼女以外にいないだろうから。

「隊長は、獅子だ。弓で傷を負わせることはできるが、槍でなければ息の根を止められない。
 そして息の根が止まるまでは、決して油断できない」

 ふたりのもとに戻ってくるなり、ティーニャもまた顔色ひとつ変えずそう言った。当たり前のような口調で。
 そうか、とシ・オンは悟る。
 無表情なティーニャを、ゆったりと笑みを浮かべているキャラダインを見てそれを悟る。

 ――もう、向き合って、……いるんだわ。

 マスの境界線を挟んで、向き合っている。
 クイーンのひとつとルーク――真っ直ぐに進むその駒が、もっとも彼女に相応しいと感じた――、ふたつの駒が、何処かの誰かが駒を進めるその時までは決して動くこと無しに、それでも厳然と、互いを一手で取り合える位置に。

 ≪侯爵領≫と、≪黒≫の駒が。

 情報部の推測が、もし本当だったら。
 いくつかの駒を失った≪侯爵領≫は、何故急いで三人の≪七本槍≫を呼び戻したのか。
 まるでそれに呼応するように、≪黒≫が再び活発化し始めた理由は?
 総督府ラボが、ハンターズを使って進めている特一級極秘指定の調査――それと関連があるのではないか?

 闇が。



 闇は、まだ――晴れてなどいないのではないのか?



「楽しかったわ、ティーニャ。また会いましょう」
「了解」

 思考に溺れかけていたシ・オンを現実に引き戻したのは、踵を返すキャラダインのブーツの音だった。
 訓練場を出ていく背中。揺れるくすんだ赤い髪。それを見つめる、深く真っ直ぐな瞳。
 ふ、と――開いたドアをくぐり抜ける寸前、キャラダインが振り返った。
 感情を読みにくい鈍色の目が、シ・オンに向いていた。かすかな笑み。どこか物憂げな、どこか妖しげな。

「貴方も。……また会いましょう、≪黒姫≫?」

 応えを返す前に、ドアが閉まった。ティーニャは、閉まったドアをじっと見続けていた。
 訳もなく自分が戦慄していることに、シ・オンはその時になってようやく気付いていた。
 いや、理由はある。曖昧だけれど、説明など出来ないけれど、理由はあった。






 「一手」が動くのを、見たためであった。






 了




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