パイオニア2の女ジャーナリスト、ノル=リネイルは後にこう述懐する。

「世の中には……たとえ真実でも『伝えないこと』が正しいこともあるんだ、って……思ったの」

 瞳を閉じ、想いを巡らせるようにゆっくりとかぶりを振る。
 そして彼女はぽつり、ぽつりと彼女自身の体験そのものを、ゆっくりと話し始めた。

「そう。どうしても知りたいのなら教えてあげるわ……『神爪』と呼ばれた一人の少女の話を」

 場末の酒場、と言った感じの店の、そのカウンター席で。
 物語の幕が、上がる。


『をさなげなるかな神の爪』


 大きな瞳。
 ノルが彼女を見たことによる第一印象は、ただそれだけだった。
 パイオニア2特別機密区、ハンターギルド受付前。
 本来ならば彼女が立ち入ることさえ許されないこの区画で、彼女は人を待っていた。
「………………」
「…………?」

 じぃ〜っ、と。
 無言でノルを見つめる二つの瞳。
 決して背が高い方ではないノルを、さらに頭ひとつぶん低い位置から見上げるその瞳が。
 まだあどけない少女のものであることに、ノルはそこに来てようやく気がついた。
「……子供がどうしてこんな所に?」
「えーと、あなたはノルさんですねー?」
 思わず口に出してしまったノルの言葉を遮るように、少女は大きな声で彼女の名を呼んだ。
 突然自分の名前を呼ばれて、面食らったように返事をしてしまうノル。
「あ、はい」
「あなた、ハンターギルドは初めてですね?」
 どきっとした。
 こんな子供に見透かされるようでは、自分がこうして特別区画に不法侵入していることも、
もうあっさりとバレて、泳がされているだけではないのか?
 そんな考えを一切考慮する様子もなく、ノルはこくこくと頷いてしまうしかなかった。
「そ、そうだけど……」
「ボクはクラフィル、フォースです。ニューマンで女の子だからフォニュエールですよー」
「クラフィル……フォニュエール……」
 その少女はクラフィルと名乗った。
 ニューマンだと言うとおりに耳が尖っており、フォースらしく帽子もかぶっている。
 そして胸を張って、えっへんという声が聞こえてきそうなポーズで、クラフィルは言った。
「これでもハンターズの一員です! ノルさんの依頼、ボクが確かにお受けしました!」
 ……ノルの目の前が暗くなった。



「えーとそれじゃ、とりあえずセントラルドーム近くまで行けばいいのかな?」
「はい、そうです……だからあまり無茶はしないでください、お願いだから……」
 涙をほろほろとこぼしつつ、ノルはハンドガンを抱きしめる。
 自分の腕ではいささか頼りないが、なにせ目の前の少女の方がもっと頼りない。
 ……いや、彼女はフォースだ。
 たとえ外見が頼りなく見えるとはいえ、年齢不詳が常のニューマンのこと。
 フォースであるという事実が、肉体的なハンディをほぼ打ち消していると言ってよいだろう。
 そう。フォースはテクニックを使う……はず、なの、だが。

「ね、ねぇ、お姉さんにちょっと教えてくれないかな?」
「んに、なになに?」
 晴れ上がった空も青く眩しい、惑星ラグオル地表、通称森エリア1。
 そこを元気いっぱいに駆け出そうとしたクラフィルは、急ブレーキをかけて振り向いた。
 俯いて、肩を震わせているノルを不思議そうに、下からじぃ〜っと見つめる。
 その手には。
 そう、その左手には。

「なんで……なんで魔術杖とか戦闘杖じゃなくて、その……爪なの?」
「あ、これ?」
 肩だけでなく、声まで震わせて言葉を絞り出すように尋ねるノル。
 そして、あっけらかんとしてシンプルにその問いに答えるクラフィル。
 そう。実にシンプルな答えだ。

「趣味!」

 あまりにシンプルすぎて、何故か泣けてきたノルであった。


 人並みの大きさをした動物が数体、のしのしと歩き回っている。
「ブーマ。……主に地中に生息するラグオルの原生生物だね」
「ぐ、軍の報告では凶暴じゃないはずよね、うん。だ、大丈夫よね」
 だがしかし、立派に人並み以下の体格を持つクラフィルと比べると、まるで大人と子供である。
 あまりの不安感に怯えてしまうノルを後目に、クラフィルは無造作にブーマたちに近づいた。
 それに気づいたブーマたちは、一斉にクラフィルめがけて歩を進めはじめる。

 一歩。二歩。三歩四歩、五歩六歩七歩……。

 どんどんと歩が進み、ぐんぐんと彼我の距離が詰まってゆく。
 ブーマたちが加速しているわけではない。かの原生生物は一定のペースで足を動かしている。
 つまるところ、クラフィルの方が駆け出していたのだ。
 走ることでクラフィルとブーマの間の空間は、限りなくゼロに近づいていく。
 そして、ついにブーマに肉薄せんと迫ったクラフィル目がけて……。
 ブーマが、その鋭い爪を振りかざした。
「あ、危ないッ!!」
 思わず叫んでハンドガンを構えるノル。
 つけ焼き刃の腕で当たるとも思えないが、このまま何もしないで見ているよりは百倍ましだ。
 たとえフォトンエネルギーの弾丸が目標を外れ、あの爪が振り下ろされたとしても……。
 その……しばらく焼き肉が食べられなくなりそうなものを見ることになったとしても!
 私は頑張ったのよ。最善を尽くしたの。大丈夫よノル。あなたは頑張った。あなたは立派よ!
 そうやって、自分を慰めることができる。出来るのだ。
 だから……。

