――防壁展開。同時に自己診断処理。続いて回線を軍部系の情報部独自の秘
匿回線に接続。一万桁のパスワードを捻り込む。脳紋パターン合致。意識が電
脳空間の独特のノイズを拾う。相変わらず此処は騒がしい。
■電脳幕間/あるいは遙か遠き想い出。■
<幕僚第3支部/情報部所属/シ・オン准尉と認識。
――お久しぶりです、准尉>
軍司令部第8世代多目的人工知能『ドラゴンヘッド』の声が聴こえた。
「聴こえる」と云うのは正しい表現では無い。この空間では視覚も聴覚も触
覚、味覚に至るまで全て電気信号(パルス)として認識されるべきなのだから。
只、その信号を脳が都合の良いように解釈しているだけだ。
<久しぶりね、『ドラゴンヘッド』。今日は少し個人的に知りたい情報がある
のよ。それだけ>
脳内に這入って来ようとする余計なノイズを除去しながら、シ・オンは歩き
慣れた『ドラゴンヘッド』の回路へ向かおうとする。
――と、
「…………え?」
視界が不意に変化した。
シ・オンの目前には見上げるような巨大な本棚が整然と並び、足下は年季の
古さを感じさせる木の床。窓辺には柔らかな陽光が降り注いでいる。自分の躰
を見れば軍服ではなく、動き易さを重視したシンプルな造りのシャツとパンツ
を着ていた。
「……これは」
「すいません。驚かす心算はなかったのですが」
背後に気配。振り向くと其処にはレースをあしらった司書服を着た小柄な少
女が立っていた。
「…………『ドラゴンヘッド』?」
シ・オンの問いに少女は笑みで応える。
「はい。電脳感覚変換プログラムを私なりにアレンジしてみたのですが……ど
うでしょうか?」
周囲を改めて見回してみる。今まで光として認識していた数々のデータは整
頓された本になっており、耳障りだったノイズは窓辺から聴こえる小鳥の唄声
になり、無機質で無味無臭だった空間は昔の映像資料で見た古ぼけた、だけど
懐かしい匂いのする巨大な図書館に変わっていた。
「そうね……」
と、少女の姿をした『ドラゴンヘッド』の端末プログラムを見つめて、
「……悪くないわ」
シ・オンは静かに微笑んだ。
「『侯爵領』に関する公式資料。及び情報部独自で調べ上げた指令系統と戦力
分析。それから行政府での『侯爵』への協力者のリスト……」
手際よく少女が本棚から何冊もの本――の形をしたデータ――を取り出して
並べていく。自分の背丈の何倍もあるような書棚に梯子を使って右へ左へと動
き回る姿は、何だか微笑ましい。
「次に『黒』に関する資料を洗い浚い――って、准尉? 量が膨大ですよコレ」
「それなら、つい最近『黒』が関与していた思われる事件だけでいいわ」
「分かりました。……それなら、第二次ダビデ戦役のが良いですね」
「ダビデ戦役……か」
小さな溜息をついて、シ・オンは窓辺に視線を向けた。
『第二次ダビデ戦役』――ここ数年の中では一番大規模な宗教戦争。
科学技術が光の速さを越え、あらゆる不可思議な「魔法」や「超能力」と呼
ばれていた現象が解明・体系化され、電脳空間(ネットワーク)が世界のあら
ゆる場所に巡らされるこの時代に於いても、民族や宗教の対立と云うモノは無
くなっていない。寧ろ情報伝達の高速化、拡大化により増殖していると云って
もいいだろう。
(――軍人が一番相手にしたくないのは狂信者と暴徒と化した民衆さ)
情報部の上司である軍事参謀の言葉を思い出す。
少し陰鬱になりそうになってシ・オンは頭を振り、目の前に並べられた本に
目を通し――自分の脳内にある記憶野(メモリ)にダウンロードを――始めた。
注がれていく情報をカテゴリ化して纏めあげ、不要な情報を整理していく。
……そんな作業が数分ほど続いたあたりで、