 ずばっ。(ぐおー)

 だから……。

 ざくっ。(ぐおー)

 ええと、だから。

 とすっ。(ぐおー)

 ……だからさぁ。

「……ね、ねえクラフィル?」
「ん、なに?」
 普段と変わらぬナチュラルスマイルで答えるクラフィル。
 その足元に、地面に溶けかけ中の三体のブーマ。
 純粋なフォトンエネルギーで覆われた爪には、一点の曇りも見えない。
 そして、クラフィルの笑顔にも。
「さっきのブーマの爪……どうしたのかなぁ?」
「あ、それなら受け流したよ?」
「う、うううう受け流したぁっ!?」
 あの、熊のようなブーマの力強い腕、それでいて固く鋭いであろう爪を振り下ろされ。
 自分よりも体格の小さいこの少女が、その致命的な一撃を、顔色一つ変えずに『受け流した』と
答えることのできるこの現実。
 そんなものが現実と呼べるのだろうか。
 だとしたら。
「……それが、どうかした?」
「ん、えーと、いや、その……なんでもない」
「へんなの」
 きょとんとした顔のクラフィルに、切羽詰まった顔のノル。
 そして再度地中から、ブーマが続々と顔を出しはじめる。
「っと。お喋りしている時間はないかな。行っくよ〜っ!」
 クラフィルが叫んで爪を繰り出せば、ブーマは再び地に還る。
 それを呆然と見つめるノル。
「あ、ノルさん、後ろ!」
「えっ」
 クラフィルの声に慌てて後ろを向けば、そこにはいつの間にかブーマの姿。
 いまにも息がかかりそうな距離で、ブーマがゆっくりと右手を振り上げた。
 そこでノルは考える。

 あんなに小さな子が出来るなら……私だって!

 と。
 振り下ろされるブーマの爪。
 受け流そうとかざされる両手。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇいぃっ!」

 さくっ。

「あ」
「あ」

 なんとかなりませんでした。



「……ご迷惑おかけしました」
「いいっていいって、気にしない気にしない」
 レスタで治療を受けたあと(さすがにフォースだけあって一瞬で完治した)、二人はようやく
雨の降りしきる地表……通称森エリア2に足を踏み入れていた。

「それにしても気味の悪い所ね……こんな所にホントに人が……あ、ううん、なんでもない」
 漠然とした不安は、既にノルの中で抑えがたいまでに大きくなっていた。
 それが恐慌という形で表に吹き出さないのは、ひとえに目の前のフォースの存在による。
 はじめのうちはその小ささに不安を覚え、自分の運命と神様を呪ってみたりもしたけれど。
 フォースとは思えぬ格闘戦の強さ、自らの半身ほどの長さはあろう爪を自在に使いこなす技量、
たまに見せるテクニックの威力と制御力、そして何よりその明るさに、ノルは信頼を寄せていた。
 そして今。
 ノルの感じている不安は、目に見える形となって彼女の前に存在していた。

「……どのログも、全部同じ時間で止まってる」

 天候観測用施設。
 セントラルドーム外部に設置されたその人工物は、はっきりとその情報を示していた。
 不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安。不安……そして不安。
 直前に見たホラービデオと全く同じシチュエーションに放り込まれたような。
 そんな、これ以上ないほどの、確信に満ちた不安。
「……これって」
「調べてるんだよ」
 ノルの言葉に、再びクラフィルの言葉が覆い被さる。
 ふ、と振り向いたノルの目に、彼女の顔を覗き込むようにするクラフィルの大きな瞳が映る。
 ああ、なんだ。
 私、ひどい顔してるじゃない。
 瞳に映った顔を見て、自然と笑みがこぼれると、苦笑と呼ばれるその顔は、瞬く間に笑顔へと。
 笑顔が、笑顔に重なった。

「ボクも、リコも、ほかにもたくさんのハンターズが、この星のことを調べてる。だから」

 細められた笑顔の瞳は、ノルの瞳にもくっきりと映っていた。

「きっと、いつかこの星で何が起こっているかが……解るはずだよ」

 ……信じよう。
 ノルは。
 ノル=リネイルという、その一人のジャーナリストは。
 強く、そう思った。



「……これが、私が彼女に初めて会った時の話」
 ノルは、遠い目をして当時を懐かしむようにため息をついた。
 そして、呟く。
「フォトンクローだけならともかく、素手でブーマを仕留めたのを見たときは目を疑ったわよ……」
 やれやれ、と首を振り、肩をすくめ、そして再び椅子に背をもたれかけさせる。
 そして、たった今まで話しかけていた人物に目を向ける。
「それで? こんな話で何か得るところはあったのかしら?」
「……充分だ」
 低い声。
 店内に……いや、その空間にだけ留まるような重い声が、その人物の性別をはっきりと示す。
 そしてその影は、人間のものではない。
「……もしよかったら私の取材にも応じて欲しいのだけど? ……ミスタ・キリーク?」
「断る」
 きっぱりと、そしてシンプルに。
 何かを思い出させるそのシンプルさに、涙は出ないが苦笑するノル。
 そして、ゆっくりと、ゆっくりと手もとのグラスを唇に持っていく。

 幕が、降りる。

「それにしても……」
「何だ?」
「噂も名高い戦闘アンドロイドが、まさかロリコンだとは思わなかったわ」
「………………ぉぃ」

 降りるんだってば。

 ……が、しかし。
 クラフィル=ラグナクロウを巡る物語は……。
 一応、始まったばかりと言えるかもしれない。





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