「……?」
ページを捲っていた手がふと、止まった。
「どうました? 准尉」
本を数冊抱えながら、少女が尋ねてくる。シ・オンの手は第二次ダビデ戦役
の項目で止まったまま。
「……このダビデ戦役の映像資料、あるかしら?」
「ええ、かなりのファイル数になるかと……」
「構わないわ。見せて」
言うと同時にシ・オンの目の前に大量のウィンドウが起動していく。
瞬時に判断して、その中から一つの静止画ファイルを見つけだす。
ソレは政治演説の画像であった。民衆に向かって檄を跳ばして喋る指導者の
周囲には武装された兵士が護衛をしている。
「この画像がなにか?」
「……ええ、この後ろで護衛している兵士――多分、レイマールなんだけど」
指差した部分の画像が拡大表示された。同時に補正処理も掛かる。
確かにその兵士はレイマール特有の制服を着ており、くすんだ赤毛の髪を肩
まで伸ばして、手にはヴァリスタが握られていた。貌立ちは美女と呼ばれる部
類に入る。口元には妖艶とも云える笑みが浮かんでいた。
その姿は他の兵士達とは少し異質であり、何よりシ・オンの兵士としての本
能が『危険』と警報を鳴らしている。このレイマールは強い、と。
「このレイマールをもう少し拡大出来ないかしら――いえ、顔じゃなくて頭の
ベレー帽の部分を」
「解りました。――デジタル補正予測を加えてみます」
ゆっくりと画像が拡大。ノイズ補正。光源仮定による色調修正。想定しうる
材質による形状予測。
「――これは」
「…………」
そのレイマールのベレー帽にあったのは錦糸で施された紋章であった。
「この紋章、どこのモノか解る?」
「――何れの軍の部隊章にも該当するモノはありません」
「該当範囲を拡げてみて」
「はい。――――あ、ありました。コレは……フラッシュハイダー家の紋章で
す」
少女の回答にシ・オンは眉根を寄せる。
「……フラッシュハイダー家」
「はい。元『侯爵領』の分家筋の一族です。ただ――」
そう言って少女の瞳は不思議そうに首を傾げた。
「フラッシュハイダーの家系は既に絶えているんです。おかしいですね、既に
亡くなった一族の紋章を付けているなんて……」
「…………」
少女の説明を聴いていないのか、シ・オンはただ黙って拡大されたベレー帽
の紋章と赤毛の美貌を見詰め続ける。
「准尉、どうしましたか?」
小さな躰を乗りだして少女はシ・オンの顔を覗き込む。しかしシ・オンは考
え込んだまま、微動だにしない。
不意に、
「ねぇ、この『第二次ダビデ戦役』の発端の原因を知っている?」
シ・オンが訊いてきた。
「え、ええっと……確か宗派対立の激化による、当時の摂政・クラーヴァ公が
革新派に暗殺されたのが発端のはずでは……」
「そう、確かにソレも原因のひとつ、ね。けど――」
ふっ、と。
周囲の音が掻き消された。先刻まで聴こえていた鳥の鳴き声も、窓辺の陽光
すらも遮られて薄暗くなる。
「……『ドラゴンヘッド』?」
「――相対モードに移行しました。これで例えタイレル提督閣下でも私達の会
話を聴くことは出来ません」
だから、心配しないで。
そんな風に、少女――『ドラゴンヘッド』は微笑んだ。
「ありがとう、『ドラゴンヘッド』」
シ・オンはそう言うと、
「じゃあ、少し……昔話を聴いて貰おうかしら」
と、ポツリポツリと呟き始めた。
『第二次ダビデ戦役』。
表向きは確かに国内の宗派対立による処が大きいわ。
でもね、この戦争の本当の原因はそんなのじゃ無いのよ。
この戦争の原因は当時の教皇・リ・エンスールと保守派のメンバーが各国か
ら科学者を招いて、『ある研究』をさせたのが原因なの。
――どんな研究ですって?
アナタも聴いたことがある筈よ『ドラゴンヘッド』。科学を目指す者なら必
ず求めてしまう事象。避け得れぬ壁。決して開いてはいけない扉。
そう。――『ゴースト・クローニング』よ。
過去の科学者達はあらゆる手段を講じて、身体機能の飛躍的な向上、病原体
の撲滅、寿命の延長などに身命を注いできたわ。
でもね。
今この時代になっても、ただ一つ解明されていないモノがあるの。
それが、『魂』。
倫理的な問題もあり、この『魂』に関する研究は禁忌とされてきたわ。特に
魂の『複写』による正に『不死』になる技術――ゴースト・クローニング研究
は禁忌の中の禁忌。
でも、その魔力に取り憑かれた者は後を絶たない。
リ・エンスールはその為の場所と機会と材料を彼等に与えたわ。
この研究を行った者は四人。
ユリ・スギウラ博士。
ウィリアム・ハルミトン教授。
イ・マリウセ司教。
そして――当時のフラッシュハイダー家当主ジラ・O・フラッシュハイダー。
たぶん、この映像のレイマールはフラッシュハイダー家縁の者でしょうね。
フラッシュハイダー家はその研究に関与する事を知られて、侯爵家から追放
されたのよ。追放されても求めるモノがあったのかしらね。
彼等は各自の分野を生かして『魂』の解析、研究を行った。勿論、机上の空
論ではなく、リ・エンスールに与えられた『材料』達――つまりは国民の命を
使ってね。
摂政クラーヴァはこの事実を評議会に告発しようしたわ。
だがその前に暗殺され、事実を死後知らされた一部の保守派と革新派は協定
を結び、リ・エンスールと彼に従う者達に反旗を翻した。
斯くして『第二次ダビデ戦役』が始まったのよ。
終戦後、リ・エンスールは処刑。従っていた保守派の殆どは制裁されたわ。
でも、
研究を行っていた四人の行方だけは未だもって生死不明。勿論、行っていた
研究成果についてはドコまで進んでいたかも解らないわ。
失敗だったのか。
それとも――研究を完成させたのか。『不死』の研究を。
え? どうして私がその事を知っているのかって?
……そうね。不思議でしょうね。でも、私の本名を聴けば納得いくわ。
シ・オンは母方の名前なのよ。
私の本当の名前は、シ・マウリセ。――察しの通り、研究を行ったイ・マウ
リセは私の父親よ。
「……この事実を知っているのは、私と死んだ母、私を軍に入れてくれた軍事
参謀。――そして、アナタだけよ『ドラゴンヘッド』」
ふう、と息を吐いてシ・オンは頬杖を付いた。
「……どうして、そんな大切なコトを私に話すんですか」
少女――『ドラゴンヘッド』は俯いて、呟く。声が震えている。
「何故かしらね。……多分、私のことを憶えて貰いたかったから、かな?」
「…………」
「私はこんな風に自分の躰の五割近くを電脳疑体化している。多分、あんまり
長生きは出来ないわね」
「――っ、そんなコト!」
少女の反論に静かに微笑みながら、シ・オンは頭を振った。
「いいのよ。自分で望んで情報部に志願して、特殊手術を受けたんだから。後
悔なんかはしていない。でもね――」
ふと、母の死を思い出す。
(――私とお父さんの事は今日ここで忘れなさい)
(――貴女は貴女の信じる道を)
死の間際。そう言っていた。忘れろ、と。優しかった母を、厳しいが大好き
だった父を。
「――忘れて貰いたくなかったんだ」
そう。
どんなに辛い事でも、その人達を忘れる事なんか出来ない。忘れたくない。
「だから……どんなに嫌な事でも憶えていて欲しいのよ」
自分勝手な言い分だけどね、とシ・オンは少女の髪を撫でる。
日溜まりのいい匂いが、した。時が止まったように穏やかに。
「……さて、長居しすぎたわね」
ゆるりと腰を上げて、出口に向かって歩き出す。
その背に――、
「私……忘れませんから」
聞き逃してしまいそうな、小さな声。
「私っ、絶対に忘れませんッ! シ・オンさんの事、嫌だと言われても絶対に
忘れてあげませんからッッ!!」
涙混じりの声。その言葉が嬉しくて。とても、嬉しくて。
「――ありがとう。『ドラゴンヘッド』。
ザイ・ラ・ル・イーデス(あなたに勝利の龍があらんことを)」
もう、忘れかけていた母国の言葉をそっと呟いた。